第11話 赤き双眸
昼を迎えたテュランとアリシアは、昼飯を取ることにした。
彼女が肌に離さず持っていたランチボックスの中には、サンドウィッチが四枚ずつ置かれている。水筒には熱々のコーヒーが入っており、食べるまえからテュランの口には涎が垂れかかっていた。
「
テュランが詠唱すると、半透明な膜が二人を囲んだ。
「これは?」
「『
「本物の結界は作れないの?」
「あぁ今のところは無理だ……原理が分からない限りはな」
テュランの説明に、アリシアは耳を立てた。
キラキラと目を輝かせながら、自分を包む結界に興味を示す。
「もしかして魔術が好きなのか?」
アリシアの様子を見ていたテュランが、何気なく訊いた。
「ううん。でもテュランくんの戦う姿を見てたら……私もできるようになりたいって思ったんだ」
「できないのか? 教わったことぐらいあるだろう?」
「うん。だけど学校には……もうずっと行ってないから」
テュランは彼女の話を聴きながら、ズルズルと音を立ててコーヒーを飲む。
アリシアは話を続けた。
「馴染めなかったんだ。友達はみんな優秀だったのに私だけ馬鹿で落ちこぼれだから」
「………」
アリシアの通う学校は全寮制である。算術や魔術など基本的なことを学ぶ。
ところが、学校の雰囲気や授業のスピードに彼女は着いて行けなかった。そして、他生徒から苛められていた。その結果、アリシアは寮で引きこもるようになる。
痺れを切らした先生が親を呼び三者面談にまで発展。親バカである母親は、大事な一人娘に冷たい態度を取る担任に怒りを爆発させ、アリシアは家に帰ってしまった。
「不登校だな」
「うん」
「だが、オマエは幸福だ」
「えっ?」
予想外のテュランの言葉に、アリシアはぎょっとした。
そんな彼女に構わず、テュランは話を続ける。
「学校は雑魚の住処だ。強くなりたいなら独力で強くなれ。他人に満たしてもらおうと期待するな」
「——か、かっこいい」
テュランの独断と偏見にまみれた決めセリフが、アリシアの心を揺さぶる。
今まで学校へ行くことが最善策だと思ってきた彼女にとって、テュランの意見は取れたての野菜のように新鮮だった。
「わかった 強くなる」
「………良い顔だ」
(このガキ、上手く利用できれば……)
張り切るアリシアの顔を、テュランはにこやかに見つめた。
弱者嫌いのテュランであるが、弱者が努力して成り上がろうとすること自体は決して嫌いではない。むしろ好ましいことである。
それよりも、言い訳を繰り返して強者にばかり縋る弱者を嫌悪することが多い。
「でも、何をすればいいの?」
「作業の合間にオレが教える」
「ほんと?」
「あぁ。だが、見込みがないと思ったら即やめる」
「えぇ~いじわる」
アリシアの部屋を観察したところ、彼女の部屋に教科書や魔術に関する参考書は一冊もなかった。彼女は魔術を自分の手で使用したことがないのである。そのような魔術初心者が独学で魔術を極められるほど、この世界は甘くない。
魔術の複雑性や難解さを知り尽くしていたテュランは、アリシアの魔術の上達に良き師匠の存在は欠かせないと感じた。
ところが村の住民のなかに「魔術師」と呼べる人材は皆無だったし、アリシアの父親も啓蒙に優れているとは言えなかった。
こうなると、適任は一人しかいない——テュランである。
* * *
その日から、テュランは結界の解明とともにアリシアの家庭教師的な役割を務めた。担当教科は魔術だけであったが、それでもアリシアは嬉しそうだった。
アリシアは「魔術師」の基礎である「魔力」すらコントロールできない。これはアリシアの母親にも該当し、幼少期から「魔力を使う習慣」がなかったがために起きた悲劇であった。
「まずは深呼吸だ。体内に流れる魔力を感じろ」
「はい!」
そのため、指導は基本中の基本から始まった。
準備体操のやり方……とか、そういう次元である。
正直なことを示すと、アリシアを平均的な魔術師程度まで育て上げるには、かなりの時間を割く必要があった。実演者であるアリシアに加えて、指導者であるテュランも。
ということで、必然的にテュランの自由時間は減少した。
結界の開発に使う時間は少なくなり、アリシアと過ごすことが多くなった。
村から川を取り戻す重要な使命を託されたのにも関わらず、テュランはアリシアに没頭中。
冷静に考えれば急用を要する事態だが、村人たちは穏やかだった。村長に対しては——であるけれど。
「魔力が血流に流れる感覚を摑んだら、次は、それを利用して——」
それでもテュランがアリシアを見捨てなかったのは、単純に彼女の頑張りが素晴らしいものだったから。
アリシアは、水を得た魚のように彼の話を熱心に聴いていた。
