第20話 最後の訓練

「オマエの修行を、今月限りで終了とする」


「えっ?」



 突然のテュランの悲報に、アリシアは悲哀の声を漏らした。まだ状況を上手く掴み切れていないようで、彼女は目を泳がしながら上目遣いをする。


 これは、村に帰ってから二日目の朝に起きた悲劇だった。



「オマエには”魔導書”を使って魔術を発動してもらう。オマエのオヤジが結界をコントロールするために使用した魔導書だ」



 そう言って、テュランは書斎から手を伸ばす。彼が取り出したのは、数千ページにも及ぶ”魔導書”であった。


 ”魔導書”には、数多くの魔術について明記されている。そのうちの一つには、”結界”も含まれていた。



「——どうして私に”魔導書”を?」


「さすがに剣だけでは戦えない敵が存在するからだ。魔人とかは、その分類だな」


「ま、まじん?!」


「あぁ。いずれ、オマエは魔人と戦うことになるだろう」



 人間と同じ言語を話す魔物、魔人。人を食らい、人に紛れる最悪の魔物である。

 魔人は、アリシアが戦ってきたどの魔物よりも強力だ。ピンからキリまで存在するものの、下位層でも一人につきワイバーンの十体には相当する。


 そんな怪物と戦うのに、剣だけでは心もとない。

 さらなる力を獲得するために、テュランは魔導書を授けた。



「”魔導書”があれば、オマエは更に強くなる」


「ホント?」



 テュランは微かに頷く。


 ”魔導書”には、所有者のポテンシャルを引き出す力がある。仮に、所有した本人が自分の才能に気付いてなかったとしても。


 もちろん、デメリットも存在する。

 ”魔導書”はあくまでも本人のポテンシャルを利用するだけなので、本人の実力に見合った規模の魔術しか展開できない。しかも、”魔導書”の著者である賢者さまが、顕現する魔術の効果に制限を掛けているので、最大火力はどうしても低くなってしまう。



「”魔導書”を常に持ち歩け。そうすれば、魔術の習得も早くなる」


「わかった。かばんのなかに入れとく」



 アリシアは、少し微妙な顔をしながら”魔導書”を受け取る。

 そして気まずそうに目を伏せながら、言った。



「あのさ…………」


「ん?」


「もしかしてさ。テュランくん、そろそろ居なくなっちゃう?」


「——――」



 アリシアのなかで膨れ上がる、巨大な不安。

 彼女は、察し始めていた——もうじき、お別れのときがやってくることを。

 魔術好きのテュランが、突然、修行の終わりを宣言しにきたのだ。

 何かあるに違いない。恐らく、とても大きな何かが……と思考を膨らませた結界、アリシアはテュランがこの村を近いうちに去るのではないかと思った。

 そしてその推察は、必ずしも的外れとは限らない。



「気にするな」


「あたま撫でないで」



 はぐらかすように頭を撫でると、テュランはその場を去ってしまった。

 質問には答えてくれないようだ。


 無論、アリシアは分かっていた。彼は、大切な話を打ち明けない人間だと。


 今思えば、どうしてテュランは「テルマン学院」の文化祭に参加しようと思ったのだろうか?

 はたまた、どうしてアリシアに”魔導書”を持たせるのだろうか?

 アリシアのため?

 だったら、そもそもアリシアの指導を引き受けた理由は?

 考えれば考えるほど、アリシアはテュランの気持ちが分からなくなった。彼が何を考え、何を思っているのか――それは、山の中で目撃する昆虫たちと同じくらい奇妙な事柄であった。



「テュランくんの、バカ」



 こっそり、ちゃっかり。

 彼女に背を向け廊下を歩くテュランに、あかんべ。


 勿論、テュランは気づかない。いや、気づいたとて反応しないだろう。



 それが、彼女にはものすごく悲しいことに思えた。



*      *      *



 地方公共団体である街の”管理者”・”職員”が、街の行政事務を行う役所、”スカイタワー”。

 それは、高さおよそ四百メートルの超高層建造物である。

 強風や地震による影響を減らすために、スカイタワーの根幹は大樹の根元のような仕組みとなっており、とても頑丈である。

 塔を支える鉄骨は、通常の五倍以上の鉄が使われており、その耐久性能は随一だ。


 タワーの最上階には”管理者ファルシェ”の専用部屋があり、そこでは結界の整備が行われている。

 その日の天候や魔物の出現率に応じて、結界の強度や大きさ・透過性などをコントロールしているのである。


 もちろん、結界の仕組みや構造は”機密情報”として扱わなければならず、外部への漏出は厳禁だ。だからスカイタワーの”最上階”へ上がれるのは、ファルシェと彼の側近二人組だけであり、室内のようすはトップシークレットであった。

