第二章
第一話 護衛任務
『あ~~~あ~~、あちゅい~……』
隊舎の縁側で何かがダラッと溶けている。
「お前な……足を閉じろ。寝転ぶな。」
丁度市中見廻りから帰ってきた樋口がピンク色のとろけた物体を叱る。
そんな彼も流石に暑かったのか、いつもはピシッと閉めている上着を肩にかけ、シャツの首元を緩め腕まくりもしている。
『あ~お帰りなさ~い~。』
やる気の無いだるそうな声で返す。
「とりあえず体を起こせ、身なりを整えろ。」
『むり~暑すぎる~エアコンつけてよ~。まだ夏になったばかりでこの暑さはやばいよ~。死んじゃうよ~。』
樋口はアレコレ言うのも面倒くさいと諦め、ただため息をついている。
そこへ中西が何かを両手に持ちやってきた。
「雪華ちゃんお待たせ、扇風機持ってきたよ。」
『わーい!にっしーありがとう!』
雪華のために納戸から扇風機を見つけわざわざ綺麗に拭いてから持ってきてくれたようだ。冷たい麦茶とちょっとしたお菓子もある。
最近は雪華のお世話が日課のようになり、そのおかげかかなり打ち解けていた。彼の方が十歳以上年上なのだがにっしーというあだ名までつけられている。
「にっしーお前甘やかしすぎじゃねーの。」
翔悟が後ろから文句を言っているが、持ってきたお菓子を勝手に食べ始める。
警務部隊内でもにっしーという呼び名が定着しつつあるようだ。
『ねぇそれ私のー、やめてよー、てゆーか何その格好!脱げ、今すぐ脱げ!』
彼はこの暑さにも関わらず、シャツのボタンを首元までしっかりと留め上着も規定通り着用している。
特別警務部隊の制服は黒なのでさらに暑苦しく見える。
「セクハラはやめてくださーい。」
お菓子をムシャムシャと頬張りながら麦茶まで飲み干している。
『それ私の麦茶だろ!新しいの持って来い!』
お菓子だけでなく飲み物まで勝手に手をつけられかなりイラついているのか、とても口が悪くなっている。
以前よりは互いの距離が縮まったとはいえ、翔悟が今のようにちょっかいをかけるものだから雪華が怒ってしまうことがよくある。
ただ、彼に関しては言われた文句に対して言い返すというより軽くかわしたり、さらに揶揄ったりと楽しんでいるようで、はたからはただ仲良く戯れあってるようにしか見えない。
おそらく雪華もそんな翔悟のことを理解しているはずなので本気で仕返したりしないはずだ。
「イテェ!つねんな!」
『新しいの持ってこいーーー!!』
「こらこらこら、喧嘩はよしなさい!織田隊長もいちいちちょっかいかけないでくださいよ、雪華ちゃんも、新しいの持ってきてあげるから手は出しちゃメッだよ。」
雪華は盗み食いした彼の頬をギュッとつねった。多分本気の力では無いはず、多分。
にっしーはまるでお母さんのように二人の仲裁に入っている。
やいのやいのと騒がしい塊りの少し横で、樋口がシガーをふかしていると今野とおやっさんがこちらへ近づいてきた。
「おぅお前ら、よくきけ今日は『お菓子全部食べんな!』
「よく聞けお前ら「そんな食い意地張ってるとぶくぶく太るぜ?」
「お前ら今日はな『失礼な!そんな太ってないしそもそもそれは私のだろ!」
「みんなおやっさんの話を聞「今は大丈夫でもあと二、三週間もすりゃぁちょうど食べ頃になる。」
「お前らおやっさんと今野さんの話を『じゃあその前にお前を食ってやるよ、良い栄養になりそうだな!』
雪華がそろそろ飛びかかりそうになりにっしーが止めに入ろうとすると、全員の目の前をキラリと光る鋭いものが掠めて飛んでいき、にっしーの足ギリギリの床上に突き刺さった。
脇差がしっかりと立っている。
「「……」」
「よ~しお前ら聞く準備はできたなぁ?」
((ヤクザかよ……。))
犯人はおやっさんだ。いくらなんでもやばすぎると皆が思っていたが、見た目もなかなか怖いのと、これ以上何されるかわからなかったので大人しく話を聞くことにした。
まぁ刃物が飛んできたらそりゃ黙るしかない。
「いい話持ってきてやったぞ~。」
口調は呑み会帰りにお土産を持って帰ってきてくれる優しいパパのようだが、無表情なのが怖い。
しかもこのオジサンの“いい話”に本当に良いことがあった試しがないのだ。それもあってか一人を除き皆がげんなりとした表情をしていた。
『ナニナニ!?いい話?私も聞きたい!どっか連れてってくれるの?』
目がビー玉のようにキラキラとしている。何を期待しているのだか……。
「おーぅ雪華、久しぶりだなあ。元気にしてるか?このアホどもにいじめられてねぇか?」
『大丈夫!なんかみんな私と同じレベルだから!』
((え、どう言うこと?同じぐらいのアホレベルってこと?))
