第4話【囀】

与太2

【囀】




 花はなぜ美しいか。ひとすじの気持ちで咲いているからだ。


            八木重吉




































 第四章【囀】




























 調の意識はまだ戻っていなかった。


 先日より医者や看護士たちもバタバタしておらず、定期的に調の容体を確認しに来る、といった具合だ。


 「星羅、一旦帰ろう」


 「うん」


 運ばれたきた時より幾分か落ち着いたようだが、まだ回復の見込みまではいかないそうだ。


 白波と星羅がずっと交代で調の傍にいたが、家のこともままならないため、ひとまず2人とも家に帰ることにした。


 林人と大地はすでに椅子に横になって寝てしまっていたため、白波と星羅がそれぞれ抱っこをして行く。


 「・・・・・・」


 「・・・・・・」


 朝方の帰り道は、いつもとは違って見える。


 少しだけ肌寒い風がゆっくりと2人を通り過ぎていくと、どこからか美味しそうなカレ―の匂いがする。








 林人は、遊意家で多分一番、思ったことをすぐ口に出すタイプだろう。


 未来が視えると分かったのも、林人がそれを口にしたからだ。


 普通に道を歩いていても。


 「兄ちゃん、あの人赤ちゃんいるね!」


 「兄ちゃん、もうお肉売り切れてるよ!」


 など、事件事故、結婚妊娠、その他日常のことまで視えるらしい。


 林人が興味を持って視ないとちゃんとは視えないのか、世の中全ての事柄が一気に視えるわけではない。


 視えたら視えたで大変だろうが。


 「林人、何してんだ。学校行くぞ」


 「なんで兄ちゃんじゃないの!なんで白兄なの!なんで兄ちゃんは大地と幼稚園に遊びに行くの!!なんで僕とダンゴムシごっこしてくれないの!」


 「大地が兄ちゃんの服をこれでもかっていうくらい強く掴んで放さねぇからだ。それに遊びに行くわけじゃねぇぞ。つかなに?ダンゴムシごっこって楽しいの?」


 「俺が嫌なら星羅になるけど」


 「僕も兄ちゃんと幼稚園行く!ふんころがしごっこする!」


 「林人はもう小学生だろ。幼稚園生じゃないだろ。つかなに?ふんころがし?どっち?ダンゴムシじゃねえの?」


 「そうだよ。林くん、幼稚園の卒業式で堂々と挨拶してたじゃない。よくできてたね。元気だったね」


 「兄ちゃんは!学校行くでしょ!」


 「行かねえよ。何が悲しくて成人迎えた大人が小学校行って弟と一緒に勉強すんだよ」


 「一緒にべんちょーしよ!」


 「林人、お前がいくら可愛くてもな、兄ちゃんは勉強が嫌いなんだよ。絶対しねぇからな」


 「べんちょー面白いよ!ずっとね、お絵かき出来るんだよ!」


 「あれ、林くんそれ違うね。べんちょーじゃないね」


 駄々をこねる林人だったが、渋々白波に送られて学校へ行った。


 学校に送っている間、ずっと林人は拗ねていたのかと思えば、どうやらそうでもなかったらしい。


 「最後はスキップしてた」


 「切り替えが早ぇのは良いことだ」


 「林人の後姿見て、ランドセルって大きいんだなぁ、って改めて思った」


 「ダンゴムシごっこって何?ただ丸まるだけの遊び?それって遊び?ただでさえ身体丸い時期なのにさらに丸くなるの?あれ以上可愛くなるの?どういうこと?」


