ターニングポイント
「ヨシ!」
シンヤは軽く自身の右腕を解す。治療という名の羞恥心修行を乗り越えた甲斐もあって、消耗した魂とボロボロだった腕もある程度は回復してようだ。
「少しでも痛くなったりしたら、すぐに教えてくださいね。その時はまた私の出番ですから!」
笑顔でそう言ってくれるヒナミには悪いが、なるべく彼女のお世話になりたくない。そんな本音をシンヤはそっと胸の内にひた隠すよう、ぎこちない愛想笑いを浮かべてみせた。
立てかけられた振り子時計の針は九時を指している。
辺りはすっかり日が落ちて、空の上には欠けたお月様も浮んでいた。
「随分暗くなっちまったけど、時間は大丈夫なのか?」
「あ、はい。帰りはお父さんに連絡して来てもらうので」
「そうか。オジさんにもいつも面倒をかけてるからな。今日は挨拶をしておくか」
「んー、それなら私から伝えておきますから、先輩はもっとお礼を言わなきゃいけない人がいるんじゃないですか?」
「お礼? カサネ姉にとか?」
「またまー! 勿体ぶって!」
ニヤニヤと笑うヒナミ。なんとも楽しそうである。
「トウカ先輩にですよ!」
「トウカさんに……?」
毎回、人器一体を失敗したこと謝ってはいるが、お礼を言うようなことに心当たりはない。あるとすれば、腰を破壊されたお礼参りくらいのものだ。
「いつも私を電話で呼んでくれるの、トウカ先輩なんですよ」
「そうなのか?」
「えっ! もしかして、先輩知らなかったんですか⁉」
なんでも彼女が言うには、連絡だけでなく、傷の応急措置や布団の用意までもをトウカがやってくれていたという。
「その腕の包帯をいつも結んでいるのもトウカ先輩なんですよ」
正直、信じられないというのがシンヤの素直な感想だった。
普段から必殺のトウカキックで自分を制裁してくるような少女がそこまで親身になるものだろうか?
人器一体を為し得ないのだって、原因は無塾な自分にある。常に足を引っ張っているという自覚さえあるのだ。
「……俺にはわかんねぇや。今のトウカさんは何を考えてるのかなんて」
「うーん。トウカ先輩って結構分かりやすいタイプだと思うですけど。ほら、先輩って嘘ついても、あのクセのせいですぐ解るし」
「なにそれ、初耳なんだけど」
「彼女と一番付き合い長いのはシンヤ先輩でしょ。逆に何で気付かないんですか?」
そんなことを言われても、わからないものはわからない。
昔からトウカは口数も少なく、何を考えているか分からないところがあった。それが、ここ数年でさらにひどくなった野田。
「まぁ……一応、お礼は言っとくか。感謝してるのも事実だし……」
「そうですよ、幼馴染は大切にすべきです! じゃなきゃ、トウカ先輩美人だから、別な男に取られちゃうかもですよ!」
「俺とトウカさんはそんな関係じゃねぇよ。あんまり茶化すと怒るぞ」
「あれ、そうなんですか?」
ヒナミは素で聞き返す。これだから天然は恐ろしい。
そうこうしていると、車のエンジン音が聞こえて来た。こんな山奥にやってくる車なんて限られている。きっとヒナミの父が迎えに来てくれたのだろう。
ヒナミは玄関に向けて駆けて行く、かと思えばシンヤの方に振り返って一礼した。
「それでは、今日はこれで失礼しますね! トウカ先輩にお礼をいうのも忘れずに!」
「おう、世話かけたな」
「あと、先輩は女の子の気持ちに気付くべきですよ!」
「余計なお世話だッ! さっさと帰れッ!」
ぶっきらぼうな態度でヒナミの背中を見送って。シンヤはどっと大きなため息を付いた。
彼女はどうにも疲れる後輩である。献身的で優しいのは伝わるのだが、時折よく分からないことを言う。
気怠げな自分では、そのテンションにも少しついて行けなかった。何故だか回復してもらった筈なのに疲労感さえ感じてしまう。
◇◇◇
シンヤは縁側に腰掛け、漠然と欠けた月を眺めた。
生暖かい夜風に当たっていても、心地良くはないものだ。そんな心地悪さでは月の美しさを嗜むこともできない。それどころか、思考もネガティブな方へと向かってゆく。
「トウカさんか……」
さっきヒナミに言われたことがどうにも引っ掛かった。気を逸らそうと別なことを考えても、トウカの顔が頭の中に滲んでくる。
彼女との関係が変わったのはいつだろうか?
シンヤは改めて、黒鋼トウカについて考えた。
彼女とはじめて口を聞いたのは、自分が黒鋼家に転がり込んですぐだった。その頃の彼女はいつも気遣ってくれた。子供ながらに、両親を失ったシンヤの心情を察していたのだろう。
彼女は客観的に見ても強い少女だ。
シンヤが黒鋼家を訪れてから二年。当時の当主、黒鋼コウイチロウが行方不明になった。さらに一年後、追い討ちをかけるかのように、今度は母親である黒鋼カナが病に倒れ、間もなくして息を引き取った。
トウカは当時、まだ十歳だ。その歳で両親を亡くし、カサネや使用人たちも両親の引き継ぎで殆ど家に戻らなくなってしまった。
広すぎる屋敷で、トウカとシンヤは二人ぼっちになったのだ。それでもトウカはシンヤの前では決して泣こうとはしなかった。涙を必死に堪えて、顔を真っ赤にしながら強がっていた。
「あの人はガキの頃から、強かったんだよな……」
シンヤはそこまでの記憶をハッキリと覚えている。それだけ幼いシンヤにとっても、トウカの芯の強さは印象的なものだったのだろう。
だが何故か、その一年後の記憶だけが曖昧になっている。
「ん……? 待て……」
妙な違和感を覚えた。たしか、あの時期にはもう一つ、何か別な大きな事件が起こってしまったはず……
そこから先のトウカは、今日に至るまでで何かが変わっていた。会話が少なくなり始めたのも、この頃だ。
「ターニングポイントは『十一歳』……そもそもトウカさんは何で〈武器師〉を目指すようになったんだ」
シンヤが〈封印師〉になりたいと決めたとき、トウカまでもが急に〈武器師〉になると言い出した。「黒鋼家は代々〈封印師〉の家系なんだから」とカサネに言われても、彼女は断固として譲らなかったのも、たしか十一歳の時だ。
「…………」
結局そこまで思い出してみても、出せる結論はやはり「わからない」だった。
黒鋼トウカは幼馴染であり、自分と組んでくれる優秀な〈武器師〉────シンヤはそんな表面的な情報でしか彼女を知らなかった。
「何が、わからねぇだよ。俺が一番、あの人のことを分かってなきゃいけねぇのに……」
次第に自分への苛立ちが募ってゆく。
あれはいつだっただろうか? 明瞭としない記憶の中、シンヤはとても怖い目にあった。その時も助けてくれたのも、他の誰でもないトウカだ。彼女も怖かったのだろう。細身な身体をガクガクと震わせ、それでも必死に笑顔を作り、「私がシンヤを守るから」と約束してくれた。
曖昧な記憶をなぞっていくに連れて、自身に対する嫌悪感を覚えた。
何もわからない自分に腹が立った。自分の弱さにも嫌気がさした。
魂から漏れかけた負の思念を抑えながら、シンヤは自嘲気味に笑う。
「やばいな……なんで、こんなに情けねぇんだ、俺は……」
昔みたいな関係に戻りたいとまでは言わない。
それでも、自分は彼女がどうして変わってしまったのかを、理解しなければならなかった。
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