第5話【調】

与太2

【調】





 人生の唯一の意義は、人のために生きることである。


            トルストイ




































 第5章【調】




























 「兄貴が病室からいなくなった!?なんで!?何処に行ったの!?」


 「知らねえよ。病院から連絡があった」


 「あんな怪我で何処行ったんだろう・・・」


 「とにかく俺達で手分けして探そう」


 「林くんと大ちゃんどうするの」


 「連れて行くに決まってんだろ」


 「でも危なくない?」


 「じゃあどうする?置いていくか?」


 そう言いながら白波が星羅の後ろに視線を向ければ、そこにはすでに戦闘体勢のような格好をした林人と大地がいた。


 「遊びじゃないぞ、白波」


 「こいつらだってそれくらい分かってるよ」


 「なら・・・」


 「兄貴に何かあったら俺たちが助ける。弟の俺達全員で、兄貴を助ける。当然だろ」


 「・・・・・・」


 「僕も兄ちゃん探すもん!兄ちゃん見つけるもん!!」


 「オレも。兄者絶対見つける」


 未だ林人と大地を見て心配そうな顔をしている星羅に、白波が言う。


 「星羅、こいつらだって俺達と同じくらい兄貴のことが心配なんだ。兄貴のこと助けたいんだ」


 「でも」


 「それに、人探しなら俺達よりこいつらの方が得意なんじゃねえの?な?」


 「僕視るよ!!兄ちゃんのこと視る!」


 「オレも。動物(みんな)に聞く」


 「・・・・・・はあ。わかったよ。ただし、絶対に俺と白波から放れないこと。いいね」


 「やったー!!!!!」


 「うん」


 「じゃあ、兄貴捜索始めるぞ」








 「ばあちゃん、どうしてみんなは霊が視えないの?」


 「ばあちゃんたちが視えるだけなんだよ」


 「ばあちゃんは霊が怖くないの?」


 「怖くは無いねぇ」


 「どうして?」


 「霊はもともと人間だからね。ばあちゃんたちと同じように生きていた人達なんだよ。それなのに、霊になったら怖くなるものかい」


 「でも悪さをするよ」


 「それは一部の霊さね。みんながみんな悪さをするわけじゃないんだよ。悪さをする霊だってね、何か訴えたいだけなんだ。もう話すことが出来ないから、生きてる人と意思疎通が出来ないから、なんとかして伝えようとしているんだよ」


 「何を伝えたいの?」


 「色々あるねぇ。寂しさとか、苦しさとか、見つけてほしいとかね。世の中には、あまりに突然亡くなってしまったばかりに、自分が死んだという事実を受け止められない霊も沢山いるんだ。そういう霊はあまりに不憫だ」