 「日陰で丸まるんじゃないの。さすがに足増やすことは出来ないから」


 「え、ダンゴムシごっこって丸まるか足増やすかの二択なの」


 「だって知らないもん。そんな遊びしたことないから」


 「あいつ家では走り回るのによそ様ではダンゴムシごっこなんてしてるの?人見知りなの?内弁慶なの?」


 「林くんってクラスに馴染めてるの?」


 「俺とか星羅とは違って素直だから」


 「俺だって素直でしょ」


 「どこが」


 「は?全部だけど」


 「お前はもっと自分を見直した方がいい」


 「なにそれ。白波こそ自分探しの旅にでも出かければいいのに」


 「お前にだけは言われなくねぇ」


 「まじで喧嘩売ってんな。たかが1年早く生まれて来たくらいで」


 「されど一年だけどな」


 「は?」


 「あ?」


 「お前ら本当に仲が良いなぁ」


 「「仲良くない」」


 白波と星羅の声のハーモニーを聞き、調はケタケタ楽しそうに笑う。


 白波と星羅は互いの顔を睨みつけると、その後ぷいっとそれぞれ逆方向を見る。


 ふと、調が何か開いて微笑んでいるのに気付く。


 「兄貴何見てるの」


 「んー?アルバム」


 「・・・あ、それ林くん?」


 「そうそう。見てこれ。すげぇ顔してる」


 そう言って調が指差したのは、オムツをしている林人が、オムツに何か違和感があるのか、眉間にシワを寄せてカメラ目線を向けている写真だ。


 他にも調、白波、星羅がそれぞれ抱っこしている写真や、鼻水を垂らしながらピースしている写真、大地が生まれたばかりのときにじっと大地を見ている写真など。


 「あ、これ星羅だ」


 「え、これ俺?」


 「どこ見てんのこれ。面白ぇ」


 楽しそうにしている調は、小さい星羅がぼーっとどこかを見ている写真を指さす。


 「これは白波だな。この頃は恥ずかしがり屋さんだったなー。懐かしい」


 「ほとんど兄貴にくっついてるじゃん」


 「んなわけねぇだろ」


 「見てみなよ」


 ずっと椅子に座っていた白波だが、星羅に挑発されるように言われたため、調と星羅がいるソファの方へと近づいて行く。


 ひょいっと顔を覗かせてみると、そこに映っている自分は、確かにほとんどが調の後ろに隠れたり、調の服を掴んでいるものだった。


 「小さい頃なんてそんなもんだろ」


 「は?俺はこんなに兄貴にひっついてないけど」


 「ここにねぇだけでお前だってすごかったんだよ。兄貴がちょっとトイレ行こうとするだけで足にしがみついて大泣きしたんだからな」


 「そんなことないよ」


 「あるよ。結局、兄貴がトイレのドア開けながら、星羅に見られながら用足してたんだから。衝撃的すぎて覚えてるよ」


 「あったあった。まじ複雑な気持ちだった」


 「・・・・・・」


 調にもそう言われ、星羅は黙ってしまう。


 白波と星羅も、それぞれ別のアルバムをペラペラめくっていると、ふいに調が思い出したように言う。


 「そういや、お前ら2人が俺の左右の腕をそれぞれ引っ張ってよ。確かどっちと風呂入るとかだったかな。結構強く引っ張られて、俺脱臼しかかったことある。あれ?肩外れたんだっけ?」


