第24話 覚醒

 襲撃開始から、三十分が経過。

 混沌が支配する中、意識を取り戻した”冒険者”や”傭兵”たちが魔物と一進一退の攻防を繰り広げていた。

 一匹の魔物が倒れれば、それを果たした人間たちを、他の魔物が食い殺す。

 そうした現状が「メル地区」全土で行われていたのである。


 勿論、アリシア・アネットも戦禍に身を投じていた。


 「メル地区」の南部地帯――テルマン学院領土。

 「テルマン学院」の校舎は、コロシアムのような円形状となっている。

 敷地面積は、「メル地区」のおよそ四分の一。

 ここでは、青春が華を咲かせ、野に咲く花々が生徒たちを導く。

 学校とは、生きとし生けるものの最初の関所であり、最後の要塞だ。


 アリシア、ここで苛めを受けた。疲れ果て、帰ることを決意したほどに。

 身を焼き尽くす、にがい悪意の矢を浴びて、恐ろしい記憶が脳に刻まれた。

 郷里の親友、リベラでさえ、アリシアの心を満たしてやれない

 恵みの川で胸を注ぎ、愛の枕であたまを冷やし、朝を迎えるころに陽光を与える……このような理解ある環境を施しても、人間のトラウマは消えないのである、一生。

 そんな悲劇の大地に、アリシアは戻ってきた。

 テュランの願いを聞き入れたゆえに。


 校舎は、以前の様相をうしなっていた。

 地面の花々は枯れ、立派な建物は廃墟のようにボロボロだった。

 悪臭がただよい、誰かの悲鳴が聞こえてくる。



「おまえ、アネットか?」



 アリシアの耳に届く、男性の声。

 声が聞こえる方に目を向けると、そこには瓦礫の下敷きとなった青年がいた。

 彼は「テルマン学院」の制服を着ている。

 口と鼻から血を流し、その姿は酷いありさまだった。



「…………先輩?」


「そう、俺だよ俺! 久しぶりだな、アネット」


「…………」


「元気にしてた? おまえ、学校休んでたよな?」


「…………」



 男の名は、アサン・クリラード。

 「テルマン学院」の上級監督生にして、生徒会長でもある。

 彼は、すべてを手中におさめ、求めるもののいっさいを獲得しようとする野心家だ。目には欲望の炎を宿し、幸福を味わう力を持っている。

 たんに人からの信頼を得るのではなく、相手に驚きと思想をあたえ、他者をおのれの奴隷にする、まるで幻覚を見せる魔物のように。

 その魅力は生徒のみならず教師までもが魅了されるほどであり、彼の権力は、空に、水に、花々に、「テルマン学院」のありとあらゆる場所に澄み渡っていた。

 アサンは、この学校の生徒のなかで一番の権力者だった。そのカリスマ性は、王様とか、大商人とか、おそらくそういう人に備わる天賦なのだろう。



「よかったぁ~アネットが無事で。俺さ、ずっと心配だったんだよ。なかなか学校来ないし、寮に引き籠ってんのかなって思ってたんだ。でも、里に帰ってたんだな。俺、最近知ったんだよ」


「そう、なんですね……」



 アリシアが、呆れたように溜息をこぼす。

 彼女は、アサンのことが好きじゃなかった。というか、苦手であった。あいつの自信みなぎる目や態度や話し方が、アサンの心に眠る「俺はこいつらよりも優れている」という傲慢な思想をあらわにしていたから。

 心の奥底では、アサンは他者を思いのままに操れると驕っているのである。

 その精神が、アリシアはたまらなく嫌いだった。



「なぁ頼む、助けてくれ。いま、瓦礫に足が挟まってさ。取り除くのを、手伝ってくれよ」


「……わかりました」



 本当は、助けたくない。というか、関わりたくもない。

 けれど、目の前で負傷した人を見捨てられるほど、彼女の心は荒んでいなかった。

 他人に心を殺されたとしても、自分は他人の心を殺さない——それがアリシアの本性だったのだ。


 アサンの足に手を伸ばすアリシア。

 彼の足は、酷く損傷していた。



「アネットは、ずっと故郷にいたの?」


「……あんまり喋らないほうがいいです。貴重な体力が勿体ない」


「あぁ、すまんすまん。久しぶりにお前と話せて嬉しいんだ」


「嬉しい?」


「うん、俺は悲しかったんだ、お前が学校に来なくなって。だから、こうしてお前と話せて俺は幸せだよ。なぁ、覚えてるか? お前が料理クラブに入部したときのこと。俺、めっちゃ感動したんだ、お前の料理に」


