サボり魔と悪友は噛み合わない

 チリも積もれば山となる。ならばチリの山を築かない為にも、毎日掃除を欠かさないという理屈は分かる。


「ただ、高校生になってまで、馬鹿真面目に掃除ってのもなぁ……」


 六限の後の掃除時間──教室の当番表では、今月の雑巾係がシンヤということになっている。それなのに、当の本人はベランダの隅でこっそりとサボタージュに勤しんでいた。


 今回のサボる言い訳は、「トウカさんに蹴られた腰がまだ痛むから」ということにでもしておこう。現に腰を捻れば、鈍い痛みがするわけだし。


「……」


 一見すればシンヤは、ぼっーと向こうの景色を眺めているようにも見える。だが、その黒い瞳は確かに何かを追っていた。


「恋魂か……春頃は増えるよな」


 彼の目の前には桜色をした人魂が三つ、フヨフヨと漂っている。丸っこい見掛けで、少し手をかざすと、桜色がより深い色味へと変化した。


「ははっ……可愛いやつめ」


 恋魂はある種のマスコットのような愛らしさがあった。ついつい時間を忘れて戯れてしまいそうになる。


「まーたサボってんのかよ、お前は」


 後ろの窓が開いたと思えば一人の男子生徒が顔を出す。メガネをして賢そうに見えるのは外見だけで、シンヤと同じサボり仲間の藤崎(ふじさき)ユウだ。


 ユウは確か箒当番だった気がするが、その手には何も握られていない。そのまま、窓枠をヒョイと乗り越えて彼は、シンヤの横に座り込む。


 恋魂達はユウに驚き、散ってしまった。恋魂は比較的に臆病な性格をしていて、ちょっとやそっとのことでも逃げてしまうのだ。


「あっ!」


 シンヤが手を伸ばしても、恋魂たちを捕まえることはできない。魂に干渉できるは魂だけというのがルールだ。


 恋魂たちはシンヤの掌をすり抜けて、どこかへと消えてしまった。


「どうした? 親友の俺が来たのに嬉しくないのかよ?」


 ユウの目では恋魂を見ることが出来ない。だから、いまも落胆しているシンヤがどうして、落胆しているかを分かっていない。


「お前には見えないと思うが、ここには恋魂がいたんだよ、ピンクで、丸っこくて、可愛いやつ」


 シンヤは別に自身の目が特別なことや〈封印師〉の見習いであることを隠しているわけでもない。何もない空間と戯れる変人と思われるのも癪なので、見えていたままを話すことにした。


「おい……〈封印師〉のお前が見えてるってことは、それって異形じゃねぇか!」


「まぁ、大きな括り的には異形に入るな。あと、俺はまだ〈封印師〉じゃなくて、ただの見習いだよ」


 平然としているシンヤに対して、ユウはさっきまで恋魂達が漂っていた辺りを睨んでいた。そこには警戒心と恐怖が入り混じっている。その証拠に彼の肩は小さく震えていた。


「まぁ……見えないお前からすれば、異形ってだけでも怖いんだろうけど」


 人間は本能的に未知や理解できないことを恐れる。それは、なにもおかしいことじゃない。むしろ異形と戯れる自分のほうが変わり者なのだ。


「恋魂ってのほとんど人に害をなさねぇんよ。恋心から生まれる異形で、ピンク色のマリモみたいな感じで」


 ユウはこの前の授業で、異形は人の魂から漏れ出た強い思念から生まれるものだと、習ったことを思い出した。


 シンヤはそこに、高校デビューで浮かれた新入生が増えるこの時期に、恋魂たちも一気に数を増やすということを捕捉する。他にもクリスマスやバレンタインといったそう言う時期にも数が増えるらしいが、鮮やかな桜色をしているのは、純粋な恋心を抱けるこの時期だけだ。