 「「・・・・・・」」


 「白波はまるで背後霊のように俺の後ろにいるし、星羅はコアラのように俺の前にいるし」


 「「・・・・・・」」


 「すげぇ可愛かったけど。いや、今も可愛いけどよ」


 「そういえばさ」


 照れた様子の星羅が、アルバムを全て簡単に見たところで何かに気付く。


 「兄貴の小さい頃の写真ってないね」


 「そりゃねぇだろ。小さい俺に自撮りしろってか?そもそもこの辺の写真は俺が撮ってんだぞ。あとはばあちゃんとじいちゃんかな」


 「兄貴の小さい頃ってどんなだったの」


 「俺?んー・・・。そうだな。今と変わんねえと思うけど」


 「・・・兄貴、自分の写真どっかに隠してる?」


 「え」


 「まあいいけど」


 白波と星羅は各自が見ていたアルバムをしまうと、リビングに向かってそれぞれ飲み物を用意する。


 ソファに残された調は、まだそこに別のアルバムを開く。








 「・・・・・・」


 「・・・・・・」


 「おかえり、林人」


 「・・・・・・」


 調が小学校まで迎えに行くと、いつもなら満面の笑みで突進してくる林人が、なぜか困ったような、そんな顔をしていた。


 小走りに近づいてくると、調の脚にぎゅっとしがみつき、顔を埋めてしまう。


 調はゆっくり歩き出すと、それに合わせるように林人も足を動かす。


 「林人」


 名前を読んで腕を伸ばせば、林人は調に向かって短い腕を伸ばす。


 調はその両脇を抱え、抱き上げる。


 背中をぽんぽんしながら歩いている間も、林人は顔を調の肩あたりに埋めており、なんとも静かな帰宅となった。


 「どうしたの」


 「んー、どうなんだ白波、星羅」


 「「・・・・・・」」


 家に帰ってからもずっと大人しい林人に、白波と星羅は林人を視る。


 その横では、大地がみんな集まってどうしたのかと、ちょこちょこ歩いてきて白波の背中からひょこっと顔を覗かせる。


 そこにいる林人の様子に気づくと、なぜか大人しく白波の隣で正座をする。


 「林人、何か怖がってるみたい。いつもと全然色が違う」


 「そうだね。怖いものを視たっぽいけど、『怖い』『忘れたい』ってのが占めてるから、詳しいことは視れないな」


 「そっか。ありがとな」


 白波と星羅で林人を視たのだが、まだ小さいこともあってか、何がどう怖いのか、どうしてそう感じたのかまではわからないようだ。


 2人に御礼を言うと、調は未だ自分にひっついたままの林人を連れて寝床に向かう。


 「・・・・・・」


 「星羅、どうした」


 「ん・・・」


 ふと、白波は星羅がじっと寝床の方から目を逸らしていないことに気付き声をかける。


 星羅はまだ視ようとしているのか、それとも心配で林人を視ようとしているのか、白波の声に星羅は曖昧な返事をする。


 そんな星羅は珍しいと思っていると、胡坐をかいた状態で膝部分に肘をついて頬杖をつきながら、拗ねた子供のような顔を見せる。


 「なんだよ、んな顔して」


 「あ?」


 「兄貴に構ってもらえなくて拗ねてるときの林人みてぇな顔」


 「すごく可愛い顔じゃん」


 「そっちじゃねえよ」


 ふう、とため息を吐くと、星羅はぽつりぽつり話し出す。


 「なんかさ」


 「うん」


 「思考が視えるっていっても、大したことないよね」


 「・・・・・・」


 「林くんが何かに怯えてるっていうか、そういうのは分かってもさ、背景が視えないから。俺は映像として思考が視えるわけじゃなくて、単純に言語化されたものが視えるだけだから。詐欺師相手とかならいけるんだけどな」