 

 つまり、殆どの人間が”管理室”を見たことがないのである。


 謎に包まれた最上階、”管理室フォルト”。

 そこは、選ばれし人間だけが立ち入ることのできる聖域だった。



「私はね、躍動する生物を愛するのだ」



 殺伐とした大部屋、”管理室フォルト”。

 一面ガラス張りの壁からは、「メル地区」の市街を一望できる。


 そのガラス面のまえで悠然と語るのは、一人の男だ。


 名を、≪ファルシェ≫。

 「メル地区」の”管理者”を務める最高権力者である。


 彼の背後には、二人の側近がいた。一人は、毛むくじゃらの大男。もう一人は、眼鏡を掛けたカール巻きの女である。

 二人とも、ファルシェと共に絶景を眺めていた。



「人間という生き物は、大変素晴らしい。無力なわりに、繁殖力という一点のみにおいて我々を凌駕する。まるで、発情した猿だ」



 そう言いながら、ファルシェは身を翻す。


 彼の視界に映るは——


 紫色に変色した目蓋、膨れ上がる唇、流れ出る鼻血――満身創痍となった彼の体は、縄で椅子に縛り付けられていた。



「お、おま……な、なに、もの」


「気安く話しかけないでもらえるかな? 今は私が話をしているのだ」



 意識を失いかけていたファルシェに向かって、もう一人のファルシェが毒付く。彼は、テーブルの上に置かれていた”剣”を手に持つと、大きく鼻を鳴らした。そして、椅子に縛られていたファルシェの眼前に立ち、再び口を開く。



「そろそろ教えてくれないかな。”魔導書”の在り処を」


「…………」


「まだ、吐かないつもりかね?」


、わたしめの毒が効いておりません。すみません」



 カール巻きの女が、慎ましそうに報告する。

 ファルシェが睨みつけると、彼女は自分の肩をビクッと震わせた。



「ふぅ~随分、強情だな。人間の男にしては」



 黒々とした声で話すファルシェ。

 その時――薄暗い、夕闇が照り映える部屋のなかで、大きな影が揺れた。



「——ッ!」



 拷問されていた男の目に映る、この世成らざる影。

 人の形をした影が現れたのかと、彼は錯覚した。


 しかし目を凝らせば、そうでないことに気付く。


 は、頭部から足の爪先まで漆色の衣類を纏っていたのだ。


 黒薔薇のロングドレスは、足の爪先まで全身を隠していた。腕を覆う黒のドレスグローブは、指先まで漆黒に染めている。

 もちろん、衣服だけではない。

 扁桃アーモンドの形をした双眸や腰にまで伸びる長髪。そして、頭部に生えた二本のツノ。

 その全てが闇に包まれていた。

 


 突如現れた、闇の女。彼女は、墨汁のような黒点そうぼうでファルシェをみつめると、邪悪な笑みを浮かべて言った。



「そろそろ堕ちたらどうだい、変態さん」



 艶のある声の背後には、若干の怒りが混じっていた。これだけの拷問を施しても、欲しい情報を得られない現状のもどかしさに辟易しながら。


 先ほどまでファルシェの姿をしていたこの女は、”ヘレナ”と呼ばれる魔人である。一年前、総ての魔人を束ね、人類に攻撃を仕掛けた魔王の大幹部――「九大厄魔くだいやくま」が一人。

 彼女は”幻影魔術レヴェナート”を纏い、ファルシェのフリをしていた。


 人間を大量殺害するために——。



「ファルシェくん……」



 朦朧とするファルシェの額に、ヘレナの指先が触れる。額に流れる汗を、彼女は自身の指先に練り込ませた。

 そして、けばけばしい声色で語った。



「なぜ我が人間を嫌悪するのか、よーく考えたのじゃ。そしたら、分かったんだ——”臭い”だよ、臭い。

汗、唾、血液、精液、鼻水、胃酸……貴様らのありとあらゆる物質から放たれる”体臭”が我慢ならんのじゃ!

貴様らの臭いが我に移るんじゃないかって心配で心配で夜も眠れないのだ!」



 ヘレナが怒鳴るたびに、部屋が激しい轟音を鳴らす。空気は揺らぎ、空間が蠢く。

 圧倒的な威圧をまえにして、ファルシェは恐怖に慄いた。



「さぁ教えろ。”結界”の”魔導書”を! 我は結界を解き、同胞をこの街に招き入れる。貴様らの家族も友人も総て我らが殺す。誰も逃がさない。皆殺しじゃ。

さぁ、吐け!」



 天空の部屋に、どす黒い喧騒が木霊した。


 

 



 


 


 

 


 

 

 


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