第11.5話 忸怩② (前半36分〜前半終了まで)
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決勝トーナメント初戦の直前。
俺はチームメイトたちに話しかける。
「さて話そう。仮に次の試合、日本が先制した場合、我々は攻撃的にいくべきなのか? 守備的にいくべきなのか?
土屋が手を挙げる。
「時間帯はいつですか?」
「前半20分すぎから後半20分くらいかな。試合開始から20分くらいなら残り時間が多くて変わらないし、後半20分以降ならクローズに入っちゃうでしょ」
『クローズ』とはこちらがリードしている展開の際、追加点を積極的に狙わずディフェンスラインでボールを回す、守備的な選手を投入するなど、スコアをそのままにすることを望み、試合を殺し、前線の選手にボールが渡ってもディフェンスに隙がなければシュートではなくキープを選ぶ戦略。
リードを手堅く守るための手法であり、消極的で追加点を奪いにいかない、観ていて面白くないサッカーと蔑まれることもがあるが、(プロ・育成年代問わず)世界中のチームが『リードを守り、より勝率を高めるため』多少なりともこの手法をとりいれている。
「どうせリュウジのなかで結論があるんじゃないの? それで俺らにマウントとりたいんでしょ?」と内藤。
鋭い指摘だな内藤。まったくもってそのとおりだ。
だが多分内藤は俺の側の考えをもっているに違いない。
俺はサッカーにおいて現実主義者なのだ。
自分たちの戦力を過小評価し、相手の戦力を過大に評価してから試合に挑む。
「どうかな。俺ちょっと思ったんだよね。代表選手って強いチームから選ばれるのがほとんどだよねぇ。かくいう俺のチーム日本一なんだけどさ。ま、半分くらいは強豪クラブユースか強豪校。全国大会ベスト16以上のチームでしょ。清水もそう。村木もそう」
俺は代表でキャプテンを勤める村木を指さした。
「それがどうした?」
「強いところは攻撃的なサッカーを志向している。そりゃそうだ。格下を蹴散らさないと大会を勝ち上がれないからだ。トーナメント形式だろうとリーグ戦形式だろうと一緒。いつでもアクセルを踏み抜いてフルパワーで相手を倒す。
脳死で戦っても勝てる」
「雑魚相手なら」
これは津軽。
「だが相手は世界だ。ナメてかかれる相手なんてもう残ってないので」
「だから慎重に?」
これは黒瀬。
「こっちがリードしているときに慌てるのが日本サッカーの課題だよ。こんな程度の段階の課題を抱えていることに俺は深い悲しみを覚えるね。
ロストフのあれもそう、というか10人のコロンビア相手にあんなサッカーしてるフル代表のゲームがあったのにそれが改善しないのはちょっとどうかしているね」
もう何年前の試合だよって話だが。
「リードしているチームが追いつかれる、逆転される。でもよくあることだろ?」
これは河田。
「まぁ結果として追いつかれるとか逆転されることはあるけれど、その過程が問題だ。リードしているのにカウンターで失点したり、悪い形でボールをロストしたり、そういうのは愚かだろ疎かだろ?」
ドーハの悲劇からもう30年だぞ。あのときもリードしているのに最終盤に攻めてあの結末だったわけだし。
「真面目な話をしたいなら韻を踏むな」
清水がツッコんだ。
清水は俺の話している内容が気に食わないようだ。左WGとCFはピッチの外では相性がすこぶる悪い。
「監督の采配が悪いからそうなるんだって話をしたいわけじゃない。スコアだよ。点差点差。ただでさえ滅多に点が入らないスポーツ、そして試合時間は90分とたっぷり、選手たちが考えてすりあわせをする時間はあるはずだ。
俺たち選手が残り時間、点差、試合の流れ、実戦で感じた敵と自分たちの力関係などなどを総合的に考え正しい判断を下すべきなんだ。
「リュウジはいつも長々と語るね」
これは村木。
「長所だからね。これは部活動にせよクラブユースにせよ共通する概念だけれど、『俺は今日の試合一生懸命頑張ったから後悔はない』とか、『攻撃的で魅力的なサッカーを貫いたから彼らは
俺がこう言うと、何人かの選手がわずかに首を傾げている。
「繰り返すよ。『ベストを尽くした』とかそういうのはいらない。試合を観ている人間を意識してプレーしないでもらいたい。サッカー観を決めるのは俺たち選手自身だ。
俺たちが毎日厳しいトレーニングに明け暮れているのは眼のまえの試合に勝つためだ。カッコいいプレーをかまして人に尊敬されたいモテたいなんて副産物にすぎない。評価を他者に委ねるな」
「おまえにしては珍しく熱くなるなぁ」
黒瀬がぼやく。
「こういう場面があったとしたら? --1点差、試合終了間際。相手ともつれあい2人とも倒される。だが判定はこちらのファウル。横になったのおまえの眼のまえにボールが転がっている。やることはなんだ?