「もう、昔の話です。覚えてないです」


「ちぇ、薄情な女。お前、前から何にも変わってないよな。ほんと、釣れないやつ~」



 『薄情な女』というワードが、アリシアの胸に深く突き刺さる。彼女は、仄かに



「てか、俺はお前が羨ましいぜ」


「……どうしてです?」


「学校に行かなくていいからだよ。こちとら、めんどくせぇ役員任されてさ~もう優等生キャラを演じるのも疲れたんだよな~」



 瓦礫から足を外せてリラックスしたのか、アサンは堰を割ったように愚痴をこぼし始めた。

 彼の顔がねずみになっていく。目は吊り、鼻は尖がり、口は歪んで、その顔はまさに魔物のようだ。


 その憎たらしい顔を見ていると、アリシアは彼の首を掻き切りたくなってしまった。


 彼女がアサンを嫌悪をする理由――それは彼の性格だけではない。



「だからさ、ぶっちゃけ魔物が来てくれて嬉しんだよな」


「……し……」



 初めて二人が出会ったとき、



「おかげで俺は学校に行かなくていい! 最高だろ?」


「…………ね」



 魅せられてしまった、彼女の圧倒的な美貌をまえにして。



「まぁ、そういうわけでさ~せっかく再会できたんだし! どうせだったら俺と」


「し……ね」


「うん?」



 けれど、アリシアの心は靡かなかった。



「なんか言ったか?」


「死ね」


「はっ?」



 アサンは、どうしてもアリシアが欲しかった。欲しくてたまらなかった。

 でも手に入らない。その苦しみと切なさ……そして、巻き起こる女の嫉妬。


 


「おまえ、なに言っ——



 怒鳴ろうとしたアサンの目前に……

 ”なにか”が通り過ぎた。

 こいつが気づけないほどに速く、正確に、静かに……まるでこの世界から音が消えたみたいに鮮やかに、刃が横切る。



「あぁ……?」


 刹那――





 アサンの舌が、ポトンと落ちた。



「黙れ、クリラード」


「んあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」



 少し遅れて、アサンの悲鳴が轟く。

 アサンは両手で口を押えるが、ほどばしる激痛に耐えられない。足をバタバタさせながら、地面に倒れる。



 ——てか、俺はお前が羨ましいぜ

『はッ? なにが羨ましいの?』


 ——学校に行かなくていいからだよ。こちとら、めんどくせぇ役員任されてさ~もう優等生キャラを演じるのも疲れたんだよな~

『こっちは好きで休んでるんじゃねぇーんだよ。お前のせいで、全部お前のせいで私はなにもかも奪われたんだ』



 アリシアのなかで蘇る、おぞましい学生時代の記憶。

 アリシアがアサンを嫌う理由――それは、彼自身が苛めの主犯格だったから。



攻撃魔術リラルニーゼ ”フレイム”」



 炎が生まれ、刃に宿る。

 火を放つ宝剣を手に持って、アリシアはアサンに殺意を向けた。

 その姿は、まさに死神。

 恐怖に呑まれたアサンは、目の前で覚醒した悪魔に最後の意志を告げる。



「ま、待ってくれ! 急にどうしたんだ? お、俺が何をしたって言うんだ!」


「…………」



 悲劇のどん底だ。長いあいだ、アリシアを縛り付けた凄惨な記憶は、既に当事者アサンの中では消え去っていた。あれほどまでに苦しみを与えた出来事が、まるでおとぎ話のように流されていたのである。

 これには、アリシアも我慢できない。心底から燃え上がる復讐の炎を顕現させて、刃を首にかける。ご立派な喉ぼとけに外炎を当てるようにして。



「ゆる、さない……」



 刀が振り上がる。

 刃が、男の生首を焼き切ろうとしていた——。



*     *     *



 同時刻――。


 テュランは、「メル地区」の中央部――”スカイタワー”を目指していた。

 戦火の飛び交う戦場を急ぎに急いで、一秒でも速く目的地に着こうと走る。それが、この戦いの戦況を決定付ける大事な要素であることを確信していたから。


 テュランは、笑いながら走る。楽しむために走っている。

 目の前で食い尽くされる死体に笑みをこぼし、周囲に轟く死の悲鳴に酔いしれながら走っているのだ。

 この地獄とも呼べる凄惨な大地を、テュランは誰よりも愛している。

 ぶっちゃけ、人間と魔物、どちらが勝ってもテュランは問題ない。誰が死のうと、誰が助かろうと、テュランは心底興味が無かった——ただ一人を除いては。

 とはいえ、興が湧いてきたのは確かな事実。テュランは、上機嫌になったのか、鼻歌まで歌い始めた。ステップを踏み、踊るように走り、ようやく”スカイタワー”の目前まで到達したところ、突然、が横から躍り出た。



「殺す」


「オマエ……まだ生きていたのだな。しぶといメスだ」


「アリシアちゃんはどこだ?! あんたなら知ってんだろ?」


「あぁ知ってる。あいつの居場所を吐いたらオレを見逃してくれるか? オレは、そこの塔に用があってな。出来れば道を開けて欲しいのだが」


「断る。私は、あんたが殺す。この襲撃事件、魔人おまえが仕組んだんだろ?」



 (チィ……オレの仕業だと思ってんのか)



