21st Dead 『絶望と諦観は時に人を死に至らしめるが、その逆もまた然りである』

「マナミっ! マナミィィィィィィ!」



 火事場の馬鹿力なんて言葉がある。

 曰く、人間含めた動物の脳には"リミッター"があって、本体を暴走から守るように普段は身体機能の三割くらいしか出せないようになっている。

 だが一大事……それこそ火事なんかの、本体が"真面目にヤバい"状況に陥った時、興奮なんかのせいでこの"リミッター"が外れ、普段は出せないような"十割の馬鹿力"が出せるようになる……らしい。


「マナミ……マナミぃ! しっかりしてくれよ、マナミぃぃっ!」


 最初聞いた時は『よくある言葉にも根拠があるんだな』ぐらいに思っていたが……今ならわかる。

 全身傷だらけの満身創痍、本来立つのがやっとなほど疲労困憊……

 要するに"まともに動けるわけがない筈の俺"が、こうして起き上がって倒れ伏すマナミの元へ駆け寄れているのはきっと、


 火事場の馬鹿力のおかげなんだ、ってな。



「っぅ……づ、ああ……ま、なみ……まな、みィっ!

 マナミ……マナミぃぃっ!」



 痛みも忘れるほど必死に、愛する女の名を呼び続ける。

 声が枯れて、何度目かの吐血を経た頃になって、奇跡的に彼女の意識が戻る。



「なが、れ……ナガレ、なの……ね?」

「マナミ……ああ、そうだ……俺だ、ナガレだよ、マナミっっ……

 ごめん、ごめんな……守ってやれなくて……俺のせいで、こんなっっ……!」

「ナガレ……良か、った……まだ、生きて……

 私、もう……から……あなた、だけ……も……」

「止せ! 喋るな……喋らないでくれっ!

 すぐに救急車を呼んで、病院に連れてくからっ!

 それ以上喋ったらっっ……! 傷口が開いちまうっ!」


 慌てて懐に手を突っ込み、スマートフォンを探す。

 普段から無くさないようストラップで首から提げるようにしているから、ここで落とすなんてことはないだろう……ストラップが千切れたりしていなければ、だが。


「あ、あったっ! あったっっ! 早く、救急車っ!

 一一九っ、一一九っっ!」


 幸いにもストラップは切れておらず、スマートフォンはすぐに見つかった。

 だが肝心な所で手に力が入らず、血糊で滑るのもあって操作が上手く行かない。


「だあぁぁ! くそっ! なんで繋がらないっ! 一大事、だってのにぃぃぃぃ!」


 血まみれの手でスマートフォンと格闘すること二分半……そこに来て漸く俺は気づく。


「なんだよ、これ……


 壊れてんじゃん、俺のスマホ……」



 冷静さを欠いていたせいでそれまで気付かなかったが、

 懐から取り出されるよりずっと前に、俺のスマートフォンは完全に破損していた。

 画面が割れたとか、内側の回路がおかしくなったなんてものじゃない。

 どこでどうなったのか皆目見当もつかないが、俺のスマホには"折り目"がついていた。

 ……通話どころか起動さえままならないのは言うまでもない。



(バカだ……俺は……)



 活路を絶たれた俺は途端に絶望に囚われ……ただ茫然と、マナミの傍らにへたり込む。


「……ごめんな、マナミ……スマホ、壊れてて……救助が……」

「ぁ……いい、よ、そんな……気に、しないで……」


 絶望しきっている俺とは対照的に、より傷が深く今にも死にそうなマナミは、その惨状を感じさせないほど穏やかに言葉を紡ぐ。


「マナミ、マナミぃ……ごめん……ごめんなあ……

 俺の……俺のせいで……」

「……ナガレ、大丈夫だよ……謝らないで……あなたのせいじゃない、から……」


 ああ、よしてくれ……


「じぶんを、せめ、ないで…………こんな、の……どうしようも、ない……」


 どうしようもなくなんかない。

 俺を擁護しないでくれ……


「……レ……ナガレ……

 ナガ、れ……生きて……ナガレ……」

「ああ、マナミ……マナミぃぃぃっ!」


 愛する者をも守りきれない、こんな俺なんかを……。


 「…………なが、れ…………

 ……今まで……あり、がとう……

 あなたと、あえて……本当に……良かっ、た……


 私……幸せ、よ……



 ……あい、して……る……」


 一言を残して、マナミは動かなくなる。

 それが何を意味するのか、内心理解してしまっていた俺だが、

 なおも現実を受け入れられず、声を張り上げ叫ぶことしかできない……。


「……マナミ? マナミ……?

 おい、マナミ……しっかりしてくれ……マナミ……!」



 必死に呼びかけるが……マナミが目覚めることはなかった……。



「……マナミィィィィィィィィ!」



 どうあがいても覆らない現実に、俺は絶望し吠える。

 いっそこのまま死んでしまえればどれほど楽だろう。

 きっと俺は地獄に行く。天国のマナミと会うことはできないだろうが……俺みたいな男には相応しい罰だろう……。

 そんな風に思っていた俺だったが……


(……いいや、違う)


 俺の心の中に、ある感情が沸き上がる。


(確かに俺はマナミを守れなかった。

 マナミを救えなかった、最低の男だ。

 だがそもそもマナミを直接殺したのは誰だ……)


 正答こたえなんて、考えるまでもなくわかりきっている。


(あいつらだ……あの化け物どもだ……

 あの薄汚いゾンビの出来損ないどもが、マナミを殺したんだ……)


 最初こそ不甲斐ない自分へ向けられていた怒りと殺意は、徐々にあの化け物どもへ向いていった。


(……ふざ、けるな。

 認め、ない……俺は、認めないぞ……!)


 燃え上がる怒りと沸き立つ殺意に募る憎悪を混ぜ合わせ、脳内で怨嗟の言葉を紡いでいく。


(絶対に、認めてなど、やる、ものか……!

 諦めてなど、やるものかぁっ……!)


 ああそうとも。認めてなどやるものか。

 ……死にかけの凡人が口にも出さず頭の中で妄想を繰り返すとは我ながら滑稽だが、

 だとしてそれがなんだという。


(「何だって、乗り越えてやる……!

 乗り越えて、覆してやる……!)


 どうせこのまま死ぬならば……最後くらいは抗わせてくれ。


(絶対に、

  絶ッ~対にだあっ!』


 もし俺に来世なんてものがあるのなら、

 或いはないなら地獄であっても、

 徹底抗戦してやると、心の中で誓い叫ぶ。


『……俺は、敗北まけないッッッ!

   ……負けてなんて、やらねえぞォ!』


 ……刹那、辛うじて残っていた俺の意識は強い衝撃を以てごっそり刈り取られ……




 つまりその瞬間にはもう、俺は間違いなく死んでいた。


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