俺ならボールを抱きかかえ試合の再開を遅らせるね。少しでも味方が体力が回復する。守備に戻る時間もできる。相手もイラつくだろうしな」
「そのやり方はマリーシアだね……」
村木は俺を正しい方向に導こうとする。
だがそれは無理だ。だって俺のほうが正しいから。
「キャプテンは真面目人間だな。別に相手を怪我させるプレーを選べって言ってるわけじゃない。ちょっとしたルールハックだよ。サッカーは点が獲るのが大目標のゲームだと思われがちだけど、目的は『勝つこと』で『得点を奪う』ことは手段の1つにすぎない。
得点力不足を解消したら世界一になれるなんて目的を違えてるね。
いつでもゴールを狙いに行くだなんて雑な強さで勝てるほど相手は弱くない。世界大会なんだから格上を相手に勝負していることを忘れなきゃ。日本が横綱気どるにはまだ何十年か早いよ」
津軽が言った。
「この大会ノーゴールのおまえがゴールを望まないと」
「勝たなきゃ次の試合がないんだし、ゴール決めても代表が負けたら無意味でしょ?」
負けた試合のゴールなんて、酢豚に入っているパイナップルほどの価値もない。
まぁ酢豚あんまり食べないから自分で言っておいてぴんとこない喩えだが。
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前半34分。
日本の先制直後、土屋がチームメイトにむかって先に持論--結論を述べる。
「ブラジルはまず確実に攻めにかかってきます。今のオウンゴールでは相手の心を奪えない。僕のパスから生まれた得点ですのでなんですが……あれは偶発的に生まれたゴールです。
相手ディフェンスをきちんと崩して奪ったゴールは相手の精神面にもダメージが生まれる。個の強さ、戦術や連携の良さで得点すれば『また同じパターンでやられるかもしれない』、『相手チームは自分たちよりも格上だ』と思わせる効果がある」
あんな珍プレーで生まれた失点に落ちこむ要素はまったくないと。
スタンドからブラジルコールが湧き上がる。少しずつ、だが確実に声の大きさが増している。日本コールが掻き消えるほどだ。本当にここは中立地なのか?
『良いことをした人間が報われて欲しい』、そういう因果応報を信仰しているのは日本人だけではないということだ。試合中に人命救助を敢行したディアスのいるブラジルを贔屓したくなるというのはすごくわかる。
俺のせいでこのスタジアムは日本のアウェーと化している。
ブラジルはリードされる展開に弱い。俺が知る限りワールドカップでそういう状況に陥った奴らは弱い。常に優勝候補筆頭に上げられながら近年決勝に進むこともできていないセレソン、その理由は強者ゆえのプレッシャーだろう。
ブラジルがサッカーの国であるがゆえにメディアやサッカー界のお歴々が『この大会こそ優勝してくれ、いや優勝することが義務なのだ』そういうメッセージをかけ続ける。負けて母国に帰った彼らには居場所がない。
ましてや日本は本来格下のはずだ。負けることなどあってはならない。
ブラジル選手の弱点は性格だ。逆境にとことん弱い。
だが、特大のミスを犯したGKとディアスに落ちこんでいる様子はない。
選手たちに試合中に反省なんてしている暇はないのだ(これはマジで)。サッカーはミスのスポーツ。都合の悪いことは忘れるに限る。敵ながら参考になる態度だ。それどころかディアスは微笑んですらいた。
ディアスが後方から吠えている。恐らく監督からの指示を再確認しているのだろう。ブラジルの面々に下を向いている選手はいない。まだ残り時間はたっぷりある。
センターサークルのフェレイラとアリアスの表情を見る。彼らは笑っていた。ベンチの監督からなにか特殊な指示を受けたのだろうか?