 「・・・・・・」


 「って思って」


 「・・・・・・」


 「・・・・・・」


 「・・・なんか言ってよ」


 「いや、何言ってもどうせ厭味だと思われるだろうなーと思って。お前ひねくれてるから」


 「は?」


 白波はどこということもなく、適当なその辺を見ていた。


 それから大きな欠伸をすると、林人が背負っていたランドセルに手を伸ばし、中を開けて連絡帳などを確認する。


 「俺だって林人の感情しか視れねぇ」


 そう言いながらペラペラと連絡帳を確認すると、宿題などが出ていないかの確認も行う。


 今日は特にないことを確認すると、国語のノートを徐に開いていく。


 どこかの頁で手を止めると、落ち着いた声で口を開く。


「俺たちは万能なわけじゃない」「・・・・・・」


 「でもそれでいいと思う」


 「・・・・・・」


 「俺たちは1人じゃ万能じゃない。万能になれない。だから一緒にいる」


 「・・・・・・」


 「家族の誰かに何か辛いこととか悲しいこととかがあるなら、泣くほど追いつめられる前に助ければいい。兄貴が助けてくれたみたいに兄貴を助けるし、林人も大地も、星羅も」


 「・・・・・・」


 「まだ兄貴みたいにはいかねぇけど、そのうち林人と大地が俺達に分散して頼れるようになれば、兄貴だって今より少しは楽になるだろ」


 そう言いながら、白波は林人が落書きしたのだろうノートを見せる。


 そこには、多分家族と思われる人のような姿が5つ並んでいた。


 「・・・なんかムカつく」


 「いや林人まだ6歳だから。絵なんてこんなもん・・・」


 「いや違うから。そこじゃないから」


 星羅はせっかく綺麗に整えてある髪の毛をガシガシとかき乱すと、ムスッとした顔を見せる。


 何か変なことを言ったかと思った白波は、眠そうな目を数回瞬きさせる。


 「兄貴は『守る』って言う。白波は『助ける』って言う」


 「うん」


 「じゃあ俺は何したらいいの」


 「え、知らないよ」


 「なんで『助ける』って言ったの」


 「・・・うわ。なんか面倒臭い話になってきた」


 星羅が引いてくれれば終わるのに、と思った白波だったが、星羅は一歩も引く様子が無かったため、自分なりの言葉を紡ぐ。


 「んーと・・・。多分、兄貴の『守る』っていうのは何かある前に阻止することで、俺が言ってる『助ける』って言うのはその後に起こす行動?」


 「その心は?」


 「は?えっと・・・。だから、兄貴が万が一、その・・・。兄貴が・・・。面倒臭い。もう無理」


 「なにそれ」


 それからしばらくしても、寝床から調も林人も出てくることはなかった。


 どうしたのだろうと思いながらも、大地のときもあったな、と思いつつ、大地と3人で先に食事を取り、風呂にも入った。


 しかし、9時になっても10時になっても調は出て来ない。


 一緒に寝てしまったのだろうかと思い、白波がそーっと扉を開けてみる。


 「兄貴?」


 「ん?ああ、悪い。もうここ使うよな」


 「いや、いいんだけど。林人は?」


 「んー、ちょっとまだな」


 「俺たちリビングで寝るから。何かあったら呼んで」


 「おう、悪いな。大地のこと頼むぞ」


 「うん」


 真っ暗な部屋で、調も林人も着替えなどしないまま、帰ってきたときの服装、格好のままそこにいた。


 林人はずっと調に抱きついており、少し震えていたことからも、寝ていないことも分かった。


 白波はそっと中に入って3人で寝られるくらいの掛け布団を持ってリビングに戻ると、座布団を敷布団と枕にする。


 「林くん大丈夫かな」


 「相当だな。明日にはもとに戻ってるといいんだけど」


 「・・・四男林人、元気じゃ無い?」


 「兄貴がついてるから大丈夫だよ。大地、今日はこっちで俺と星羅と寝るぞ」


