剣とかして、王を斬る

 黒鋼家の敷地内には、〈八災王〉が封印されている。


 八つの首を持つ異形たちの王にして、災禍の化身────〈八災王〉は現在、〈封印師〉たちが残した高度な術によって、山中にその魂を縛られているのだ。


 だが、いかに優れた封印であろうとも、時の流れによる劣化を免れるわけじゃない。今の封印は、ボロボロに錆びて腐り落ちる寸前の鎖といったところだ。


 それに、本来封印を管理する役割であった元当主、黒鋼コウイチロウの行方がしれなくなったのも劣化を早めた理由の一つだ。


 劣化した封印を今管理しているのは現当主はカサネだが、彼女もまだ若手。いくら彼女が戦闘に長けていても、封印の管理に纏わる経験では父に大きく劣っている。


「ふふ、いくら『夜叉』でも、所詮は小娘。まだまだ脇が甘いのー」


 黒鉄家の敷地内には、対〈解放者(リベレーター)〉用の結界が幾重にも張り巡らされていた。解除法を一つ間違えば、結界に干渉した魂を焼き切るような代物だ。


 だが、それもネノにとっては取るに足らない。


「〈封印師〉カサネの波長に合うように魂の波長を合わせて……っと」


 結界を中和した彼女は得意げにほくそ笑む。隠戒放(ステルス・リベレート)によって不可視になった彼女は堂々と正面玄関から、黒鋼家に踏み込んだ。


 そこから先はもう簡単だ。封印の間につながる廊下を幾ら分厚い鉄扉で遮ろうとも、〈戒放〉の前では子供騙しに過ぎない。


「みーつけた」


 その最奥にあった一本の真っ白な杭だ。辺りには清酒が備られ、杭は部屋の四方からびっしりと縄で縛られている。


「〈遺骨式封印術〉……やっぱり、イカれてる。自分の遺骨そのものを強固な封印に作り替えちゃうだなんて。しかも、ちょっぴり魂が残ってる」


 試しにと杭に触れれば、ネノの指先が焼け焦げた。熱を感じたわけじゃない。彼女の魂に負ったダメージが、火傷として反映されたのだろう。


「……」


 ネノは異形のストックを取り出した。その総数、三七五六四体。


 数多の思念から生まれた異形を凝縮したそれを、水滴のように溶かし瓶に詰めて保管していたのだ。


 この杭に込められた魂は、封印を維持するための情報だ。なら、その情報を塗り潰すくらいの魂を食いに流し込めばいい。


「…………ようやく、ようやくなの」


 ネノが親から貰ったのは、愛情ではなく〈八災王〉や異形に纏わる知識だけだ。ずっと、その存在価値は八災王の封印を解くことにあると教え込まれてきた。


 全ては王の復権と、虐げられてきた〈解放者〉の地位を取り戻すため。そして、彼女


 自身が自らの価値を証明するため。──ネノはここに禁を解く。


「月、遺恨の血、我が魂……〈解放者〉子述の名の下に、厄災の王に課せられし魂の禁を解放する……。さぁ、私たちの王、今が凱旋の刻ッ! 災ノ戒放(ディザスター・リベレート)」


