第10話 奇貨①(前半25分〜35分)

 アメリカに滞在し数週間が経過している。代表チームが貸し切っている某スポーツ施設に付属して建てられた小規模なホテル。その一室で俺は目覚めた。

 決勝戦の前日。

 早朝。

 隣のベッドでは土屋が寝入っていた。そのことは不思議でもなんでもない。大会の直前合宿からずっと相部屋なのだ。違和感の原因は年上のMFがなんの衣服もまとわずに布団のなかから出てきたことだ。

「おはようございます」

 土屋は年下の俺にも敬語を使う礼儀正しい男だ。今全裸なことを除けば。

「頼むから服を着て」

「はいはい」

 土屋は丁寧に折りたたんだ下着をバックのなかからとりだした。その動作は緩慢だった。マイペース(和製英語)すぎるだろ。

「ちょっと待ってね。今までずっと全裸だったの?」

「僕は裸じゃないと寝られないんです……」

「おまえの家じゃないんだからさ」


「リュウジ君寝付きがいいから睡眠時間が被らないんですよね。10時間くらい寝てるんじゃないですか。ストイックですねあれで」

「あれって……」

「口ではふざけたことばかり言ってますけれどスポーツマンらしく競技に集中していて。チームのみなさんが女の子の話をしていても関心を示さないでしょう。まさかそっちの趣味が?」

「ないから」

「日本に帰ったら美味しいものが食べたいとかならないんですか?」

「スポーツマンだから身体にいいものしか口にしたくないし」

「そういうところがすごい真面目なんですよね。試合に勝つことしか考えてないというか。サッカーに関係ないものを遠ざけていますよね。普通に活きていれば誘惑がいっぱいあるのに」

「俺がただのサッカー馬鹿みたいじゃないか」

 いや事実そうなんだろうけれど。

「みんなリュウジ君のこと陰では褒めてるんですよ」

 おいおいおい。

「俺のことはおおっぴらに褒めろよ。もっと肯定しなさい。俺はフクちゃんなんだよ。絶賛しないと拗ねるぜ」

 とはいえまだこの大会で褒められるようなプレーを見せたことは一度もないが。


「コーチたちにも熱心に話ききにいってますしね。若いですけれど選手のみなさんのお手本になってるんですよ。そういうところが評価されたから選ばれたんじゃないですか?」

「……まるで俺が実力じゃなくてムードメイカーとして選ばれたみたいにきこえるんだが」

 え、悪意?

「ちょっと悪口を言ってみました。いい加減リュウジ君が点を獲ってくれないと--優勝したとしてもなんか満足感がない? というか」

 土屋は俺を上げたいのか下げたいのか。

「この世代の代表チームもこの大会が終わったら解散してしまいます。せっかくみんなと仲良くなったんですから気分良くエンディングを迎えたいじゃないですか。リュウジ君は仲間とつるんで楽しくないんですか?」


「つるむって……」

 土屋が人と談笑しているところをあまり見たことがない。人に誘われて仕方なく会話に混じっているところがあるくらいぼっちなのにどうして陽キャそっち側に立っている風の発言を……。


 土屋は真顔になってこう言った。

「知ってますか? 僕たちには意外な共通点があるんですよ。選手のみなさん全員にきいたから間違いないです。なんとですね、僕たち全員温泉がある都道府県出身なんですよ! これはすごい偶然じゃないですか?」

「いや、日本の全都道府県に温泉はあるはずだから……」

 念のためにスマホで調べた。うん、確かにある。

「じょ、冗談?」

「冗談です」



 アマチュア最高のボランチ・土屋の長所--

 長短の正確なパス、

 敵味方の位置を随時知ることができる広い視野、

 ボールをほとんど見ずルックアップしてプレーし続ける技術--

 この無表情な男が10年に1人のゲームメイカーと呼ばれているのには理由があるのだ。


 俺が知る土屋の絶対長所は3つ。


 中盤で最善手を見つけ、ボールを安全にゲインさせる『正着』。


 相手ディフェンスのありもしない隙を見つけ刺突する『チャンスクリエイト』。


 そして最後は説明しにくいが……土屋がサイドからのゴール前にクロスを上げたとき、浮き球のパスをいれたとき、そしてコーナーキックやフリーキックを味方にあわせたとき、他の選手が同じ状況で蹴ったときよりも有意にゴールが生まれる可能性が高いのだ。この大会でもアシスト、プレアシストを量産している。


 もちろんそれは土屋のキックの精度が高いからそうなるのだろう。俺はそう思っていたのだ。

 だが土屋曰く。

「なんとなくそこにボールを蹴ればチャンスが生まれるんじゃないか、そう思って蹴っているときもあります」

 名前をつけるなら『曖昧ファジィパス』


 本人のなかで合理的な判断があってこのパスを選んでいるわけではない。

 土屋のこれまでの経験と勘という抽象的な判断で(そこに蹴れば相手が困るだろう)ボールを蹴っている。

 プレーの言語化や戦術の具体化が進んだサッカー界においてあまりにも天才肌な発言だ。土屋は『なんとなく』プレーしながら日本のほとんどのゴールに関わってきた。

 土屋は例外なのだ。いわば天然物のタレント。指導者があれこれ指図する前に自分のなかでサッカーの正解を答えられる異能だ。

 ポジションはトップ下かダブルボランチ、あるいは代表のようにIH。決してゴールの数は多くない。本人もチームメイトをパスで操る側に立ちたがっている。アシスト役を重んじるのは日本人らしいサッカー観の持ち主だと思うこともある。


 土屋は試合中声やプレーでチームメイトに主張することはない。

 走って、歩いて、ボールがきたら少ないタッチで味方に渡す。それだけだ。淡々とプレーしてチームを勝たせる。ゴールに執着しそのためにならあらゆる手段を講じる俺とは正反対の選手だ(FWとMFだから当然といえば当然)。

 だが、


 頭のネジが外れているところがある点については俺と一緒だ。あんな無害そうな顔をしててエグいことを平気でやり遂げる奴。口数が多くはない奴なのに周囲の人間をあっと言わせるようなことをやるのが土屋だ。

 そのことを決勝戦で再確認することとなった。

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