20th Dead 『二者は如何にして愛し合うに至り、また如何なる悲劇に見舞われたのか』

 俺の名前は、北川ナガレ……。



「マナミィィィィ!」



 既に体温の消え失せた婚約者を前に絶望し泣き叫ぶ、不幸なサラリーマンだ。




◇◇◇



 自慢するようなことじゃないが、俺には将来を誓い合った女性ひとがいた。

 彼女の名前は志賀マナミ。

 高校で知り合った同級生クラスメイトで、校内では良くも悪くも目立たず無難な印象だったが……

 その飾らない素朴さと、内面に隠れた優しさや芯の強さに、俺は確かに惹かれていったんだ。


(ま、でも俺なんかじゃあの子にゃ釣り合わないだろうな……)


 関係が進展してもせいぜい友人止まり、付き合うなんてできないだろう。

 そんな風に諦めていた俺だったが……


「ねえ北川くん。

 私ね、なんだか貴方が好きみたい」


 だから確かめさせて欲しい。

 この気持ちが本物かどうか、明らかにしてみたいと、彼女はそう言ってきたんだ。


「そっ、か……奇遇、だね。

 俺もなんか、そんな感じがするよーな、しないよーな……なんて」


 嬉しくて、照れ臭くて、どう反応していいかわからなくて、

 だからそんな、どうしようもなく中途半端な返ししかできなくて、

 自分で自分を蹴り飛ばさずにはいられないぐらい、自分が惨めで仕方なくて……


 けれど、


「ん、そっか。

 じゃあさ、二人で一緒に解き明かそうよ。

 私の気持ちが本物で、あなたが私を好きなのか、

 二人で一緒に、確かめよ?」


 そんなどうしようもない俺をさえ、彼女は快く受け入れてくれて……


「……よろしく、お願いします」

「はい、こちらこそ……って、なんで敬語なの?

 お互い同い年なんだし、そんな畏まるような仲でもないでしょうに」

「ん、ごめん。なんか緊張してて。嬉しすぎて、衝動的に、っていうのかな……」


 ともかく、そんなイマイチ締まらないようなやり取りをきっかけに、

 俺と彼女の日々が幕を開けたんだ。



 マナミと過ごした日々は、俺にとって掛け替えのない、言わば宝物だ。

 トラブルに見舞われたり、お互いすれ違って喧嘩してしまうこともあったけど、そういう出来事も含めて全てが尊くて、その度に益々マナミを愛する気持ちが高まっていった。


 卒業後、図らずも同じ大学へ進んだ俺たちは更に関係を深めていった。

 そうして社会人になって、少し経った頃……俺は決意した。


"そうだ。マナミと結婚しよう。家族として、彼女と共に生きよう"


