第4話 解放

 ある日、地震が起きた。

 山奥で発生したそれは、木々を揺らし、大地を鳴らし、動物たちを畏怖させた。

 その影響は、農村地帯まで行き届く。


 この地震により崩れた、とある洞窟があった。

 その洞窟は未踏の地で、魔物さえ寄り付かなかった。秘境だったのである。


 ところが地震により倒壊し、瓦礫に埋まってしまった。もはや、その洞窟は存在しない。



「………クックックッ」



 荒れ狂った地震の跡地に、笑い声が響く。



「遂に……満ちたのだな、時が」



 男は、照り映える陽光を浴びながら、両手を広げて歓喜に呑まれた。



「ハハハッッ! 新時代だッ さぁ、『転生者』は何処だッ?! 魔王は? 魔物は? オレが皆殺しにしてやろうッッッ!!!」



 千年の眠りから目覚めたテュランは、久方ぶりに浴びる陽の光に興奮していた。


 封印中は意識がなく、時間的な長さを感じることはないけれど、やはりテュランの心には「久しい」という感覚が宿っていた。長き封印から解き放たれた感動は、彼を昂らせる。



「さぁ……どうするか、手始めに——



 名一杯の歓喜に包まれていると、どこからか足音のようなものが聴こえた。



(この気配、魔物か? 見てみるか)



 テュランの表情が、一気に険しいものとなる。

 足音の聞こえる方角へ、斜めに傾いた木々の合間をすり抜けていく。足を進めれば進めるほど、彼の中の警戒心は肥大化した。


 やがて、荒れた渓谷を下り、緩やかな上流に辿り着いた。

 すると、反対側の川岸から巨大な影が現れた。


 強靭な鱗で全身を包み、その巨体の背にはひし形のように広がる翼が生えている。漆黒の牙が並ぶ大きな口を先頭にして、真朱の眼球がテュランを睨んでいた。

 その巨大生物は、彼を獲物だと判断したらしい。渓谷を揺るがすほどの咆哮を響かせると、「グルルッ」と鈍重な唸り声を飛ばした。



「ドラゴン……いや、ワイバーンだな」



 テュランがワイバーンと名付けたその魔物は、彼を食い殺す気でいた。だがテュランは奴の殺気など無視して、こっそりと邪悪な笑みを浮かべる。



(これはなかなかに楽しめそうだ……)



 スタスタと地面を踏みつぶして、テュランは川岸に歩み寄る。



「———」



 お互い、警戒を解かない。迸る殺気とは裏腹に、二人のあいだには不自然な沈黙が流れる。川の流れる清らかな音だけが、その場を支配した。


 ワイバーンの唸り声が止む。地面に着けていた四足のうちの前足二本を、持ち上げた。

 いやな前傾姿勢だった。こちらに飛び込んでくるかのような体勢である。

 そして両目の視線が交差した——次の瞬間。



「ガルルッ」



 目を見開いたワイバーンが前足を持ち上げて、一気に振り下ろした。

 およそ数メートルほどの川の幅を刹那に飛び越えて、奴はテュランの目前まで差し迫ったのである。


 ワイバーンの巨大な爪が地面を容易に切り裂き、勢いそのままにテュランを踏みつぶそうとした。

 だが、粉砕地点に人の影はない。

 その足が振り下ろされる直前、テュランが左側へと飛び退いたからだ。


 前足を浮かして、奴は不機嫌そうに自分の足を見下ろす。自分の攻撃が躱されたことに気づいて、続いてワイバーンは尻尾を薙ぎ払った。

 剣のように鋭いワイバーンの尻尾。その威力は大樹を真っ二つに斬り落とすほどである。

 だが、その攻撃が彼に被弾することはなかった。

 テュランの首筋を捕える直前――尻尾の先端が潰れるように破裂したからである。



「とろいぞ もっと軽やかに動け」



 自分の身に起きたことをワイバーンは理解できていない様子だった——どうして自分の尻尾が潰れたのか。

 だが、魔物に思考する余地などない。すぐさま咆哮を響かせると、再び前足を振り下ろした。


 テュランはその連撃とひらりと避けていく。相手の攻撃が発動する寸前に、攻撃範囲の反対側に移動するのだ。


 何度も繰り出されるワイバーンの追撃。しかし、かすり傷すら与えられない事実に、ワイバーンは憎しみの表情を見せる。痺れを切らしたのか、翼を羽ばたかせるとテュランの頭上に身を移した。



