第16話 邂逅

 水彩画のような記憶、色鮮やかな田園風景、未だぼやける追憶の日々――濁流する景色を掻い潜って、リベラは目を覚ました。



「ここは……?」



 視界に映るのは、懐かしい木製の天井である。杉の木の円やかな匂いが、布団の柔軟剤と混ざり合って彼女の鼻腔を優しく撫でている。

 やけに軽い身体を揺すりながら、リベラは上半身を起き上がらせた。

 その時、柔和な人影が彼女の視界に入り込む。



「リベラちゃん……!」



 ベッドの隣で見守るように座っていたのは、茶髪の可愛らしい美少女アリシア。アリシアは、寝たきりとなっていたリベラを心配して、四六時中彼女の傍を離れなかった。

 くるりと大きなルビーの瞳に、感激の涙が溢れている。

 ようやく目を覚ましたリベラを見て、アリシアは堰を切ったように泣き始めた。

 悲痛の声が、リベラの寝部屋に虚しく反響する。



「はぁぁぁ。可愛い私の天使アリシア、泣かないで!! お願い! 結婚するから!」



 アリシアは、毛布をギュッと掴んで放さない。そんな彼女の背中を摩りながら、リベラは欲望を垂れ流す。



「地震が起きたって聞いたから、急遽帰ってきたの。アリシアちゃんこそ平気?」


「うん、私は大丈夫だけど……リベラちゃんが、あんな大怪我をしたから」


「気にしないで。私は天使アリシアちゃんの脅威を排除しようしただけだからさ」


「……脅威?」


「うん。あいつ……今まで見た魔人の中で、最強だった。目が合ったその瞬間に『死』を覚悟したもん。お陰で私は……アレ? 傷が、ない?」


「どうしたの?」



 テュランと一戦を交えたことで、リベラは満身創痍となっていた。自身の矢が複数に渡って体を貫いたのだ。その時の痛みや損傷は、尋常ではない。

 ところが、今のリベラは痛みを感じない。体が、とても軽い。あの時の凄惨な傷が、嘘のようだ。


 リベラは、疑問に思う——あのあと、私はどうなったのか。

 魔人テュランと接触して、敗北して、一度は死を覚悟した。だが、今、こうしてアリシアが隣にいて、自宅の寝部屋のベッドでくつろいでいる。

 あのとき受けた傷も、まるでブラックボックスのように綺麗に無くなっていた。



「アリシアちゃん、私……どうしてここにいるの?」


「運んだんだ、リベラちゃんが倒れてたから」


「…………そっ、か。じゃあ、私の傷は? 村に医者なんかいたっけ?」


「リベラちゃんの傷はテュランくんが治したんだよ。リベラちゃんをここに運んだのもテュランくん」


「——テュランくん?」



 聞き慣れない名を耳にして、リベラは思わず質問した。リベラは、テュランを知らない。昨日村に帰って来たばかりなのだから。



「最近、うちの村にやってきたの。とても強くて、私も魔術を教えてもらったんだ」


「……アリシアちゃんが魔術を?」


「うん、ちょっとだけ強くなったと思うよぉ!」



 えへん、と自慢した態度を取るアリシアを、リベラは訝しげに見つめる。リベラが「天使」とまで称した親友アリシアの印象は、清らか・精霊・神秘・病弱の四点。そんなアリシアが、魔術を使うなど……正直、考えられなかった。



「それに……テュランくんは、すごく格好いいんだ。しかも……優しくて……グへへ」


「ねぇ、ちょっと待って」



 テュランの話をするアリシアの顔は、まさにとろけていた。胸から溢れ出る”満足感”を中和できていない。

 可愛らしい小動物のような顔に、一層の赤みが増している。リスのように目をキョロキョロさせながら、彼女は悶えていた。


 こんなあからさまな態度を取られては、さすがのリベラも察しが付く。自分の天使――神聖なる相棒の心が、別の人間に捕らえてしまったという悲劇を。


 しかも、よりによって男! 男! 男!


