第3話 封印
テュランとクローバが出会ってから、一か月のときが経過しようとしていた。
テュランを千年間封印するためには、膨大な魔力と複雑な儀式を必要とするので、最低でもひと月以上の時間を要するのは当然のことだった。
そのあいだ、二人は山小屋で生活していた。
「あちらの世界へ渡ったあと、どうやってオマエを見つければ良い?」
「わたしとテュラン様が出会ったのは、中央諸国のバルティエという都市です。そこの孤児院に住んでいた私を、あなた様が拾ってくださったのです」
「……変な感じだな。オレは貴様を初めて知るのに、オマエは俺を既に知っている。あちらの世界のオレはどんな感じだった?」
「とても優しい方でしたよ。いまの私の魔術があるのは、テュラン様が逐一指導してくれたからです!」
「——オレが?」
「はい!」
目を輝かせながら、にこやかにクローバーは彼の質問に答えた。残虐非道なテュランを崇拝するかの如く。
その反応は、テュランの思考を混乱させた。自分で言うのも心外なものではあるが、テュランは自身の性格が社交的でないことを自覚している。よって、クローバーに魔術を教える未来など到底想像できなかった。
「信じられないな……」
「何を仰るのですか?! テュラン様は命の恩人なのです。数々の強敵を退け、街を、世界を、救ってくれたのですよ。堅実で真面目で、いつも努力なさるテュラン様の姿勢にはいつも敬意を感じています。それだけではありません。実は——…
「もういい。貴様に好かれていることは理解した。これ以上の説明は不問」
まだ見ぬ未来に、テュランは困惑を隠せない。けれど、この時代においても勇者パーティとともに魔王を退け世界を救ったので、物好きなオタクが自分を崇拝するのも有り得ないわけではないだろうとテュランは結論付けた。
「あわよくば”結婚”なんてことも……!」
「さすがにそれは言い過ぎだ。未来のオレがどう変わろうと、女の趣味は変わらん」
「!!! そ、それはどういうことですかッ?!」
テュランに恋愛感情は存在しない。ゆえに結婚も非現実的な事柄だった。
今後、たとえどんなことがあっても誰かを愛するという感情を取り戻すことはないだろうと、テュランは確信してやまない。
しかし、思いのほかクローバーは彼の言葉に怒りを感じているようだった。
いや、怒りというよりも”哀しみ”だろうか。
気まずそうに目を逸らすと、テーブルに置いてあったコップに手を掛けた。ところが、中身は既に空となっており、彼女はやり場に困る。
すると——
「
テュランは、彼女のコップに手を
何もない場所から任意の物体を生み出すこの魔術効果によって、クローバーのコップにコーヒーが溜まる。
「テュラン様……この魔術は、未来の魔術ですよ?! どうして……」
「オマエのを見て、学習したのだ。洒落た魔術だ、気に入った」
「
未来人ですら習得が難しいと言われている高等魔術を、テュランは一目観察しただけで学習した。
「流石です、テュラン様」
再び、クローバーは笑顔を取り戻すのだった。
* * *
あれから更に時間は経過し……”封印”の準備が整った。
やってきたのは、山奥の洞窟。
特殊な「光る鉱石」が散見されるこの洞窟は、昼夜を問わず明るい。
魔物の特性上、この洞窟に魔物は棲んでおらず、人間や魔人がうろつく場所でもない。何かを”封印”するという目的において、最良の場所だった。
「封印か……楽しみだな」
”封印”は、複雑かつ強力な魔術を複合発動する。
したがって、外界の影響を受けて封印が解けることは絶対にない。
しかもクローバーの行う封印は最先端の魔術なので、ここ千年の間に封印が破れることはないだろう。
「これは……」
「”魔王”の心臓を濾して作った、血液の池です」
眼前に広がるのは、真朱の池である。
千年後の未来に出現する「魔王」の血液を、「
時間停止能力を有する未来の魔王の血液には、特殊な魔力が流れており、対象のときを止める力がある。この封印は、その力を利用したのものだ。
「この池に……これを混ぜます」
そう言ってクローバが取り出したのはエメラルドの魔石であった。
魔石は他の物とは異なり、膨大な魔力や魔術が掛けられている。通常、魔物が多く生息するダンジョンで採掘できる。
なおその他の素材として、ドラゴンの牙やカエルの心臓、賢者様の「
池に素材が加わるたびに、色が暗くなっていく。
この不気味な池は、生物の血と臓器とが入り交ざったものなので、鼻を突きさすような腐敗臭が発生した。近くにいるだけで気を失いそうになる程である。
ところが、テュランは満足そうにその
(面白い儀式だ。まるで料理のようだ)
「テュラン様にはこの池に入ってもらいます」
一通りの儀式を終えたクローバーが、彼の手を引いていく。
テュランは興味深そうに、池の中に足を踏み入れた。
「テュランさま……」
血の池に沈みゆくテュランの背中を、クローバーは悲しげな表情で見守る。
彼と彼女が過ごしてきた時間を、テュランはまだ知らない。
けれど、クローバーは十分すぎる程に同じ時をテュランと共有している。
故にその膨大な時間で蓄積された愛着は、並大抵ならぬものではない。
彼女にとっては、これが最後のひと時。
どうにもならない運命、変えられない未来。
これは、もはや消化試合。
そんな腐れきった滅茶苦茶な世界に抗いように、彼女は最後、コーヒーの最後の一滴を飲み込むつもりで、こう囁いた。
「どうか……ご達者で」
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