悪役プロレスラー、小渕沢議員

エクスパーサ小島

悪役プロレスラー、小渕沢議員

 リングの四方を覆う赤いロープへと痛烈に沈み込み、反動。

 おれはリングマットの中央に蹲るぼんくらへ向かって猛烈な勢いで飛び掛かり──そこで、諦念のようなものが心を支配した。分かっているのだ、この後どうなるかなんて。

 こんなもの八百長試合でしかない。そうだと知りながら、それでも、俺は──


「おおっと! 二人の拳がお互いに突き刺さる──! 長き戦いの末、二人の選手が6m四方のリングマットに沈み込んでしまった! 先に立つのは我らが体制派の雄、岸男議員か、にっくき反体制派のあんちくしょう、小渕沢議員か!」

 実況アナウンサーの嬌声が会場を弾ませ、呼応するように観客たちも沸き立っていき、

「さあ、皆さんご一緒にどうぞ! せーの!」

「「「がんばれ~! 岸男先生~!」」」

 割れんばかりの大歓声の中、会場を埋め尽くす観客たちの視線が、一斉にぼんくらへと注がれる。


「死ねェ! 死に腐れッ! 反体制派のド外道が!」

「いい歳こいて半裸にマスクなんて、恥ずかしないんか!」

「プロテインも飲まずに高級料亭で会食ばかりしとるからそんなにヒョロいんじゃ!」


 心無い罵詈雑言の嵐に歯噛みすると同時に、隣で蹲っていたぼんくらが、よろよろと情けない足取りで立ち上がった。そして、ゆっくりとロープにもたれかかるようにしながら、俺と反対側のコーナーポストへ歩いていく。

 そうだ、このまま俺はリングマットに身体を預けていればいい。それだけで万事うまくいく。スーパーAI様とやらが言うんだ、間違いがないんだろう。


 俺が負ければあの海岸は埋め立てられ、工業地帯となる。それは俺たちの生活を豊かにし、この国をさらに発展させる礎となるだろう。それは、きっと善いことだ。雇用が創造されることで路頭に迷う国民が減少し、貧困に喘ぐ人々が少なくなり、やがて社会全体が安定していくのだろうから。


 だから、負けるのは決して悪いことじゃないはずだ。


 このまま、リングマットに身体を預けていればいい。それだけで万事うまくいく。スーパーAI様とやらが言うんだ、間違いがないんだろう。八百長なんて元々慣れっこだ。


 なのに──どうして俺はこんな馬鹿げたことをしているのか。この期に及んでなお、俺は、あのクソ野郎をぶっ飛ばそうとしているのか。


『大好きだよ、小渕沢君。私の、いちばん大切な人』

 脳裏に、あの少女と過ごした海岸での日々が蘇る。

 それだけで、十分だった。

 もう倒れているだけで、それだけでいいはずなのに自然と身体が立ち上がろうとしている。


 どうして俺はこんな馬鹿げたことをしているのか。この期に及んでなお、俺は、あのクソ野郎をぶっ飛ばそうとしているのか。



 理由は、明白だった。



 ◆



「すっかり有名人じゃん」

 そう言って少女は小麦色の肌を惜しげもなく晒して笑う。真っ白なワンピースの裾を翻し、ビーチサンダルをぺたぺた鳴らしながら歩く彼女の足取りには、一片の迷いもない。

「なんだかなぁ、だって俺、少し前まで弱小プロレス団体の悪役レスラーだったんだぜ? ちょっと演技が上手いからって、いきなり国会議員になれだなんてめちゃくちゃ言うよ、まったく……」

 ぼやきながら、俺も少女の後を追った。潮風に揺れる長い黒髪からは、仄かなシャンプーの香りが漂ってきて、柄にもなくドキリとしてしまう。


「スーパーAI? とかいうのが出て、立法も司法も行政も、国の運営機関は仕事をしなくても良くなったけど、一応無政府国家って訳にはいかないし、責任を取る人は必要だしAIの言う通り国を動かしてるって言うのもなんとなく味が悪いから、スポーツとかゲームの大会の成績優秀者なんかをピックアップして、試合の結果に国の舵取りを任せることにしたんだってさ。それが今の政治体制なんだって、お父さん言ってた」


 AIが発展しても、機械がどれだけ発展しても、結局人間は人間同士の競技を好んで見た。そういうものらしい。


「パンとサーカスがあれば国民は満足するってか? 現実はコロコロコミックじゃねぇんだぞ」

「でも、みんな楽しそうだよ?」

 少女が指さす先では、砂浜の上で多くの人々が思い思いの方法で寛いでいた。バーベキューを楽しんでいるグループもあれば、波打ち際で水をかけあってはしゃぐ子供たちもいる。

 みな一様に笑顔で、実に楽しそうだった。


「楽しきゃいいってものでも、ないだろ」

 吐き捨てるように言って、砂浜に唾を吐いた。砂の上に落ちた唾は、すぐに吸い込まれて消えていく。まるで、最初からそこに存在していなかったかのように。


「……お前、これからどうすんの」

「ん。とりあえず、ごはん食べたいな。この辺りはまだ四角くないごはんが食べられるからねぇ、最初の頃はディストピア飯なんて笑ってたけど、それが日常になったらやっぱり肉や魚が恋しいわけよ」


