第12話 奇襲
それからも二人の日々は続いた。部屋で研究に没頭する傍ら、テュランはアリシアに魔術を教えたり、攻撃手段として剣の使い方を伝授したり。
呑み込みの悪いアリシアに対して、テュランは不自然なほどにゆっくりと指導をした。
そのお陰で、アリシアは徐々に強くなっていった。身体能力は格段に上昇し、サルのように木々を飛び回ることすら可能となり、その姿を見た村人たちは酷く驚嘆していた。
間違いなく、テュランの恩恵がアリシアを変えている。
そのころから、テュランはアリシアに具体的な狩猟方法を説明し始めた。魔物と相対する際は、どのように立ち回ればいいのか。マインドや剣の振り方、敵の分析方法など。
まず、テュランは魔物を分類分けした。相手の大きさや動作などから、相手のファイトスタイルを分析していくのだ。
例えば、自分よりも一回り大きな生物と戦う場合、相手はリーチが長く、一撃が致命傷となりうる可能性が高い。そのため、とても危険な敵となるのだが、その分、守備範囲が広くなり動作が鈍くなる傾向がある。だから、こまめにステップを踏んで、なるべく相手の外堀を削ぎ落していきながら長期戦に持っていくべきだと話した。
また、魔物の中には「初見殺し」になる者がいる。そういう相手は、魔力の流れに”癖”があるため、ちゃんと敵の魔力を感じ取れれば回避は出来る。逆に、魔力探知を怠れば、死に至るのは自業自得というわけだ。
このように、テュランは自己分析と敵分析の重要性を、幾度となく主張する。自分のプレースタイルを押し付けるのではなく、相手に適応するかの如く戦うべきだと話すのだ。
その雄弁な佇まいは、アリシアの胸に深々と刻まれた。偶像崇拝の如く、彼女はテュランの熱狂的なファンになっていったのだ。
事実、その成果は緩やかに顕現していく。
「今日はオマエ一人で狩ってもらう。相手はレッドウルフだ」
ある日の朝、テュランはアリシアにそう言った。突然、野暮なことを言われて驚いたように目を丸くするアリシアであったが、すぐに瞳の色を変えて首を縦に振る。
鞘を腰に添え、テュランと一緒に村を出た。
その時、アリシアの母が心配したように声を掛けた。彼女は、娘の豹変に驚かずにはいられなかった。とはいえ、奥さんはテュランのことを信頼していたし、アリシアの清らなか精神が損なわれたわけでもなかったので、彼女はすぐにそれを承諾した。
* * *
村を出て、山道に入ると、「グルル……」と鈍重な唸り声が聞こえ始めた。魔力を探知したアリシアは、すぐさま剣を抜く。厳戒態勢に入る彼女の瞳に、赤い殺気が走る。
二人のまえに現れたのは、三匹のレッドウルフだった。
全身を赤い体毛で覆い、鋭利な牙が銀色に輝く。
強靭な牙には溢れんばかりの涎が見えた。
「行け! 複数を相手にするときは、先制攻撃が必須だ」
テュランの合図とともに、アリシアが颯爽と駆ける。奴らの動体視力の十倍の速度で繰り出されたその抜刀術は、死の血しぶきを新緑に添えた。ウルフの頭部は刹那に斬り落とされ、次の瞬間には残党にも刃が向けられていた。
「ガルッッッッ!!!」
残りのウルフたちが、飛び掛かってくる。だが、アリシアは一撃必殺の鉤爪を、すんでのところで避けた。距離を取って、一旦休符を置く。
「残りは二頭だ。さぁ、どうする?」
「はぁい!」
すかさず、ウルフたちが間合いを詰めた。その一撃がアリシアの頬に掠り傷を走らせる。が、追撃を許さぬアリシアの猛攻がウルフの肉体を木端微塵に斬り刻んだ。アリシア、決死のカウンターである。わざと一撃を食らうことで、反撃のリソースを生み出したのだ。
「はぁぁぁぁ!」
滑らかに振り下ろされた剣技が、二頭のウルフに絶命の喘ぎ声を与える。奴らは苦しそうに悶えながらその場に倒れた。
(及第点だな。あともう少しだ)
戦闘の行く末を見届けたテュランの顔に、不気味な笑みが走る。
「テュランくん、終わったよぉ。どうだった?」
「全然ダメだ。無駄な動作が散見される」
「ごめん」
自分では上出来だと思っていたアリシアにとって、テュランの駄目出しは思いのほか辛辣に思えた。彼女は、少し落胆した気持ちになりながら静かに剣を納めた。
と、その時。
彼女の頭に、冷たい手が触れた。揺らぐルビーの瞼が、歴戦を経た男の顔を映す。胸を突き刺すような赤色の瞳が、黄金色に輝いて見えた。
「えっ? な、なに…………」
「オレの魔力を供給している。肉体接触は、魔力のやり取りを可能とするからな」
「テュランくんの、ま、まりょくを、私の身体のなかに?」
「あぁ。オマエは先ほどの戦闘で魔力を無駄に消費した。次は気を付けろよ」
「はぁい。き、気を付ける」
アリシアの耳に、彼の言葉は入ってこない。
突然、頭をポンポンされて、彼女は耳まで真っ赤に染めていた。