 「不憫?」


 「まあ、可哀想ってことだね」


 「霊は可哀想なの?」


 「ばあちゃんはそう思ってるよ。調はどう思うんだい?」


 「俺は・・・わかんない」


 「それはこれから調が感じていくことさ」








 「ねえ知ってる?あそこの家、霊が視えるんだって。除霊とかやってるらしいよ。やばくない?なんか怪しくない?」


 「今時除霊ってなに?」


 「まあ、オカルト好きはいるからね。金づるなんじゃないの?」


 「あそこのおばあちゃん見たことあるよ。なんかいかにもって感じのインチキくさい感じしてた」


 「確か男の子いたよね?その子も視えるんでしょ?」


 「えー、そうなの?嘘っぽいんだけど」


 「あ!来た来た!」


 1人通学路を歩く男の子は、少し癖っ毛の黒い髪を靡かせていた。


 男の子が通り過ぎるのを待ち、その場にいた数人の男女はちらちら見ながら何かひそひそと話している。


 足を引っ掛けられ転んでも、雨の日に傘を壊されてしまっても、土手から押されて川に落ちてしまっても、沢山蹴られても、殴られても。


 男の子は毎日学校へ通っていた。


 先生たちもあまり気にしていないようで、男の子は一日中誰とも話すことはなかった。


 「ばあちゃんただいま」


 「おかえり、調。どうしたい、また怪我して」


 「なんでもない。白波は?」


 「今寝ちゃったんだよ」


 「なんだ」


 家に帰るとすぐ、男の子、調はランドセルを適当に置いて弟の顔を見に行く。


 「調、ちゃんとランドセルをしまっておいで」


 「はーい」


 「調、学校は楽しいかい」


 「楽しくないよ」


 「どうしてだい?」


 「話が合う奴がいないから」


 「話って?」


 「ブンブンレンジャーとか」


 「それは残念だねぇ」


 こうした他愛もない話をして少し経つと、調は畳の上で丸まって寝てしまう。


 これはいつものことだった。


 調の身体に毛布をかけると、トントン、と優しく身体を叩く。








 「お前さ、霊が視えるんだろ?」


 「・・・・・・」


 「俺も視てくれよ。どんなのがいる?それが分かったら友達になってやるよ」


 「・・・・・・」


 「やっぱりインチキなんだな!そんなことだろうと思ったぜ!インチキですって謝れよ!霊が視えるなんて嘘ついてごめんなさいって言えよ!土下座しろ!」


 「・・・・・・」


 教室について早々、調は絡まれていた。


 いつの時代にもこういう奴はいるもので、数人の仲間と思われる男の子たちを引き連れて調の席の周りを取り囲んでいた。


 謝れ謝れと五月蠅くて、調はずっと黙っていた。


 しかしそれが気に入らなかったらしく、調の目の前に立っていた男の子が、いきなり胸倉を掴みあげてきた。


 「聞いてんのかよ!?」


 「・・・・・・」


 「耳聞こえてんのか!?」


 そう言うと、調の耳を引っ張る。


 調は自分の耳を引っ張っているその腕を掴むと、ぐりん、と捻って手を放させる。


 「いってぇ!!!!何すんだよ!!」


 「こいつ!!ぶっ殺してやる!!」


 「は?」


 やっと調の口から声が発せられたかと思うと、それは思っていたよりもずっと低くて、冷たい声だった。


 調を取り囲んでいた男の子たちはみな一定の距離を取りながらも、未だ調に向かって罵詈雑言を浴びせる。


 そのときチャイムが鳴り、教室に先生が入ってくる。


 「みんなどうしたの?」


 「先生!こいつの暴力振るわれた!!」


 「遊意くん、ちゃんと謝ったの?」


 「こいつ嘘吐きなんだ!こいつのばあちゃんもみんな嘘吐きなんだよ!!」


 「遊意くん、謝りなさい、早く」


 調は黙ったまま、先程机の中に入れたばかりの教科書やら筆箱やらを全てまたランドセルに入れていくと、無言のままランドセルを背負って教室を出て行こうとする。


 その時、また男の子が調に対して何か言ってきたため、調は一度足を止める。


 そして、こう言った。


 「お前と友達になりたいなんて露ほども思ってないし、土下座くらいで満足するようなことなら最初から喧嘩吹っ掛けてくんなよ。面倒だから」


 「なっ・・・」


 そのまま真っ直ぐに家に帰ると、調を迎え入れてくれる声がする。


 「おや、どうしたんだい」


 「別に」とだけ調が答えると、白波を抱っこして近づいてくる。


 「調は頑固だねぇ」


 「そんなことないよ」


 「何があったんだい」


 「・・・いいんだ。どうせ先生も誰も信じてくれないし。何言ったって無駄だもん」


 「そうかねぇ」


 「俺のこと信じてくれるのはばあちゃんとじいちゃんだけだよ」


 「そりゃ、調のばあちゃんとじいちゃんだからねぇ」


 「だから、それでいい。俺はそれ以上なんて求めてないから」


 「・・・・・・調、見てごらん」


 「・・・・・・」


 優しく諭すような声に、調はまだ小さい白波を見る。


 もちもちとした小さな手、まだ歩くことも出来ない足、見るもの全てを信じる目、キャッキャと笑う声。


 気付くと自然に白波の手を握っていた。


 「可愛いねぇ」


 「・・・うん」


 「私たちが守ってやらないと生きていけない、弱くて脆いねぇ」


 「・・・うん」


 「調、これからは、お前が守っていくんだよ」


 「・・・ばあちゃんは?」


 「ばあちゃんも守っていくよ。けど、お前たちより先に死ぬのが自然の摂理さね。そうなったら、ばあちゃんは直接何もしてやれなくなる。そうだろ?」


 「・・・・・・」


 「お前が、守っていくんだ。ばあちゃんがいなくなったら、白波が頼れるのはお前だけなんだ」


 もう一度白波へ視線を向ければ、調の手をぎゅっと握りしめ、自分の口に入れていた。


 「他人なんざ気にしなくていいさ。いつか信頼出来ると思えた人が出来た時、信じればいい」


 「・・・・・・」


 「何があっても、この子と、これから生まれてくるお前の弟たちのことだけは、信じてあげるんだよ。そして、守っておやり」


 「・・・これから生まれてくる弟?」


 そう調が聞けば、声の主は優しく微笑んだ。








 翌年、星羅が誕生した。


 「白波、ちょっと待って。星羅のオムツ交換しないといけないから」