「そうじゃなくて」


 俺は、足元の白い貝殻を踏み砕いた。ぱきん、という音が、やけに大きく響く。


「お前の話だよ。病気なんだろ?」

「……」

 問いかけに対し、彼女は何も答えなかった。ただ黙って、寄せては返す波を見つめ続けている。その横顔には、どこか憂いの色が滲んでいるように見えた。

「……ずっとここにいるつもりか?」

「うん。安静にしてれば命に関わるものじゃないって言うしね」


 即答だった。躊躇いなど微塵も感じられない、力強い肯定の言葉。俺はそれ以上何も言えず、ただその綺麗な横顔を見つめることしか出来ない。

「私ね、ここで生まれて、育ったんだよ。だから、ここが好き。ここ以外に行くところなんてない……それにほら、この海岸、小渕沢くんが顔を真っ赤にして告白してくれた場所でもあるわけだし」

「だったら、」


 言葉が喉で停止する。

 無意味と分かり切った問いを、それでも投げかけずにはいられなかった。


「だったら、俺と一緒に来てくれよ。俺はお前が好きだ、愛してる。何度だって言ってやる。愛しているんだ。お前がいればそれでいいんだ、他には何もいらない」

「ありがとう、嬉しいよ。私も大好きだよ、大好き。でもね──」


 続く言葉は分かっていた。


「小渕沢君はこれから偉い議員さんになるんでしょ? だったら迷惑掛けられないよ」

「迷惑なんて、思わないでくれよ……!」

 聞きたくない言葉を遮るように叫んで、彼女を抱きしめる。腕の中で小さな悲鳴が上がったが、構わず力を込め続けた。華奢な身体は今にも壊れてしまいそうなほど脆く、柔らかい。


 そのままどれくらいの時間が流れただろうか。ふと腕の力を緩めると、彼女はゆっくりと身を離した。そして、無言のまま困ったように眉尻を下げ、人差し指をそっと俺の唇に当て、

「ごめんね、大好きだよ、本当に」


 そんな顔をさせたいわけじゃないのに、そんな顔をさせたくないのに、どうしても彼女の顔に笑顔を取り戻すことができない自分が歯痒くて仕方がなかった。


「大好きだよ、小渕沢君。私の、いちばん大切な人」


 そう言って、彼女が笑う。

 屈託のない、曇りひとつない、満面の笑み。

 俺は、それを直視することができなかった。



 ◆



「……ざけんなよ」

 リングマットに身体を投げ出したたまま、無意識のうちに声が漏れていた。それを聞いたぼんくらが、驚いたように肩を跳ね上げる。


「3!」


 審判によるスリーカウントが進む中、俺はかろうじて残った気力の全てを振り絞り、ロープへとナメクジのように這いずって、何とか上体を起こした。

「何がAIによって決められた、観客を最高に盛り上げる完璧な試合運びだよ。結末まで決められて、八百長試合を演出されて、挙句の果てにボコボコにされてあの海岸が無くなるだと? ふざけんなよ、馬鹿にしやがって、くそがぁッ!」

 叫びながら、コーナーポストに背中を預けて立つ。まだ動くことはできる。ならば、やれることはただ一つ。


「2!」


「大体なんなんだよあの女も! 迷惑かけるだのなんだのって! 俺のこと舐めてんのかよ、舐め腐ってんだろ、ふざけやがって、マジでよぉ‼」

 怒りに任せ、拳を叩き付けた。鈍い痛みが全身に走るが、構うものか。どうせこれ以上なく惨めな姿を晒した後なのだ、今さら失うものなどない。


「1!」


「いいか、よく聞けクソ野郎ども、お前らに一つ教えてやる。俺は、俺はなあ────悪役プロレスラー、小渕沢議員! 決められた結末なんて、知ったことか! 迷惑を掛けるのはなあ! いつだって悪役レスラーの仕事なんだよ! そこんとこ、覚えとけやぁぁぁぁぁッッッ‼」


 試合再開のゴングが鳴り響く。

 その瞬間、全身のバネを使って跳躍し、ぼんくらにドロップキックを見舞う。虚を突かれたぼんくら勢い余って場外に吹き飛んだが、今はそんなことはどうでもいい。

「おおっと、これは意外だ! なんと小渕沢議員の復活即ドロップキックが炸裂~! って……エッ⁉ その勢いのまま会場の外へ駆け出した~! ちょ、これどうなってんの⁉」

 リングサイドにいたアナウンサーが素っ頓狂な声を上げるが、もう遅い。俺は既に走り出していた。


「小渕沢先生、待ってください! このあとリングで歌う予定があるんですよ⁉」

「うるせぇ、ついてくんな!」

 背後から響く秘書の声に怒鳴り返し、全速力で駆け出す。目指すはあの海辺、愛する少女の元へ──


「ああもう、勝手なことしちゃってさあ……! どいつもこいつもホンットにさぁ──! 付いて行くなって言われたって地獄の底か任期満了までは絶対に付いて行きますからね! こっちはアンタの秘書なんだからさあ!」


 後ろから響いてくる怒声を聞きながら、全力で走り抜ける。


 これでいい、これでよかったのだ。



 何もかもが正しいこの世界の中で、せめてひとつだけでも間違ったことをしたいと願う。だって俺は、悪役プロレスラー、小渕沢議員なのだから。

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