そして、実践する。練習する。何度も、なんども。
「テュランくん! テュランくん! できたぁ!!」
しばらく日にちが経過すると、アリシアの身体能力は飛躍的に上がっていた。
魔力の循環がスムーズになったことで、「魔術師」のような肉体に少しづつ変化したのである。
(取り敢えず、基礎中の基礎はこれで終わりかな)
「魔術師」の基本は、魔力を操り人智を超えた技を可能とすること。
「身体強化」は、その第一歩である。
「あとは……攻撃手段だな」
「攻撃手段?」
課題を達成して浮かれるアリシアに、テュランは次なる課題をあげつらう。
「でもテュランくん、私には傷つける相手がいないよ……」
「魔物がいるだろ」
「ま、まもの?!!!」
「どうして驚く? オレがこの村を出たら、オマエは自分の力だけで魔物と戦えるようにならないといけないんだ。いつまでも親を頼るなよ。親も完璧じゃない、ただの人間だからな」
「……そうだよね。テュランくんだって、いつかはいなくなるもんね」
二人が出会ってまだ数日しか経過していないが、それでもアリシアにとってテュランの印象は濃くなっていた。アリシアから見たテュランの存在は「とっても強くて、優しいお兄さん」。とても身近なものになっていたのだ。
だからこそ、そんな彼ともいずれは別れがやってくるという至極当然の事実が、アリシアにとっては、かなり悲しかった。
「どうして…………」
「なんだ?」
自分の袖をギュッと握って握りながら、彼女は言葉を探す。まるで声を失ったような気分になるけれど、それでもアリシアは話すことを止めなかった。少し間を置いて、口を開く。
「どうして、私に、魔術を教えてくれるの?」
成り行きではじまった指導のお陰で、アリシアは徐々に成長できている。だけど、一緒に生活していく中で、テュランの興味が”魔術”一点のみに絞られていることにアリシアは気づいていた。故に、どうしてそこまで自分に時間を割いてくれるのか、彼女は疑問に思ったのである。
「分からんか? オレはオマエに期待しているのだ。オマエにはやってもらわなければならないことがある」
嘘だ、とアリシアは思う。テュランに期待されるほどの才能を、こんな自分が持ち合わせているとは考えられなかったのだ。
「オマエがあのオヤジの娘であるということが何よりの証拠だ。これ以上は面倒だから話さんけどな」
テュランはそう言って、ひらりと踵を返す。そして「
「これを使え。大抵の魔物は刃で削ぎ落せる。あとは魔力を籠めることが出来れば完璧だ」
「剣、ですか?」
アリシアは驚いたように目を見開きながら、剣を受け取る。その刃は陽光をギラギラと反射しており、とても光り輝いていた。
「あ、ありがとう。こんな私に期待してくれて…………わ、私は不器用で、いつも護られてばかりだけど、もっと強くなるから、だから——」
どもりながらも、アリシアは感謝を述べる。どうあろうと、彼女は口を閉じようとしなかった。アリシアはテュランの目を見れなかったが、その分、想いをちゃんと伝えようと思っている。
その時、アリシアの両頬がつねられた。不意に上向く彼女の目と、テュランの赤い瞳が結ばれる。いつ見ても鋭利な視線を放つ赤き双眸が、陽の光を浴びて白銀の粒を撒き散らしていた。
「えっ……ちょ、ちょっと」
「誇れ オマエはいつか、あの村で一番逞しい戦士となるだろう」
柄にもなく穏やかな視線を送りながら、テュランは言う。アリシアのルビーの瞼に映る彼の瞳があまりにも綺麗すぎて、彼女は思わず仰け反った。「なんだ、こいつ?」とテュランは渋々ながらも、手を差し伸べる。
「あと…………オマエの瞳、良い色をしているな。オレと同じ色素を宿している。とても綺麗だ」
「えっ?」
薄ら笑いを見せると、テュランはそそくさと歩き始めた。急に引き離されたアリシアは、急いで彼の背中を追う。
「あの発言はどういう意味なんだろう…………」と、心の中で声が何度も反響する。心なしか、どんどんアリシアの頬は赤色に染まっていった。
「そういえば……リベラちゃんにも言われたな、目がきれいだって」
やけにニヤニヤしながら、独り言を呟きながら、アリシアは両手で顔をうずめた。まるで全てを波に攫われた気持ちで呆然と彼の背中を見つめる。いつの間にか、テュランはかなり遠くまで歩いてしまい、彼が「早くしろ」と声を挙げるまでその場でショートしていた。
慌てながら、地面に落ちた剣を取る。彼の魔術で生成された特別な剣を。
それを大切なもののように抱きながら、彼女は酷く湧きあがる充足感とともにテュランのもとへ駆けた。
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