第三話 事件とキョリ
あの“ブチギレせんべい事件”から約一ヶ月程経った。
雪華は隊員達や今野とはとても仲良くなり、樋口とでさえ談笑したりもできるようになっていたのだが、未だ翔悟とは上手く関われないでいる。
そんな二人を見兼ねて、食事当番を一番隊と雪華に任せようと今野が言い出した。
「一緒にお料理すればきっと仲良くなる!」
今野曰く、同じ釜の飯を食う前段階から始める必要があるとか無いとか。
理論は謎だが、大量の食事をなるべく短時間で用意するには手際の良さだけではなく、チームワークも重要になる。
協力をさせ合うことでお互いの良さも知ることもあるだろうし、まあ良い手法だろうという事で樋口も賛成した。
したのだが……
『ちょっと!何それ!そんなの使わない!戻してきてよ!』
「こういうほんの少しの隠し味が大事なんだよ!」
翔悟の両手には大量の唐辛子粉と麻辣ペーストが握られている。
『ふざっけんな!少しじゃないしそんなモン入れたらお腹下すわ!ただの毒だろ!』
はぁ……と深いため息を落とす樋口。
毎日毎日こんな調子で言い合いをしている。
翔悟は女中だけでなく隊員達にも、特に樋口にだけ強めにいたずらを仕掛けて来たりする。
今みたいに食べ物に何か仕掛けようとするのはざらにある。
そんなヤツに面と向かって食ってかかり、堂々と言い合いできるのは、やはりなかなか気が強いように思える。
ただ、止めてくれるのはありがたいが、こう毎日どこでもギャーギャーと騒がれると面倒臭い。
「おいお前らいい加減に」
そろそろ仲裁に入るかと、樋口が声をかけようとした時、隊員が食堂に勢いよく駆け込んできた。
「副隊長!河津籠で鬼火らしきものが上がっているとの情報が入りました!隣の飯屋にも広がる勢いとの事です!」
「何!?あのデケェ旅籠屋か!?広がっちまったら辺り一体火の海になる、すぐに向かうぞ!翔悟!」
その旅籠屋は籠屋としてだけではなく、宿泊施設も併設された町でも一番大きな施設で、政の接待の場としてもよく使われ重鎮もよく宿泊している。
今はもう外も真っ暗な時間になっているのでどれだけの被害が出ることか。
言い合いをしていた二人も緊急事態にいつの間にか静かになっていた。
『放火とかじゃなく鬼火?何か妖とかの仕業かな?』
「さぁね、鬼火に見せかけて放火の嫌がらせとか誰かの呪詛ってこともあるからな。行ってみねーとわかんねぇな。けど戻ってきたら確実におめぇを退治してやるよ。」
翔悟はふんっと鼻を鳴らして第一部隊を引き連れて食堂を出て行った。
『何だとこのクソがき!!!』
雪華は元々お淑シトやかな子というわけでは無いが、あの男から受けるストレスのせいでこの一ヶ月でだいぶ口調が悪くなっている。
なんとも小憎たらしいセリフを置いていったストレスの元凶に飛び蹴りを喰らわせてやりたい雪華だった。
帰ってきたら必ず返り討ちにしてやることを神に誓う。
ムカつきながらも、雪華はこの事件について思うところがある様子で少し真剣な顔になっている。
(辺り一体を燃やしてしまえるほどの鬼火って……)
そして、考え事をしていたかと思ったら、手に持っていた調味料などを放り出して、雪華も食堂を出て行ってしまった。
樋口達が現場に到着すると既に三番部隊が対応していたが、そこはもう火の海と言っても過言では無かった。
ただ不思議なことに河津籠屋だけが燃え盛り、隣近所には火は広がっていないのだ。
やはりこれは小火や放火ではなく、何かしらの怪異によるものと考えられる。
「翔悟、お前は裏から周って中に進入できる所を探せ!」
「わかりました。ただ、この火が怪異によるものなら陰陽寮の奴らを呼ばなきゃならねぇんじゃないですか?」
「あぁ。その中でも五行水元素を操れて力のある者だな。これだけの火力だ。既に急ぎ伝えるように連絡はしているがすぐには来ねぇだろ。」