 「うん」


 普段なら調がいないと多少駄々をこねる大地だが、何か感じ取っているのか、今日は大人しく白波と星羅に挟まれて横になる。


 「おやすみ」








 翌日、朝日がカーテンから差し込んできたことで目が覚めてしまった白波。


 上半身を起こして周りを確認すると、昨日から特に変わったことはなさそうだ。


 「・・・・・・」


 ゆっくりと身体を起こすと、まず調と林人がいる寝床を開けてみる。


 「!!!!」


 すると、まだそこには林人を抱っこしたままの調がいた。


 「兄貴?」


 「お。おはよう」


 「おはよう・・・じゃないよ。ずっと起きてたの?!」


 「林人がな。寝られねぇみたいでな」


 「でも・・・」


 「ずっとな、震えてんだよ」


 「・・・・・・」


 あれからずっと、林人が調から離れないばかりではなく、林人が寝られないという。


 きっと一晩中林人の背中を摩っていたのだろう調だが、背中を摩る手を止めることもなく、欠伸をすることもない。


 白波が心配そうにしていると、調は顔だけを白波の方に向けて小さく笑う。


 「悪いけど、大地の送り迎え頼むな」


 「うん」


 「あと、林人多分今日学校行けそうにねぇから連絡頼む」


 「うん」


 「もしかしたら今日もそっちで寝てもらうようかもしれねぇけど」


 「それはいいけど・・・」


 自分が変われるものなら変わりたかったが、林人の様子から察するに難しいだろう。


 白波は水分と簡単におにぎりだけを用意して調のもとへ置いていく。


 「林くんダメそうなんだ」


 起きて来た星羅は、珍しく髪型をセットする前にキッチンへ来た。


 「うん。兄貴も寝てないみたいだし」


 「・・・何があったんだろうね」


 「・・・・・・」


 1日、2日、3日経った頃、ようやく林人の体力が限界に達したようで、とある日の夜、調に抱きついたままではあるが眠りについた。


 それでも調の服を握りしめているため、調はまた林人が起きるまではそのままの体勢でいた。


 「兄ちゃん・・・」


 「林人、起きたか」


 目を真っ赤にはらしたままの林人は、それから2日後の夜に目を覚ました。


 未だ不安そうに自分のことを見てくる林人に、調はいつものように笑みを浮かべる。


 「風呂入るか?ご飯食う?」


 「・・・兄ちゃん」


 「大丈夫だぞ、林人。大丈夫だからな」


 それから小一時間ほど、林人の背中をぽんぽんと叩いたところで、調と林人は食事をする。


 物音で起きてしまったのか、白波は2人の様子を見ると、風呂を沸かしにいく。


 数日ぶりの食事のため、おかゆにした。


 それから調と林人は一緒に風呂に入り、リビングで調が林人の髪を乾かしている間も、いつもとは違って林人は落ち着いていた。


 それを白波は黙って見ている。


 終始静まり返っていたが、林人が小さい声を出す。


 「兄ちゃん・・・」


 「ん?」


 「・・・っく」


 「・・・・・・」


 泣きだしてしまった林人に、調はドライヤーを止めて林人の身体をひょいっと自分の方に向ける。


 ぼろぼろと泣いている林人を抱きしめると、もう何度したかもわからないくらい、背中をぽんぽんと摩る。








 「林人が視たっていうのが」


 「知ってる。人が自殺した場面だったんでしょ」


 「なんで知ってんだよ」


 「起きてたから」


 「起きてたのかよ」


 「そりゃ怖いよ。俺たちでさえ滅多に遭遇しない場面を視ちゃったんだから」


 「それにしてもよく寝るよな。泣いて兄貴に話してスッキリしたのか、まだ今日寝てるし」


 「でもやっと兄貴も寝られたみたいで良かった」


 「ん」