とても失礼なことを言っているようだが、いちいちツッコんでいると話が進まないのでとりあえず今は無視をする。
「おやっさんいい話って何か教えてください。」
いつもなら真っ先に絡みに行く翔悟も空気を読んでか話の続きを急かす。
「おう、そうだったな。よ~しいいかお前らよく聞け~。」
((さっきからずっと待ってんだよ!))
先程から同じセリフばかり聞かされて進まないので、顔にイラつきが見え始めていた。
「今回はな……」
怠さとイラつきの混じる面々とおかしな期待をしているアホ……少女が静かに次の言葉を待っている。
「護衛任務だ!」
「「護衛任務?」」
「そうだぞ~。」
一人を除き皆怪訝な表情を浮かべている。
「待て待ておやっさん、俺たちはここら一体に起こる怪奇現象を処理する部隊だ。そういったことは通常業務に当たってる警務部がやることだろ?」
樋口が眉間に皺を寄せ異議を申し立てた。
「でもお前らも警務部の仕事したりすることもあんだろ?」
「いや少しくらい手伝うとかならな!内容も見廻りとか不審者の対応くらいだ。そんな任務は受けたことねぇよ!」
「手当もちゃんとつくぞ~。」
「そこが引っかかってんじゃねぇよ。これ以上人員は割けねぇんだっつーの!」
護衛となると一日中常にその人に付きっきりになる上に交代要員も考えたらそれなりに人数が必要になる。加えてここでの待機隊員、事務や庶務を行う隊員など、常にギリギリの人数でこなしている状態だ。雪華が居たとしても全く足りない。
そんな現状を踏まえて樋口はなるべく人数を多く動員しなければならないような業務は請け負いたくなくて強く反論している。
「ちなみに誰を護衛なんですかー?どっかのボンボンとかだったら俺はパス。」
翔悟は全くもってやる気がないようだ。すでに参加しないことを決めている。
「俺たちに回せるくらいなんですからそこまでの重鎮ではないんじゃないですか?」
にっしーは国にとってかなり重要な立場の人間なら警務部隊で腕の立つ者を配置するだろうと、護衛などしたこともない我々に任せられるならそれ程大変なことはないだろうと推測しているらしい。
「いやいやどんな事だとしても上からの指示なんだからちゃんとやろうよ!」
今野だけは真面目に取り組む気があるようだが、先ほどの飛来した物騒な物に怖気付いたから従うだけだろう。見た目に反して気が弱いところがある。
各人各様というところだろうか独善的というところだろうか、皆がそれぞれにあーだこーだと揉めているのを私には全く関係なさそうだしつまらなそうだと、雪華はその場を離れようとした。
「まぁ聞いてくれって~、此度お前らが護衛する方は
ピクリと雪華の肩が一瞬反応したように見えた。
「誰ですかー?」
翔悟は心底興味なさそうに聞いた。
「アホか!この国の巫女様と呼ばれてる御方だろうが!」
「巫女様?なんじゃそりゃ。」
この馬鹿野郎とどつきそうになっている樋口の代わりににっしーが説明をする。
「藤江家は元々は皇族でしたが特殊な能力を持った方がお生まれになるので表舞台から身を退いた一族ですね、詳しいことは分かりませんがその特殊能力というのも予知能力で、今では裏でこの国の未来を予知なさってあれこれと各省に指示したり現帝にすら下命するほどだと聞きます。真の帝は巫女様だという者もいるようですね。」
「そんなに凄い方なのか!知らなかったぞ俺!」
「あんたは総隊長なんだから知っとくべきだろうが……。」
ふーんとこれまた興味なさそうな翔悟の隣で今野がびっくらこいたと目玉を飛び出させている、いや、飛び出てはいないが本当に何も知らなかったようで驚愕と畏れ多いとで足がガクガクしている。樋口は頭痛がするのかこめかみ辺りを親指でマッサージしていた。
「そういうことだからよ~頼むよ~、断られたらおいちゃんの首スポーンと飛んじゃうよ~。」
強面で白髪混じりのおっさんが、鼻水垂らして泣きついている様があまりに惨めに見えたのだろうか、樋口は仕方ないという顔でため息をつき、気が滅入ったように項垂れて承認した。
「ったく。仕方ねぇな、任務は請けてやるが班編成はこちらで勝手に決めるからな。」
「ありがとうよ~!うぅっ……やっぱお前ならやってくれると信じてたよぅっ!」
手のひらで顔を覆い涙を見せないようにする仕草が態とらしい。
「あぁそうだそうだ、隊員は自由に決めていいが雪華はちゃんと連れていけよ。」
先ほどまでの泣き声も全て嘘のようにケロリとした顔で言う。
「はぁ!?何言ってんだオッサン!」
遂に樋口がキレた。
そりゃそうだ。雪華は隊員ではないのでこの任務には全くもって関係ないはず。そのことにいち早く翔悟も反発する。
「おやっさん雪華は無理ですよ、隊員じゃありませんし、対生きた人間じゃ戦う術なんてないでしょう。」
護衛任務なのだから万が一ということもある。彼女は妖などには対抗する術はあっても、おそらく生きた人間相手では何の訓練も受けていないはずだ。
