人器一体に至る道
苛烈なる鍛錬とお姉ちゃん①
「今日も張り切っていこうか! 健全な魂は健全な肉体に宿るってね!」
険しい山道をヘロヘロになりながらも登り切った二人に掛けられたその言葉は、残酷に他ならないものだった。
シンヤたちを元気よく、とびきりの笑顔で迎える女性が一人。
黒鋼家の現「当主」にして、トウカの姉。屈指の実力を持つ〈封印師〉十席にのみ与えられる〈夜叉〉の称号をも合わせ持った若き天才、黒鋼カサネであった。
「む、無理に決まってんだろ……。この惨状を見て分かんねぇのかよ、カサネ姉……」
「私もちょっと……キツいかも」
シンヤは玄関先に腰を下ろそうとするも、カサネはそれを許さない。
「問答無用! 師匠が張り切っていくって言ったら、張り切るもんなの! ほら、二人ともさっさと汗臭い服は脱いで、ちゃっちゃと着替える!」
二人の襟首を無理やり立たせて、着替えのジャージと共に別々な部屋へと蹴り入れる。それも全力キックでだ。
彼女は容赦というものを知らないらしい。実妹のトウカや、弟のように可愛がってきたシンヤであろうとお構いなしであった。
「着替えは五分、水分補給に五分。それが済んだら、裏庭に集合よ。今日もビシバシ、アンタらを鍛えてやるからね!」
カサネはそれだけ、言い残すと一人で先に行ってしまった。
「ったく……あの人は……」
シンヤは汗を吸ったシャツを脱ぎ捨てて、冷水で湿らせた手ぬぐいで全身を拭いながらに、熱った身体を冷していく。これが帰ってきてからのシンヤ達に与えられる本当に短い休憩時間だ。
シンヤとトウカの二人は、カサネの弟子として、各々が一人前の〈武器師〉と〈封印師〉になるための厳しい訓練を積んでいる。
帰宅と称されたあの山登りが体力づくりのための修行ならば、カサネが監修する特訓は、二人を異形と戦えるだけの人材に育てるための実践的なものであった。
しかも彼女の特訓は、常に危険と隣合わせときた。すぐにでもサボって、カサネに見つからない所まで逃走したいシンヤだったが、そんなことをすればどうなるかも当然知っている。
トウカの姉であるカサネの制裁は、トウカキックの比ではない。シンヤの知る限りで、一番最強に近い〈封印師〉が全力で自分を追いかけて来るのだ。
「ッッ……腰もまだ痛いってのに」
シンヤは腰痛の恨みを込めて隣室を睨んだ。
今隣にいるトウカは自分と同じように、白い肌を露わにしながら汗の始末をしているのであろう。
「……」
ほんの一瞬、想像してしまった。彼女があられもない姿でいるところを。
シンヤだって健全な男子なのだ。それでも、下賤な想像を振り払うために頭を振った。
「馬鹿野郎ッ! 俺はトウカさんに対して何を考えているんだ⁉」
「なに。私がどうかした?」
大声が聞こえてしまったのだろう。壁越しに帰ってきた返事に、シンヤの全身がビクン! と跳ね上がる。
「あ……いや! な、なんでもないです! はい!」
いくら黒鋼家の屋敷が広いと言えど、間が悪いと言うタイミングは必ずある。半月ほど前に、風呂に入ろうとしたシンヤは運悪く、裸のトウカと脱衣所と鉢合わせてしまったのだ。
その時シンヤが見たのは天国ではなく、地獄だ。視界はすぐにトウカの足裏で塞がれ、顔面に必殺のトウカキックがねじ込まれた。
そのまま洗濯機のドラムに蹴り込まれたシンヤは、下手したら本当に死んでいただろう。
「異形どころか、自分の〈武器師〉に殺されるなんて本当に笑えねぇつーの……」
シンヤは気を紛らわそうと、いっそ別なことを考えることにした。
なんとなく思い浮かんだのはトウカより一回り上の姉であり、自身の師匠を務めてくれる〈封印師〉カサネのことだ。
