第二話 目には目を、歯には歯を

あの雄叫びと咽び泣きの空間から解放され少し時間が経った。

外はすっかり暗くなっていた。


雪華は荷解きをしている。


(さっそく仕事が始まるのかと思ったけど、今日は宿舎内の案内や今後どんな仕事を主にしていくのかの説明だけだったなぁ。あとは自由にして良いなんてめっちゃ素敵な職場だわ!)


鼻歌を歌いながらテキパキと荷物を片付ける。


雪華のいるこの部屋は元々働いていた女中達が使っていたみたいだが、翔悟の試練という名の嫌がらせに耐えきれず皆辞めてしまい、今は一人も女中は居ないので雪華専用の部屋となった。


中庭とそこに面した縁側もあるので日当たりの良いところでお昼寝も出来るし、広々と使える。

 

加えて安全面も十分な配慮がされていた。

警務部隊は男しか居らず、雪華だけ女子、しかも十八歳というお年頃のため、一応もしもの間違いが何かしら無いように部屋の両隣は今野総隊長と樋口副隊長が、向かい部屋は第一部隊長の翔悟から始まり各部隊長が近くに居るようにしてくれたようだ。


両隣をトップの御二方が固めてくれるのはとても安心感がある。


(けれど問題は向かい部屋の織田隊長だっけ。その人のせいでめちゃくちゃ女中が辞めたのよね……。どんな嫌がらせしてくるのかな。)


挨拶をしたあの会議部屋で死にかけていた隊員は、翔悟のせいだと聞いたのを思い出していた。


『でも、どんなことしてきたって無視して自分の仕事に専念するのみだよね!明日から頑張ろう!』


明日からは宿舎内や周りの人たちとも慣れることを優先とするらしく、業務はしばらく掃除のみになっている。

どんな日常が待っているのだろうか。


雪華は期待に胸を膨らませて初日を終えた。



翌朝、中庭に面した障子窓から、柔らかい陽の光が顔に当たっている。

夏は結構暑そうだから遮光カーテンとか用意しておかなければと、まだ目覚めきらない頭で考えながらぼーっと窓を見つめている。


(今日から仕事が始まる。きっと楽しい毎日になる。うん。)


グーッと身体を伸ばし、身支度をするために起き上がった。


身なりを整え終えて食堂へ向かおうと部屋の障子を開けると、丁度向かい部屋からも人が出てくるところだった。


『おはようございます。』

「   」 


無言で雪華をジーっと見つめている。

挨拶が聞こえなかったのだろうか。


『おは、』

「おはよーさん。」


もう一度挨拶をしようとすると、翔悟はその薄い唇をニタァと歪めて挨拶を返した。


(あ、聞こえていたのね。)

 

それにしても何だか嫌な目線である。

人を品定めするように頭の天辺から足のつま先までジロジロと見ている。

加えて不穏な空気をわざと作り出し、相手に不快感を与えようという意地の悪さも感じさせられる。


「そういえば今日からでしたよね?掃除から始めるんでしたっけ?」

『……はい。』


丁寧な口調で笑顔ではあるが温かみを感じない。

雪華はなるべく会話を長引かせないよう、変に刺激しないように気をつけている。


「頑張って下さいね。」

『ありがとうございます。』

 

翔悟の頑張れとは何に対する激励だろうか。

仕事だろうか、それとも何かしら罠でも仕掛けているから耐えて生き抜けよという事だろうか。少し背中がゾワリとする。

 

食堂へ向かっていく彼の背中を見ながら、これから降り掛かるかもしれない試練に憂鬱になる雪華だった。



食堂へ入ると今野さんと樋口さんが朝食をとっているところだった。


『おはようございます』

「おはよう!」

「おはようさん。」

 

今野さんはまるで太陽のようにニカッと明るい笑顔で挨拶を返してくれる。ゴリラのような見た目に反して、そこにいるだけでホッとするような安心感、癒しを覚える。

 

樋口さんはクールな口調だが冷たく感じるというわけではない。頭が切れ、自分にも他人にも滅法厳しいことで周りからは恐れられているらしいが、話している言葉や所作を見ると人として律するという事に徹底しているだけのようだ。

敬遠されやすいだけでとても信頼できる人物に思える。

 