 「にーに、飯」


 「待ってって!!白波!あ!星羅おしっこしたーーー!!!」


 「ほれ頑張れ頑張れ。良いお兄ちゃんになるんだろう」


 「ばあちゃん!こいつらモンスターだよ!全然言う事聞かない!!」


 「赤ちゃんはそういうもんさ」


 「げっ!!白波が一点集中でこっち見てる!絶対うんちしてる!!!!」


 「はっはっはっは」


 「ばあちゃん!!!!」


 四苦八苦していた調に手を貸せば、なんとかオムツ交換が終了し、白波と星羅のご飯を用意する。


 相変わらず学校では厭味を言われたりするが、何か言われている間も白波や星羅のことを考えていたため、気にすることもなかった。


 それからしばらくしたころ、調は白波を連れて散歩をしていた。


 さすがに星羅はまだよちよちのため家で待っている。


 自分よりも小さい手を強く握りしめながら、どこかに行ってしまわないようにと、手を握っているのにちらちらと白波のことを見ながら歩く。


 近くの公園まで来るのになぜか酷く疲れてしまった調だが、白波は公園の真ん中に立ってぼーっと立っていた。


 何が楽しいのだろうと思って見ていると、白波はオムツを穿いているのが分かるお尻を調に向けながら、よちよちと砂場の方へ向かって行く。


 そこにしゃがみ込むと、片手をずぼっと勢いよく砂に突っ込む。


 そして砂を掴むように手を握ってまた勢いよく抜く、というのを繰り返していた。


 「・・・何が楽しんだろう」


 そんなことを思って見ていると、見知った顔が近づいてきた。


 「お、嘘吐き野郎だ」


 「こんなところで何してんだよ」


 「あれ弟か?嘘吐き野郎の弟だからあいつも嘘吐きなんだぜ」


 「馬鹿みてぇ!何してんだあれ」


 折角楽しい公園に来たというのに、と調はため息を吐きながら白波を連れて帰ろうとしたのだが、それよりも先に調の周りを取り囲まれる。


 さらに、2人の男は白波の方へと向かって行く。


 「兄弟揃って嘘吐きなんだろ?」


 「生まれてきてごめんなさいって言えよ!」


 「お前らなんていなくても誰も困らねえんだよ」


 男たちは、次々に調に殴りかかってきた。


 口の中は切れるし鼻血も出てくる。


 それだけならまだ耐えられたのだが、白波の方へ行った男たちもまた、白波に何かしようとしていた。


 白波の腕を引っ張ると、後頭部を掴み、砂場に顔面から思い切り突っ込ませる。


 「・・・!!!!」


 調の中で、何かが切れた気がした。


 「うわっ!!!」


 「いってぇ!!」


 なりふり構わずとでもいうのか、調は男たちを殴り返した。


 「こ、こっち見ろ!ひ、人質だぞ!!」


 そう言って、白波の方に行っていた男たちは、白波の腕を掴んで調にみせつける。


 一度動きを止めた調にまた襲いかかろうとした男たちだが、それは出来なくなった。


 なぜなら、白波が男の腕にかぶりついたからだ。


 思っていたよりも強い噛みつきに男は悲鳴をあげ、その悲鳴にびっくりした男たちが動きを止めた間に、調は他の男たちも殴り倒した。


 「ふう・・・。疲れた」


 「ちかりたね」


 「なんでお前も疲れたんだよ」


 「なんでだろうね?」


 「・・・・・・」


 噛み合っているのかいないのか分からない会話に、調は一度頬を膨らませて拗ねたような顔になるが、その後すぐに笑った。


 「さすが俺の弟だな!」


 「だな」


 「でもな、ばっちぃからダメだぞ」


 「ばっちぃのダメ」


 「そうそう」


 ボロボロになって家に帰れば、調は消毒されて包帯をぐるぐる巻きにされる。


 それを白波と星羅がじーっと見ている。


 「こんなに血だらけになって。痛かっただろう」


 「平気だよ。な、白波?」


 「痛いのダメ」


 「白波が俺を助けてくれたんだ!ありがとな!」


 「???」


 白波は首を傾げて調を見ていたが、調はそんな白波をぎゅーっと抱きしめる。


 すると、星羅がハイハイしながら近づいてきて、調と白波の間に割って入ろうとしてきたため、調は星羅にこう言った。


 「星羅、ちょっと待ってろ。今は白波の時間だからな」


 調の言葉を理解しているのか、星羅は無理矢理そこに入るのを止めたかと思うと、違う膝の上に座って大人しく待っていた。


 しかし、待てど暮らせど自分の番が来ないため、星羅は短くてぷよぷよしている足をバタバタと動かし始める。


 一方、白波は調の腕の中で、その温もりが伝わっているのか伝わっていないのかわからないような、なんとも言えない表情をしていた。


 調が満足すると、ようやく星羅の番が来る。


 調と白波の距離が放れた途端、星羅は素早いハイハイで調のもとまで行って、まだ膝から下りてない白波を引きはがすようにして調に抱きつく。


 「すげぇ。星羅怖ぇ」


 半ば強引に引きはがされた白波は、特にこれといった感情を見せることなく、調と星羅のことを見ていた。


 「面白い子たちだねぇ」


 「白波も星羅も可愛いけど、俺はもっとばあちゃんに抱っこしてほしい」


 調の言葉に小さく笑うと、両腕を広げる。


 「ほら、おいで」








 それから1年も経たずに、その人はいなくなった。


 その日は雨が降っていて、自分が泣いてるのかどうかさえ、わからなかった。


 ただ確かだったのは、少し前から調にははっきり視えている、その、黒くてガイコツのような恐ろしい顔をした姿があったこと。


 「俺のせいだ・・・」


 あんな影見つけて、あんなもの連れてきて。


 「俺のせいだ・・・」


 大事な人を失った。守れなかった。


 「俺の・・・」








 「はあ・・・はあ・・・」


 調は、白波たちが持ってきてくれていた服に着替えると、病室からそっと抜け出した。


 決して万全ではないが、今はそれよりも行かなければならない場所がある。


 少し曇り空になってきた。


 これから雨になるのだろうが、傘を準備する時間ももったいない。


 そして雨がぽつぽつと降り出してきた頃、ようやく目的の場所に着いた。


 「よお」


 「・・・お身体はよろしいのですか」


 「まあな」


 そう言いながら調は男の前に置いてある椅子に腰かける。