……試合が再開される。
先制後の攻守のバランスについては何度も話しあっている。だがここは日本側がどうこうというよりも、ブラジル側がそれを決めてしまった。
相手は前半のうちに同点ゴールを狙っている。
たとえ捨て身であろうと相手が攻勢にでてくるならば、こちらは自動的に受け身に回らざるを得ない。
とはいえ『体力の消耗が激しく被カウンターのリスクの高い』攻勢だ。そのことを念頭に置いていれば相手ボールでも怖くはない。
リードされたチームがどのような手段で追いつくのが正解か?
攻撃に人数をかける--というのは正確な答えではない。
攻撃するためにはボールを奪わなければいけない。
もっというのならボールを奪う位置を高くしなければいけないわけで。
ブラジルは最終ラインを10メートル近く押しあげた。これはキツい。
特に中盤中央の位置がキツい。津軽や土屋ですら前を向けない。呼吸をする時間もあたえられないプレスだ。
サイドならまだしも中央ではブラジルディフェンスが飽和攻撃を加えてくる。このレヴェル相手に2対1は津軽でもキープは厳しい。
流れの中で中盤のサポートに下がった俺がセンターサークル内で前をむくも、ディアスが最終ラインから飛びだし奪われる。
ディフェンスラインと中盤の選手が近い。
日本のMFたちよりも平均で10センチ以上大きいブラジルのMF。そいつらに囲まれながら突破を試みるも、認知しがたい遠い距離からDFたちが一瞬で詰めてくる。
流れの中でDFが位置を上げ中盤のボール狩りに参加。
最終ラインに穴ができるリスクのある守備だが、
日本選手たちが自陣に引いているこの時間帯においては極めて有効な戦術だ。
土屋の予想が的中した形か。
だが前掛かりなことには変わりはない。ポゼッションが難しくてもロングカウンターの効果は増す。
奴らがボールを奪ったそのとき日本選手がさらに奪い返せるなら、そのとき俺が最適なタイミングで前に走る。
裏一発成立。
40メートルくらい独走してやるさ。そうすれば日本が2点目をゲット。
それはさておき現実。
ブラジルはこちらのボールを奪えば縦に早い展開、アタッカー陣が日本のディフェンスをこじ開けようと奮起している。そしてロストすれば即時奪回。攻め上がったボランチやサイドバックが戻らずボール保持者を囲んでいく。
日本のつなぎが雑になり二次攻撃三次攻撃につながってしまう。最後尾の由利が好プレーを連発している(特筆すべきは後方のスペースへのカヴァーの速さ)。
この大会を通してそうだった。由利が守備で目立つ=日本のピンチを意味していた。
俺はチームメイトたちの様子を確認し、日本のベンチを見た。
逆境のこの状態で、
監督は点を獲った直後も、今も同じことを叫んでいる。テクニカルエリアで口の横に手をやり、
「引くな、2点目だ! 試合を終わらせてこい!!」
と。
あの守備の鬼が追撃の指示を?
どういう計算なのだろう。
--日本の右サイドでWGの河田が倒れ込む。守備で長い距離を走らされたツケだ。肉離れを起こしていたようだ。大会中怪我を負うことが多く、今日の試合も出場が危ぶまれていた選手だ。
ドリブルでしかけようとしていたソウザが気づいてくれた。ボールを外に蹴りだす。スポーツマンシップに則った行い。試合ではよく見る光景のはずだ。しかしいつも以上に観客の拍手や指笛の音量が大きく感じてしまう。
「早くブラジルの同点ゴールが見たいってか?」
スタッフから簡単な治療を施された河田。……代わらない。数秒前まで痛みに顔をしかめていたというのにもう笑顔を、精一杯のやせ我慢だが復帰してくる。
不調であろうと5得点を奪ったウィングを警戒しないDFはいない。張り子の虎であろうと最高のデコイになる。
河田のその姿がこの試合のハードルを上げる。死闘。河田自身が「この先1年プレーできなくてもかまわない、優勝トロフィーを日本に持ち帰ろう」そう宣言してこのゲームに臨んでいる。無傷の俺が死ぬ気にならないでどうする?
