第19話 思わぬ来訪者

「とりあえず、新しいお洋服を買いたいな」



 前を歩くアリシアが、そう言う。

 テュランは彼女の話に無言で頷いた。



「だったらおススメの店あるぜ。わたし、案内する」


「ほんとぉ?」


「休みの日はいつも買い物してるからね」



 どやぁと語るリベラの提案に、アリシアは目を輝かせながら反応する。普段は村で過ごすアリシアにとって、「メル地区」は迷路のように複雑に思えた。が、「テルマン学院」に今もなお在籍しているリベラは、この街の特徴や立地を完璧に把握しているので、スムーズに彼らを案内することができる。

 テュランとアリシアは、リベラの背中を追った。


 「メル地区」には、沢山の店が混在しており、上から見ると商店街のような形をしている。飲食店はもちろんのこと、市場や衣料店など豊富な種類の店が壁のように並んでいた。


 三人が辿り着いたのは、大きな桜の樹を中心とする環状交差点の端に建てられた三階建ての洋服店だった。一際目立つ巨大な看板のまえには、休憩用の長椅子が置かれてある。

 そのうちの一つに腰かけると、テュランは言った。



「オマエ、先に選んでろ。オレはこいつと話があるから待ってる」


「んあっ?」



 リベラが、テュランの言葉に間髪入れず攻撃的な疑問符を打ち立てたが、彼はそれを真顔で受け流す。

 アリシアは目をクリクリさせながら戸惑ったように沈黙したが、数秒後に「分かった」とだけ言って、店に入った。


 外に残るは、テュランとリベラのみ。


 冷たい空気が、二人の間にすり抜ける。互いに口を開かない。


 これは、戦火を交えない戦争――つまり冷戦である。物理的には戦っていないが、アリシアという共通の中継地点を通じて、互いに火花を散らしているのだ。

 リベラは、アリシアを護るために。テュランは、己の好奇心を満たすために。



「はぁ……」


「っっ!」



 互いが沈黙を保つなか、初めに口を開けたのはテュランであった。

 重々しい声が、リベラの耳に届く。



「下着屋のとき、あいつにどんな話をした?」


「——あんたには関係ない」



 とはいえ、リベラもテュランには動じない。圧倒的にテュランが”格上”だったとしても、彼女は強気な姿勢を貫く。



「そんなことより、あんたの目的はなに? 私たちに近づいて何がしたいの?」


「オマエには関係ない」


「チィ—―ッ!」



 大きな舌打ちが二人の空気を斬り刻む。互いに一歩も譲らないつもりだ。

 テュランは、予想以上に苦戦していた。リベラの扱い方について。



 (これでは埒が開かないな。さて、これからどうするべきか……)



 人知れず頭を悩ませる中——……



「いつも本当にありがとうございます」



 静寂を包んだ声が、テュランの注意を引いた。


 環状交差点の向かい側、無駄に広い空き地の上に、ふんわりと人だかりができている。その真ん中に立っているのは、ひときわ背が高く色白の整った顔をしていた男であった。

 襟元は逆三角形にピンと伸びており、体を包む漆黒のスーツにはシワが一つも残っていない。

 洗練された容姿と、落ち着いた態度が群衆の目を虜にしていた。

 

 彼は、この街の”管理者”すなわち市長である。


 彼は久方ぶりに街の見学に来ていた。街の住民に愛されていた彼は、ひとたび日の当たる場所に顔を出せば、こうして人だかりを作ってしまう。


 テュランは市長の姿を、まじまじと見ていた。  


 まるで、何かを観察するかのように。


 すると、視線を感じたのか、市長とテュランの目が合った。二人を隔てるのは、およそ百メートル前後の道。かなりの距離があったはずなのに、市長は彼の視線に気づいたのである。


 目が合うや否や、彼はゆっくりとテュランのもとに近づいて来る。

 そして、声を掛けた。



「初めまして。この街の”管理者”を務めています、ファルシェです」


「テュランだ」


「わ、私は……リベラ」



 突然声を掛けられて、リベラは驚いていた。誰だって、狙いを定めるように話しかけられたら驚嘆するものである。ところがテュランは、まったく動揺していなかった。



「今は、何をされていたのですか?」


「知人を待っていた。オマエは?」


「オマエって言うな」



 隣のリベラが肘打ちする。



「いえいえ。気にしないでください。私はただこの街の見学に来ただけですよ」


「見学……オマエは、先ほど自分のことを”管理者”と言ったな。”管理者”とは何だ?」


「結界の整備と管理。その他、財政や……まぁ色々ですね」



 そう言うと、管理者ファルシェは不敵な笑みを浮かべた。冷たい目が、テュランの眼光に突き刺さる。



「もし良ければ、こちらをお受け取りください。君、これを渡して」



 ファルシェの合図とともに、彼の後ろから二人の男女が現れた。

 一人は壁のように大きな体をした、毛むくじゃらの男である。その男は、テュランの二倍ほどの身長を誇る巨人のような姿をしていた。その様態を近くで見たリベラが、目を丸くして畏怖する。

 もう一人は、眼鏡をかけたカール巻きの女だった。その女は一見普通のように見えるが、よく目を凝らすと唇に傷跡が残っている。ヘビのように鋭い目つきをしたその女は、ファルシェに言われるがまま、とあるパンフレットをテュランたちに渡した。