「~~~~~~~~~~~!!!」
「…………どうした?」
もちろん、テュランには彼女の変異の理由が分からない。少し困惑の色を見せるだけで、肝心の行動を止めようとはしなかった。
「さぁ、行くぞ。次はワイバーンをやる」
時間にして、約三十秒。頭ポンポンをやり過ごしたアリシアは、既にぐったりと力を抜いていた。
「???」
前を歩いていたテュランが、訝しげに振り向く。残された乙女は、その場に座ったまま。
「なにをしている? 大丈夫か?」
テュランの声は、アリシアに届かない。彼女の頬は、破裂寸前の爆弾のさま。片手でスカートの端を、そしてもう一本の手で胸元を抑えていた。
「はぁ………はぁ…………」
艶のある吐息が、溢れんばかりの水のように漏れ出る。男子との関わりを長年絶っていたアリシアは、すっかり男への免疫を失っていた。その痛手が、ここにきて顕現する。
「あたまなでなで、パッパにしかしてもらってないのに…………」
詰まらなそうに立ち止まるテュランの耳に、アリシアの呟きが聞こえた。
(面倒なメスガキ…………勝手に発情すんなよ)
だが、テュランには全く響かない。平常運転である。
「置いてくぞ。早くしろ」
「は、はいぃ」
くるりと反転。テュランはぶっきらぼうに身を翻した。
その大きな背中を追いかけるように、アリシアも再び歩き出す。
未だ止まらぬ羞恥を抱きながら。
* * *
次に二人がやってきたのは、山のふもと。村からは然程遠くない場所である。
ワイバーンを探していたテュラン一向であったが、なかなかワイバーンは見つからなかった。というのも、テュランが連日に渡って大暴れしたせいで逃げてしまったのだ。
そのため、二人は”別の魔物”をターゲットととした。
「オマエには、ヴィジェノヴァートを相手してもらう」
「ヴィジェ、ノヴァノート?」
「あぁ。”
「幻? どんな幻なの?」
「オマエの辛い記憶やトラウマが再現されるんだ。他には……”何者”かに成りすましてな。やり手の魔人が”
「トラウマ…………やっぱり、私は”学校”かな。仲良くしてくれた子もいたんだけどね、やっぱり私がダメだったせいで」
「そういう記憶と、オマエはこれから戦うんだ」
一同が歩いていると、徐々に周囲の光景がどんよりし始めた。色を抜かれ、捻り曲がった大樹が並んでいる。枯れ葉てた死の葉が、彷徨い漂うように地面を旋回していた。日光は雲に遮られ、灰色の空が二人を見下す。
「ここからはオマエ一人で歩け。倒したら、ここへ戻ってこい」
「テュランくんは来ないの?」
「あぁ」
「酷いよ。も、もし私が負けたら…………死んじゃうの?」
「だから、死なないために今まで特訓したんだろ」
「———そうだけど。私だけじゃ、勝てないかも」
「オマエは、勝てる相手にしか勝負しないのか? そんなことしてたら、一生成長できないぞ」
「そ、そもそも……結界が守ってくれるから私は戦わなくても…………」
「敵はオマエの成長を待たない。思い返せ、オマエの人生を。オマエを陥れた奴らは、オマエの決意や成長を待ってくれたか?」
「………………」
アリシアは黙り込んでしまった。強迫観念のように迫るテュランのロジハラに、反論できず。
彼女は、よくも悪くも染まりやすい性格だった。本能的に”格上”だと判断した人物に対しては、どうしても思考を誘導されてしまう。仮に相手の言い分が間違っていたとしても、それっぽいことを言われると納得してしまう性なのだ。
「わかった」
「それでいい」
そして、その性格は、テュランにとっては都合が良かった。
(よし、これであのガキの魔力操作が向上するはずだ。いいぞ、もう少しだ)
テュランの考える計画に、アリシアの存在は必須であった。それが何たるかは未だ彼の口から説明はないが、彼は彼女の力に一定以上のポテンシャルを感じている。自分の言葉に素直に動いてくれるアリシアは、まさにテュランのお気に入りであった。
けれど、現実は思うように動かないときがある。
アリシアの背中が見えなくなったあと、彼は彼女が戻ってくるまで待機しようと思っていた。
しかし、突然、彼のところへ”別の女”がやって来たのだ。
日の当たらぬ暗い山道。この腐敗の大地に迷い込んだ異邦者のような姿をしていたのは、腰まで伸びた水色髪を纏った美少女だった。
(あの女……武術に精通しているな。これは楽しめそうだ)
「そこのガキ、オレの暇つぶしとして死んでくれ」
「??? あ、あんた何者だ?!」
この山に迷い込んだ一人の美少女を、テュランは”暇つぶし”がてらに殺害しようと目論んだ。
この馬鹿みたいな決断が、後々の自分の首を絞めるとは知らずに…………。
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