命の危機に瀕した時に守る相手が増えるのは正直言って負担が大きい。なぜなら今回の件を承認した樋口は班編成を自分と樋口をトップに少数精鋭で臨むつもりなのではと予想しているからだ。
「おやっさん悪りぃがそれは無理だ。今回の件、そもそも人数をそんなに割くつもりは無ぇんだよ、俺と翔悟で腕の立つ奴ら少数で同行する。」
やはり翔悟の予想通り。
「それにこの東京で護衛するわけじゃないんでしょう?遠出するには正直負担がかかりすぎます。」
藤江家は東京から離れた京都にある。わざわざそこまで出向くとなるとやはり少人数でそれなりに幅広く対応できる者のほうが良いだろう。
「いや今回はそこまで遠くない、というより円様御一行が京を出立されたらあちらでも用意された護衛と一緒に湾を経由していらっしゃるそうだ。その途中にある濱杉辺りで合流してその護衛たちも一緒にそこから東京まで下る予定なんだよ。」
どうやら巫女様が東京まで出向くようで護衛も一緒について来るという。それなら少人数で迎えて雪華が加えられても何とかなるのかもしれない。
かもしれないが、なぜ雪華が必要なのだろうか?そもそも彼女が女中業務だけでなく特別警務の業務を少々担うというのはつい最近許可がおりたばかりだ。
加えて、いわばこの国の未来の安寧を担っていると言っても過言ではないほど重要な立場の御方がよくわからない少女を必要とするのか?
彼らの頭に疑問が次々と湧いてくる。
一連の流れをただただ静かに聞いていた彼女が口を開く。
『私も連れてこいというのは藤江家からの直々の命令ですよね?』
「うん、そうだな~。」
んーっと口をきゅっと結び少し思案してから頷いた。
『うん、わかった!そういうことなら断れないし一緒に行くよ!』
しょうがないなぁとでもいう様な表情だが少し楽しそうにも見え、それとは対照的に樋口と翔悟の目は空虚でなぜか真っ暗闇に見える。まるで埴輪のようだ。
「よぉ~し!これで決まりだな!まぁそんな重く捉えずにちょっとした旅行気分で居てくれよ!」
((雅な御方の護衛が小旅行なんて願い下げだわ!))
『今野さんたちには何かお土産買ってくるね!』
「おっありがとう!なんか名産品とかあるのかな!?」
「雪華ちゃんありがとう。楽しみですね。」
「そうだそうだ、お前らが抜ける分おっちゃんもここはサポートできるようにしとくから安心しろ~。」
残りの者たちもなぜだか旅行気分でキャイキャイとお土産やら何やらで盛り上がっている。
それを黒い埴輪二人は憮然とした様子で黙って見ているだけだった。
そんな二人の様子が気になったのか雪華が声を掛けてくれた。
『大丈夫だよ、とりあえず楽しも~!』
「……はぁ。俺は班編成やら残りの業務の引き継ぎやら始めるわ。翔悟、お前も準備しとけよ。」
雪華の呑気さにもうどうにでもなれとでも思ったのか、樋口は諦めた様子で自室に戻って行った。
「何かあんのか?」
『ん?何かってなに?』
埴輪状態から人間に戻った翔悟が問いかける。
「いや、いつものお前ならこういうことは面白そー!とかって積極的に参加するだろ。途中随分静かだったじゃねぇか。」
『んー……別に何かあるとか隠してるってわけじゃないけど、なんだろうね。』
雪華は目線をずらし少し困ったように笑った。
「……何があるにせよだ、困ったらすぐに俺に言えよ。いいな。」
そんな彼女の様子に、今は深く聞かずにただ待とう、そして有事の際は自分が助ければいいと思ったのか深追いはしなかった。
『うん、わかった。』
雪華も彼の気遣いを受け取って素直に頷く。翔悟は少し満足気に頷くと自室に向かおうと、彼女の横を通りぎわにポンポンと頭を軽く撫でて行った。
なんだか小動物扱いをされているようにも感じるが悪い気はしない。きっと自分自身の微妙な変化にいち早く気づき、そして無理にどうこうしようとするのではなく見守ろうと、そういった優しさや思いやりが伝わってくるから自然と受け入れてしまうのだろう。
『きっと今はまだ話すべきじゃないから、もう少し待ってね。』
小さな声で彼の後ろ姿が見えなくなった廊下に呟き、自分の出立準備をするために自室へ戻って行った。
「え、今野さん旅行とか行ったことないんですか?」
「ないんだよなー……彼女とか作っていきてーよー!お願い神様、俺に、俺に彼女をお恵みください!!!」
「そーいや近くの動物園に新しいメスゴリラ入ったらしいぞ、行くか~?」
「ねぇヤダヤダ!可愛い女の子がいい!」
「なんでちょっとオネェ入ってるんですか。」
残りの三人はまだ旅行話で盛り上がっていたようで、女子高生のようにキャッキャキャッキャとはしゃいでいる声が雪華たちの部屋まで聞こえる。
(((ウゼェー……!)))
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