六歌仙

有常ありつねが、貫之つらゆき加冠かかんをして、がくそうして(音楽を演奏して)くれました」

 紀望行きのもちゆきが語る。


東歌あずまうたしゅう(東歌を集めた書物)もいただきました」

 紀貫之きのつらゆきも語る。



 紀有常きのありつね。六十二歳。

 惟喬これたかの母――田邑帝たむらのみかど文徳もんとく天皇)のきさき静子しづこの兄。

 紀貫之きのつらゆき初冠ういこうぶり(成人式)で、こうぶりこうぶらせ、がくそうしたといっても、ただそう(琴)を弱々しくき鳴らしただけだ、見るからにおとろえた姿で。


 紀貫之が十二歳で、初冠を急いだ理由よしは、これだ。

 紀有常が死ねば、ざえある(異能を持つ)紀貫之に加冠かかんできるざえある者がいなくなる。


 紀氏は、鬼を静める才ある子が生まれず、才ある者は老いて死んでゆくばかりだ。



「そういえば、有常は、東下あづまくだり(関東への旅)をした時に、あれこれ、東人あづまびと(関東の人々)に、歌を聞いていたな」

「東下りを語り始めたら、ここから追い出すぞ、業平」

 惟喬これたかみやかに(にこやかに)言われて、在原業平ありわらのなりひらは望行に言った。

親王みこ(惟喬様)に、有常の話ではなく、五節ごせちが、舞ったことを語ってあげなさい」


「五節の師がっ」

 声を上げたのは、遍昭へんじょうだ。

 遍昭も、忌むべき僧の身で、貫之の初冠の祝いの宴には出ていない。


 惟喬が、すさまじき顔様かおざま(つまらない表情)で、遍昭を見る。

「先に驚かれると、驚きづらいんだよね…」

「すみません……――まことに、五節の師が舞ったのか」

「子の初冠ういこうぶり(成人式)を祝って、舞う母なんて前例ためしがありませんよ…」

 身を乗り出して遍昭が聞くと、望行は両袖を重ね合わせ、顔を覆う。


姐君あねぎみが何人か、舞ってくれることは決まっていたのですが、交じって母が舞っていたのです…」

 恥じて赤む顔で貫之は言う。



 五節ごせち

 紀望行の。紀貫之の母。内教坊ないきょうぼう妓女ぎじょ(宮中で舞や音楽を演奏する女性)。

 「五節の師」と呼ばれるのは、年毎としごとに選ばれるむすめたちに、五節の舞を教えているからだが、他の舞や、男舞おとこまいまでもくする(上手に舞う)。


 「姐君あねぎみ」と貫之が言ったのは、血のつながりもないのに、内教坊の妓女たちは、互いに姐・妹と呼び合う習慣ならいだからだ。



「美しかったことだろうね」

 言って惟喬は、遍昭の方を見る。


あまつ風

 雲のかよ 吹き閉ぢよ

 乙女の姿 しばし止めむとどめん

 在原業平ありわらのなりひらが歌を詠んだ。


 紀貫之は見る。

 樺桜かばざくらがさね(表・蘇芳(暗紅色)、裏・赤)の狩衣かりぎぬを着た在原業平は、春の日の光に照らされて、風に散る花を見上げている。



 天の風よ 雲の通り道を 吹き閉じておくれ

 天女の姿を

 この地に もう少しとどめたいから 



「その歌はっ」

 遍昭がおめく。


 業平は、ほそやかな眼で、貫之を見やる。

「五節の舞姫だった君の母君に、遍昭が詠みかけた歌なのだよ」

「ちがう。詠みかけたのではない。感動あわれを詠んだだけだ」

 遍昭がいなぶ。

 望行は、ますます重ね合わせた両袖で顔を覆う。


「母は、遍昭様と…」

「ないっ。」

「ないっ。」

 歌を詠みかけたということは、母と遍昭がつうじたのか(関係を持ったのか)と、言いわずらう貫之に、遍昭と、両袖を下ろして赤む顔を晒した父・望行が、声を合わせておめく。