 足を適当に組んで頬杖をつくと、男に向かって口角をあげて話しかける。


 「俺が死んでたらお前は“殺人罪”だったぞ。良かったな、俺が死んでなくて」


 「なんのことでしょう」


 「悪ィけど、俺には最強の守護霊がついてんだ。お前ごときにゃ殺されねえよ」


 「先程から何を。人違いではございませんか?」


 「思い出したんだよ、お前のこと」


 「・・・ほう。どのようなことを?」


 頬杖をついていた手を下ろすと、調はきゅっと唇を一瞬だけ噛みしめてから、ゆっくりと話し出す。


 「お前、あんときの兄貴だったんだな」


 「・・・・・・」


 「あんときは、髪黒かったよな?」


 「・・・・・・」


 「確か名前は・・・“三宅尚也”」


 「・・・名乗った覚えはない」


 口調の変わった男にも、調はただただ落ち着いた声で話す。


 「ばあちゃんが教えてくれた」


 「ばあちゃん?」


 「申し訳ない」


 「・・・・・・」


 いきなり調が頭を下げてきたというのに、男、尚也は驚いた様子もなく、ただただ調の後頭部を眺める。


 頭をゆっくりあげながら、調は話す。


 「お前の妹、助けられなくてごめん」


 「・・・・・・」


 「俺のせいだ。言い訳はしない」


 「・・・・・・」


 「弟が、教えてくれたんだ。怖かったと思う。それでも、お前らのこと助けたくて俺に教えてくれたんだ。それなのに、俺はお前らのことを助けてやれなかった」


 「・・・・・・」


 「お前にとって何より大事な妹を、助けてやれなかった」


 「・・・・・・ッ」


 「だから、お前に恨まれても「何様なんだよッッッ!!!!!!」・・・」


 調の言葉を遮って尚也は叫ぶ。


 数回深く肩で息をしたあと、尚也は苛立たしそうに椅子から立ち上がりながら頭からかぶっていた布を取る。


 白い髪に顔の半分ほどを覆う火傷のあと、そして片方の目だけにある違和感。


 すでに土砂降りとまではいかないが、それなりに降っている雨に、尚也の髪はあっという間にしぼむ。


 調は先程より目線を上にすると、尚也をじっと見る。


 「さっきからなんなんだよ!!なんでお前が謝ってるんだよ!!謝るくらいなら妹を返せよ!!!!・・・ッそれが出来ないならッ、いくら謝れても意味が無いッ!!!」


 「・・・・・・」


 「妹はまだ10歳だった・・・。俺とは違って優秀で、みんなから好かれる奴だった。それなのに・・・ッ」


 尚也は、鼻声のまま続ける。


 「なんでッ・・・。俺なんか助けたんだよッ・・・・・・!!」


 「・・・・・・」


 「俺なんか助けなくていいからッ・・・!水子をッ・・・・・・!!!」


 静かにしている調は、尚也の肩あたりをずっと見つめている。


 「そんなこと言うな」


 そっと耳に入ってきた調の言葉に、尚也は鼻を啜りながら睨みつける。


 「お前に何がわかる!!兄弟を失ったことのないお前なんかに!!俺の苦しみなんかわかるはずがない!!!」


 「・・・ああ。俺にはわかんね」


 「お前も失えばいいんだ!!そうすれば俺の気持ちが少しは分かるだろう!!!!」


 「・・・お前には悪いが、それはさせねぇ」


 「なに!?」


 「弟たちに手ぇ出したら、誰だろうと、そいつがどんな過去背負っていようと、俺は絶対に赦さねえ」


 「・・・はっ。許さねえ?んなこと知るか。本当はお前が死んで終わりだったはずだけど、それならお前の弟を殺してやるよ。今度は失敗しねぇ」


 「・・・やっぱりな」


 「?やっぱり?」


 ふう、と調が小さくため息を吐く。


 すでに前に落ちてきてしまっている髪を少し後ろにかきあげて移動させると、尚也の方を見る。


 「俺に憑いてたのは、死神なんて可愛いもんじゃなくて、お前の生き霊だったんだな」


 「生き霊?何の話をしてるんだ?」


 「お前に同情しねぇわけじゃねえ。俺だって、もし自分だけが助かって弟たちが死んだら、お前と同じように俺を助けた奴を責めるかもしれない」


 雨足が徐々に強まってきて、他の人たちはみな建物に避難をしたり傘をさして急ぎ足で通り過ぎて行く。


 そんな中、調と尚也だけはそこに留まる。


 「お前に憑いてるのは、俺が助けてやれなかった、お前の妹だったんだな」


 「え」








 「憑いてる?妹?何を言ってるんだ、さっきから・・・」


 「俺な、霊が視えンだ。お前に初めて会ったときから、ずっとお前の後ろにいるんだよ」


 「嘘を吐くな。そんなことを言って誤魔化せると思うなよ」


 「別に信じなくてもいい。慣れてるからな」


 「・・・・・・」


 「けど、お前のことずっと守ってるよ。だから俺は、お前の妹を成仏させることは出来ねぇ」


 調は尚也の後ろにいる妹に向かって微笑みかけると、それに妹も応えたのだろうか。


 尚也にはそれを確認する術は持っていないが、それでも、なんとなくそんな気はしていた。


 そんな非現実的な話を信用出来るかと言われると難しいところでもあったが、調が嘘を吐いているようには見えなかった。


 雨が激しくなっていくと、ふと、尚也は調に背中を向けてどこかへと向かおうとする。


 「何処行くんだ?」


 「・・・お前には関係ない」


 「関係ねぇってことはねぇだろ」


 「早く病院に戻れ。みんな心配してるぞ」


 「おい」


 その時、嵐のように風が強く吹いてきて、一瞬だけ調は目を瞑る。


 次に目を開けたとき、もう尚也の背中が小さくなっていた。


 「兄貴―――――!!!!!」


 「げっ」


 「なに、その反応」


 「いや、なんか怒ってるじゃん。これ怒られるやつじゃん」


 「当たり前だよ!!どれだけ心配したと思ってるの!?なんで病院から抜け出したりしたの!?」


 「兄ちゃんだ―!!!!!」


 「よかった。兄貴ひとまず生きてた」


 「ひとまずって言った?」


 「兄者」


 調を探していた白波たちだった。


 真っ先に見つかった星羅によって簡単にお説教をされたものの、それよりも安心したのが勝ったらしく、星羅は目元を拭っていた。


 「悪い悪い。ちょっと野暮用でな」


 「・・・兄貴、あの人追わなくていいの」