「ほう、デカい図体で……」



 空を飛んだワイバーンの姿を、テュランは興味深そうに見上げた。いついかなる時も、彼の目を惹くのは「実力」である。


 ワイバーンの喉が不気味に膨れ上がる。そして次の瞬間――炎のブレスが解き放たれた。その威力は地面を押しつぶし、岩を刹那にして融解させるほど。マグマの百倍の温度である。

 もし人間に当たれば、その身体は原型を保つことすらできないだろう。


 しかし、灼熱の火炎攻撃がテュランに当たることはなかった。

 彼は既にワイバーンの上を飛んでいたのだ。

 ワイバーンは目を見開いた。人間が自分よりも高い場所を飛んでいることに、驚きを隠せない。



「さぁ、”仕上げ”だ。オマエの“土俵“に乗ってやる」



 テュランは嬉しそうに両手を広げて、空飛ぶワイバーンを見下ろした。

 空の支配者が、初めて見上げる立場になったのである。


 翼を巧みに利用しながら、テュランに近づく。

 上空で繰り広げられる接近戦は、地上戦と同様にワイバーンの猛攻で進んでいく。


 反り上げった爪が、テュランを襲う。が、すんでのところで避けきり、ワイバーンの後方へと回った。

 細かな小回りを苦手とするワイバーンは、テュランの速度に反応できない。右側の翼をガシッと掴まれると、



「”圧縮魔術ミレスコントローゼ”」



 テュランの詠唱直後、ワイバーンの翼が一瞬にして破裂した。強烈な苦痛が全身に駆け巡り、奴は統制を崩す。その状態で空を飛ぶことなどできるはずもない。為すすべなく、ワイバーンは地上数百メートルから落下した。


 その衝撃は凄まじく、地面に衝突した際の傷は致命傷となった。



「ガッルルッ……」



 苦しそうに呻き声を上げるワイバーンは、全身から夥しいほどの血液を流していた。血の水溜りが大地に広がっていく。

 その様子を満足そうに見つめながら、テュランは付近の大岩に腰かけた。



(この程度か、未来のワイバーンも)



 封印されてから初めて行った対決は、テュランの圧勝に終わった。封印中、眠っていたせいで体の「鉛」を感じていたテュランだったが、ワイバーンとの対決により、錆びついてた体が力を取り戻した。



(さて、これからどうするか)



 ワイバーンとの一戦を終え、テュランは”これから”について推察する。彼を未来へと送り込んだクローバーが課した二つの条件――クローバーの発見と、「転生者」の抹殺。

 この二つを満たさなければならない。



「とりあえず、人の街を訪ねるか」



 しかし、テュランには情報がない。

 この世界の実態や、この場所がどこなのか——情報を得るためにも、人間を見つけるしかない。


 そう思い、立ち上がった瞬間――。



「———れか! すけて!!」


「………ん?」



 風に乗って、何かが聞こえた。風ではない、はっきりした何かが。


 しかも、はっきりと感情のこもった音であった。


 テュランは耳を澄ませた。


 すると、今までは不透明だった”それ”が鮮明に聞き取れる。



「誰か! 誰か!! 助けてくだ——」



 人間の声である。それも、切羽詰まった女の子の悲鳴であった。



(聞き取りづらい声だ……この言語は、魔人のものか? いや……)



 テュランの生きた時代は、今から千年前である。

 たとえ同じ言語を扱っていたとしても、特有のイントネーションや訛りが混在していても仕方あるまい。



「あのメスガキと似た発音だ……おそらく人間だな」



 テュランは、ゆったりとした足取りで悲鳴の聞こえる方へと歩いた。


 荒れた森を進み、やがて草原に辿り着く。


 そこには—―


 涙を浮かべる、茶髪の少女がいた。




 

 

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