渚院
首に掛けた
その後を歩く
「
雪のように花の降り積もる渚院の
「『来ても見なくに』」
遍昭に送られた惟喬の歌を口遊んだ貫之の声に、望行も、遍昭も、返り見る。貫之は二人に向かって、言った。
「どうして『来ても、桜を見ないのだから』と、
「渚院に来るのは、初めてかい」
遍昭は、そびゆる(背の高い)望行の
「はい」
「歌の心(意味)は、私ではなく、
遍昭は向き直り、歩いて行く。
貫之は問う眼差しで、父・望行を見上げる。
「そうしなさい」
「はい」
「
「
紀貫之が顔を伏せたまま、名乗ると、内に居る
『
紀氏は、
「
「名を選ぶために、毎回、『論語』を読み返さないとならなくて、とっても大変なんだよ。次の子は、思いついた名にするからね」
惟喬が言って、皆、苦笑いする。
内には、
それぞれの前には、
在原業平が、ここにいるとは。――在原業平を見て、どれほど驚いた顔をするか、楽しみだ。
「
貫之が持つ桜の一枝を見て、惟喬が聞いた。
「
顔を伏せたまま、遍昭が言うと、惟喬は、すさまじき
惟喬は、三十三歳。
すさまじき
「誰。」
惟喬に問われて、遍昭は顔を上げる。
「言われると思ってましたよっ。
言い返して、また顔を伏せ、貫之に言う。
「貫之、申し上げなさい」
貫之は、伏せたままの顔は惑いながらも、言った。
「ここ、
うちつけに(突然)、惟喬の凄まじき顔様が、笑みやかになる。三人は顔を伏せていて、見えていないが。
貫之は続ける。
「小野宮様が遍昭様に送られた歌、『
在原業平も、
「それは、ここ、渚院から、桜が見えないからです。『来ても見なくに』と、小野宮様が詠んだからこそ、遍昭様は、渚院にいらっしゃった。小野宮様に
桜木(桜の木)を見なくても、舞い散る
それが『
渚院は、
「世の中に 絶えて桜のなかりせば
春の心は のどけからまし」
在原業平が詠んだ。
紀貫之は顔を上げる。
世の中に
全ての桜がなくなってしまえば
いつ咲くか
いつ散ってしまうかと思うこともなく
春の心は
惟喬は、笑む薄い
「散ればこそ いとど桜はめでたかれ
うき
散るからこそ
桜は
何もかも変わっていってしまう世の中に何か
長く
歌を詠み合う二人を、貫之は
惟喬は、業平を
「
「
「
業平は、惟喬が僧になった今も、「
「業平と昔語りをするために、渚院に来たんじゃないよ。お前は、そっちに行って。」
惟喬は
「貫之は、おいで」
惟喬は貫之を手招きする。
「望行も。」
呼ばれて、望行も顔を上げる。遍昭も顔を上げる。
「――……誰。」
「
惟喬に問われて、遍昭は言い返し、立ち上がると、内に入る。望行と、桜を持って貫之は、内へと
遍昭は、紀貫之を惟喬の
「
「
惟喬が答えた。
兄・紀有朋の傍に座った弟・紀望行は、言う。
「
有朋は、望行の子・貫之と同じ
濃き色は
兄・紀有朋は
「
「小野宮様(
望行は言い返す。
父も母も同じ
兄の
「そんなことより、望行、お前、歌を詠んだだろう」
「
兄・有朋の問いに、弟・望行は
「これこれ。
「……それが言いたくて、
笑みやかに言う惟喬を、有朋は睨む眼差しで見る。――睨んでいるのではなく、そういう
「お前は、
「それは――着たかったんですよ…」
惟喬に言われて、有朋は目を伏せる。
「小野宮様、貫之の、その桜は、姫と出会いまして、」
「うちつけに(いきなり)何を言い出すかと思えば――お前は、まだ、そういうことをしているの…」
言い出した
「私ではなくっ、貫之ですよっ」
「姫と出会ったのかい」
惟喬は墨染めの袖で口覆いして、桜の一枝を
「渚院までの
遍昭が答えると、惟喬は袖で口覆いしたまま、
「お前に聞いてないよ」
「姫は、
言って貫之は、
「この辺りに、姫のある家は、ありますでしょうか。旅の姫でしょうか」
「そういうことを言っているから、
遍昭は身を乗り出してまでして、惟喬に聞く。墨染めの袖で口覆いした惟喬が見下ぐ。
「私ではなくっ、貫之が気になっていると思って、聞いているのですっ」
貫之は顔を上げ、惟喬に向かって言った。
「私は、ただ、私が驚かせてしまったばかりに、姫が桜を置き忘れて行ってしまわれたことが、申し訳ないのです。できることならば、姫にお返ししたいです」
「父に似すぎて、
口覆いした袖の中で、惟喬は笑いをこらえている。
「小野宮様、
「わざわざ見に行かなくても、運んで来るよ」
惟喬は口覆いしたまま、怪しむ眼差しで見上げる。
「私も参りましょうか」
望行が、立ち上がりかける。
有朋は、歪めた
「お前は、小野宮様に、
「それはっ」
「それは、」
父と子は声を合わせて、立ち上がりかけた望行は座り込み、貫之は伯父・有朋を見上げて、顔を
有朋は、惟喬の怪しむ眼差しには見返しただけで、何も言わなかった。
惟喬は有朋を見送ると、袖を下ろし、
「
忌むべき者として僧は、祝いの宴に出ることはできない。
「宴で、何があったの」
浮き浮きと、惟喬が聞く。
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