「何とも呑気な奴らですねぇ。」
「仕方ねぇだろう。良いお家の坊ちゃんどもがステータスで動かしてるような組織だ。」
「俺らが直接鎮めたり出来りゃぁ良いんですがね。」
彼ら特別警務部隊はこの世のものではないモノ、幽霊や妖怪と言ったものを見たり退治することは出来る。だが退治と言っても対象をただ消滅させるだけであって、沈静化したり浄化する術は持ち合わせていない。
陰陽師のように怪異に対処できる何かしらの方術や呪術などは長い期間修行をして身につけるか、元々そういった特別な家系に生まれるかしかない。
「とにかく陰陽師らが来るまで俺たちに出来ることをやるんだ。この怪異の頭を見つけたらソレは俺らが切り伏せる。もしかしたらそれで収まるかもしれねぇしな、わかったな。」
「はーい。」
翔悟は少し不満げに返事をし、樋口に言われた通り内部への進入口を探しに行った。
陰陽師が使うような術の類は、術者自体に大きな負担がかかるもので、使い方や術者の器によっては術者自身が命を落とすこともある。
だからこその彼ら特殊警務部隊なのだ。方術により怪異を鎮め、起因となった妖や妖術使いを特殊な刀で切り伏せ退治する。
分担をすることによって術者の負担を減らし、時間も短縮できるというシステムになっていた。
それでもやはり事によっては犠牲が出るも止む無しと言ったところなので、あまりに大きな事件が起きると陰陽師達も渋るところがある。
所詮今の陰陽寮は良いお家に生まれた人間達がステータスとして官僚になるために集まった様なものだ。
いつも真っ先に現場に到着をし、時には救えない命を目の当たりにする翔悟ら隊員達から見たら、職務怠慢で何とも自己中心的な集団にしか見えないのだ。
翔悟に言わせれば“奴らこそ血の通ってない妖物だ”だそう。全くその通り、自分達に都合の良い物しか選んで来なかった者達は人間の心というものが薄くなっていくのだろう。
そんな奴らと現場を共にしなければならないのをかなり不満に感じるのも当然だ。
だがグチグチ言ってばかりもいられないので、翔悟は自分の為すべきことをとにかくやるのみと気持ちを入れ替えて事件に臨む。
「火の海って程じゃねぇけど、これはかなり厄介ですねぇ。」
樋口に言われた通り内部への入り口を探していたが、なかなか燃えがる炎の勢いが強く苦戦している。
とっとと陰陽師が到着して少しでもこの状況が収まってくれさえすれば、後はこちら側で何とでも出来るのに。
そうもどかしさを抱いてまた苛立ってきていた。
「お、ここなら何とか入り込めそうだね。」
この旅籠屋は町屋造りの3三階建てになっており、館裏の真壁が熱で崩れて人が一人入り込めるくらいくらいの穴が空いていた。
『でもすぐそこの柱がちょっと危なそうじゃない?なんかドゴーって倒れてきそう。』
「あのくれぇならまだ……は?」
進入口を見つけたので、樋口に連絡を取ってから進んで行こうかと考えていたところ、隣から聞き慣れた、この場にはそぐわない女の声が聞こえてきた。
「お前……何でここにいるんだ……」
『この穴あんた入れる?身幅合ってんの?』
「俺の話聞こえてるか!?何でここにいるかって聞いてんだよ!」
『火事と喧嘩は何ちゃらっていうジャーン?』
「意味わかんねぇよお前帰れ!」
『それが人にものを頼む態度かコラー!』
「ウゼェ……何でもいいから帰れ!危ねぇんだよここは!!」
『てゆーか話してる暇あったら早く入った方いい。中にまだ人がいるかもしれない!』
そう言うと雪華は崩れかけた壁から中に走って行ってしまった。
「アホ!戻って来い!」
翔悟は慌てて雪華の後を追って行った。
バチバチと炎の弾ける音と焦げたような臭い。
煙はこもっていなくて吹き抜けから建物の上へと昇り、二階と三階の紅殻格子の付いている開いた窓からモクモクと外に排出されている。