 思い立ったが吉日、俺は準備を整え……意を決し俺は結婚を申し込む。

 『結婚しよう』……飾り気のない一言に、マナミは『喜んで』とだけ答えた。


 そこから暫く俺たちは言葉を交わすこともなく、湧き上がる感情のまま静かに互いの愛を確かめ合った。

 所謂"芸がない"ってヤツなのかもしれないが、俺はそれで構わないと思っているし、多分マナミも納得してくれていたと思う。



 翌日、俺たちは周囲に結婚すると決めた旨を報せて回った。

 最初はどうなるかと思ったが、報告を受けた誰もが俺たちを祝福してくれたのは嬉しい誤算だったな。


 その後、皆の協力をも得つつ準備を進めていった俺たちは、あともう一歩の所まで差し掛かっていた。


 何もかも、全てが順調だったんだ。


 そう、"あの日"までは……。



 ◆◆◆



「シャケ安かったねー」

「ああ。倉井先輩が大喜びだろうな」


 その日、俺たちはスーパーで買い出しを済ませ帰宅する途中だった。

 屋外の駐車場で車に荷物を積み込み、あとは帰宅するだけ……

 今日は来客もある、そう急ぎもしないが待たせないほうがいいだろうな、




 なんて思っていた時、異変が起きた。



「うごっ!? ぶぼあっ!?」

「ちょっとお父さん? 大丈夫!?」

「じいじー? どーしたのー?」


 駐車場の片隅で苦しそうにせき込む、一人の爺さん。

 娘らしき女性と孫であろう女の子が心配そうに駆け寄るが……爺さんの容体は悪化していくばかり。

 女性は慌てて救急車を呼び、とうとう女の子は泣き出してしまう。


「一体どうしちゃったんだろう、あのお爺さん……」

「わからん。だが赤の他人とは言え心配だな」


 あまりの衝撃から動くに動けず、遠目から見守り祈るしかできない俺たち二人。

 もしかしたら最悪の事態も……そんな不安が頭を過る中、幸い爺さんの咳は程なくして止まり容体は落ち着きはじめる。


「お父さん!? お父さん!? 大丈夫なの!?」

「あああああああ! じーじ! じーじぃー!」

「うあっ、は……ぉ……は、っ……はあー……ふはあー……」


 これでもう大丈夫だ。あとは救助を待つだけでいい。

 誰もがそう思っただろう……少なくとも俺はそれを確信し、マナミを連れて車を出そうとした。


「さあ、帰るぞ。先輩たちも待ってるだろうしな」

「うん、そうだね。折角のパーティだもん、頑張らなくちゃね」


 そう、俺たちにだって用事がある。

 そこまで急ぐほどでもないが、早く帰るに越したことはないのだ。


(見殺しにするようで気が引けるが……)


 仕方ないと車に乗り込んだ俺は、早速エンジンをかけようとした……その時。



「どわぁ!?」

「ひゃっ!?」


 車の右ドアに走る、何かがぶつかったかのような衝撃。

 一体何かと咄嗟に音のした方へ眼をやれば……


「なっ!?」

『う¨うううううう……』


 明らかに異様、というより異常な男が車の窓ガラスに"貼り付いていた"。

 そいつの目は焦点も合わず血走っていて……というより、眼球全体が赤く染まっていて、血涙や鼻血を垂れ流し、吐血でもしたのか口角からも粘つく血を滴らせている。


「な、なんだああっ!?」

『う¨う¨う¨う¨~あ¨あ¨っ! がああ¨っっ!』


 怪物同然に不気味で恐ろしいその男は、唸ったり吠えたりしながら車にしがみつき、ドアを蹴りながら窓ガラスを殴りつけ、終いには頭突きをしてくる始末。



「」

「……マナミ? おい、しっかりしろ! マナミぃっ!」

『あ¨っ! あ¨あっ! があ¨っ! ぐぬ¨あ¨あ¨っ!』



 およそこの世のものとは思えない惨劇に助手席のマナミは気絶していた……無理もないことだ。

 一方車にへばり付いた男の猛攻は尚も止まず、気付けば辺り一面にはあの男のような"化け物"どもがウヨウヨしてやがる。


「脱出っっ……! 早急はやく、脱出ねえとっっ!」


 俺はエンジンキーを回しアクセルを力一杯踏み込んだ。

 幸いなことにこの車はとある先輩から婚約祝いにと贈られた特注品……ボディやガラスは防弾使用、タイヤはダイナマイトにも耐えるほど頑丈だ。


(力任せに突っ切ればっっ……! 駐車場から県道に出られるっっ!)


 そうなればあとはこっちのもんだ。

 道路を北北西に道なり真っ直ぐ、猛スピードで飛ばせば家まで五分とかからない。

 しかも今の時間帯県道は車通りが多く、加えてこの町はやたらスピード狂の"事故厨"もとい自己中ドライバーが多い。


(最悪俺が事故るかもだが……賭ける他ないな、そんなもん!)


 奴らが何者かは知らないが、人間サイズなら車にハネられて無事なわけはないだろう。


「うらあああああああああああああ!」


 迫りくる化け物どもを蹴散らすように、俺は猛スピードで駐車場を突っ切る。

 人身事故? 免許取消? 逮捕に投獄? 知るか知るか!


「人間生きてりゃ何とかなる……死んじまったらそれまでだろうがあああああ!」


 高校時代世話になった担任の口癖を叫びながら、俺は無駄にだだっ広い上無数の車でごった返す駐車場を所狭しと突っ走る。


「んぬっぐうううううう! んがあああああああああ!」


 あと少し。あと少しで出口だ。


「あと少し――であっ!?」


 刹那、男が張り付いたのとは比べ物にならない衝撃が車全体を襲う。

 防弾使用の車を軽々横転序でに引っ繰り返し、運転者ドライバーの意識をも吹き飛ばしかねない"一撃"をぶち込んだのは、見上げるようなサイズの大型トラック――この時俺は知る由もなかったが、運転していたのもあの"化け物"の同類だった――。



「がっ、ぐうう……」

「ぅ……ぁ……」


 逆さにひしゃげた車から、マナミを抱えて脱出する。

 彼女の身体はそこかしこ傷だらけで、骨まで折れているのが素人目にもわかる程だった。


「なんてこった……どうしてこんな……!