顔立ちはトウカと似ながらも、目元は母親似の人懐っこい雰囲気をしているので、とっつきやすい印象を受ける。〈封印師〉として表に出る時以外はほとんどジャージ姿で、小麦色に焼けた肌と長い髪をポニーテールに束ねているのも、彼女を快活な人物と感じる要因の一つだろう。
カサネは異例の速さで〈封印師〉として得るべき全てを会得し、〈夜叉〉の称号を手にするまでに上り詰めた。そのセンスは間違いなく天才のそれといえた。
「はぁ……名家の天才二人に囲まれるってのも楽じゃねぇな……いや、マジで」
トウカの成長スピードだって姉に負けずとも劣らない天才のそれだ。彼女が〈武器師〉としての最強の称号である〈羅刹〉の称号を手にする日もそう遠くない筈だ。
二人の才能には少なからず、その身体を流れる黒鋼家の血が起因しているのだろう。さらに二人は、「名家の血筋である」というプレッシャーを跳ね除け、成長できるだけの強さを持っていることを、シンヤはよく知っていた。
自分だけが感じるこの気持ちはきっと「コンプレックス」なのだろう。
「……けど、この道で生きるって決めたんだ。だったら、負けたくはねぇかな」
少なくとも、トウカに握れない状態では話にならない。
グローブを外し、露わになったボロボロの右手をキツく押さえつけ。シンヤは小さくぼやいた。
「シンヤ、私は先に行くから」
ノックと共に聞こえてきたのはトウカの声だ。
時計のほうに目をやれば、今まさに八分が過ぎようとしているところ。あれこれと考えすぎていたシンヤは依然パンイチのままだ。
「ちょっ……! トウカさん! 待ってくださいよ!」
「嫌よ。姉さん、時間にはうるさいから」
「そこをなんとか!」
返事はない。どうやら学校ではユウに見捨てられ、ここではトウカに見捨てられることになるらしい。
カサネのシゴキが遅刻した分だけ、辛くなることをシンヤは既に経験済みだった。一分遅刻するだけで、一時間は過酷なトレーニングメニューを課せられる。
それを避けるために、シンヤは必死な形相でジャージへと袖を通し、トウカの後を追いかけた。
◇◇◇
「シンヤが三十七秒の遅刻か……チッ!」
シンヤの遅刻が一分に達しなかったのが悔しいのか、カサネは徐ろに舌打ちをした。
妹のドSのルーツは、この姉にあるのかもしれない。
一方でシンヤは特訓が始まる前から、「ぜぇ、ぜぇ」と息を切らしていた。遅れないよう必死で邸宅内を走り回ったのだろう。
そんな姿を見て、カサネが今日の修行は少し軽めにしてやろうと思うことは、断じてなく。
「はい、それじゃあ、私の足元に注目!」
説明を始めたカサネの足元にあるのは、おどろどろしい雰囲気を放つ壺が三つ。封印道の技が施されたお札こそ貼られているが、時折カタカタと不規則に揺れている。
明らかにヤバいものが入ってそうな壺だった。
「……カサネ姉……それって?」
答える前にカサネは壺の一つを持ち上げかと思えば、それを迷わず地面へと叩きつけた。
「今破壊した壺の中には怨魂が集まって育った強力な異形、怨鬼(おんき)が封印されているの。今日は二人にコイツを倒して貰おうと思うんだけど」
説明してから壊せ! とキレたい二人だが、彼女の特訓はいつも適当かつ唐突に始まってしまう。
「うっ……!」
割れた壺の中から漏れ出してくるのは、吐き気を催す匂いの黒い液状だ。その匂いにシンヤは思わず顔を顰めてしまう。
「この怨鬼は私に嫉妬する〈封印師〉たちの思念から生まれた異形。〈解放者(リベレーター)〉どもが操る異形と同等の力を持ってるからね」