雪華のいる一階部分は、来客者を運ぶ駕籠を保管する場所と調理場や入浴施設がメインのようだ。
逃げ遅れた人がいないか探してみたがどうやら一階には誰も居ないらしく、上階の宿泊施設部に上がるために階段を昇ろうとしていると肩を強く引かれた。
「待て!」
翔悟だ。とても焦った顔をしている。
『いや私犬じゃないんで。』
「ふざけてる場合じゃねぇ、とっとと帰れ。」
『ふざけてないし、この中アンタ一人でどうやって対処すんの?二人で逃げ遅れた人たち誘導した方が良くない?』
「ここは明日から宿泊予定のお偉いさん方を迎える準備で客は他にいねぇよ。従業員も既に外に出した。」
『そう、じゃあ後はこの怪異の原因を突き止めれば良いのね!』
雪華は他に人が居ないことを確認し、また勝手に動こうとした。
それを翔悟が引き止める。
「だから帰れ。お前が出る幕じゃねぇんだよ。」
『他に言い方ないの?なんかムカつくんですけどっ!』
「邪魔だ。」
『それ!その言い方!ゼッッッッタイ女の子にモテないでしょ!』
話の論点がずれていく上に全くこちらの言う事を聞きそうにない雪華に心底腹が立つ。
「あのなぁ!!今はそう言う話じゃ……」
遂に翔悟が声を荒げて無理にでも外に出そうとした時、上から炎の塊、それも直径1メートル程もありそうな大きな火球が幾つも降ってきた。
「危ねぇ!」
咄嗟に雪華を庇おうとしたが彼女の方が先に前に出ていた。
そしてそのまま真っ直ぐに当たる、と思われたがそれは無かった。
『水煙結界!』
雪華は手のひらを合わせ一度合唱をすると火球が落ちてくる天上に刀印を結んだ。
すると不思議なことに、二人を覆う形で厚い半透明な水膜の様なものが現れた。
そのまま火球が当たると吸収されるかのように一瞬で蒸発していく。
「お前……」
翔悟は目を丸くして彼女を見ている。
やはり只者ではなかったようだ。方術を使い結界を張っている、それも瞬時に火球が消えてしまう程強力なものをだ。
二人は暫くその状態のまま火球が止まるまで待っていが、どうやら十個程で終わりのようで、その後は何も降ってこなかった。
「お前何者なんだ?」
雪華が結界を解いたところで翔悟は直球で問う。不可解すぎる。頭が追い付かない。
『今ってそこ重要?』
まるで幽霊を初めて見たかのような翔悟の顔があまりにも面白かったようで、雪華はふふっと軽く笑って答えた。
翔悟は額を片手で軽く押さえてふーと息を吐き、雪華の正体やら何やらは一旦置いておく事にした。
そうだ。今はとにかくこの事件を解決することが最重要なことだ。
『それにどうせ樋口さんが私のこと調べさせてるだろうし?』
その言葉にハッと顔を上げる。確かに樋口が隠密部隊の中西に雪華のことを探るように指示していた。でもなぜそれを知っているんだ。
少し混乱してくる。
「……わかった、今は何も聞かねぇけどこれが終わったらちゃんと説明しろ。いいな。」
色々と頭が痛くなりそうで翔悟はこめかみを軽く押さえた。
『うんいいよ』
雪華も素直に了承した。流石にここまで無理矢理来てこれ以上困らせるのも申し訳ないと思った。
『さっきの、多分一番上から降ってきたし、きっと元凶になるものは3階に居るんじゃないかな。』
「だろうな。」
『このまま着いて行っても良いよね。』
本来なら何が何でもここから出さなきゃいけない、けど、陰陽師どもを待つより少しでも早くこの状況を好転できるなら……。
一般の少女を事件に巻き込むのは良くないが、もし彼女がこれに耐えられるなら、何かしら解決の糸口になるならと、考えあぐねている。
『水なら扱えるよ。さっきみたいに身を守ることもできる。今だけで良いから私のこと信じてくれないかな?』
雪華は真っ直ぐに瞳を見て真剣な顔つきで伝える。先程も雪華がいなければ翔悟は命を落としていたかもしれない。