二人のおかげで、先程の翔悟との緊迫した空気からやっと解放されたような気持ちになる。


「雪華ちゃん、今日からよろしくな!!男所帯でなかなか大変だと思うが、気負わずやりやすいようにやってくれ!」

 

今野さんの気遣いは心をふわっとさせる。

まるで心を柔らかなマシュマロで包み込んでくれるよう。


ほわんとした気持ちでいると樋口が今日の日程を指示してきた。


「まずは掃除しやすい会議室と休憩室(自由室)、各部隊隊員部屋から始めてくれ。各部隊長の部屋は各々が管理しているからやらなくていい。余裕があれば廊下や縁側、障子辺りもやってくれりゃぁ助かる。」

 

先に掃除の場所を決めてくれていたようだ。 


『まずは会議室と休憩室からですね、わかりました!』

 

掃除場所を確認して、配給されている朝食を頂きにカウンターへと向かう。並んでいるおかずなどを自分でお盆に乗せ、好きなところに座って食べるような形になっている。

 

食事は各隊の隊員たちが交代制で当番しているようで、今月は二番隊が食事を用意してくれていた。

なるべく栄養が偏らないように考えてはいるのだが、宿舎内の人数もそれなりに居るので冷凍物が多いのと、職務が苛烈な内容だったりもあるので基本的に簡単に調理しやすいものを事前に多く用意しているようだ。

 

今朝は焼き鮭と卵焼きと味噌汁、白ごはんに小松菜のおひたしというとても美味しそうなメニュー。味噌汁と白ごはん以外は全てレンジでチンという便利アイテムだ。素晴らしい。


(いずれはここも任せてもらえるようになるのかしら……便利とはいえいつも同じようなメニューだときっとみんなも飽きちゃうんだろうな……)

 

食事は基本的に食堂でとるのだが外に食べに行く隊員も多い。

飽きているのもあるし、片付けが面倒くさいのだろう。

 

雪華は食べながら周りをよく観察している。これから毎日関わる人たちだ。いわば家族になっていくようなものなのだから、それぞれの特色や傾向は把握しておいた方がいい。

後で今までの食事メニューリストを見せてもらおうと考えていた。


「舎内の飯はそんな美味くねぇでしょう?」

 

周りを観察していると、翔悟がいつの間にか近くに座っていたようで、部屋の前で会った時とは違う和かな顔で話しかけてきた。


『そんな事ないですよ?精進料理と違ってちゃんと魚肉や卵がありますからね。皆さんの生活の知恵も入ってるので感心してました。』

 

雪華も和かに返す。


(精進料理?こんな若い娘さんが何のためにそんなメシ食ってたんかねぇ……)

 

掴みどころがなくいい加減に見えて、しっかり雪華に探りを入れている。

樋口ほどではないが彼もなかなか頭が切れ勘も良いようだ。


「そうですか。お口に合って良かったです。」


(男所帯で臆することもなく周りを観察してるし、何だか不思議な雰囲気もあるし、本性はどんなモンなんだろうかね。樋口さんにはやめろと言われたがちょっかいでも出してみるか。)


『……はい。あの、私そろそろ掃除始めないとなので行きますね。』

 

この男とはなるべく関わりたくないので早食いをして早々に席を立つ。


「頑張ってくださーい」

 

まただ。部屋の前で会話した時と似たような視線だ。

和かな雰囲気は漂わせているが、何かを企んでいそうな、瞳の奥でこちらを探っているような……。

 

なんだか逃げたくなってその場を切り上げ足早に持ち場に向かった。

 

翔悟はそんな雪華の後ろ姿を面白いおもちゃでも見つけたかのように、楽しそうに見ていた。



会議室はかなり広く、各部隊が収まるほどである。毎朝ここでその日1日の業務を確認し、必要事項等を周知している。

そういったこと以外で使うことはあまり無いので埃を叩いたり簡単な掃き掃除で十分なくらい元々綺麗だ。

 

休憩室は結構狭いが他の部屋に比べて汚れが多く、隊員たちがソファで横になったり、テレビや動画などを観ながらお菓子を食べていたりもするので、食べかす等がかなり散らばっていた。ここは念入りに掃除した方がよさそうに見える。

 

次々と手際良く掃除していた雪華だったが、気付けばソファに寝転がっている人物がいた。


『あの、できればちょっとそこを空けて頂きたいんですが……』

「あーすいません、ちょっと休憩したくて。」

 

翔悟の少し間伸びしたような、人をイラつかせるような言い方に若干ムッとする。


『……食堂とかじゃだめですか?すぐ終わらせるのでちょっと待って欲しいです。』

「いや俺はせんべいはここで食うって決めてるんで。」


(意味わかんねぇよ。普通に邪魔なの!しかも折角綺麗になったとこに食べかすこぼしてんじゃん!)