 「んー、1人になりてぇのかな、って考えてた」


 白波が、まだ背中が見えている尚也の方を指さして聞けば、調は首を捻る。


 すると、白波がこう言った。


 「追い掛けた方がいいよ。やばい色してるから」


 「え、やばい色って何」


 「俺もそう思う。あの人、自分で決着つけようとしているみたい」


 「え、決着って何」


 「兄ちゃん、あの人、痛いことしようとしてる!止めて!」


 「痛いこと?」


 なんとなくの察しがついた調は、自分1人で尚也を追いかけようとしたが、白波たちは付いて行くと言ってきかない。


 「あぶねぇから」


 「兄貴病人じゃん」


 「病人じゃねえよ。怪我人だ」


 「ほら、怪我人だ」


 「とにかく、雨も激しくなってきたから早く帰れって。もしくは近くのホテルとかに泊まっちまえ」


 「兄貴」


 「なんだよ」


 「兄貴って霊は視えるし話せるけど、人間相手だとあんまり意味ないじゃん」


 「え、それ言う?酷くね?意味ないとか言う?兄ちゃん泣くけど」


 「兄貴」


 「なんだよ」


 「俺達の頑固さって、兄貴からきてるよね」


 「・・・・・・」


 なんだかよくわからないが、ぐさ、と身体に何か突き刺さった感じだ。


 調は険しい顔をしながら、白波、星羅、林人、大地と順番に見ていくと、ため息を吐く。


 「ったく。しゃーねーな」


 「よし。どこに行ったかは大地、頼んだぞ」


 「らじゃ」


 「ただし、お前らは手ぇ出すなよ、いいな」


 「「「「わかった」」」」








 「水子、ごめんな。ごめんな。ごめんな」


 とあるビルの屋上、尚也は雨の中立っていた。


 少しボロボロになった妹と2人で映った写真も、強い雨と風にさらされてどこかへ飛んで行ってしまいそうだ。


 「お兄ちゃんも、そっちに逝くから」


 「いやいやいやいや、止めておけって。おすすめはしねぇよ」


 「また邪魔しに来たのか」


 尚也が後ろを向けば、そこには調と、調の弟たちと思われる男たちがいた。


 「お前、何考えてんだよ」


 「妹のところへ逝くだけだ」


 「“逝くだけだ”って。近所のコンビニに行くのとはわけが違うんだぞ」


 「当たり前だ。近所のコンビニに行くわけじゃないからな」


 「おっと。まさかの反応。なんでさっきまで俺に突っかかってきた癖にいきなりこんなことしようとしてんだよ」


 「・・・お前のせいじゃないことくらい、わかってた」


 「・・・・・・」


 林人と大地が風邪をひかないよう、白波と星羅は自分が羽織っていた上着をそれぞれにかける。


 小さなくしゃみが聞こえると、身体を摩って体温を保とうとする。


 雨のせいなのか、それとも病院から抜け出したせいなのか、調の頭に巻かれていた包帯が解けていく。


 「あれは、お前のせいじゃない・・・。俺のせいだ」


 「・・・・・・」


 尚也のその言葉に、調は思わずぴくりと眉を潜ませる。


 尚也は写真を見つめながら、ぽつりぽつりと話し出す。


 「あれは、俺のせいなんだ。俺が起こした火事なんだ。俺が、悪いんだ・・・。俺が、水子を・・・」


 「お前が起こした?」


 「・・・あの日、水子の誕生日だったんだ。でも親は帰りが遅くなるから、2人で先にケーキを食べることにした」


 「・・・・・・」


 「俺が準備をしてて、蝋燭に火をつけたんだ。だから、火事になった」


 「・・・・・・」


 「水子を驚かせようと思って、俺が、蝋燭に火をつけた。それがカーテンか何かに燃え移ったんだ。だから・・・燃えた・・・」


 「・・・・・・」


 「俺が、殺した」


 ざー、と雨の音が激しいにも関わらず、尚也の声は調の耳にちゃんと届いた。


 ゆらりと立ち上がった尚也は、屋上の端の方までゆっくりと足を進めていくと、誰かに腕を後ろに引っ張られた気がした。


 その後、ぬくもりのある腕によって、同じように引きとめられる。


 「俺はお前を恨んだんだぞ」


 「そうだな」


 「お前を殺そうとした」


 「参ったよ」


 「お前を逆恨みして、妹を殺したって責めて、お前の弟も殺すと言った」


 「おう」


 「なのにどうして止めるんだ。俺が死んだところで、お前には何の影響もないはずだ」


 「・・・影響ねぇ」


 尚也の言葉に、調は後頭部をぽりぽりとかく。


 そして、小さく笑った。


 「確かに、俺達がいなくなったところで、他人には影響なんてほとんどねぇよな」


 「兄貴・・・」


 「どうせみんな他人事だからよ。人の不幸なんて対岸の火事だ。自分さえ良けりゃいい連中が多い」


 「だから、俺は」


 「でもな、それでも、影響なんざなくても、悲しむ奴が1人でもいるなら、生きてなくちゃいけねぇんだって、俺は思う」


 「・・・俺には、もう家族がいない。誰も悲しまない」


 「本当にそうか?生きてる奴だけが悲しむのか?生きてる奴だけが家族か?」


 「・・・・・・」


 「死んだ奴だって、悲しむんだよ」


 調にそう言われ、尚也は思わず自分の近くにいるのであろう妹のことを思い浮かべる。


 しかし、ぐ、と唇を噛みしめてから、調に噛みつくように言う。


 「嘘っぱちだ、そんなもの」


 「・・・・・・」


 「霊なんて、いるはずがない。いたとしても、俺のことを恨まないはずがない!!」


 「・・・・・・」


 「俺がいつ死ぬのか、きっと待ってたんだな、水子」


 「違うよ」


 尚也の言葉を黙って聞いていた調だったが、雨が降り注ぐ暗い空を見上げている尚也に、白波が否定の言葉を届ける。


 尚也だけでなく、調も白波へと顔を向ける。


 そこには、いつも通りの白波がいるだけだ。


 そしていつもの口調で、諭すわけでもなく、優しく寄り添うわけでもなく、ただ、白波は視えるものを伝える。


 「あんたの妹、恨んでなんかいないよ。そんな感情、さっきから全然視えない」


 「・・・お前、何言って・・・」


 「俺は人の感情が視える。普通は霊とかの感情が視えないはずなんだけど、多分、霊の気持ちが強いのか、それはわからないけど。でも、あんたの妹が今強く想ってるのは、あんたに死んでほしくないっていう、あんただけには生きてて欲しいっていう感情だよ」