内教坊ないきょうぼう妓女ぎじょが、心地ここちしくなった(気分が悪くなった)姫の代わりに舞うことは、よくあることだそうだね」

 騒ぎののしる声(大騒ぎする声)などないように業平が、貫之に言う。

「はい…」

 貫之は、惑う顔様かおざまで答える。


 遍昭は身を乗り出して、言いく(説明する)。

「私は、もう出家しゅっけしていて(僧になっていて)、なのに、親王みこ惟喬これたか)たちがあざれれて(ふざけて)、」

 剃り上げた頭を、広げた手のひらで掴むようにして、言い継ぐ。

「この頭に、こうぶりこうぶらせて、束帯そくたい(正装)を着せて、私を豊楽殿ぶらくでんに連れ込んだのだ」



 今のうえ大嘗祭だいじょうさい(即位して初めての秋の収穫しゅうかくを祝う祭り)の五節の舞を、藤原高子ふじわらのたかいこに代わって、紀貫之の母・五節ごせちが舞ったのか。


染殿そめどのの姫じゃないじゃないか」という在原業平の独り言が、人から人へと伝わり、広まり、在原業平が染殿の姫(藤原高子)の顔を知っている、つまり、通じている(関係を持っている)と知られたのだ。



「『歌を詠め』とは、誰も言っていないぞ」

「あの歌は、感動あわれを詠んだだけだ」

 業平に言われて、遍昭は言い返す。

「五節の師に詠みかけたのではない」

「あなたの言うことは、いつもまことが少ない(本心を言っていない)」

 遍昭に言われて、業平は言い返す。


「人をそし悪口あっくは、罪、ること。」

 惟喬は墨染めの袖で口覆いして、とがむ眼差しで見やる。



 仏の教えで、十悪じゅうあくと呼ばれる、殺生せっしょう偸盗ちゅうとう邪淫じゃいん妄語もうご両舌りょうぜつ悪口あっく綺語きぎょ貪欲とんよく瞋恚しんい邪見じゃけん



そしりではありません。歌を言割ことわっている(批評している)だけです」

 惟喬にも、業平は言い返す。


遍昭へんじょう様の歌は、さま(歌のかたち)は整っているけれど、まことが少ないのですよ(本心を歌っていない)。たとえれば、絵に描いた女を見て、心を動かすようなものだ」


まこと(生身)の女に懸想けそう(恋)できないからって、絵に描いた女に懸想したって、邪淫じゃいんは、罪、ることだよ、遍昭」

 惟喬は墨染めの衣で口覆いして、後ろめたい(心配する)眼差しで見やる。

「絵に描いた女になど、懸想けそう(恋)いたしませんっ」

 遍昭に言い返されて、ますます惟喬は後ろめたい眼差しで見やる。

「と言うことは、噂通り、僧となっても、まこと(生身)の女に懸想してるなんて、なおさら邪淫だよ…」

「業平っ。お前が、あやなきこと(わけのわからないこと)を言うからっ」

 遍昭は業平に向かっておめく。

 業平は、ほそやかな眼で見返す。


 遍昭は長くうめき、業平に向かって、ようやく言い出した。

在原業平ありわらのなりひらの歌は、心があり余って、言葉が足りない。しぼんだ花は、色をなくしているのに、匂いだけがしつこく残っているようなものだな」


 遍昭に言い返さず、業平は言い出す。

文屋康秀ふんやのやすひでは、」

「わざわざ考えてやったんだから、何か言い返せっ」

「康秀って、今、何処どこにいるの」

 遍昭はおめき、惟喬は問う。


「この前、歌会で会いましたよ」

 業平の答えに、惟喬は驚く。

みやこにいるのか。呼べばよかったな」

「相変わらず、五月蝿さばえす男ですよ」

「相変わらず五月蝿さばえすか~」

 惟喬は苦笑する。



 五月蝿さばえす。

「騒ぐ」にかかる枕詞まくらことばで、文屋康秀ふんやのやすひで性格さがを言い表す。これも『みやび』か。



 業平は言い出す。

「文屋康秀は、ことばを上手に並べますが、そのさま(かたち)が、歌に合っていないのですよ。いわば、商人あきうどが、どんなに着飾っても、商人あきうどのままのようなものです」


