第15話 不協和音①

 アリシア・アネットに転機が訪れたのは、彼女が六歳のときであった。アリシアは、それまで、村長の娘として、変わり映えのない日々を過ごしていた。鳥かごに囚われた鳥のように、彼女は家のなかで時間を浪費することが多かった。結界の外に出たことは数える程度でしかなく、その生活は自由と不自由を折り重ねたような形をしていた。

 外に出ることがなければ、苦痛を味わうことはない。けれど、行動することも無い。

 ところがある日、そんな彼女の日々をぶち壊す、嵐のような存在が出現した。



「アリシアちゃん! 外であそぼーぜ!」



 可愛らしい赤色のシュシュで括られた水色の髪。仄かに赤く彩る膨らんだ頬。そして、泥にまみれた花柄のスカート……切り取った写真を適当に繋ぎ合わせたような容姿をしたその少女は、アリシアの生活に不協和音をもたらしたのである。


 その演奏者こそ、リベラ・ベネリートだ。


 ベネリート家は、転勤の多い家庭であった。一年もせず住む場所は変わり、この村には九回目の引っ越しでやってきた。彼女の父親が”冒険者”ということもあって、なかなか居住地域が定まらなかったのだ。


 リベラの性格はとてもアクティブだ。

 文化・伝統の異なる人々とコミュニケーションを取る必要があったので、彼女は必然的に外交的になったのだ。

 奇妙な虫を森で見つけたら躊躇なく素手で触れるし、興味を持てば危険地帯にすら足を踏み入れてしまう。

 ”冒険者”の血を引く彼女のフットワークは、並外れていた。


 だから「今回で引っ越しは終わりだ」と父親に告げられた時、リベラは最上の幸福を感じた。何せこの村には、彼女の目を惹く自然や、彼女と年齢の近いアリシアがいたからだ。

 そして父親の決断を耳にしたリベラは、ありったけの充足感を胸に、アリシアのもとへ駆けた。



「アリシアちゃん! 外であそぼーぜ!」



 これが、二人の初対面。

 「どうして私の名前を知っているのだろう?」とアリシアが疑問に思う暇もない。リベラはアリシアの腕をグッと掴むと、アリシアを外の世界へと連れ出した——結界の外側へ。

 もちろん、結界の外は危ない。村人を襲う山賊や魔物が身を潜めている可能性がある。アリシアは、外に出ることを拒絶した。危ないから。

 けれど、リベラの進撃は留まることを知らないのであった。”冒険者”の血を引く彼女のポテンシャルは凄まじいもので、そのへんの魔物を一掃できる程度の実力が備わっていたのだ。


 とはいえ、四六時中家に閉じこもっていたアリシアが、森を好きになるのは、そう容易いことではない。

 ある日、リベラとともに森のなかを歩いていると、アリシアは彼女に訊いた。



「…………リベラちゃんは、外が怖くないの?」


「怖くないよー。だって、たくさん面白い奴らがいるんだぜ。勿体ないよ、家に引きこもんのは」


「で、でも……魔物は、凄い勢いで私たちを襲うじゃない?」


「もしそうなったら、返り討ちにするだけよ!」



 そう言って、リベラはわざとらしく拳を胸に当てた。その姿を、オロオロした様子でアリシアが見つめる。アリシアには、リベラの内なる自信とが輝いて見えた。何せ、リベラは自分とは全く違った世界を生きてきた生き物なのだから。



「リベラちゃんのお家は、どうしてここに引っ越してきたの?」


「おじいちゃんがこの村に住んでるから。パパが仕事で怪我して働けなくなったから、おじいちゃん家へ帰って来たんだ」


「リベラちゃんのパパは、冒険者だよね? 魔物と戦ったりするの?」


「もちろん! わたしね、パパと一緒に”魔人”にも会ったことがあるんだよ」


「……魔人に?」


「うん。すっごく気持ち悪い顔してた。目が三つあって、腕が四本で……そんな姿をした怪物がペラペラ喋るんだよ。背筋、凍えちゃった」



 そう言いながらリベラは、険しい山道を軽々と登っていく。一方、普段運動をしないアリシアは、山道を散歩するだけでも息が切れそうであった。二人は”超”が付くほど対照的。木々の合間を差す木漏れ日に反射するリベラの姿が、アリシアには空を舞う蝶々に見えた。



「……凄いな、リベラちゃんは。色んな世界を見てるんだね」


「普通だよ……」


「わたしも——」


「……うん?」



 スカートの先を握って、アリシアは声にならない声を吐く。眼前で輝くリベラに魅せられて、まるで虹に吸い寄せられる一抹の雨粒のように、アリシアは彼女を凝視した。ややあって、アリシアは口を開く。



「私も見れるかな、色んな世界」



 本のなかでしか、出会えない世界――氷の大地、水の住処、砂の雪原。まるで、思い描いていた世界そのものを、リベラが象徴しているように思えた。

 すると、水のように透き通った彼女の瞳に、一筋の光が差した。少し口角を上げて、アリシアを見る。そして、リベラは言った。



「じゃあ、私と見ようよ、色んな世界を」


「えっ……?」



 ぱぁ、とアリシアの瞼に光が届く。虚を衝かれたように驚きながら、彼女はリベラを見つめた。



「…………リベラちゃんと一緒に? 私も?」


「うん。世界にはね、いーっぱい楽しいことがあるんだ。私ね、いつか世界中を旅する世界一自由な冒険者になる。もちろん、そのためには強くならないと。私はもっと強くなって、いつか『勇者さま』も超えるんだ。そのときは、アリシアちゃんが私の隣にいてよ」


「——よく、そんな恥ずかしいことが……」



 告白まがいのことを言われたアリシアは、思わず頬を赤らめた。けれど、リベラには彼女の心境を理解できるほどの洞察力がないようで、依然としてニコニコと笑っているだけである。追い打ちをかけるように、彼女は話を続けた。



「そういえば……アリシアちゃんの目って、すごく綺麗だね。宝石みたい」



 今まで目の色など褒められたこともなかったアリシアは、余計に恥じらいを覚えた。自分の瞳を隠すように、視線を下げる。けれど、悪い気はしなかった。もしろ嬉しかった。


 こうして、二人は友好を深めることとなる。

 それは二人が「メル地区」の学校に進学して、アリシアが苛められ不登校に陥っても尚、変わらぬ固い絆であった。




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