帰り道と水筒

 シンヤは痛む腰を押さえながら、帰路についていた。


「…………」


 そして、前方にはトウカが毅然として歩いている。一応断っておくが、彼女をストーカーしているわけじゃない。


 シンヤは異形絡みの事件で両親を失った過去を持つ。そんなシンヤを引き取り、育ててくれたのがトウカの実家でもある黒鋼家なのだ。


 代々、異形がらみの事県を解決してきた黒鋼家の責務は、単に異形を封印することだけに限らない。異形によって親を失った孤児達を門弟として引き取り、教育を施すことも黒鋼家の一つの存在意義であった。


 詰まるところ、シンヤとトウカは同じ家で暮らしているのだ。


 ただ、一つ屋根の下というには黒鋼家の邸宅は広すぎるので、感覚的には同じマンションに住む隣人と言った方が適切なのだが、


 黒鋼家にはこの地に眠る〈八災王〉の封印を守る役割もある。王を封印した山の頂きに邸宅を設け、管理を請け負ってきたのだ。


 そんな所以もあって、黒鋼家に関係者以外が近づくことも殆どない。だから、邸宅に続く山道が荒れ果てているのも現状であった。


 黒鋼の屋敷に辿り着きたいのなら、例え黒鋼の人間でも、照りつける太陽に苦しめられながらに険しい道を通ることを強いられる。


 トウカの姉曰く「それも見習い修行の一貫だと思え」なんて笑っていたが、そんな山道を毎日通学のために歩かされるシンヤにとってはたまったものではない。


 草木や土の匂いを嗅ぐだけで気分が億劫になるというのが、正直な本音であった。


「はぁ……はぁ……やっぱり、この道はデタラメに長すぎるんだよッ!」


 果てなく続くようにも思える山道の半分を登り切った頃には、二人の制服は揃って汗ばんでいた。


 本日は雲ひとつない快晴。夏場ほどの日差しはないが、それでも凸凹な足場は確実に二人の体力を奪い去ってゆく。


 シンヤは一度カバンを下ろして、木の根に腰を落ち着かせた。棒のようになった足を休めれば、全身から玉のような汗が浮いてくる。


「あっーくそ、喉が渇いた!」


 既に喉は乾きに乾き切り、ヒュー、ヒューと妙な音を鳴らしていた。いつ熱中症になっても、おかしくはない。


 すると不意に、蓋の空いた水筒が差し出された。


 中を覗き込めば、そこは透き通るような真水で満たされている。まるで砂漠でオアシスを見つけたような気分だ。


「帰りに喉が渇くと思って、用意してたの」


 前を進んでいたトウカが、わざわざ引き返して自分の水筒を貸してくれたのだ。


「口をつけないなら、飲んでもいいわよ」


「マジか⁉」


 シンヤは水筒を奪い取って、中身を乾いた喉へと流し込む。口の端から溢れようともお構いなしに、夢中で中身を飲み干した。


「ぷはぁ、生き返る! ────ありがとうございます、トウカさんも飲んだら……」


 水筒を返そうしたシンヤはそこで凍りつく。


 いくら夢中になっていたからとはいえ、水筒の中身を一滴残らず飲み干してしまったのだ。というか……口の端から零して、貴重な水を無駄にもしてもいる。


 見上げた先のトウカは自身と同じくらい汗をかいていた。きっと喉だって乾いていたのだろう。


 本日三度目にもなろうトウカキックを受ける事を覚悟したシンヤは、黙って自ら腰を突き出した。


「えっ、いや……なに?」


「俺が水筒の中身を全部飲んでしまって、トウカさんの分が無くなったから……また苛烈な制裁が待っているのかと」


「いや……そのくらいのことじゃ、私は怒らないからっ!」


 寧ろ、彼女はその程度で起こると思われていることの方に腹を立てる。


「もう、早く帰るわよ。カサネ姉さんも私たちのことを待ってるんだし」


「そ……そうですね! けど水、本当に助かりましたから!」


 ◇◇◇


 気が付けば、二人は横並びになって山道を登っていた。こんな風に並んで歩くのは随分と、久しぶりなことだ。


「……トウカさんって地味に優しいですよね」


「地味には余計よ。けど、藪から棒にどうしたの?」


「いや。さっき水筒の中身をくれた時みたく、小さい頃から俺が困っていたらいつも助けてもらってたなー、と」


「そうだったかしら?」


「そうですよ。……えっと……その」


「ん?」


「え、あ、いや……その」


「なに?」


 小首を傾げて、不思議そうな顔をするトウカ。


 最近はどうにも彼女との会話が上手く続けられない。小さい頃は時間さえあれば、ずっとくだらない話で盛り上がっていたのに、最近は顔を合わせただけでも、ぎこちなさが生じてしまう。


 シンヤもトウカも互いに年頃の男女だ。無理に仲良くする方が難しいのかも知れない。


 ただ、何かが違う。


「ねぇ……トウカさん」


 シンヤはもっと別なものを感じていた。その正体は年頃のせいとも、ましてや甘酸っぱいようなものとも、まるで違う。────ある時期を境に彼女は「変わった」のだ。


「俺たちっていつから、こんな不仲になったんでしょうね?」


 思えば、彼女に対して敬語で話すようになったのにも、それなりのきっかけがあったような気がする。


「そう? 私はシンヤのことを不仲になったとは思わないけど」


「そうかもですけど……なんかモヤモヤするんすよ」


「よくわからないわね。──けど、私達にとってはこれで良いのよ」


 そう言って彼女は静かに、その赤い双眸を閉ざした。

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