第23話 約束の対翼

 火あぶりの犠牲者と、舞い降りる侵略者たち。

 人間の悲鳴と、魔物の咆哮。


 眼前には、炎の大地に喘ぐたくさんの人間が横たわっている。その上では、弄ぶように人を食べる魔物の姿があって、その光景はまるで地獄だ。


 本来ならば魔物を狩る立場であった”冒険者”たちも、酒に酔って倒れている。戦闘経験のある「テルマン学院」の生徒でさえ、恐怖に手足を縛られていた。

 傭兵どもも腰を抜かして、ただ傍観するしかない。喧嘩っ早いオヤジたちも、今回ばかりは泣き寝入り。

 頼れるものは、もう、ひとつもいない。

 いつもは怒ったり、殴ったり、殺しを厭わないサイコパスも、災害のまえではただのエサ。

 おとこを魅了するお姉さんも、おんなを誑かすお兄さんも、鳴りをひそめて姿を見せない。

 おとこを見捨てるおんな、子供を差し出すおとうさん。

 みんな、自分のことだけで精いっぱい。

 たいせつな金貨も散乱して、街の金庫は空っぽだ。



「おとうさん、おかあーさん!!!」



 少女が泣いている。

 地獄の街を彷徨う中で、親とはぐれてしまったから。

 彼女は、遠くの山からやってきた村人である。笛を吹き、動物と遊んで暮らしていた。今日は、親と一緒に「メル地区」の観光にやって来たのだ。

 けれども、魔物の襲撃を受け、このざまである。

 負傷した膝から、わずかに骨が見える。顔に大きな傷を負い、血が眼の中に入って視界が”赤”に染まる。圧倒的な恐怖だ。そのうえ、親もいない。友もいない。ましてや、死体しかない。

 だから、彼女は泣く。泣き叫ぶ。それしか出来なかった。


 しかも、最悪なことに、少女の声は”あいつ”に届いてしまった。

 ”あいつ”はニヤニヤと笑いながら、近付いて来る。



『お、お嬢ちァん……。だ、大丈夫ぉ……? な、なぁんで泣いてるの……? ももももぉしかしてェ、息子さんがァ~お亡くなりにぃぃ~?』



 耳元で囁かれる、気味の悪い声。


 いま、彼女の頭上を飛んでいるのは、一匹の頭虫チョンチョンだ。やつらは、人間の頭の形をした魔物で、耳に一本ずつ羽が生えている。



『あぁ^かわいそうにぃぃ~息子さんが亡くなられて、悲しいねェ~! とってもザンネンだァァ!! グフフッフ!!!』



 どん底だ。悲劇の渦中だ。親を失い、死の世をさまよって、あげくに目を付けられた。おそろしい苦痛を味わいながら、少女は「助けて」と叫び続ける。――が、クソ魔物が、その願いをいとも簡単に消しやがる。



『ねぇねぇ! ぼ、ボクが慰めてあげるよォ。そうだァ~ボ、ボクの子供産もうねェ。可愛い可愛いベイビーちゃんをたっくさん作ろうよォ~ぐ、ふふウフフ。。。いいねィ、いいねェ!!! 君もぼ、ボクもみんな幸せだァァ!!』