「クリスマス時期は黒く燻んでるんだ。焦りの感情が混じったせいで、なかなか綺麗な桜色の恋魂が生まれねぇんだよ」


「ケッ! それじゃあ、その恋魂とかいう異形のものはイチャラブから生まれた奴らってことじゃねぇか。しっし!」


 ユウの態度は一変、もう居ないというのに恋魂がいた辺りを執拗に追い払って始めた。


 彼女どころか、浮いた話の一つもないユウにすれば、そう言った類のものは目障りで仕方ないのだろう。


「お前、凄い惨めだぞ、哀しくならないのか?」


「……すごく哀しい。……あぁ、俺も女の子とイチャイチャしてーよ!」


 おかしな方向に色欲が暴走している友人の姿は哀れでしかない。もう女なら誰でも良いというゲスの境地へと足を踏み入れてかけているのが現状なのだ。


「彼女が欲しいなら、まずはその下心から隠しやがれ」


「なに言ってんだ。ちゃんと隠してるぞ!」


 コイツにはどうやら自覚という概念がないらしい。


 呆れを通り越したら、虚無感にすら辿り着いた。


「つか、お前さ」


 ふと目をシンヤが凝らせば、ユウから黒い思念が漏れ出し、丸っこい塊を形作っていた。恋魂よりも刺々しい見た目をした黒い異形の、哀魂(あいタマ)である。


「あっ……生まれた。頭の上に異形が」


 ユウは哀魂が生まれる程度には、現状を嘆いているのだろう。


「しかも平均的なサイズより少しデカい」


「えっ、ちょっ!? マジか!? た、助けてくれよ〈封印師〉見習い!」


 見えていないユウは本気でビビって、シンヤに縋る。


 目の前に漂うのは本当に小さなウニもどきでも、ユウからすれば小さい頃に刷り込まれた悍ましい異形のイメージが先行してしまっているようだ。


「まぁ、この程度の思念から生まれた異形なら、数分も待たずに消えるんだけどな」


「そ、それでも、俺の思念から生まれた異形だぞ!! 見掛けがどれだけ貧弱そうでも、きっと恐ろしい怨嗟が詰まってるはず!」


「あー、はいはい。〈八災王〉も封印された今じゃ、〈解放者(リベレーター)〉の操る異形でもないくらい、人に害をなすようなヤツもそう滅多には生まれねぇよ」


「な、なら俺がその、リベ何とかだ! とにかく、早く退治してくれよ!」


「だから、鬱陶しいって!」


 どうやら面倒な友人を引き剥がすには、哀魂を封印するしかないようだ。


 魂に干渉できるのは魂だけ。魂を肉体という器に入れた人間では、異形に触れることすらできない。


 それでも人々はこれまでに何度も異形のものを封印してきた。魂に干渉できるものが魂だけだと言うのなら、魂で干渉してしまえば良いのだ。


「えっーと……〈封印師〉見習い、時雨沢シンヤの名の下に、その怨嗟を今断たん。〈封印道ノ壱・魂滅〉」


 気力のない宣誓を済ませ、無抵抗な哀魂を人差し指と親指でそっと掴み上げる。あまりに一方的すぎて、見えているシンヤからすれば罪悪感すら覚える程だが、仕方なく指を閉じて、哀魂をすり潰した。


「…………封印した?」


「弱すぎるから消滅させる方が早かった。……だいたい、この程度の異形なら何処にでもいるぞ。現にさっきの授業だって、」


 そこまで言い掛けて、シンヤは口をつぐんだ。これ以上、無意味にユウを怖がらせたって何の得もない。小さな異形が生まれる度にシンヤは〈封印師〉としての役割を果たせとメチャクチャを言われるに決まっている。


 人の思念からは絶えず異形が生まれるのだから、その全てと対峙をしていたってキリがない。


「さっきの授業が何だって……」


「あー、いや……お前ノート取ってるかなーと思ってさ。よかったら貸してくれよ」


「怪しいな」


 ジト目で睨んでくるユウ。面倒なところで勘が働くやつだ。


「勘弁してくれよ……あーもう、今日は厄日だ!」


「何が厄日だよ。みんなのアイドル、トウカさんから蹴られたクセに」


「いや、それが今日一の不幸なんだが……」


「……は?」


「……は?」


 二人の意見はまったく噛み合わない。ユウの目には、あのギロチン落としのようなトウカキックがご褒美にでも見えたのだろうか?


「お前……AVかなんかで変な性癖でも植え付けられたんじゃ……」


「いや! 黒鋼トウカさんと言えば、文武両道、スタイル抜群、非の打ち所がないスーパー美少女だぞ。そんなトウカさんと幼馴染であると言うだけでも貴様は万死に値するというのに、あわよくばそんなトウカさんから蹴られるなんて、羨ましすぎるだろ!」


「うん。ビビりの変態はもう喋らないでくれ」

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