 ごめんなマナミ。すぐ病院に連れて行ってやるから、辛抱しててくれ……!」

「ぁ……ナガ、れ? わたし、一体……」

「マナミ? 気がついたのかっ……?」


 さっきの衝撃で意識が戻りつつあるのが不幸中の幸いだったが、車が無くなったんじゃプラスマイナスゼロ通り越してマイナスだ。


(数字で言えばマイナス七恒河沙ぐらいか。いや、もっと酷いな)


 内心毒づきながら、俺は傷付いたマナミの肩を支え立つ。


「ぐっ、ぅぅ……!」

「ナガレ? 無茶しないでっ……そんな怪我じゃ、貴方までっ……!」


 マナミの言う通り、俺の身体も無傷じゃない。

 出血打撲は当たり前、何ならアバラも折れている。

 だがそれでもマナミよりは軽傷だろうし、何より命惜しさに彼女を置いて逃げるなんてできるわけがない。


彼女こいつだけは……! 何が何でも守り抜くっっ!)


 決意を固めた俺は、痛む五体に鞭を打ち地獄と化した駐車場を懸命に進む。


(クソっ、いつもなら歩いて一分とかからねえ距離だってのにっ……まるで進んでる気がしねえっっ……!)


 一歩、また一歩と足を動かし前に進むが……どうあがいてもその足取りは遅く、一向に進んでいる気がしない。


(幸いなのはあいつらの足が軒並み遅いってことだが、いつ追いつかれるかわからねぇ……!)


 足を踏みしめる度、足裏からの衝撃が全身に伝わってあちこちへ激痛が走る。

 気分は最悪。悲鳴の一つも上げたくなるし、何なら逃げ出すのが普通だろう。

 だが俺は悲鳴を上げるつもりなんてないし、まして逃げ出そうなんてハナから考えちゃいない。


(俺は……死んでもマナミを、守るっ!)


 彼女の為に死ぬ……クサい言い回しだが『愛に殉ずる』ってヤツだろうか、その覚悟だけが俺を突き動かしていた。


「やめて……ナガレ……!

 もういい、もういいよ……!

 そんな怪我でこれ以上無理したら、ナガレ死んじゃう!」


 隣からはマナミの声がひっきりなしに聞こえてくる。

 いつ死んでもおかしくない、俺以上の重体だってのに、それでも尚他人を心配するなんて……


(全く、俺には勿体ないくらいいい女だよ……)


 だからこそ守り抜くと、固く誓う。

 全てが終わったら、俺はきっとマナミに烈火の如く延々怒られ続けるだろう。

 彼女はそういう女だ。誰より他人を思い遣れて、だからこそ厳しくも在れる、本当に素晴らしい女性なんだ。

 その愛は今後大勢を導き、幸せにしていくだろう。

 だったら彼女は生きなきゃいけない――たとえどんな犠牲を払ったとしても。


(そうだ……どんな犠牲があってもマナミは生きるべきなんだ……

 マナミが幸せに生きる為だったら……俺の命ぐらい、安いもんだろッ!)


 勿論口には出さない。

 自分の為に誰かが犠牲になるなんて、彼女は望まないだろうから。

 だがそれだけの覚悟を以て、俺は前に進む。


(よし、あと少し……あと少しで、道路に出る……!)


 歩き続けること十分余り、漸く駐車場の出口まで来た俺は尚も立ち止まらず、かえってより力強く前進し続け……そしていよいよ駐車場前の歩道に出ようかという、その時。



『ヴウアアアアアアアアアア!』


「――――!

 ナガレ、危ないっっ!」

「ぬおっ!?」


 響く化け物の咆哮……刹那、俺はマナミに突き飛ばされていた。

 マナミは正直腕力がある方じゃない。だから踏ん張るぐらい余裕だった……普通なら。

 そう、普通なら踏ん張るぐらいなんてことはなかった。

 だが俺は忘れていた。


(やべ、力が……入んねッ……!)


 今の俺は満身創痍で疲労困憊……立ってるのだって奇跡なほどの重傷を負った、正真正銘"疲れ切った怪我人"だったのだ。


 そんなやつを、しかも不意打ちで突き飛ばすぐらい、腕力が無くたって案外簡単なものだろう。


(しまっ、たぁ……!)


 だから俺は容易く路面に倒れ伏し……そして、見てしまう。



「ぐあ!?」

「――……ぁ……――」



 飛んできた角材に胴を貫かれ、



「ぁ、ぅ……ぶごぇっ!」

「……まな、み……?」



 血を吹きながら倒れ伏す、マナミの姿を。



「ぅ、ぁぁ……っっ……」

「……マ、ナミ……

    ――マナミィィィィィ!」


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