 嗚咽交じりに泣き続けていた林人が、何とか自分の視たものを伝えようと、途切れ途切れに言葉を紡いだ。


 それを調は、林人の背中を摩りながら待っていた。


 話しているとまたその光景を思い出してしまったのか、林人は盛大に泣きだす。


 大地も起きてきてしまったのだが、すでに起きていた星羅が大地の身体をぽんぽんと優しく摩っていると、そのうちまた眠った。


 自分の言いたいことを言えたのか、林人は調の腕の中でぐっすり寝る。


 「大ちゃん、今日何食べたい?」


 すでに幼稚園から帰ってきていた大地は、正座でサスペンスを見ていた。


 星羅に話しかけられ、大地は首だけをくるりとそちらに向ける。


 「たくあん」


 「渋いな。ていうかおかずだね、それは」


 「とりあえず和食でいいんじゃねえの」


 そう言いながら、白波は冷蔵庫からたくあんを取りだすとまな板でたくあんを切り始め、切ったそばから自分の口に放り込んだ。


 大地がてとてとと近づいてきたため、大地の口にも放り込む。


 「2人してつまみ食いしないの」


 「とんかつ食いてぇ」


 「コロッケ食べたい」


 「コロッケ作ってみようか。作れるかな。どうやって作るんだろ。兄貴前に1回作ってくれたことあるけどどうやってたんだろ。白波手伝ってなかった?覚えてない?」


 「じゃがいも潰した」


 「それは分かるよ。それ以外のとこ」


 「蒸かして潰してなんかこねて丸めて揚げりゃ出来んじゃねえの?」


 「簡単に言うよね」


 文句を言いながら、星羅はコロッケの作り方を調べる。


 「で、なんだこれは」


 「コロッケ」


 「黒いけど。しかも形を成してねぇけど」


 「頑張ったよ」


 「頑張ったのは伝わるよ。どんだけ作ったんだよ」


 「一応白波に味見してもらったんだけど、よくよく考えてみたら、白波ってなんでも食べるなーと思って」


 「別にスーパーで買ってくりゃ良かったのに」


 「星羅が兄貴が前に作ってたからって」


 「白波が簡単に作った感じで言うから」


 「美味しいよ!!焦げた味がする!大人の味!」


 「ソースかければ誤魔化せる」


 調と林人が起きてすぐに焦げたコロッケを目の当たりにすると、調は笑いを堪えていた。


 林人は初めてみる謎の黒い物体に、興味津々ですぐに口に入れていた。


 大地は大地でコロッケにソースをこれでもかというほどかけており、焦げた味を誤魔化すようにして食べていた。


 「よし、じゃあ、いただきます!」


 「「「「いただきます」」」」








 それからしばらくは平穏な日々が続いた。


 「あれ」


 「林人また何かあったの?」


 調が林人を片手で抱っこして帰ってきたのだ。


 先日よりは落ち着いているみたいだが、今にも泣きそうな顔をしている。


 また何か視てしまったのだろうかと白波と星羅も心配していると、星羅が何かに気付く。


 「火事?」


 「さっきからよ、林人が『お家が燃えちゃう』って言ってよ」


 「え、貴重品まとめなきゃ」


 「うちじゃねえよ」


 どこかの家が燃えてしまう未来が視えてしまったらしく、林人は怯えた様子で調に抱きついている。


 調は林人を抱っこしたままソファに座ると、林人を自分の膝の上に向かい合う様にして座らせると、林人に微笑みかける。


 「兄ちゃんが未来変えてやっから。視えたもん、なんでもいい。話せるか?」


 「・・・うん」


 「林人」


 不安気な林人のしっかりと見て、調は続ける。


 「例え怖い未来が視えてもな、未来ってもんは変えられるんだ」


 「・・・・・・」


 「林人が未来を視て、そこで起こってほしくねぇことがあるなら、兄ちゃんがなんとかしてやる。出来ることすりゃいい。出来ることしてなんともならなかったとしても、何もしねぇよりマシだろ?」