『……わかりました。食べ終わったら空けてくださいね。』

「は~い」

 

なるべくイライラを抑えて笑顔で対応する。この人と衝突は避けたい。面倒くさいことになりそう。


(というか、休憩早くない?仕事は?)

 

色々と言ってやりたいことはあるが我慢だ。

 

雪華は翔悟がここにはいないものとして淡々と作業を続ける。


そしてそのまま他の場所を終えてからまた休憩室に戻ってきて食べカスだらけのソファ周りを掃除し直した。

身体的よりも精神的な疲労の方が勝る感じがする。

 

たった1日で何故だか1週間経ったような疲労感がある。今夜はゆっくりお風呂に浸かり、ドロッとしたスライムのような、ぬるぬるする気持ちを綺麗さっぱり洗い流したいと溜息をつく雪華だった。



翌日になり同じように掃除をするように指示された。

 

毎日よく使用する場所は基本的に毎日掃除をするようにとのことだ。それ以外に関しては週1回程のペースで良いらしい。

 

食糧庫や日用品庫は週2~3の頻度で確認と、不足している物は発注や買い出しに行くようで、後々は任せようと考えていると言われた。

 

任せてもらえる事を増やすためには雪華のこの隊舎内での信用を積み上げて行かなければならない。さらに気合が入る。


(今日もしっかりやってもっと信頼してもらえるように頑張ろう!)

 

元気良く休憩室の障子をスパーンと勢いよく開ける。


「おぅ、おつカレーライス」

 

翔悟がソファで煎餅を食べている。カレーせんべいだ。


もう一度障子を閉めて開けたら消えてないかな。もし消えてなかったら首を絞めたいな。


(ムカつく。ギャグがいっそう腹立たしい……。)

 

ふぅーっと湧きあがった苛立ちを吐き出し物騒な妄想も頭の隅に追いやり、なるべく笑顔を作る。


『お疲れ様です。休憩ですか?』

「おー」

『そうですか。』

 

もう無視だ無視、虫ケラだ。そう思って雪華は自分のやるべきことに集中する。

それでもソファやその周りにボロボロと食べカスが落ちていくのが目の端に入ってきてしまう。


(はぁ……またここに戻ってきてやり直しか……。ほんとむかつくなコイツ。)

 

雪華の中ではもうコイツと呼ぶほどの存在になってしまった。

どんなに腹がたっても関わると面倒くさそうなので我慢をしていた。まだ理性を保って対処出来てはいる。

 

きっとこんなことを前に居た女中達にも繰り返していたのだろう。そりゃ辞めてくし募集を掛けても集まらないはずだ。

そして予想通り、他の場所を終わらせてからまたソファ周りを掃除し直した。

 

こんなことが毎日続かないように祈りたい。


しかしこの祈りは完全にフラグが立ってしまっている。



またまた翌日。

 

昨日よりも早目に掃除をしに来た。来たのだが……。

障子を開ける前からわかってしまった。

バリバリと堅いお菓子を噛み砕く音が聞こえている。どうせアイツだろう。

 

わざわざ時間を変えてここに来たのになぜ居るのだろうか。ずっとここで待っていたのか、それとも頭の中を読まれて先回りしてきたのか。

どっちにしろものすごい執着力だし馬鹿馬鹿しすぎる。もっと他のことに労力を割けば良いのに。


『……。』

 

中に入ると目の端に寝っ転がっている黒っぽい物体がある。

 

目線を送るのすらもやめた。キッチンで黒くテラテラと光りコソコソと逃げ足の速いアレと同じだと思おう。

雪華は徹底的に無視をした。


「……。」

 

向こうも話しかけてこない。

 

この空間にあるのは、ただただバリバリボリボリと堅いものが砕けていく音だけ。そして積もっていく塵だけ。

結局、同じように他の場所を終わらせてからまた戻ってきた。もうしんどい。雪華の顔から表情が消えている。



そしてさらに翌日。休憩室の障子の前に立ち、よく耳をすませた。


(ん?)