「『テルマン学院』の文化祭か……」


「はい、一か月後に開かれるので是非」



 「テルマン学院」の文化祭は、「メル地区」が誇る最大の大型イベントである。

 毎年、全国から観光客が訪れるこの一大イベントは、「メル地区」に輝かしい経済効果をもたらしてくれる。

 街の至るところに屋台が並び、一日中お祭り騒ぎである。「メル地区」の繁栄を第一とする”管理者”は、文化祭の参加者を何としてでも増やしたかった。



「すみませんが、お断りさせていただくわ。この学校は、私の”天使”を追い出した悪魔的教育機関なので。折角の機会を——


「良い提案だ。是非とも参加したい」



 アリシアの精神衛生上、「テルマン学院」に関する話はご法度である。ましてや、”文化祭”など考えられない状態だ。


 そのためリベラは”管理者”の誘いを断ろうとしたが、テュランは全く違うことを想像していた。



「ちょ、あんた……何のつもり?!」


「騒ぐな。言う通りにしろ」



 リベラが真っ赤になる。テュランの理不尽な言い分に、リベラは今にも泣きだしそうであった。力んだ拳をテュランの顔面に突き立てないように彼女は抑える。やり場の怒りを涙で無駄使いしながら。



「では私たちは失礼します。ぜひ、『文化祭』でお会いしましょう」



 用が済んだので、ファルシェたちはひらりと身を翻した。その大きな背中が、二人のもとを離れていく。ところが寸前、テュランのがファルシェの動きを止めた。



「オマエの言葉は、つまらんな。原始的だ」



 その瞬間、僅かではあるけれど、ファルシェの肩がビクッと痙攣した。テュランは、その一部始終を邪悪な笑みを以て凝視する。彼の側近である毛むくじゃらの男もカール巻きの女も、虚を衝かれたように目を見開いていた。

 ファルシェが振り返って、こう言う。



「失礼しますね」



 あからさまな作り笑顔。低い声色。テュランの嫌味を無下にしたファルシェの顔には、ほんの少しだけシワが走っていた。けれでも、そのことに気付けたのはテュランだけであった。



*      *       *



 その夜、三人は「メル地区」の宿で過ごすこととなった。

 今日は色々と問題が発生した日であったが、食事を採っているうちに雰囲気は改善されていった。あくまでも表面上は。

 そして食後、いよいよテュランが”本題”に入った。



「オマエの学校の文化祭に、参加しようと思う」



 ”管理者ファルシェ”の渡したパンフレットで知った、文化祭の存在。珍しくもテュランは「テルマン学院」の文化祭に興味を示していた。

 その真意は——未だ誰にも分からない。



「アリシアちゃん、こいつのことは気にすんな。アリシアは”学校”のことなんて忘れなさい」


「————」



 もちろん、リベラは文化祭の参加に反対だった。そもそもアリシアと「テルマン学院」は犬猿の仲。絶対に混ぜてはいけない両者を、テュランは理不尽にも混ぜようとしていたのである。



「どうして、文化祭に参加したいの?」


「オマエは”祭り”が嫌いか?」


「ううん、好き」


「それが理由だ」



 祭り好き——至極、単純明快な理由である。好きだから参加する、よくよく考えてみれば納得のいく言い分だ。

 しかし、これだけでは腑に落ちないのも仕方がない。特に、アリシアの学生時代を知るリベラからすると。



「あんたね、どんだけデリカシーないの?! その文化祭には、アリシアちゃんを苛めた”あいつら”も参加してんだよ。もしあいつらと会ったら、アリシアちゃんは…………」


「──知らん」


「むっ!!」


「分かった分かった……オマエの意見も聴いてやろう」


「よろしい。まず普通の人はね、精神的苦痛を与えた人間には、金輪際関わりたいないの。それが強制じゃなければ」



 リベラの熱弁がテュランの心に刺さることはない。彼はあくびをしながら彼女の演説を聴いていた。



「それはオマエが決めることじゃないだろう。本人の意志だ」


「その本人が『行きたくない』って言ってんの!」


「いや、オレはこいつの口から何も聞いてないが?」


「察せよ。言われなくても」



 他人の気持ちを察せないテュランが、リベラの主張を理解することは不可能に近い。どれだけ批判されても、やはりテュランの意志は変わらなかった。


 ——アリシアと一緒に文化祭に出る。


 その願望は、彼のなかで更に確信的なものへと変化する。



「ガキ、オレはオマエと文化祭に出たい。ダメか?」


「わ、わたしは……」


「オレはオマエとで回れるなら満足だ」


「ふ、ふたりで?」


「?? ダメか?」


「いぃぃや……そういう、ことじゃなくて」



 アリシアの顔が再び赤くなる。

 彼女は複雑そうな顔をしながら、伺うようにテュランを見た。



 (文化祭が、一番。出来るもんなら、こいつを連れ出したい!)



 ここぞ!っとばかりに、テュランが猛攻を仕掛ける。

 テュランは身を乗り出し、



「おいっ!」


「ひゃゃゃ……は、はい!」



 彼女の手を情熱的に握る。そして、鋭い目つきで語った。



「オレはオマエが必要なのだ、オマエの存在が。オマエだって、このままでは駄目だと分かっているハズだ。じゃなければ、オレから魔術を教わろうとしなかっただろ?」


「うぅ…………うん」


「安心しろ。オレがオマエを守る。オマエはただ、堂々とオレの隣を歩けば良い」



 顔を真っ赤にしながら、「こくん」と頷くアリシア。そんな彼女の頭を、テュランが優しく撫でる。

 一方、二人の精神世界を外界から見ていたリベラが——



「あんたさ、どう責任を取ってくれるのかしら?」



 と、眉を顰めながら呟くのだった。





 



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