囚われのイメージ
牢獄のイメージを拭うことが出来ない────
そのイメージの中に沈んだシンヤは、座敷牢のような一室で重々しい鉄の手錠と足枷を嵌められていた。
「……」
牢の中は狭い。
蝋燭の灯り一つもなければ、他者の気配も感じられない。ひとりぼっち、そこにいることしかできないのだ。
足元こそ傷んだ畳張りだが、壁や天井は重々しいコンクリートで固められ、正面には黒い鉄格子が嵌められていた。柱のように太い鉄格子が、縦と横、斜めに交差し隙間を埋め尽くすせいで、牢の外を覗くこともできない。
「……またここかよ」
人器一体に失敗した後は、いつもこのイメージに辿り着く。現実のシンヤが牢に入れられているわけではないのだ。それでも気絶した後、再び意識を取り戻すまでの最中、シンヤのイメージは総じてこの状況を構築する。
意識はある程度はっきりとしている。それこそ、自分がイメージの中にいることを自覚できる程度には。
「……なんなんだよ」
それでも、このイメージを拭い去ることはできなかった。
別のイメージで塗り潰そうとしても、黒い絵の具に別な色の絵の具を混ぜるかの如く、牢屋のイメージは新たなイメージを飲み込み、より黒く濁るだけだ。────嵌められた枷も、目の前の格子も壊せるイメージが描けない。
「ったく、ここはなんなんだよッ!」
シンヤの声は数度反響し、コンクリートの壁に吸われていく。孤独感から、不安を掻き立てるような嫌なイメージだ。
◇◇◇
「ッッ……!」
不意にイメージは途切れ、シンヤは弾かれたように飛び起きる。
暖かな布団と、額の上に乗っかった手ぬぐい。それに魂を消耗したあと特有の気だるさ。
それで大体の自分が置かれている状況を察することはできた。というよりも、いつもパターンだから、すぐに分かったと言った方が適切だろうか。
「わっ⁉」
布団の脇には一人の少女が控えていた。急に目を覚ましたシンヤに驚いたのか、彼女は目を丸くしている。
「ヒナミか」
「は……はいッ! ふぅ、お目覚めみたいですね、シンヤ先輩」
ショートヘアーに小柄な背丈。それにまん丸な瞳をした少女が、安堵から胸をなでおろした。
彼女の枕元には救急箱がちょこんと置かれていた。次いで右腕を見れば、いつも通りの応急措置が施されている。
「あー……また面倒かけちまったみたいだな……」
「いえいえ、お気になさらずに! 私達、柊家は黒鋼家に命を救われた身、ならば恩を返すのも当然ですから!」
「俺は別に、黒鋼家の人間じゃないんだけどな」
「けど、同じ学校の後輩として、困っている先輩を助けるのも当然のことですよね!」
彼女は柊ヒナミ。やけにフレッシュさを感じさせる、一つ年下の後輩少女だ。……といっても、学校で彼女に関わることは滅多にないだが。
ヒナミとシンヤが知り合ったきっかけは、彼女の家柄にある。
なんでも彼女の先祖が黒鋼家の〈封印師〉に救われたらしく。彼女の代になっても、定期的に黒鋼家に訪れては恩返しのために力を貸してくれるのであった。
そんなわけで彼女は黒鋼家の人間に代わり、シンヤの手当と看病をしてくれたわけだ。
「今日もまた悪い夢を見ていたのですか?」
「まぁ、そうだな……」
シンヤは牢獄のイメージのことを、誰かに伝えてはいなかった。
魂と思い浮かべるイメージには密接なかかわりがある。だから、あんな変なイメージばかりを想い浮かべていることで、周りを心配させたくはなかったのだ。
それに〈武器師〉でも〈封印師〉でもないヒナミに、抽象的な概念を上手く説明できる自信もない。悪夢を見ていると勘違いされていた方が、何かと都合がいいのだ。
「とにかく、ヒナミのお陰でだいぶ楽になったよ。だから今日の治療はことでで、」
「お役に立てて光栄です。けど、まだ回復しきってませんよ!」
「いや、十分治ってるからさ……」
「ダメなものはダメなんですよ! ほら、子供じゃないんですし、ちゃんと横になってなくちゃ」