 

昨日までとは違い、中から咀嚼ソシャク音は聞こえないし、人のいる気配も無い。今日も時間を変えてきたのだが当たりだった。

 

雪華はあの男に勝ったという気持ちでニヤニヤしそうになるのを抑えて、ルンルン気分で掃除をした。


いつもよりも気合が入ったおかげで、休憩室だけではなく毎日掃除している廊下もこれ以上にないくらいピッカピカに仕上げたのだ。埃叩きから掃き掃除、拭き掃除まで念入りにした。

今日は本当にとても気分がいい。

 

縁側に座ってお茶を飲んでいた今野が雪華に声をかけてきた。


「雪華ちゃんありがとうな!各部屋もだが、廊下もこんなに綺麗にしてくれて!」

 

隣で一緒にお茶していた樋口さんも続けて声をかけてくる。


「隊員達だけだとここまでしっかりできねぇからな。助かる。」

 

二人とも雪華の真面目な働きぶりと、細やかに行き届いた清掃に感謝の言葉を述べる。


『ありがとうございます!』

 

今日は本当にいい日だ。

 

変なやつの邪魔も無いし、自分のしたことを認めてもらえて褒められるなんてと、雪華はもう鼻歌でも歌い出しそうなほどウキウキしている。

 

今日はこのままいい気持ちのまま1日を終えられると思っていたところに……


「皆さんお揃いで。」

 

例のあの人が現れた。

とある有名な闇の魔法使いではないがそれに等しい人物だ。


「翔悟、菓子ならどっかの部屋で食え。」

「まぁまぁゆうじ、翔悟も茶飲むか?」

 

樋口が注意をしたが、今野はどうやら翔悟に甘いようで一緒にお茶をするよう勧めている。


そのままソイツは雪華がピカピカに磨き上げた廊下の上で煎餅を食べ続けている。

 

塵一つ無い輝く床の上にカスがボロボロとこぼれ落ちていく。

雪華はただただその塵を見つめている。


「ん?どうしたんですかー?」

 

黙ったままの雪華に、声音にまでニヤニヤとした表情がついているようなイヤらしい翔悟の声が掛かる。

 

それを見ていた樋口がもう一度注意しようとした時だった。


「ドスッッッ!!」

 

まるでボクサーがサンドバッグを打ったような強い音がした。

そして同時に翔悟が腹を抱えてうずくまっていた。低い小さな声で苦しそうに唸っている。


「ッてめぇ何しやがる!!」

 

目の前に立つ雪華を睨み上げていた。

 

樋口や今野、周りにいた隊員達も、一瞬何が起きたかわからなかったが、雪華が翔悟の腹にアッパーカットを繰り出し、見事鳩尾にテクニカルヒットしていたのだ。


「え、ちょっ、翔悟大丈夫か!?」

 

今野が駆け寄ろうとした時、さらにドスッという音が聞こえた。

今度は縁側から転がり落ちていた。


雪華が蹴り飛ばしたのである。

 

皆が呆然としている中、静かに、それでいて強くはっきりとした声が聞こえた。


『その粗大ゴミ出しといてください。』

 

雪華は感情のこもっていない瞳で転がり落ちたソレを指差していた。

 

そして何事もなかったかのようにその場を掃除し始めたのだった。

 

翔悟は痛みに悶え、縁側から落とされた堅い地面の上で唸っている。

うぅー……と苦しそうな声を出し、まるで虫のようにモゾモゾしているソレを無視し、雪華は一人プリプリと怒りながら別の場所へ掃除に行ってしまった。

 

御愁傷様と言うべきだろうか、自業自得とも言えるのだが、自分が今までしてきたことはどんな形であれ、必ず返ってくるということだ。

彼にはいい薬になるだろう。

 

後にこの出来事は“ブチギレせんべい事件”として部隊内で語り継がれていくのである。

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