 その時、リベラの心に怨念が生まれた。



「それさ、平気なの? しかも、男でしょ? アリシアだってでしょ、男って生き物がどれだけ凄惨なやつらか」


「そうだけど……でも、テュランくんは違うもん」


「本当に……? ちょっと頭を冷やした方がいいよ。私は今でも覚えているよ……アリシアちゃんのスカートを覗いた連中を」


「————っ!!!」



 アリシアの肩が、ビクッと跳ねる。



「リ、リベラちゃん……その話はさ……!」



 破裂寸前の風船みたいに、アリシアの顔は赤く膨らんでいく。一歩間違えたら、爆発しそうなぐらいに。



「変なこと言わないで……もう、忘れたんだから」


「まぁアリシアちゃんは天使だからね……覗きたくなる気持ちも分かるけど、でも許せない! アリシアちゃんのパンツを覗くのはこの私のみ!」


「な、なんか間違ってない?」


「とにかく、男は信用しちゃダメよ。そのテュランって男も、もしかしたらスカートを——」


「わぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


「可愛いぃぃぃ~~」


「わっ! 苦し!」


「まちゅまろみたいに柔らかいですな~」


「もうっ! いい加減怒るよぉぉ~」



 目を尖らせてポンポン殴るアリシアの可愛さに、震えが止まらない。愛しい尊し天使アリシア……だからこそ、リベラは心配だった。


 アリシア・アネットは、絶世の美少女なのだ。男子からの恋慕を、幾度となく受け取ってきた女神のような存在。故に、数多のトラブルに巻き込まれてきた。事実、彼女が学校へ行かなくなったのも、そういう要素が少なからず絡んでいる。


 そういう経験をすると、どうしても警戒してしまう。男たちがアリシアに向ける、数々の鋭い視線たちを。

 だから、テュランの存在も気に食わなかった。



「まぁでも……感謝しないとな。もしそいつがいなかったら、私は死んでたんだから」



 とはいえ、リベラを運び治療したのは紛れもなくテュランである。その傷を負わせた張本人であるという一点のみを除けば、彼はリベラの命の恩人だ。


 しかも、今のリベラは大きな勘違いをしている。


 —―自身を襲ったあの凶悪な魔人をテュランが殺した、と。


 でなければ、私はあの場で魔人に殺されているハズだ……っと、そう思っている。


 その壮大に誤った推察は、リベラの心にテュランへの尊敬と感謝を思い起こさせた。何せ、リベラから見たテュランは……まさにヒーローのような活躍ぶりを見せてくれたから。


 故に、アリシアでの一件から男子に対する嫌悪感を拗らせたリベラであったとしても、流石にテュランを嫌いにはなれなかった。

 アリシアの心を奪った盗人、という一面を除けば。


 となると、テュランの印象は五分五分……感謝はしてるけど、好きになれない奴。という評価である。


 しかし、そんなタイミングで



「あっ、そうだ。リベラちゃんにも会わせるよ、テュランくんを」



 目をキラキラに輝かせながら、アリシアが提案する。まるで「秘密基地」を自慢したい幼児のような態度だった。

 そのセキュリティ突破は、あまりにも強すぎる。



「まぁいいけど……いけ好かない奴だったら許さないから」


「うんうん……リベラちゃんも気に入るよ!! 連れてくるね!」



 アリシアが駆け足で部屋を出た。

 その姿を見ていれば、アリシアがテュランにかなりの好意を抱いていることが明確に理解できる。それは、リベラも同じであった。

 男嫌いなリベラでも、あれだけ好きアピールを見せられたら折れてしまうのも仕方がない。内心、彼女は「テュラン」を認め始めていた。

 唯一、懸念すべき点があるとすれば……それは容姿の一点のみ。

 最上の娘に相応しい男であるかどうか、リベラは厳格に審査しようと思った。



「リベラちゃ~ん、テュランくんが来たよ。ドア、開けるね」

「うん、いいわよ」



 遂にご対面のとき……三人の関係が、どの運命に転がるかは、この一瞬で決まる。



「感謝はしてる。でも私はアリシアちゃんを渡す気は————……」



「——入るぞ」



 アリシアの後ろから、鈍重な声が響いた。

 海老色の双眸が、リベラの胸を射抜く。



「へぇ? ———あぁぁッッ」



 刹那に溢れ出る、恐怖・驚嘆。混乱。消えたハズの痛みが、突如として全身を駆け巡る。



「どうしたの、リベラちゃん」



 状況を理解できないアリシアは、場違いなほどに呑気な声を出す。その声は、リベラに届かない。

 硬直したリベラの肉体は、五感の神経をも著しく劣化させたのだ。息をするのを忘れてしまうほどに。



「——――」



 テュランは、ゆっくりと距離を詰める。

 その動きを見たリベラに、「死」の一文字が再燃する。その炎は恐怖の鎖を焼き飛ばす。

 一か八か、リベラは殴り掛かろうとした。


 だがテュランは、その拳を”圧縮”。”圧力”で全身の動きを止め、彼女の耳に囁く。



「——余計な真似はするなよ、野蛮人」



 テュランは、決断した。



「さもなければ、オマエを殺す」



 脅しによる、三つ巴の強行突破に出ると……。



 





 







 

 







 

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