横に立つディアスに話しかける。
「借りは返したろ? 俺は追いつけなかったが……おまえのオウンゴールを止めたかったんだ」
ディアスは首を横に振る。
「俺とおまえの間に貸し借りなんてなかったはずだ。違うか?」
俺は奴のまえに手をかざした。
ディアスは俺の手を叩いた。
もう感傷はなしだ。あっさりしすぎかもしれないが試合中だから時間がない。
俺は奴をサッカーで殺せる。
日本のスローインで試合再開。投げるのは内藤だ。
暗黙の了解にのっとってブラジル陣地に返してやる。スローインを受けた日本の右センターバックが、たっぷりと助走をつけ右足で特大のインステップキック。
長い滞空時間、ブラジル陣地のやや左寄りの位置に着弾した。このロングパス精度、日本のDFの攻撃性能は全員そろって高い。
敵からのパスを受けたブラジルのGKが1タッチ、2タッチとゆっくりドリブルを始めるのを見てから俺は少し低い位置から前進を始める。
ブラジルのビルドアップを阻害する。
ボールを受けたディアスが自陣深くから少しずつ上がってくる。
俺は味方の位置を見ながら近づいていく。
ウィングのディアスのボールテクニックはセンターバックのレヴェルではない。運ぶドリブル、両足のパス、それに判断力。
顔を上げ左右を見ながらパスコースを探す。
センターフォワードの俺はまず中央へのパスコースを消しながらプレスをかける。常に全速力である必要はない。それよりも首を振って敵と味方の位置を……、
俺の背後にアンカーが近づいてきた。
ディアスがその選手とアイコンタクト、
その視線はフェイクだろ?
そう俺が判断した瞬間鋭いパスが一閃、
すぐそばに立つアンカーにショートパスが入った。
俺と津軽がはさみこむようにプレスをかける。
だがブラジルのビルドアップは次の段階に移行する。
アンカーが2人引きつけたことで時間ができてしまった。
その選手の外側を走る右サイドバックが横パスを受ける。ハーフウェーライン手前でフリーになる。
まだブラジル陣内だ。
この位置、日本のゴールから60メートル以上遠い位置でボールフォルダーをノーマークにする、ただだけのことが現代サッカーでは深刻なダメージになってしまう。これがサッカーという競技の進化がもたらした緻密さを現している。
サイドバックにむかってプレスをかけなおす津軽、だが間に合わない!
右サイドバックが縦方向にスルーパス、低く速い軌道のそれが、
ディフェンスラインとMFのラインの間の選手に通る!
(俺は全力で戻っている)
攻撃のスイッチが入る。狭い空間でボールを待ち構えるボランチ、
村木がプレッシャーをかけるが遠い、相手を慌てさせるには遠すぎる。
ボランチは右足でボールを
右サイドで縦→縦、まるでスルーパスを立て続けに2回決めたような。
大外を駆けるのはアリアス、村木は体勢を立て直しドリブラーに追いついた。
(俺は全力で戻っている)
そのまえに右足の高速クロス、左利きのアリアスにとって不得手なプレーだが、
ここはミスらない。近いサイドに流れたフェレイラはクロスをスルー、
由利、そして並んで走るブラジルMFがそろって足を伸ばすもとどかない、
ボールは敵味方問わず不可触、ペナルティエリアの角へ抜けていったボール、
「河田!」、俺とベンチの監督の指示がシンクロする。
(俺は全力で戻っている)
そこで待ち受けているのはソウザ、最初のタッチで横ではなく縦に入り、
右後方から回りこんできた俺との接触をエリア内で受けることを選ぶ。
ペナルティエリア内で。最初のタッチでボールを守るように隠し、
シュートを止めようとした俺がぶつかるざるを得ない状況をつくった。
見事だ。