「……今回だけだ。終わったら速攻隊舎に帰るんだ。樋口さんにも内緒だぜ、お前を連れてったことがバレたらどんなペナルティ課されるかわかんねぇからな。」
『うんっ!わかった!』
ここで意外なコンビが結成。
二人は階段から三階に急ぎ向かった。
その頃、外では樋口が翔悟からの連絡を待っていた。
「翔悟の奴まだか……。」
呟いたところで携帯から着信音が鳴る。ディスプレイには翔悟の名前。
「おせーぞ、何してんだ。」
陰陽師どもも未だ到着する気配も無いことも相俟って苛々とした声で電話に出る。
「さーせん。館の裏に崩れた壁があったんだでそこから既に内部に進入して三階に向かってるとこです。」
「三階?」
「その辺りから火球が降ってきたもんでね。おそらく何かあると思います。」
「火球!?お前怪我は?」
「何とかなったんで大丈夫……」
『そういえばありがとうって言われてないよ!私のおかげじゃん!』
電話の向こうから聞き慣れた女の声がしたが気のせいか。
「バカ黙ってろ!聞こえちまうだろーが!」
『あ、ごめっ』
「とにかく三階に向かって探ってみるんで!じゃ!」
ブツリと慌てたように通話が切られた。
「いやアイツ何やってんの!?何で雪華連れてんだ!馬鹿野郎が!」
制服の内ポケットに携帯をしまうと翔悟達に合流できるよう猛ダッシュで進入口へ向かった。
目的の階へ到着した二人はいつも通り目くそ鼻くその言い合いをしていた。
「黙ってるって話だったのにぜってぇ聞こえてるだろあれ。」
『そんな事よりちゃんとお礼言ってよ!』
「そんな事だと?始末書は全部テメェにやらせるからな。」
『ありがとうは!?』
翔悟は雪華を無視して炎と煙の中を進んで行く。
『ねぇ!聞いてる……!』
雪華がさらに詰め寄ろうとした時、翔悟が抜刀をした。
「おいでなすったぜ。」
二人の前に炎を纏った大きな妖が現れた。
『火車だ……。』
「火車?死人を地獄に送るっていうやつか?」
『ううん、それは地獄の獄卒って言われる鬼が牽く火の車に、罪人の魂を乗せて地獄に連れていく死神みたいな方。』
「鬼?ありゃどう見ても猫だぜ。」
二人の目に映る妖は猫の姿をしている。
尾の数が二又に分かれ体がまるで煤のように真っ黒、金色の瞳は大きく見開かれ口が耳に届かんばかりに裂けている。
あの大きな牙と鋼のように鈍く光る鋭そうな爪で攻撃をされたら一溜りも無さそうだ。
『あれも火車って言われるんだ。悪人や罪人の葬儀に現れて死体を貪り食べるの。その姿は目も当てられない程残酷だよ。』
「尾が二又なら猫又じゃねぇのか。」
『猫の妖も色々あるの。十年以上生きれば化け猫、二十年以上生きれば猫又、三十年以上生きれば
雪華は苦い顔をしながら、身体から炎を生み続け燃え盛るソレを見ている。
呪詛をかけているという事は誰かが故意に仕掛けた事になる。
「呪詛ってのは……」
何故呪詛をかけられたものだと判るのか、聞こうとしたその時。
「グウォーーーーーッ!」
猫とは思えないような、大きく地鳴りがするような咆哮を上げたかと思うとこちらへ向かって突進して来た。
雪華と翔悟は左右に分かれて何とか躱す。
そしてそのまま火車は大きな格子窓から外へ飛び出して行った。
火車は屋根の上へ逃げたようで、二人は後を追おうと格子窓から小屋根に乗ろうとしているところだった。
「おい待て!どこ行くんだ?」
丁度そこへ樋口が到着した。
「雪華お前すぐに帰れ、翔悟も何考えてんだ!」
「樋口さん今はそんな事言ってる暇無いですよ。この上に怪異の元凶である火車がいるんです。急がねぇと。」
「火車だと?そうか、いや、何にしても雪華はもうここで帰れ。」
『この火の海の中を一人で帰れって言うんですか……?』
「……」
『もし途中で柱の下になって死んだらどうするんです?恨みますよ?毎日樋口さんの枕元に立ちますよ?良いんですか?あーあ!私ってなんっっって可哀想な子なのっ!?ここで見捨てられるなんて!!』