 「感情?一体・・・」


 白波に続くように、星羅も伝える。


 「ずっと自分を責めてたのかもしれないけど、それが妹さんを悲しませてるよ」


 「え・・・」


 「あなたのことを恨んでなんかいないのにって。自分のあなたへの気持ちが伝わっていなかったのかって。あなたしか、頼る人がいなかったから」


 「・・・お前ら、なんなんだよ」


 「後悔してんのは、あんたよりも妹の方だろ」


 白波の言葉に、尚也は目を見開く。


 「大好きなあんたに、感謝を伝えることもないまま亡くなったんだ。悔しくて仕方ないはずだ」


 「だからこそ、きっとあなたの傍にいたんだ。いつか伝えられると信じて」


 ちら、と星羅が調を見る。


 そして、こう続ける。


 「兄貴みたいな人が、あなたと出会うのを待ってたんだ」


 「・・・・・・」


 そう言われ、尚也は調へと視線を戻す。


 すると、調は小首を傾げながら、歯を見せて笑った。


 「俺の自慢の弟たちだ」


 「・・・・・・」


 雨が徐々に弱まってくると、それまでまともに目を開けられていなかった林人がようやく目を開く。


 「林くん、どうした?」


 「・・・あのお兄ちゃん、笑ってる」


 「え?」


 林人がそんなことを言っている間、一歩一歩、調は尚也に近づいて行く。


 そっと腕を差し伸べると、尚也は自分へと差し出された腕と調の顔を交互に見る。


 小雨になってくると、薄ら太陽が空からこちらをちらちら見てくる感じがして、尚也は思わず足を後ろへ引く。


 「!!!!!」








 「あぶねぇあぶねぇ」


 落ちてしまいそうになった尚也の腕を、調が思いきり強く引っ張った。


 そしてそのまま、尚也のことを抱きしめていた。


 尚也は、震える声をなんとか振り絞る。


 「お前ら・・・なんなんだよ。俺は他人だぞ。他人の人生に首突っ込んでくんなよ」


 「本当な、無視出来たら楽なんだろうけどな。生憎、それが出来ねえ兄弟なんだわ」


 「なんだそれ」


 尚也の背中を、まるで林人や大地をあやすときのように優しくぽんぽんと叩きながら、調は冷たくなっているその身体に温もりを伝える。


 「妹の分までしっかり生きろなんて、んな偉そうなこと俺には言えねぇ」


 「・・・・・・」


 「俺だって、あいつらが急にいなくなったらどうなるかわからねぇ。人間だからな。そんな強くねぇよ」


 「・・・・・・」


 「弱くて脆い生きものだ。それでも、誰かのためなら生きていける。その誰かがいなくなったとき、どう生きるか、それを決めるのはてめぇしかいねぇ」


 「・・・・・・ッ」


 「けどな、きっと、大切な人を残したまま亡くなった人ってのは、残してきた大切な人には長く生きてほしいって思ってるはずだ。強く、逞しく、何があっても笑っててほしいと思ってるはずだ」