 惟喬は物思う顔をして、思いついて、言い出す。

喜撰きせんは、言葉が、かすかで、始めも終わりも確かじゃない。いわば、秋の月を見てたら、あかつきの雲がかかってしまったようなものだね」


 遍昭も物思う顔になる。

真済しんぜいが詠んだ歌を、多く聞いていないので、あれこれ、やり取りはしていましたが、よく知らないのです」


 真済。紀氏の僧。――「喜撰」は、惟喬を喰おうとした鬼を封じるため、宇治山うぢやまに籠もった時の名だ。


「歌のことじゃなく、消息しょうそこふみ)が。思いついた時に書いて、山を下りた時に、まとめて持って来るから、どの消息が、始めなのか、終わりなのか、分からなくて、順番ついでに並べておいて欲しいんだよねえ。その上、墨をしむから(ケチるから)、字がかすかで(薄くて)、読みづらい」

「歌は。」

「私も、よく知らない」

 業平に問われて、惟喬は言い閉じた(断言した)。

「この後、喜撰の宇治山うじやまいおりに行こうと思っていて、思い出したんだよ」


 惟喬は、また物思う顔をして、思いついて、言い出す。

小野小町おののこまちは。」

「どうして、ここで小町が出て来るのですかっ」

「思い出したから。」

 おめく遍昭に、笑み笑みと(にやにやと)惟喬は言う。



 小野小町。深草帝ふかくさのみかど仁明にんみょう天皇)の更衣こうい(帝の寵愛ちょうあいを受けた女官にょかん)。



 業平が応える。

「小野小町は、いにしえ衣通姫そとおりひめの(美女が歌を詠む)流れにありますでしょうね。優美なさまではありますが、強くはない。いわば、いい女の病んでいるところがあるのと似ています。強くないのは、女が詠む歌だからでしょうね」

「歌のことではなく、小町自身のことを言っていないか…」

 遍昭が言う。



 遍昭は僧となってからも、小野小町と宿を共にし、歌を詠み交わしたことが、知れ渡っている。――女犯にょぼん(僧が女性と交わる罪)の噂が絶えないのも、どうしようもない。



紀望行きのもちゆきは。」

「私ですかっ」

 惟喬が言い出して、望行は大慌てする。


後言しりゅうごと(陰口)が、外まで聞こえていますよ」

 紀有朋きのありともが言いながら、から懸盤かけばん御膳おぜん)を持って、かかげた御簾みす(巻き上げたすだれ)の前、簀の子すのこ(外廊下)を歩いて来る。


「歌を、言割ことわっていた(批評していた)だけだよ」

 在原業平が言う。

あだなる歌は、はかなきことのみ出来いできて、色好いろごのみの家に、もれの、人知れぬこととしておけ」

 有朋は言いながら、通り過ぎて行った。


 浮気な歌は、女に詠みかけたり、書き送ったりして、すぐに消えてしまうためだけに出来できたもので、女好きの家に、埋もれ木のように、他人には知られないこととしておけ。と、在原業平に、さがなく(いやみで)紀有朋は言ったのだ。


「ふふふ」

 業平はほそやかな眼を細めて、笑って言う。

誠実まめなる所には、花薄はなすすきにもいだすべきにもあらず」


 誠実な者の所には、花薄の穂のように出て人目につくはずもない。

(令和訳・「有朋は、むっつりスケベだもんね」)



 紀有朋の後に続いた女房にょうぼう(侍女)三人は、内にり、(食べ物)を並べた懸盤かけばん御膳おぜん)を、紀貫之きのつらゆき遍昭へんじょう紀望行きのもちゆきの前に置くと、退がった。



 雪のように桜の積もった簀の子すのこから、女房にょうぼうたちのきぬすそが引きずって来た花片はなびらが、内にも散り敷く。



 紀貫之が、顔を上げ、眼差しを向ける。

 眼差しの先、紀有朋が、かかげた御簾(巻き上げた御簾)にかからないように、そびゆる背(高い背)をかがめて、内に入って来る。から懸盤かけばんは、持っていない。


 紀有朋は、弟・紀望行の方へ向かう。

 有朋の背(背後)にいた、空の懸盤を持ち、顔を伏せた小さやかな女房にょうぼう華奢きゃしゃな侍女)が現れた。


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