起き上がろうとするシンヤを、彼女は強引に布団へと押し戻した。
以前にユウが「後輩の可愛い娘ちゃんに優しく看病されてみたい」なんて戯言を漏らしていたが、実際にやられて見れば分かる。
修行でケガをする度にこうやって世話を焼いてもらうのは、情けなさや気恥ずかしさやらで、堪らなく辛くなってしまうのだ。
ヒナミ自身に何の悪意がないのもタチが悪い。彼女は善意百パーセントでこちらに接してくるのだから、今のシンヤに出来ることは、無傷の左手で顔を覆うことだけだった。
「……俺の周りは物理的にダメージを与えてくる女か、精神的にダメージを与えてくる女しかいねぇのかよ」
「なに言ってるんです? 先輩の周りにいる女性は、だらしない先輩の私生活を案じてくれる黒鋼家の人たちと、どんな傷でも治すことのできる私くらいじゃないですか」
「ははっ……ソウダナー」
シンヤは棒読みで答える。
最近は人器一体の修行に失敗する度、ヒナミが看病に来てくれることがもっぱらの通例となっていた。
こうやって常に自分に付き添ってくれる彼女には当然として、険しい山道の送迎を請け負ってくれる彼女の両親にも、シンヤは頭が上がらない。ただ、それでも強いて彼女の苦手な点を挙げるとすれば、その天然さだ。
「それじゃあ、治療を再開しますね!」
「はぁ……もう何でもいいから、早く終わらせてくれよ」
ようやっと観念したシンヤの上に、ヒナミの掌がかざされる。すると、彼女の掌が淡い翡翠色の光に包まれた。
人の縁とは切れやすいものだ。例え、恩義の関係であろうと、それが代々続くことは難しい。それでも、ヒナミ達柊家とカサネ達の黒鋼家の関係が続いていくのには訳がある────その理由こそが、この翡翠色の光だった。
柊家は、異形を見ることが出来ない普通の家計だ。〈武器師〉や〈封印師〉のように突出した戦闘力を持っているわけでもない。それでも柊家の人間たちは、特異な性質の魂を内包していた。
「先輩、どうですか? 私の力、お役に立ててますか?」
「あぁ……一応感謝してるよ」
「えへへ。お望みであれば、毎日でも!」
「それは絶対に嫌だ」
彼女の一族には、自らの魂を他人に分け与えることで、傷ついた他人の魂を癒すことができた。ざっくりと言ってしまうなら一族相伝のヒーラー能力だ。
〈武器師〉にしろ、〈封印師〉にしろ、魂を糧に戦う人間にとって、それを癒せる人材は極めて重要である。だからこそ、両家の交流が廃れることもなかったのだろう。
「けど、変ですよね。私自身には、その癒しの光が見えないっていうのも……ねぇ、先輩。 先輩の目にはどんな色の光が見えてるんですか?」
「えっと、それは……」
この光は、ヒナミの魂の光そのものだ。鮮やかな翡翠色は彼女の優しさが反映されているのだろう。
彼女の魂は、枯渇しボロボロになったシンヤの身体に染み入ってくる。ほがらかな暖かさの魂は、木漏れ日のようで心地よかった。
だが、そんな気恥しいことを素直に伝えられる訳もなく。
「……普通の光だな。……無色透明。……ライトの下にいるのと変わんねぇよ」
「えっー! それじゃあ、つまんないですよ!」
魂の傷が肉体にも反映されるルールに従えば、魂が癒やされるのに伴って、ボロボロな腕もある程度までは回復する。シンヤの翌日に普段通りの生活を送れる背景には、ヒナミの治療は欠かせなかった。今では彼女も、黒鋼家のお手伝いより、シンヤ専属の治療係として馴染んでいるくらいだ。
「けど、下品なピンクとかよりはマシですかね。先輩がエッチな気分になっちゃったらたまりませんから」
「お前は俺をなんだと思ってやがる……いや、言うだけ無駄だな……」
一刻も早く、人器一体を完成させなければ、この気恥ずかしい治療から解放されることもないのだろう。そう思うと乾いた笑いが漏れてしまった。
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