 「うっ・・・ッッ」


 「お前の妹も、そう思ってる。これからどうするかは、お前次第だけどな」


 「・・・ッ、俺は」


 尚也が何か言おうとしたところで、調の脚裏に小さな衝撃が襲う。


 何が起こったのかと思っていると、久しぶりの調が嬉しいのか、満面の笑みを浮かべた林人がいた。


 「林人、今いいところなんだけど」


 「兄ちゃん!僕もぎゅってして!」


 「なにそれめちゃ可愛いんだけど。でもな、林人今兄ちゃんはこのお兄ちゃんをな」


 「さっき林人がその人『笑ってる』って言ってたよ」


 星羅が林人の後ろを追いかけてきて、調の脚にしがみついている林人を引きはがそうとするが、思ったよりも力が強くて剥がせない。


 「ダメだ。林くんは力持ちだなぁ」


 「星羅、もうちょっと頑張ろうな」


 ふう、と小さくため息を吐くと、調は自分に引き寄せていた尚也の身体を少し放す。


 「これからもお前の傍にいるってよ」


 「え」


 「大丈夫だ。お前が笑ってる未来が視えたってよ」


 「え」


 「信じなくてもいい。俺達の言葉をどう受け止めてどう受け入れてどう感じるかは、お前次第だからな」


 「・・・・・・」


 未だ林人を引きはがせないでいる星羅は、引きはがす心算でいるのかいないのか、林人の脇をこちょこちょしているだけだ。


 キャッキャと楽しそうに笑っている林人。


 「お前ら・・・一体なんなんだよ」


 「俺達はな、ただのお人好し家族だよ」


 「・・・ふっ、なんだよそれ」


 それから、尚也は晴れた空を見上げると、調たちと一緒にビルを下りていき、頭を下げる。


 「ありがとう」


 「気にすんな」


 「それにしても、変な兄弟だな」


 そう言って尚也は調の後ろにいる弟たちのことを見る。


 調も弟たちのことを見ると、小さく笑う。


 「だろ?」


 尚也は調の返事に肩を揺らして笑った。








 尚也が立ち去って行くと、急に背中にズシッとした重みを感じる。


 「え、なにこれ。子泣きジジイでも俺にとり憑いたの?」


 「兄ちゃん!!!!!」


 「兄者」


 自分の顔の横にひょこっと小さな顔が現れたかと思うと、その顔からは出せるものが全て出ている。


 自分の肩に襲いかかってくるそれらに、調はただ驚いたような顔をする。


 「うっわすっげ鼻水なんだけど」


 「しょうがないよ。林人も大地もいっぱい心配して、いっぱい我慢してたんだから。ね?」


 自分の背中にのしかかってきた重みに、調は顔をほころばせる。


 「でもな、兄貴一応怪我してるから。そろそろ下りてな」


 「やだ!」


 「お前に拒否権はねぇ。強制だ」


 「やだやだーーーー!!!!」


 「嫌だ」


 「こらこら、兄貴の服掴まないの」


 白波と星羅がそれぞれ林人と大地を必死に引きはがそうとするのだが、小さな手で必死に調の服を掴んで抵抗している。


 相当ふんばっているらしく、林人も大地も面白いくらい顔の中心にパーツを寄せていた。


 「白波、星羅、いいよ」


 「でも」


 調は一旦腰と膝を曲げると、林人と大地に自分の前に来るように伝える。


 すると、林人と大地はすぐさま背中から調の前へと移動する。


 一気に無くなってしまった背中の重みになんとなく寂しさを覚えながらも、調は目の前にある笑顔に触れる。


 そして、2人を抱きしめる。


 安心したのか、林人が泣きだしてしまうと、それにつられるようにして大地まで泣きだしてしまった。


 背中を優しく摩りながら、調はより一層強く、2人を抱きしめる。


 「ごめんな、心配させて」


 こんなに力が強くなったのかと思うほど、林人と大地の手はしっかりと調のことを掴んでいる。


 「ありがとな、兄ちゃんを助けてくれて」


 わんわん泣いている林人と大地、そしてそんな2人をずっと抱きしめている調のことを、白波と星羅は微笑みながら見ていた。


 一度病院へ戻った調たちは、当然のように医者たちに注意されたのだが、不思議なことに脳への損傷も残っておらず骨折も治っていたとのことで、翌日必ず病院に来るという約束で家に帰れることとなった。