 「・・・・・・」


 「林くん」


 2人のもとに星羅が来て、ソファの背もたれに手をついて林人の顔を覗きこむ。


 「兄貴のことも心配なんだよね」


 「え」


 調が意外そうに林人を見る。


 すると、林人は調の腹に勢いよく抱きつく。


 「え、なに、どういうこと」


 わけがわからない調が星羅に聞くと、そこに白波と大地も来る。


 「この前、兄貴が林人に付き添って寝ないときあったでしょ」


 「おう、あったけど」


 「兄貴にとっては当たり前の行動だったのかもしれないけど、林くんは林くんなりに兄貴を心配してるんだよ」


 「兄貴ならなんとかしてくれるっていうのもわかってるけど、俺達の頼みだと無理するっていうのも分かってるからだろうな」


 「・・・・・・」


 白波と星羅の言葉に、調は自分に抱きついている林人の身体を抱きよせる。


 「そっか。ありがとな、林人」


 「兄ちゃん・・・」


 「林人、兄ちゃんな、お前らのためになんでもしてやりたいんだ。それが“兄ちゃん”ってもんなんだ。何もしねぇ方が無理な話だ」


 「・・・・・・」


 「林人、約束する。兄ちゃんは何があっても、ちゃんとお前らの前に帰ってくる」


 「・・・・・・」


 「お前らの兄ちゃんでいるために、俺は俺の出来ることをする。それだけだ」


 調の言葉に、白波、星羅はそれぞれ調の背中を見る。


 ふと、ちょこちょこと大地が動きだし、調の隣まで行くと、林人が抱きついていることなど気にせず、ぐいぐいと隙間から手を押し込んで調に抱きつく。


 片方の腕で大地を引き寄せると、調は大地の背中に手を回す。








 「兄貴1人で行くの?」


 「林人連れて行くわけにいかねえし、白波か星羅連れていくと、どっちかが下2人見るようだろ」


 「・・・なんかあったら連絡して」


 「おう」


 林人から家の特徴などを聞いた調は、その家を見つけ出した。


 しかし、そこはすでに火の手があがり、救急車や消防車はまだ来ていないようで、近所には大勢の人が押し寄せていた。


 林人の話によれば、中に人がいるようだ。


 調はあたりを見て、近くの家の庭にある蛇口から水を汲んでそれを自分の身体に頭からかけると、ポケットに入っている数珠を取りだして話しかける。


 「ばあちゃん・・・」


 ぎゅっと強く握りしめると、そのまま炎が立ち上がる中へと向かって行く。


 当たり前と言えば当たり前なのだが、家の中はすでに高温でとてつもなく熱く、調は誰かいないか叫んで聞いてみる。


 喉はあっという間に枯れてしまい、調は何度も咳込む。


 腕で口元を覆ってはみるものの、そんなのほとんど役には立っていないだろう。


それでもないよりはマシなのかもしれないと、調はそのまま足を進める。


 ガラガラと後ろの方で何かが崩れる音が聞こえてくるが、それよりも、小さい、そんな声が聞こえた。




 ―ガシャンッ




 「白波、気をつけてよ」


 「ん」


 床に落としてしまったコップの破片を拾っていると、そこへ大地がやってきて手伝うと言った。


 危ないから放れるよう伝えたがすでに遅く、大地は指を切ってしまった。


 「大ちゃんこっちおいで」


 大地を呼び寄せると、星羅は消毒をしてから絆創膏を貼る。


 調が出てからというもの、じっとソファでクッションを抱きしめたままの林人を見て、白波は林人が好きなコーラを持っていく。


 「林人」


 「・・・兄ちゃんは」


 「大丈夫だよ。約束したろ?帰ってくるって」


 「僕が視たから、兄ちゃん行っちゃったの?」


 「・・・林人が視たからってのもあるけど、多分、兄貴は止めても行っちゃうよ。自分で言うのもなんだけど、兄貴は俺達のこと大好きだからね」


 「僕のこと好きなの?」


 「そうだよ。林人のことも大地のことも、兄貴は大好きだよ。だから、林人がそんな顔してると悲しいと思う」


 「白兄と星兄のことは?好き?」


 「うん。そうだね」


 「僕ね、兄ちゃんのことね、大好きだよ!」


 「知ってるよ。だから林人、兄貴が帰ってきたら、笑って『おかえり』って言おうな」


 「うん!!」


 ごくごくと、白波が持ってきたコーラを鼻息を荒くして飲み干す。


 「・・・なんだ大地」


 「オレには」


 「え、コーラのこと?」


 なぜ自分にはないのかと、大地が白波に詰め寄っていた。


 持ってくるから待っていろと伝えれば、大地は冷蔵庫へと向かって行く白波の後ろをちょこちょこ付いて行く。


 コーラの入ったコップを受け取ると、林人の座っているソファの隣に座ってコーラを飲む。


 小さな背中が2つ並んでいるのを見ていた白波に、星羅が椅子に座りながら声をかける。


 「あんな恥ずかしいことよく言えたね」


 「事実だから」


 「この前、兄貴に抱っこしてもらってる林くんと大ちゃんを恨めしそうに見てたくせに」


 「別に見てないけど」


 「見てたよ」


 「ってことはお前も見てたんだな。そう思ってたんだな」


 「いいじゃん」


 「兄貴何時くらいに帰ってくるかな」


 「ニュースつけてみる?」


 「・・・もし火事が今起こってたら、林人が心配するだろうから、やめておこう。なんかアンパンMENでも見せておこう」