 垂らされた雫は杭に浸透し、残された封印の思念を、数多の異形が喰い潰していった。


 杭に小さなヒビが走り、それが次第に広がっては朽ちてゆく。


 ◇◇◇


 カサネは妙な気配を感じた。小さな勘違いのような、それでも確かに感じる悪寒。


 彼女が感じたのは、まるで兆しのようだった。


 時刻は丑三つ時。飛び起きたカサネは欠伸を噛み殺す余裕もなく、寝巻き代わりのジャージ姿で、封印の間に飛び込んだ。


「────誰だァァ!」


 振り返る少女の手には、刺青が刻まれている。


「六本……解放者か!」


 すぐにカサネは自らの甘さを呪う。


 この部屋に解放者を立ち入らせない対策も万全に施している筈だった。結界や封印も定期的に点検し、他の夜叉から封印に纏わるアドバイスも貰うようにしていた。


 だが、それでも足りなかったのだ。現に、この部屋に〈解放者〉が足を踏み入れているのだから。


「なら……」


 即刻、この部屋から〈解放者〉を排除。八災王の封印を守り切る。


 そう、思考をスイッチしたカサネは拳を構えた。だが────


「ふふ、もう遅いのー」


 振り返ったネノは笑っていた。興奮と愉悦が混じり合って、頬を赤く高揚させている。


 その顔が意味すること。カサネは後ろに見える杭が果ててゆく様を見た。

「なっ……」


 遅すぎたのだ。


「ッ……! まだよッ、封印道ノ零・進止刻針ノ封ッ!!」


「もう遅いって言ってるじゃん。それに、封印道ノ零なんてお前如きに出来るわけがないのー」


 封印道ノ零。それは〈八災王〉を封じる一族の当主だけに継承される特別な封印術にして、魂を時空間へと干渉させ、時を止めることさえ可能とした奥義。


 だが、カサネにはそれが成せなかった。技を発動させるために求められる魂量と品質が、彼女の持つそれでは到底足りていなかったのだ。


 背後には時計の針が形成されるも、形を維持できずに崩壊していく。 


「こんのッ……」


 ニンマリと嗤うネノの表情が全てを物語っていた。


 封印はもう断たれているのだと。


「あははは!! 私は果たした! 〈解放者〉の願いを! 〈解放者〉の望みを! 待ちに、待ちに、待ちに、待ちに、待ちわびた、八災王様の再臨なのッー!」


 王はもうじき、復活する。


 カサネには足元で何かが脈打つのが分かった。脈の内側を巡るのは、血液でなく災いによって蓄積された負の思念なのだろう。それがドクドクと胎動している。


「うっ……!」


 周囲は、ドス黒い瘴気に満ち溢れた。


 その瘴気に少し充てられるだけでも、身震いが止まらなくなる。本能的恐怖が全身を駆け抜け、動けなくなるのだ。


 その恐怖に一切の例外もなく。


 最強の〈封印師〉十席に数えられ夜叉の称号を持つ現黒鋼家の当主、黒鋼カサネでさえも、災禍の王を前にして「恐い」と思ってしまった。


「これが……」


 王は姿を見せる必要さえもない。ただ、濁り切った瘴気を振りかざすだけで、カサネの思念からは無数の恐魂が産み落とされてしまった。


「卓越した〈封印師〉や〈武器師〉になるほど、その思念からは異形は生まれ辛くなる。けど、そんなにいっぱいの恐魂を生むなんて。めっちゃビビってるのッ!」


 ネノはカサネのことをゲラゲラと笑っている。


 指を差して、役目を果たすどころか、怖気ついている彼女を嘲笑した。


「ッッ……!」


「無駄、無駄。お前は、もう間に合わなかったんだからッ!」


 その場に立ち尽くすカサネの首元へと飛び込み、ネノはナイフを這わせる。普段のカサネなら、斬撃を防いでナイフを奪い取ることも容易だっただろう。だが、押し付けられた恐怖のせいで身体が言うことを聞いてくれない。


「封印は解いた……なら。次に解くのは黒鋼の縛りなのッ!!」


 黒鋼の血筋が絶えれば、〈八災王〉に架せられた行動範囲の制限も外すことが出来る。


「殺った!」


 ネノは縛りの解除を確信する。


 だが、その耳に届いたのは、鎖の擦れる金属音だった。


「カサネさんッ!」


 次いで、レンサが部屋に飛び込んできた。さらに、その後に続くのはトウカとシンヤの二人であった。


 彼らも八災王の封印が解かれたことを察知したのだろう。カサネから生まれた恐魂たちをシンヤが押し除け、その隙間にレンサが鎖へと変形させた自身の手を伸ばした。


「カサネさんから離れろよ、クソ〈解放者〉ッッ!!」


 うねる鎖は、ネノが握ったナイフを弾き飛ばす。


「姉さん、しっかりして!」


「カサネ姉⁉ 大丈夫かよ!」


 その声がカサネを現実へと引き戻してくれた。


 八災王の瘴気は確かに悍ましい。だが、それでも、この大切な家族を失う方がカサネにとってはよほど怖かった。


 恐怖を激情で押し殺して、魂縛の鎖を掴み取る。


「きなさい、レンサ!」


 人器一体だ。カサネの腕に魂縛が巻きつく。


「「人器一体、魂縛カサネッッ……ここの有りッ!」」


 その怒号と共にカサネの拳はネノの顔面を殴り飛ばした。歯と鼻を折っただけの手応えもある。


「私が遅かった。八災王、復活した。封印を解いたバカ女を私が殴り飛ばした。以上、現状説明終わり!」


「いや、色々と雑ッ!」


 遅れてきた三人のために、今の絶望的な状況を整理するカサネ。乱雑すぎてシンヤに突っ込まれるも、今はそんなことを言い争っている場合ではない。


 足元から感じる鼓動は、強さを増していく。


 漏れ出した正気は、木造の柱を腐らせ、天井からは軋むような音がした。


「遥か昔。〈解放者〉が数多の異形をグチャグチャに混ぜ合わせて作りだした、王とは名ばかりの思念の結合体……八災王」


 カサネはありったけの軽蔑を込めて、その名を呼ぶ。


「カサネさん。ひとまず、シンヤくんたちを連れてここを出ましょう。急がないと天井も」


「分かってる。ほら、アンタら! すぐに逃げるわよ!」


「分かった。ほら、シンヤ行こう!」


 トウカたちは、出口に向けて走り出す。だが、シンヤだけが三人とは逆の方向にスタートダッシュを切っていた。


 ◇◇◇


「ちょっと、アンタ⁉」


「先行ってくれ、俺はまだそっちに行けねぇ!」


 柱が折れて、真上からは天井が落ちて来る。それでもシンヤは手を伸ばした。


 その先にいるのは、カサネに殴り飛ばされたネノだ。完全に意識を刈り取られた彼女では、降ってくる瓦礫から逃れる術もない。


「チッ……間に合ってくれよッ!」


 ネノは禁忌とされた厄災王を再び復活させた張本人だ。


 腕にある六本の刺青はシンヤ達〈封印師〉の同胞を六十人近く殺したことを意味している。だが、そうだとしても。シンヤには目の前の〈解放者〉を見捨てることが出来なかった。


 普段は使いもしないような正義感が「彼女を見殺しにするな」と叫ぶのだ。


 自分はそんなタチでもないし、面倒ごとは嫌いである。それでも身体だけは無意識のうちに動いていた。


「あーもう、俺のバカ!」

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