 熱い空気が、肌を撫でる。

 火が目前に迫っている。このままだと、死ぬ。


 少女は、使い物にならぬ足を立たせた。

 と同時に、地面に落ちていた枝葉を投げつける。

 それに頭虫チョンチョンが怯んだ。その隙をついて、少女は走る。



『ぐふふ。可愛いねェェ、ボクと追いかけっこしたいのかいィィ~ヂュフン、ギャフ、あぁぁぁあぁ舐めたァァァい~~!!!』



 魔物の声が、後ろから迫る。悍ましい、地獄の台詞が。

 その恐怖に背中を押されて、少女はひたすらに逃げる。

 ときおり、喉を突き刺すような煙が入ってくるけれど、悲しげに光る太陽にほだされて彼女は生を諦めない。


 視界がけむりに遮られる。

 足が木にぶつかったり、火につまずいたりして——速く走れない。

 喉も苦しい。まるで、罰を受けている感覚だ。



「うぅ……!」



 不運に次ぐ不運。

 いたずらな運命。

 見放される奇跡。


 足が滑って、思わず倒れた。

 反射的に差し出された手では衝撃をカバーできず、少女は顔面を強打した。大量の鼻血が、咳を割ったように流出する。


 痛みが、全身を駆け巡る。



「…………いやだ」



 煙の影から現れる、丸い虫。

 それは、魔の虫。

 既に分かっていたことだ。もう、逃げられない。


 少女の中で半ダースほど生き残っていた”希望”が消え去った。不気味な笑みを浮かべる頭虫チョンチョンに、溢れんばかりの恐怖と嫌悪を添えて。


「いやだ、死にたくない……」


 漏らすように、吐いた——その直後。





「—―”くたばれ”」




 刹那、目前に男が飛び込んできた。

 逞しい体躯に二重緑の羽織をまとい、右手には白銀の宝剣を下げている。おとこは鞘から引き抜くように剣を振り上げ一閃、魔物の頭部を絶ち切った。

 突然の奇襲に驚いた魔物は、目を見張りながら落下する。物言いたげな血走った目でおとこを凝視したのち、魔物は絶命した。



構築魔術マーシュ



 男が呪文を唱えると、少女の周囲に”結界”が生まれた。半透明な青白い膜が、彼女の身を取り囲む。

 これは、村の結界を「構築魔術マーシュ」で再現したものだ。あくまでも擬似的なもので、”完全再現”というわけではない。

 だが防御性能はそれなりに高く、大きさも程よい塩梅だ。


 その結界を少女が眺めていると、遠くから女性の声が聞こえた。茶髪の、麗しい走り姿とともに。



「テュランくーん!」


「遅いぞ」


「ご、ごめん……」



 緊張感のある雰囲気が、二人の間に漂う。

 それを目の当たりにした少女が、怯えるように口を開いた。



「あ、あのあなた達は……?」


「知らなくていい。とにかくオマエは何も見るな、聞くな。絶対に”この膜”の外に出るなよ……いいな?」



 テュランは、不機嫌そうに答えた。

 これは、少女の精神を乱さないようにするためである。

 何かに付けて考えたり訊いたりすると、余計に心配や不安が広がってしまうので、テュランは彼女の心を守るために、あえて不親切なことを言ったのだ。それが無遠慮うな言い方だったとしても。



「行くぞ」



 テュランはアリシアとともに、身をひるがえす。

 少女が首を縦に振るのを確認してから。


 ところが直前、彼女の声が二人を呼び止めた。



「あの、せめて名前だけでも!」



 その声は、祈るように情熱的だった。まるで彼らの名前が「この世界の全て」だと言わんばかりの必死さで。

 テュランは、振り向かず、彼女に背を向けたまま答えた。



「テュラン。テュラン・ソルラリート」


「…………」


「ただの『魔術師』だ」



 少女には、彼の姿が輝いて見えた。雲の上で浮遊する太陽の百倍の明るさで。




*     *     *


「二手に分かれる」


「わたし、一人で戦うの?」


「そうだ。その方が”効率”が良い」



 少女と別れたのち、二人は手当たり次第に魔物狩りを進めていた。

 ところが街のいたるところで魔物が暴れていて、なかなか現状を打破できない。

 数が多すぎるのだ。

 魔物、魔物、魔物!――四方八方、ウジ虫のように奴らは現れる。



「オマエは、街の南側に行け。大きな魔力を感じる……恐らく、この魔物をコントロールしてる”魔人”がいるのだろう」


「ま、まじん!? もしかして、私が倒すの?」


「あぁ、オマエが殺れ」


「そんな簡単に言わないで……”魔人”って相当強いんだよね? 私が敵う相手じゃないよ」



 本音を言えば、アリシアは今すぐにでもリベラを連れてこの街から出たかった。

 幸い、今日は”文化祭”だったので人が多い。その中には、腕利きの”冒険者”や”魔術師”がいてもおかしくない。少なからず素人のアリシアには、戦う義務がないのである。


 魔物の襲来は、もはや災害と同じだ。

 地震が起きたとき、見知らぬ誰かのために自分の避難を断念する民間人がいるのだろうか。

 いたとしても、アリシアは十分すぎるほどに既に魔物を狩っている。彼女としては、一刻も早くテュランとリベラと一緒に逃げたかった。



「オマエは弱い相手にのみ勝負を仕掛けるのか?」


「…………」



 けれど、テュランの”洗脳”がアリシアの心を惑わせる。



「それに、オレはオマエなら魔人を殺せると思ってる」


「ムリだよ」


「”魔導書”を使え。リュックに入ってるだろ」



 アリシアが背負っているリュックには、テュランから預かった”魔導書”が入っている。これは、村の”結界”を操作・生成する時に必要な”魔導書”だ。



「”魔導書”を使い、村の結界を張れ。あの結界は魔人の攻撃も防げる」


「で、でも私……結界なんて作ったことないよ?」


「オマエが”結界”を求めれば、おのずとできるようになる。証印も、詠唱も、発動する感覚も、総て”魔導書”が教えてくれる。”魔導書”とは、そういうものだ」


「読まなくても?」


「あぁ……本来、”魔導書”は読む物ではない。”感じる物”だ。そこが、と圧倒的に異なる点だ。学校とやらで習うハズなのだが……」


「学校に行ってなくて悪かったね」



 アリシアが図太い声でそう言った。

 不機嫌そうに頬を膨らませながら、空に浮かぶ太陽を見つめる。

 そして数秒固まったのち、腹を括ったのか、アリシアは「はぁ」と大きなため息をついた。



「終わったら、今日の”やり直し”するから」


「やり直し……とは?」


「…………知らないもん」



 テュランは思わず眉をひそめた。

 なぜアリシアが”やり直し”などと突然言ったのか、理解できなかったから。


 (よく分かんねぇ……)


 かなりの時間をともにした二人であったが、それでもなお、テュランはアリシアのことが分からなかった。

 アリシアは突然、こちらの予想だにしない言葉を言ったり、怒ったりする。

 だからテュランは、未だにアリシアを不思議な生き物だと思っていた。

 その気持ちは、今日まで変わっていない。



「取り敢えず……オレが戻るまで死ぬなよ」



 状況は一刻を争う。悠長にしてられる暇は全くない。


 テュランは走り出した、アリシアに背を向けて。

 辺りは、炎に包まれている。

 瓦礫が散乱し、下敷きとなった人たちがたくさんいる。

 そんな彼らを見てると、アリシアにも”強い情”が湧いてくる。

 先ほどまで自分の知人を連れて逃げようと思っていた彼女だったが、目の前で苦しむ人を見殺しに出来るほど残酷になれなかった。


 アリシアは、手垢のついた剣の握りしめ、もう一方の手でリュックの紐を引っ張った。自分を鼓舞しているのである。


 そしてアリシアは、言われた通り目的地へと走り出した——「テルマン学院」の校舎へと。



 








 


 

 

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