 家に帰る頃にはすでに眠ってしまっていた林人と大地を、白波が着替えさせてから寝床に寝かせるため部屋に入り、星羅は調が入るだろうとお風呂を沸かしに向かう。


 2人を寝かしつけた白波とお風呂の準備をした星羅が戻ってくると、調が2人に近づいてきた。


 なんだろうと思っていると、調は白波と星羅の腕を引っ張り、それぞれの後頭部をぐいっと自分の肩にあてる。


 頭をぽんぽんとされながら、久しぶりに感じるすぐそこにある調の体温や温もりに、白波も星羅も目頭が熱くなった。


 「世話かけたな」


 「・・・ッ」


 昔から、調からは何か良い匂いがする。


 香水をつけているわけではないし、柔軟剤の匂いとかでもない、わからないのだが、温かい匂いだ。


 それは何歳になってもきっと、自分たちを安心させるんだろうと、白波と星羅は顔を調にすりつける。


 「ありがとな」


 「ッ、本当だよ。兄貴がいなくなって、大変だったんだからなッ」


 白波の文句を、調は笑いながら聞く。


 その間もずっと、2人の頭を撫でていた。


 「お前らがいてくれて助かった」


 鼻を啜る音が聞こえてくる中、調は顔をあげてどこかを見ていた。


 「良かった・・・ッ、兄貴が無事で」


 星羅がそう言うと、白波が顔を調から放してすぐそこにある調の目を真っ直ぐ見つめる。


 それに応えるように調も白波の目を見る。


 「俺達が、兄貴のこと支えるから。支えられるように、助けられるように、応えられるように、頑張るから」


 随分大人びた表情になった白波に、調は目を丸くする。


 星羅も涙を拭いながら顔をあげる。


 白波と星羅の顔を交互に見ると、調は目を細めて微笑む。


 そして、また2人のことを抱きしめる。


 先程よりも強い力に、白波と星羅はただされるがままに寄り添う。


 「いつだって、俺はお前らに支えてもらってるよ」


 「え」


 「いつだって助けてもらってる。いつだって応えてもらってる」


 「・・・・・・」


 「いつだって、お前らのこと頼りにしてるよ」


 その調の言葉に、白波と星羅はなんだか恥ずかしそうに、目線を外す。


 「あーーーーー!!!ずるい!!」


 「あ」


 寝たと思っていた林人と大地が起きてきてしまい、白波と星羅が調に抱きついているように見えたのか、白波と星羅を調から引きはがそうと小さい身体で必死になっている。


 大地も膝の裏を攻撃するなどして、調を奪還しようとしていたため、白波と星羅は調から離れようとしたのだが、調が放してくれなかった。


 「兄貴」


 「ん?」


 「いや、林人たちが」


 「んー」


 「んー、じゃなくてさ」


 なぜか自分たちを放さない調に声をかけるが、調は顔をひょこっと出して林人と大地を見ると、こう言った。


 「今はこいつらの時間だから。ちょっと待ってな」


 「ええええええええ!!!!ずるいずるい!!僕も兄ちゃんとぎゅってするもん!」


 「兄貴、俺たちもう・・・」


 「え、兄ちゃんを甘えさせてくれんじゃねえの?」


 「甘えさせるとは言ってないよ」


 「辛辣―。でももうちょっと」


 「・・・・・・」


 足元でぶーぶー言っている声が聞こえてくるが、今はなぜか少しだけ優越感が白波と星羅を埋める。


 しばらくすると、先に星羅が調から抜け出した。


 驚いた顔をした調に、星羅が言う。


 「白波は兄貴に甘える時間短かったでしょ。林くんと大ちゃんは俺が相手するから、ちょっとだけ独り占めさせてあげるよ」


 「・・・・・・」


 そう言うと、星羅はいつもなら簡単には連れていけないはずの林人と大地をひょいっと抱っこすると、リビングに連れていってプロレスごっこを始めた。


 残された白波は、なんとも言えない感情で満たされている。


 「白波」


 「なに」


 「お前は、俺にとって初めての弟だ」


 「うん」


 「我儘もあんまりさせてやれなかったな」


 「・・・・・・」


 「たまには我儘言えよ。兄ちゃんらしいことさせてくれや」


 「・・・・・・うん」


 こうして自分のことも見てくれているだけでいいのだと言わずにいることが我儘なのだと、白波は言葉を飲む。


 その時間を堪能しようとしていた白波だったが、ぐいっと後ろに服を引っ張られる。


 「なんだよ星羅」


 「もう放れてよ。次俺の番だから」


 「は?独り占めさせてあげるよ、とか偉そうなこと言ってただろ」


 「“ちょっと”って言ったじゃん」


 「もうちょっと待てよ」


 「もうちょっとってどのくらい?」


 「はいはい、そこまで」


 調はもう一度だけ白波をぎゅっとしたあと、星羅のことも抱きしめる。


 「ん?」


 すると、調の足にぎゅーっと抱きついている小さい影が2つ。


 「兄ちゃん!まだなの!僕待ってるのよ!」


 「オレも。待ってる」


 頬を膨らませて待っている林人と大地に、調は笑いながらソファに向かう。


 そこに座れば林人と大地はそれぞれの足に座るため、あとはぷにぷにしている腰をホールドするだけ。


 「兄ちゃん!もう勝手にいなくなっちゃダメだよ!わかった!」


 「はいはい」


 「はいは1回」


 「はい」


 「兄ちゃん!僕うんちっちしたいけど、兄ちゃんから放れたくない!」


 「兄ちゃんから放れねえと用足せねぇだろうが。お前、兄ちゃんをうんちっち塗れにする心算か?」


 「臭いね」


 「わかってんならさっさとトイレ行ってこい」


 林人は我慢しようとしたのだが、我慢出来ないと判断したため急いでトイレへと向かう。


 林人がいなくなるとすぐ、大地が調の身体のど真ん中を牛耳ろうとしたのだが、林人はその気配に気付いたのか、はたまた未来を視たのか、振り返ってこう忠告する。


 「大地!兄ちゃんのこと独り占めしちゃダメだからな!」


 「わかった」


 「ならよし!」


 「いや、大地分かってねぇよな」


 すでに調の真ん中をででん、と自分のテリトリーとしていた大地は、悪びれた様子もなく寝始める。


 なぜこの状態を見て林人も「よし」と言ったのかは不明だが、面白いと言って調はケタケタ笑っていた。


 案の定、トイレから戻ってきた林人は自分の居場所がないことに気付き、大地を無理矢理どかそうとしたのだが、白波に注意されてしまった。


 林人を注意したあと、白波は椅子に座ってテレビを見ていたのだが、林人がじーっと白波を見てきて、なんだろうと思っていると、てとてと歩いてきて白波の膝に乗った。


 調も白波も星羅も驚いていたのだが、林人はじーっと目を細めて大地のことを見ていたそうだ。


 「俺はただの椅子か?」


 「面白ぇ奴らだな」








 「兄者兄者」


 「お、大地どした」


 「四男林人が次男白波の足にはさまってる」


 「・・・は?」


 朝食の準備をしていた調のもとパジャマ姿の大地がやってきたかと思うと、そんな変なことを言っていた。


 どういうことだろうと思って調が寝床を見に行くと、そこにはまだ布団にくるまっている白波の姿があった。


 足にはさまってるとはどういうことかと思いつつ布団を剥がしてみると、そこに大地はいた。


 横向きに寝ている白波の足の間、もっと正確に言うなら太ももの間から、大地が首だけちょこん、と出して寝ていたのだ。


 白波と同じように横向きで寝ているが、苦しくないのかと心配しつつ、調は笑いを堪えながらまずは写真を撮った。


 「兄貴何してるの」


 顔を洗って髪をセットしていた星羅が声をかけると、調は喉を鳴らしながら笑って白波たちの方を指さした。


 「すごくね」


 「うわ。見たくない構図」


 「なんでどっちも起きねぇかな」


 「お互いの温もりを感じてるからじゃないの」


 「林人苦しくねえのかな」


 「どうなんだろうね」


 「あ、白波が寝がえり打った」


 「林くんも一緒に打った」


 「・・・・・・」


 「・・・・・・」


 「なんか大丈夫そうだから放っておくか」


 「そうだね」


 「大地―、早起きチームで飯食うぞー」


 「はーい」


 それから2時間ほどして、白波が目を覚ましたとき、まだそこに林人はいたそうだ。








 「え、俺はジェットコースターの安全バーなの?」


 「お前も“兄ちゃん”に近づいたな」












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