簡単に言ってくれたカサネだが、洒落にもなっていなかった。
その液体は逆巻き、収束し、異形の姿を形作り始める。ぬらぬらとした感触の肌に、ねじり曲がった三本のツノ。魚類のように突き出た目と、異様に肥大化した両腕。その異形を構成する全ての要素がシンヤ達の生理的嫌悪感を呼び起こした。
異形は人の思念から生まれ、強力な思念から生まれた異形はやがて同じ思念同士と収束し合い、醜い化け物としての形を成す。
毎度のことながら、この重油のように黒い塊の怪物が、人から生まれたことをシンヤは信じられなかった。だが、それでも異形は事実としてそこにいる。
「キぃぃぃぃぃ!!!」
怨鬼が耳を塞ぎたくなるような甲高い声を上げて、シンヤたちに迫る。
「魂に干渉できるのは、魂のみ。さぁ、まずはトウカちゃん! 私の教えた技を駆使して、あの怨鬼を一人で倒してみなさい!」
カサネが最初に指名したのはトウカだった。
「抜刀──」
〈武器師〉は〈封印師〉が扱うことで、最大のポテンシャルを発揮できる。だが、それは〈武器師〉単体が戦闘力を持たないということに有らず。
彼女の右脚からは魂の圧を放出されると共に、その爪先を鋭い刃へと変化させた。
「疾ッ!」
隙を冷静に見定め、浅い呼吸で間合いへと飛び込む。そこには、異形に対する恐怖が一切感じられなかった。
「隠形術・影踏みの刃ッ!」
刃へと変形したトウカの脚から放たれるのは、蹴りにして斬撃。
その刃先には彼女の魂が定着していた。シンヤを制裁するためのトウカキックとは本質が違う。魂に干渉できるのは魂のみ。そのルールに則って、魂が込められた斬撃は怨鬼を容易く切り裂かれた。
「さすが、トウカちゃん。今日も抜群な切れ味ね」
「ハァ……ハァ…………別に、このくらいは余裕だから……」
着地したトウカの脚は、いつもシンヤを蹴り倒す憎らしくも美しい脚へと戻っていた。それでも、彼女は少しフラつき、その場へとへたり込む。
踏ん張りきれない脱力感が、彼女を呑み込んだのだ。
「トウカさんッ!」
駆け寄るシンヤを、彼女は煩わしそうにあしらう。
「大丈夫……貴方も姉さんに習ったでしょ。人間の身体は魂を縛り付ける。だから武器師は身体を武器に起き変えることで、肉体による縛りを無くしてる」
「けど、それは同時に肉体による制限を無くした状態と同義でもある。──まぁ、トウカちゃんが自身が大丈夫って言ってんだから、心配しなくてもいいでしょ。今のトウカちゃんは魂を派手に放出して攻撃した。そのせいで消耗してるだけ」
「カサネ姉……俺もその理屈はわかってるけどよ」
自分が理屈でものを考えることのできない、不器用なタイプであることを自覚していた。
カサネもそんなシンヤの性分は分かっている。果たしてそれが吉と出るか、凶と出るかはまだわからない。
ただひとつ確かなことがあるとすれば〈武器師〉を握れないシンヤ程度の実力では、そんなことを考える余裕もないということだ。
「ほら、シンヤ。アンタは人の心配をできる身分じゃないでしょ! 次はアンタだけで、怨鬼を倒してみなさい!」
二体目の怨鬼を封印した壺がシンヤに向けて投げつけられる。割られた壺の中身からは、トウカの時と同様の過程を経て〈怨鬼〉が解き放たれた。
「さぁ、頑張りなさいな」
特訓の番が、シンヤへと回ってきたのだ。
「だから、カサネ姉はいつも適当すぎるんだよッ!」
仕方なく。
シンヤは両拳に魂の流れに意識を集中させて、構えた。
「封印道ノ壱・魂滅ッ!」
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