笛が鳴り試合が止まる。ブラジルのペナルティキックがまず確定。
今度は失点関与かよ。どんだけ俺1人を追いこみたいんだ。
神は俺を苦笑させようと必死らしい。
主審は……手を耳にあてるシグナルを見せた。VARか。もっとも俺のなかで結論は出ている。
俺はソウザの罠にかかり手を出してしまった。奴のシュートを止めるためにはこれが正解だと思わされたのだ。
ミドルシュートを本当に決めたいなら横方向にトラップしてから打つはずだ。
奴はコンマ数秒の溜めをつくったあとにペナルティエリアに入り、俺に追いつかせ、ファウルをゲットしたわけだ。
ブラジルの10番にぶつかったあとに気づいた。この角度がない位置から決まる可能性はそこまで高くない。
ならいっそ打たせたほうが失点する確率は……。ソウザの技量なら7割程度だったか。
日本人サポーターが頭を抱えているのが見えた。他の観衆たちは立ち上がり、判定を早く言い渡すよう審判団に急いていた。
ブラジルベンチはおかわりを、俺へのイエローカードを主審に要求し、
日本ベンチはすでに失点していることを念頭に戦術を変更しようとしているらしい。監督はコーチと熱心に話しこんでいた。コーチの手にはタブレット。
俺は振り返る。河田が渋い顔をしてこちらにむかってうなずいていた。
今の状況であのポジションを埋めるべきは河田だった。
守備が持ち味で代表スタメンに上り詰めた河田が集中を切らした。普段ありえないプレーがでてくるのが公式戦、というか世界選手権の決勝だ。この究極といって良いステージのゲームにおいて選手たちが普段どおりの実力を発揮できるか? という話だ。
俺は視野が広すぎた。味方のミスをカヴァーし全力で帰陣、頭が回らない状態で相手エースとの駆け引きに負けた。
俺は味方を裏切ってしまったのか?
大会屈指のミドルシューターであるソウザであっても、ペナルティエリア右寄りのあの位置、あの距離。
必ず枠内におさまるとは限らないのに。
黒瀬に任せたほうが良かったんじゃないか。わざわざカードのでる危険をおかしてまで止めなくても。
下された判定は……PKだ。主審はペナルティスポットを指した。俺のタックルが過度であったと場内に音声で説明される。ざわめき続けていたスタンドが一気に噴き上がる。まるでもうブラジルの得点が決まったかのように。
試合中のPKの決定率は8割以上。
ソウザのPKキッカーとしての技量は不明、少なくともプロの舞台で任されたことはない。
黒瀬のPKストッパーとしての技量は歴然、奴が全国で名を挙げたのは試合が決まるPKをことごとく止めてきたからだ。
ボールをもったソウザの姿を後方から見つつ俺は思う。
さてPKだ。黒瀬が主役になる。日本の選手たちに囲まれていた。味方のミスを諫める声はない。今はそんな場面ではないからだ。
「ソウザのPK。無理くなんてないでしょ?」と俺。
「よりによっておまえがそういうのかよ」
黒瀬は俺にむかって白い歯を見せた。GKはキレてない。
以前の奴なら、ミスを犯したチームメイトにこんな柔和な態度をとりはしなかったはずだ。
唯我独尊。
味方がミスをしない限り失点は許さないと公言するような選手だった。
それがどうだ。今は周りの選手たちの助言を素直に聞き入れているではないか(大会中に人間的に成長している。まるで変わらないどっかの誰かさんとは大違いだ)。水分を補充しながら何度も首を縦に振っている。
そのドリンクボトル。貼りつけられた紙にはソウザのPKのシュートコースが書き記されていた。
「ブラジルの育成年代の映像を入手するには苦労したんだぞ」とは監督の言葉だ。
そうだ、黒瀬ならきっとPKを止められる。止めたあとのこぼれ球を押しこまれないよう、今は集中すべきとき。