 テュランを襲ったのは、アリシアの親友——リベラであった。

 リベラは、一連の襲撃事件の黒幕をテュランだと推察した。



「オレは魔人ではない。勘違いするな」


「嘘を付くな! だったらどうして、アリシアちゃんを”文化祭”に連れて行こうと思った? アリシアちゃんを誘ったときのオマエの眼……絶対に何か企んでると思った」



(……そこまで気づいていたのか)



 驚愕が、テュランの胸を覆う。

 テュランは、どんな手を使っても良いから、この文化祭にアリシアを連れ出したかった。

 たとえ彼女にとってそれが苦痛だったとしても。



 (ここまで来るとこのガキを説得するのは不可能だな。どうせ、何を言っても信用しないだろう)



 テュランはリベラの説得を諦めた。

 案の定、リベラは冷酷な殺意をあらわにした。



「でも、もう理由なんていらない。あんたの目的なんか……そんなのどうでもいい。私はただ、ここでお前を殺す!」


「オマエがオレを殺す?……本気で言ってんのか?」


「本気に決まってんでしょうがッ!」



 リベラは、間髪入れず、光の剣を放った。魔術で生成した、特別な剣である。

 テュランは瞬時に攻撃を躱し、ハイエナのごとく家屋の間に隠れた。



「隠れるな。私と戦え!」


「こんなことをしてる暇ではない。あの娘は今頃、街の南部地帯に向かっている」


「南?……『テルマン学院』がある場所!」


「そうだ、オレが向かわせた」


「…………!」



 鬼の形相で、リベラが三本の長剣を生成。

 テュラン目掛けて、刃が振り下ろされた。

 テュランはフェイントをかけ、方向転換をし、自在に宙を舞いながら避けていく。


 徐々に二人の距離が広がり、リベラの攻撃にも拍車がかかる。

 もはや目で追える速度じゃない。

 以前よりもリベラの魔術にキレがかかっていた。恐らく、テュランの知らぬ間に鍛錬を積んでいたのだろう。テュランを殺すために。



「オマエ、前よりも強くなった。そんなにあのガキが好きか?」


「好きに、きまってんでしょ!」



 怒鳴り声と共に、無数の矢がテュランを襲う。

 肌を刺すような威圧感が伝わってきて、リベラの”本気度”が分かる。

 初めてテュランと戦ったときと比べて、天と地ほどの差があった。



 (このメスは……人を殺めることに躊躇いが無いのだな)



 リベラの猛攻を捌きながら、テュランは想う。



 (殺すことに一切の拒絶がない……その一点でのみ、このメスはオレと同類だ)



 そしてリベラの残虐性を垣間見て、テュランは不気味な笑みを浮かべた。

 彼女に首を討ち取られる寸前だと言うのに——。



「ヘラヘラ笑うな!」



 リベラが声を荒げたのち、空から無数の矢弾が迫ってきた。

 その一つ一つに炎が宿っていて、地面に落下すると、ミサイルのように激しい光を放って爆発する。

 リベラは巻き添えを喰らわないように慎重に動きながら、的確にテュランの動きを長剣の舞いで封じた。

 流石に、この連撃は避けようがない。

 入るっ!

 リベラが確信した、その直後――

 二人を囲む一帯が爆発した。


 リベラの放った空襲が、聞き慣れない爆発音を引き起こして、熱風と光を拡散する。火山灰のような砂塵が、戦場のアスファルトに満ち、気味の悪い煙が陽光をさえぎった。

 昼を閉ざしたこの大規模攻撃は、テュランの肉体に直撃し、術者リベラのもとには届かなかった。

 失敗から学んだリベラは、そう簡単に自爆しないのである。

 白銀の大剣を両手で握りながら、警戒を怠らない。もくもくと膨れ上がる煙と目くばせしながら、テュランの出現を待つ。



「——人間はイカれた奴ばっかだな」


「——ッ!」



 聞こえてくる、テュランの声。

 この程度の攻撃では死なないと分かっていたリベラでさえ、眼前に佇むテュランの姿に目を見開いた。


 かすり傷すら無かったのである。

 リベラの編み出した質量攻撃は、たとえ対象が大岩だったしても切り裂ける。

 彼女の手から作られた魔術は、その一つ一つが砲弾のように強力なのである。

 ところがテュランは、まったく負傷していない。

 むしろ、笑っていた。



「良いだろう。誠意を以て、オマエを殺してやる。来るがいい」


「——ッ!」


「どうした、来ないのか?」


「あんた、どんだけ固いのよ」



 リベラが、目を伏せる。

 彼我の差を目の当たりにして。



 




 

 



 


 



 

 

 


 

 

 

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