「わかったわかった!もういい!仕方ねぇ、けど俺達の後ろに居ろよ、絶対に離れるな。わかったか?」
『は~い』
雪華が面倒臭いのと、何よりここから一人で帰す方が心配になってしまい、仕方なく同行させる事にした。
(樋口さんもこいつのわがままには対抗出来ないみたいだね。くくっ。)
あの鬼のように恐れられる樋口が少女に気圧されているのが面白く翔悟は小さく笑う。むしろ相手が女だからこそ強く出れないのか。
普段は女達にキャーキャー言われて冷たくあしらってクールだ何だと持て囃されているのに。
「話がまとまったようで、そろそろ行きましょう。」
「あぁ。」
『うん!』
屋根の上に登ると逃げてきたはずの火車の姿が無い。
「本当にこっちに来たのか?」
「確実に見ましたよ。」
『絶対いる!』
三人で周りを見渡したり、屋根の端から下を覗き込んでいた。
——カチャ
後ろから何かが瓦を踏む音が聞こえた。
振り返るとすぐ側、目の前に火車が居た。鋼で作られた大きな鎌のような爪を振り降ろしてきた。
「散れ!」
樋口の声に三人は横へ飛び退いて何とか躱した。
だが翔悟と樋口は同じ方向へ避けたが、雪華は反対側に避けてしまい一人になってしまった。
樋口はしまったと焦った。離れるなと言っておきながら一人にしてしまった。
妖も少しは能があるようで、一人で置いてけぼりにされた雪華の方へ向かっていった。
「ちっ、行くぞ翔悟!」
「待って下さい樋口さん。」
もうまさに鋭い爪が雪華の身体を引き裂こうとしていた。
「アホか!本当に死んじまうぞ!逃げろ!」
樋口が声を荒げながら走って近付こうとした。
だが火車は前脚を振り下ろす途中の体勢のまま止まっている。
雪華も逃げずにその場に留まっているようだ。
何が起きているのか、雪華の方に周り樋口は見たのだ。
そこには大きな獣の様なものが居る。
体は鈍色で牛に似ているが首は猪の様にみえ、その頭に大きな曲がった角を生やし、虎の牙を持っている。
「何だこれは!?」
新手の敵かと刀を構える樋口。
『私の式神です!斬っちゃだめですよ!』
「へぇ~これが式神ですか。初めて見るぜ。」
翔悟も物珍しそうにまじまじと見ている。
「式神って……お前が出したのか?」
『そうですよ?
ふふんっと、スゴイでしょとでも言うようにドヤ顔で胸を張っている。
そんな誇らしげな雪華は無視して目の前の光景に集中する。
その饕餮とやらは大きな角で火車の前脚と腹から胸にかけてを押さえつけていた。そこから首を大きく振り上げて後方へ突き飛ばしたのだ。
「すげーな。」
あの大きな体に対抗できるほどの力がある妖もだが、それを使役している雪華もとんでもない人間なのではないか。
『二人とも呆けてますけどしっかり刀は構えといてくださいね?式神自体は妖とか祓ったりは出来ないですからね。』
そうだ。力で対抗し、一時的に相手を怯ませているだけだ。隙が出来れば自分たちで斬り伏せなければ。
「翔悟、俺がヤツの首に斬りかかる。お前は一気に身体全体をぶった斬れ。」
「しくじらねぇで下さいね。」
「あぁ。」
柄を再度握り直し、刀身を火車に真っ直ぐ向ける。
そしてヤツも瓦の上をこちらに向かって走って来る。
饕餮が背中側から
そこへ樋口が素早く斬り込み、翔悟は命じられた通り右足から左肩へ向けて大きく斬り付けた。
火車の身体は斜めに入った斬り込みに沿って
——ドシャッ
それと同時に館中を覆っていた炎が少しずつ小さくなり、最後には全て消えていった。
「終わったか。」
「意外と呆気なかったですね。」
納刀をした二人は屍体を見つめ話していた。
すると倒れた火車の身体がボロボロと崩れ始め、灰になって空中に舞って行く。
そして最後に一匹の小さな黒猫の遺体が残った。
「ただの猫か?」
「いやしっぽの方が二又になってますね。」
どうやら残ったそれは猫又の遺体のようだ。