安心しろ、期待しろ。
黒瀬なら確率15%以下の『日本のGKがPKストップした』未来も引けるはずだ。
ボールを両手で慎重に抱え、表面にそっとキスをするソウザ。PK前のルーティーンか。
「悪いがすべてのサッカーボールは俺の女なんだ。今にNTR返してやるよ」
俺の独り言がきこえたのか、ソウザがこちらのほうを見た。
穏やかな顔をしている。
「こっちがどこに蹴るつもりか知ってるの?」
そうブラジルポルトガル語で問いかける。
俺はスペイン語で返してやった。
「余裕なんだろ天才様ぁ。パネンカやれよ。ど真ん中に向かって蹴れ」
(パネンカとはPKの際、キッカーが助走しシュートする直前、ゴールキーパーが先に動き、無人となったゴール中心にむけふわりと浮かせたシュートを決めること)
ソウザはもう答えようとしない。自分だけのゾーンに入っている。
ボールをスポットに設置する。静かに。縫い目がなくどこを蹴っても同じ軌道を約束する高機能のボールだ。このPKに不確定要素はほぼない。
ソウザはブラジル人らしくないプレイヤーだ。サッカーに遊びがない。テクニックを見せびらかし対戦相手にマウントをとることは一切ない。
この場面で必要なのは技術。ただ技術。
俺は知っている。PK戦のキッカー側の有利さを。この距離でGKが反応するにはゴールのフレームが大きすぎる。
トッププロのGKが小学生相手に決められてしまうのがPKというシチュエーション。果たして。
ましてや相手はソウザだ。来シーズンには移籍金6000万ユーロを現所属クラブに残し欧州に飛び立つ世代のトップランナーだ。
トップ下としては長身の186センチ、フィジカルモンスターで『ファウルでも止められないドリブル』。
わずか17歳にしてブラジル1部リーグでエースに上り詰めチームを牽引する人間性『蓋世不抜の超人プレイヤー』
王国の至宝。正直現時点では俺も同じアタッカーとして勝てる気がしない。黒瀬の存在感をもってしても厳しいだろう。
俺たち日本代表の選手たちが対戦する前から『世界の壁』を感じさせた唯一のプレイヤーだ。この大会に登録されている選手504名のなかでソウザ1人が突出した存在。
だが俺は奴と戦うことを避けようと思わなかった。
ソウザを見守るような横の位置に立った白人男性--主審の彼がホイッスルを鳴らす。死刑執行か、それともキャンセルか。ソウザ極短い助走から--
蹴った。
決まった。
日本 1-1 ブラジル
ソウザ(PK) 前半43分
ブラジル同点。
観客のどよめきをききながら俺たちは元のポジションに散っていく。
右横に飛んだ黒瀬の読みは正しかった。
だがソウザのショットはゴールのサイドネット内側を狙ったもの。ゴールの端、ほんのわずかな隙間に決めきった。角度的に許される誤差は1度もなかったはずだ。ゴールキーパーの左手とポスト。その空処に刺した。
今のシュートはアンストッパブル。黒瀬は自分を責める必要などまったくない。
ソウザはただPKを決めただけではない。相手の意思など関係なく、そのコースに蹴ってしまえば止められるGKはこの地球上にただの1人もいないのだから。
他者との技術の断絶をこのPKでまざまざと見せつけたソウザ。仲間の元に駆け寄り祝福を受けいれる。
そうだ、おまえは凱歌を歌っているがいい。のさばっているがいい。
ただし今だけだ。今に俺のゴールで俺の名前を覚えさせてやる。俺が代わりに世界に飛びだしてやる。そうなったときはおまえの名前なんて忘れてやるさ。
ソウザは上空にむけて人差し指を立てる。神に捧げるゴール? あのポーズはクリスチャンだからだろうか?