 「そうだね」


 録画しているアニメをつければ、林人と大地は大人しくテレビの前で釘づけになる。


 2人が真剣にテレビを見ているのを確認すると、星羅はすぐニュースを調べる。


 何かのニュースに目を見開くと、白波をアイコンタクトで呼びよせ、そこに載っている“LIVE”と書かれた動画を見せる。


 2人して顔を見合わせたあと、林人のほうを見てからニュースを閉じる。


 少し時間が経った頃、テーブルで頬杖をつきながら何かの雑誌を見ていた白波の服の袖が引っ張られる。


 何だろうと思い白波が視線を下に向ければ、そこに大地が立っていて、先程まで大地がテレビを見ていた場所を指さす。


 「あ」


 林人と大地に見せていたアニメが終わってしまい、ニュースが流れていた。


 そこには少し前に火事が起こっており、ようやく鎮火したとの内容が流れていて、その中に“1人死亡”の文字があった。


 ガタッ、と音を立てて椅子から立ち上がった白波は、すぐに林人のもとへ向かう。


 まだ漢字がちゃんと読めない林人は内容をちゃんと把握しているわけではないのだろうが、映像が流れてしまっているため何が起こったのかくらいはわかっただろう。


 白波が急いで林人まで近寄っていくと、林人はじっと映像を見ていた・・・と思ったら寝ていた。


 ホッとした白波は、林人を抱っこして寝床に連れて行く。


 「あれ、林くんどうしたの」


 風呂掃除をしていた星羅が戻ってくると、白波が簡単に説明をする。


 「大ちゃん教えてくれたの?」


 「違う。アンパンMEN続き見たい」


 「そういうことね」


 こういうところは子供だな、と思いながら星羅は録画の続きを探して大地に見せる。


 寝床から戻ってきた白波は、先程の映像やニュースのことを思い出し、左腕を右腕の脇の下に入れ、右手の人差指と親指で唇をカリカリといじっていた。


 林人と大地を寝かせると、白波と星羅は夜遅くまで調が戻ってくるのを待っていたのだが、その日調からの連絡もなければ帰ってくることもなかった。








 「・・・・・・」


 結局リビングのテーブルに伏した状態で寝てしまった白波と、ソファに寝転がっていた星羅。


 先に起きた白波は、寝床を開けて林人と大地が寝て姿を見てから、玄関に向かって調が帰ってきていないかを確認するが、まだのようだ。


 洗面台に向かって顔に水をつけると、拭かずにそこに手をついて下を向き深呼吸をする。


 「疲れてんのか」


 「そりゃ疲れて・・・え」


 「寝癖すげぇことになってんぞ。面白ぇんだけど。写メ撮りてぇんだけど」


 「・・・・・・」


 「なんだ?素っ頓狂な顔して」


 「兄貴、なんでいるの」


 「なんでって俺の家だから」


 「・・・え?1人死亡ってなに?」


 「死んでねぇぞ。生きてっからな」


 いつの間にか後ろにいた調は、頬や服に煤をつけながらも元気そうだ。


 調が顔を洗わせてくれと言ってきたため、白波はその場をどいて自分はタオルを取り出して顔を拭く。


 調にもタオルを渡すと、白波に御礼を言って顔を拭きながらキッチンへ向かう。


 「腹減ったし」


 「兄貴、何があったの」


 「ん?」


 星羅を起こすと、調は事情を説明する。


 「俺が着いたときにはもう火事になっててよ。でも人がいるって林人が言っていたから中に入ったんだよ」


 「え、まじで」


 「よく無事だったね」


 「まあな」


 「じゃあ、死亡っていうのはその家の人?」


 「そ。兄妹しかいなかったみたいで、兄貴の方は一階にいたから救出出来たんだけど・・・・・・」


 その先は、言葉を待たずとも分かった。


 「兄ちゃん?」


 寝床の扉が開いたかと思うと、林人がまだ眠そうに目を擦りながら出てきた。


 「お、林人起きたか」


 「兄ちゃんだ!!!」


 半分も開いていなかった目が、調を確認した途端にパッと見開き、コンマ何秒もかからずに調のもとへダッシュしてきた。


 調は足から上半身へとよじ登ってくる林人に大笑いしながら、普段からそれほど整っていない髪の毛をかき乱す。


 「林人のお陰で、兄貴助けられたぞ」


 「本当!!よかった!!」


 林人の声に起きたのか、大地も寝ぼけ眼のまま調に近づいてきて、足にしがみついたまままた寝てしまった。


 「・・・・・・」


 「なんだ白波」


 「・・・兄貴」


 「ん?」


 


 「おかえり」




 調は驚いたように口をぽかんと開ける。


 白波に続くよう、星羅と林人、そして半分寝ている大地も。


 「兄貴、おかえり」


 「おかえり!兄ちゃん!」


 「兄者、おかえりなさい」


 「・・・・・・」


 次々に自分に向けられた言葉に、調ははにかみながら答える。


 「おう!ただいま!」








 「・・・・・・」


 ピッ、ピッ、と規則的な機械音が耳に入ってくる。


 見慣れない白い天井、かろうじて動く指先、いつもより不自然な呼吸。


 しばらくそのまま天井を仰いでから、ようやく言葉と同時に息を吐く。








 「思い出した・・・」





















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