雪華は傍に座りその小さな身体を膝に乗せた。
「おい、」
『苦しかったね、辛かったね。もう大丈夫だよ。よく頑張ったよ、楽になって。』
横たわる身体を優しく撫でながら話しかけている。
不思議なことに一瞬猫の目が薄ら開いた。そしてゆっくりと眠るように閉じていった。
心なしか安堵しているような、柔らかい表情に見える。
しばらくすると猫の身体は白い光の玉となり空へ飛んで行った。
魂が浄化され天へと昇ったようだった。
『これで終わりです。』
雪華は立ち上がると二人にそう告げ、饕餮へ向いた。
『ありがとう。』
饕餮は小さく頷くとスーッと溶け込むように消えていき、雪華はその後に残った、空中でヒラヒラと舞っている1枚の御札を掴み取り着物の中に仕舞い込んだ。
その一連の行動を黙って見ていた樋口は気になっていた事を聞いた。
「お前陰陽師なのか?」
翔悟は何も言わずにただ聞いている。
『まぁそんな感じです。』
「そんな感じか。」
『はい。』
少しの間、沈黙が流れる。
『こんな女中じゃダメですか?』
樋口達の顔色を窺う様に少し下から上目遣いで不安そうに見つめる。
「……いや、むしろ俺らの職種的には大いに有りだな。」
雪華はパッと明るい表情で顔を上げる。
「それに女中がどんどん辞めてくんで今居なくなっちまったら辛いですねー。」
「それはお前のせいだろうが!」
「えぇ!?」
「何だその顔は、腹立つな!こっちがびっくりだわ!」
雪華は二人の変なコントと追い出されないという安堵にふふふっと笑った。
『もう日も昇り始めてますし帰りましょう!』
「何だかんだ言って日は跨いじまいましたねー。あーねみぃー。」
「翔悟、お前は帰ったら始末書だからな。」
「え、何で?」
「当たり前だろ!一般人巻き込んだんだ!事件現場に連れ歩くなんざ言語道断だ!」
「えぇー……」
『もう早くー!』
雪華がやいのやいのと言い合っている二人を急かす。
朝日の中三人で帰路に着く。
少しずつ互いを知り合って行く中で認め合ったり時にはぶつかったり、何だかそれがとてもこそばゆくふわふわとした心持ちにさせる。
雪華は眩しさと嬉しさに顔を綻ばせていた。
隊舎に帰ってから樋口は報告書を、翔悟は始末書を作成していた。
結局陰陽師達は事件が解決した直後に現場に到着したので、運良く怪異の元凶を鎮められたという事を、彼らの面子を保ちながら報告しなければならなくなった。
樋口の舌打ちが止まらない。
隣で黙々と始末書という名の反省文を綴っていた翔悟がそういえばと何かを思い出したように話し始めた。
「そういやアイツが言ってたんですけど、あの妖は化け猫に呪詛をかけて無理矢理火車にさせたものだって。」
「ほぅ、それは旅籠屋を恨んだどっかの誰かが術師なり何なりにやらせたってことか?」
「さぁ?その辺はどうかわかりませんが、もしそうなら首謀者はどうやって見つけるんですかね?何か糸口とか無いんですか?」
「警務部が旅籠屋に事情聴取してんだろ、それで何かわかるかもな。」
話しながら筆をするすると滑らせていく。
そして翔悟の筆がはたと止まる。
「ただ、俺が一番気になるのは何でアイツはあの火車が作られたもんだってわかったのか、そこが不思議でならないんです。樋口さんは何か違和感とかありました?」
「いや。」
『あの火車の中に小さな猫の魂が見えたからですよ。お茶持って来ましたよ!』
風通しを良くするために障子を開け放していたからか会話が雪華の耳に入ってきたようだ。
お茶請けに金平糖も一緒にある。疲れた脳には糖分だ。とても気が利いている。
「魂?そんなんどうやって見つけるんだ?対峙してた時はデカイ妖の姿だったろ。」
樋口は休憩に葉巻を吸い始めた。ヘッドをカットして葉巻用ライターで火を着け、口の中で煙を味わい噴かす。伏し目がちのキレ目と相俟って大人の色気を感じる。