サッカーに宗教なんて関係ない。
俺が信じている宗教は俺が神であり絶対の存在。
その教義によれば俺が試合に出ている限り負けることはないのだとか。
……俺は今ではなくこの先の勝負に賭けている。
今この瞬間が勝負所だった可能性もなくはないが、やはりぎりぎりのゲームの『際』は後半のどこかにある。
前半の残り時間はあっという間にすぎていった。2つのゴールと俺の治療時間でアディショナルタイムはかなり長くなった。
だが内容はないに等しい。
失点を避けたいという日伯両国の思惑が一致した。
ブラジルは、同点に追いついたことで一端ギアを落とした。一気に逆転を狙うプランもありえたが、選手たちの疲労具合を考えれば妥当すぎる判断である。
スコアは同点だが追いついたのはブラジル。試合の流れは強豪国側に傾いている。そんなことくらい百戦錬磨の彼らには理解しやすいはずだ。
人材豊富なブラジルにおいて、一度ヘマをおかした選手が挽回する機会はそうそう訪れない。『勝ち続けなければ自分のポジションは奪われる』。連中は育成年代の過酷な環境を生き抜いて、勝ち残ってあのユニフォームに袖を通している。
日本の環境がヌルいと言いたいわけではない。ブラジルのそれが蠱毒すぎると言いたいだけだ。
日本が積極的に攻めない理由はわかってもらえるだろうか?
俺は孤軍奮闘していたが、それはまもなく俺の時間が終わってしまうことをわかっていたからにすぎない。他のスタメン選手たちはまだ後半が残っている。プレーの強度を上げる理由などない。
前半24分に起こった死亡未遂事故は幻ではなく現実だ。
あのとき死にかけたチーム最年少、15歳の音羽リュウジをこのまま後半も使うプランが日本代表にあるはずなどない。
ハーフタイムで俺を下げる。交代で入る体力がフル充電された選手、戦術やフォーメーションの変更。監督は的確で間違いのない指揮をとるはずだ。ブラジルをハメて日本が後半のゲームを支配するかもしれない。
ならスターティングメンバーが変わっていない現状、どう努力してもゴールを奪える可能性は低いままなわけで。
だから俺以外の10人が単調なサッカーを続けても、俺にそれを責める大義はない。
終わりなのか?
このままなにもできないまま大会を終えてしまうのか?
ハーフタイムに途中交代、流れのなかからノーゴールのまま俺の決勝戦は終了する。
ありえない。
ディアスがブラジル陣地でこぼれ球をクリアした。
長い長いボールが地面に落ちてくる。そのボールを日本のセンターバック、由利が手でキャッチした。その数秒前、前半終了の笛が2度、3度と長く響いていたからだ。
スタジアム全体がざわめく。席を立つ数万人の観客たち。放送席では一度中継が止まっているのだろう。観客席とフィールドの間に立つ警備スタッフ。文章をまとめることで忙しいライター。貴賓席にいるレジェンドプレイヤー(あまり知らない選手だった)、日本とブラジルの協会のお偉方、もちろんスタジアムの運営スタッフ。
試合に関係ない奴らの身分が今はうらやましい。今日の試合はどうして--俺なんだ? 俺にばかり深刻な問題が発生するのだ?
不運なんてレヴェルじゃない。俺は占いの類いなど信じないが凶事が起こりすぎだ。大凶。仏滅。13日の金曜日。今日死ぬんじゃねぇの俺。
選手たちがスタジアムにひっこんでいく。俺はその入り口手前で足を止めた。
俺は不安を自分の内側深くに隠し、自尊心を浮上させてからベンチを見た。
そう、思い違いかもしれない。監督は俺を後半も使ってくれるかもしれないではないか。
決着はスタジアムに入るまえについた。建物の入り口のすぐ外で伏見監督が待ち構えていた。慎重に周辺に視線を送り、近くに日本選手がいないことを確かめたあと俺にむけてこう言った。
「リュウジ、本当にお疲れ様だ。今日はよく戦ってくれた。あんなことがあったのにおまえは全力でゴールを狙い続けた。俺は感動したよ。
……後半の頭から交代だ。あとは先輩たちに任せよう! な、リュウジ、ここからは一緒にチームを応援しよう」
なにもかも予想通りで困ってしまう
アンダー17ワールドカップ決勝戦、日本対ブラジルというゲーム本編とは同時進行で別のゲームをクリアしなければいけなくなった。
伏見監督を説得し、後半も出場するためのゲームを。
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日本代表スターティングメンバー
清水(11) 音羽(15)河田(10)
土屋(7) 津軽(8)
AC
村木(5) 由利(4) CB 内藤(2)
黒瀬(21)
ブラジル代表スターティングメンバー
アリアス(11) フェレイラ(9)
ソウザ(10)
CH AC CH
SB ディアス(15) CB SB
GK
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