「つーか魂が見えんのと作りモン?とどう関係があるんですか?」
翔悟はポリポリと金平糖を齧る。何だかハムスターみたいで少し可愛く見える。
『一瞬ですけどあの妖の中に苦しそうな猫の姿が見えたんです。これに関しては能力とい言えば良いですかね?修行とかして見えるようになる人もいますけどね。』
「俺らが普段見てる死霊なんかも魂そのものだろ?それと何が違うんだ?」
幽霊は死人の魂が成仏出来ずにこの世に執着した結果姿を表したものだと言われている。
『んー、そうなんですけど、普段皆さんが見ている霊や妖は魂そのものが体現したもの・魂を持った一個体で、本来の火車は地獄に棲息してる所謂地獄の動物・魂を持った肉体、まぁ私たち人間と同じですね。だから魂が見え隠れするなんて有り得ないんです。あの火車は“魄”に呪詛をかけて操って、そこに“魂”を入れることで力をつけていた、まるで呪いの操り人形みたいな感じでした。』
“魂魄”とは中国の道教における霊についての概念で、“魂”と“魄”という二つの異なる存在があり、簡単にいうと“魂”は精神を“魄”は肉体を司る。
「そうだとしても、あれ程の変化を遂げさせるなんざ術者も相当なヤツなんじゃないんですかね。」
翔悟の言葉に雪華は表情を曇らせた。
『そうだね。でも技術や力量よりもその術者が、ううん、そういう事を依頼する人の心がすごく歪んでいて残酷だよ。妖や鬼が全てあんなに恐ろしくて悪さをするわけじゃない。誰かを恨んで人の命なんてどうなってもいいって、傷つけるために他者を利用して自分の手を汚さない、そんな卑しい生き物は人じゃないしそっちの方がよっぽど恐ろしい本当の化け物だよ。』
樋口も翔悟も雪華の言葉に何も言わず耳を傾ける。
『それにあの猫又だって妖とはいえ命ある生物、人間と同じなのに……ってここで文句グチグチ言っても意味ないですよね!』
「いや、その気持ち分からなくねーよ。」
樋口は葉巻を吸い終わったのか灰皿に置き、報告書の続きを書き始めた。
『……じゃぁ私は夕食の準備にいきますね。』
雪華は樋口の言葉に少し微笑むと部屋を出て行った。
雪華が廊下を歩いていると後ろから声をかけられた。
「おーい、ちょっと待ってくださーい。」
この少し人をおちょくるような言い方をするのはアイツだ。
関わっても面倒臭そうなので聞こえないふりをする。
「待ってくださいってー」
そのまま食堂への廊下を歩き続ける。
「雪華待てって!」
手首を掴まれ立ち止まってしまった。そして雪華は少し驚いた顔で振り返った。
「無視すんじゃねーよ。つーか何でびっくりしてんだ、あの少しの距離で無視された俺の方がびっくりだわ。」
『……名前。』
「ん?」
『名前、初めて呼ばれたから。』
「んー、そうだったっけー?」
少しわざとらしく素知らぬふりをして目をキョロキョロとさせている。
そんな翔悟を、何か言いたいことがあるのだろうと黙って見つめている。
彼は短く息を吐くと雪華の目を真っ直ぐに見返して言った。
「助けてくれてありがとうな。」
『!』
雪華は一瞬驚いた顔をしてすぐに目尻を下げた。
『ふふっ、どういたしまして!』
翔悟は雪華の嬉しそうな顔を見ると、満足気な微笑を浮かべ、くるりと背を向けて来た廊下を戻って行った。
そんな彼の背中に雪華は声をかけた。
『夕食に遅れないでね、翔悟!』
ピタリと歩を止めたが、振り返らずに軽く手を振って返事をし、部屋に入って行った。
何だかとてもこそばゆかった。
胸の奥で何かがピョンピョン飛び跳ねているようで、でも静かな波が押し寄せているようで……。
この感情に名前をつけることができなかった。
ただ、暖かい胸と、ほんの少しだけ彼との縮まった距離に顔を綻ばせる雪華だった。
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