第10.5話 奇貨②(前半25分~35分)



 


□ □ □ □ □ □ □ □ □ □


 時刻は午後6時を回った。日中の暑さはもうピッチには残存していない。選手たちにとって快適にプレーできる気温になっている。


 ブラジルは守り方をゾーンディフェンスからマンマーク寄りに変えてきた。

 ボールをもった日本選手にルックアップさせる隙をあたえない。

 フィールドに1対1が9組できる。

 2対1になっているのは俺とブラジルのセンターバック。

 そしてフリーになっているのは日本の右センターバックだ。

 フォーメーションも日本にあわせ4-3-3。ソウザが左WG、アリアスが右WGに入っている。いわゆるミラーゲームってやつだ。


 マンマークの長所は攻める選手が前後左右に動き回ってもついていける=フリーになる敵ができないこと。

 短所はボールを奪取したとき、自分がマークしていた選手がそのままついてくるのでフリーになれないといったところか。体力の消耗も激しい。

 いずれにせよ1対1、個人の能力で勝てなければ採用しにくい戦術だ。

 そして日本には津軽や清水など個の力で勝てる選手が何人もいる。


 ブラジルは試合再開後の10分で2本のシュートを放った。

 日本のディフェンスを崩して打ったわけではない。

 無理矢理な形でフェレイラがミドルシュート、これは内藤にブロックされた。

 アリアスが右サイドを突破しゴールラインを割るかぎりぎりの位置から放つもサイドネットを揺らすに終わる。

 ブラジルは攻勢にでているというよりも、シュートで終わらせ日本のカウンターを許したくないという意思を感じる。

 俺はあの『事故』から再開後にまだボールを受けていない。日本選手たちへのマークはしつこく、特に俺へパスを止めることに執念を燃やしている形だ。

 それでも残りの試合時間俺がなにもできずに終わるとは思っていない。

 中盤に下がってパスワークに参加するか? いや、ディアスとの対戦を避けたくはない。この均衡はどこかで崩れる。チームメイトは必ずチャンスをつくってくれるはずだ。


 ディアスは俺に話しかける。

「強い奴と戦いたいからここにきた。そうだろ?」

「急になにを……」

「ベストを尽くしたいから俺もここまで鍛えてきたんだ。あんなことがあってもピッチに残っている君が情けないプレーを続けたら俺は--なんていうか悲しくなると思う」

「俺はベストを尽くしてるよ。ボールに触らんでも試合には参加できてる」

 今歩いているのは体力の消耗を避けるため。状況を観察し最適なポジションをとる。

 ディアスが俺をナメてくれるなら幸いだ。俺はもうあいつに助けられたことなんて忘れてしまっているから。ちょっと切り替えが早すぎるか?


 俺は時間を使った駆け引きを使わない。

 普段の試合なら--たとえば少ないタッチでシュートを撃つプレーを繰り返し→ここぞという好機でシュートフェイントの効果を高めるなど、早い時間帯に布石・捨て石となる攻撃をすることもある。

 だが今は結果ゴールが欲しい。あんなことがあった直後だ。俺には、

 今、

 今、

 今しかないのだ。



 前半34分。

 わずかにタイミングがあわない。

 内藤が(相手SBのマークを外した)右WGの河田に出したスルーパス、これがオフサイドの判定。主審が笛を吹く。

 ブラジルのフリーキックで試合が再開する。


 これを蹴るのはディアスだ。味方に上がるよう指示をだしている。

 少しずつ連中のポルトガル語が聞きとれるようになってきた。

 ディアスの発声は明瞭で素人の俺にもスピーキングが可能だ。奴はこう言っている。

「怖がるな! もっと余裕をもってプレーしろ! 自分たちがこのユニフォームを着てプレーしていることの意味を考えろ」

 ディアスは黄色いユニフォームの胸元をつかんで叫んでいる。

 約20年もの間世界制覇を成し遂げていないとはいえ、ブラジル代表のエンブレムには5つの星が飾られている。王国の価値に衰えはない。

 俺はなんだかんだいって日本代表のブルーのユニフォームには愛着をもっている。子供のころからずっと。流石に15で世界大会に出場するだなんて予定はなかったのだが、着てプレーしている以上すべての試合に勝ちたいと願っていた。


 国際Aマッチにおいて、日本代表がブラジル代表に勝ったことは一度たりともない(2023年現在)。


 代表を捨てた父親を持つディアスが、チームメイトを鼓舞し勝利に貢献しようとしている。

 奴にかかるプレッシャーは他の選手の比ではないはず。このゲーム、もし敗北に直結するようなプレーがあったのなら、たとえ未成年であろうとマスコミはバッシングを浴びるに違いない。それがブラジルという国だ。

 ましてや生まれてからなに不自由なく育てられたセレブの子息である。大衆からも容赦なく叩かれるはずだ。


 


 6試合連続でセンターフォワードとして先発起用されながらゴールを奪えない。音羽リュウジにかかるプレッシャーは他のチームメイトよりも大きい。

 このゲームは俺とおまえの勝負だったのだ。最初から。



 ブラジルボールで試合が再開。

 ハーフウェーライン、ブラジル陣地の左寄りの位置からボールが出る。

 ディアスが完璧なフォームでボールを蹴る。なんて無駄のない動作……。

 低く速い弾丸のようなロングボール。

 フィールドを斜めに突っ切っていく。土屋が助走してジャンプするも止められない。

 ボールは一発で日本の陣地を侵略した。右WGのアリアスへ。アリアスは縦を意識させたあとに真横、カットインだ。


 日本の左サイドバックが対応する。リズムに乗ってバイタルエリアに突っこんでくるアリアス、

 日本選手2人を引き寄せた。余裕の表情のアリアス、そこから味方とスイッチ、

 後ろからトップスピードでボールをかっさらったボランチが真っ直ぐペナルティエリア右側ゴール寄りの位置にに侵侵入入、、

 まずい! 由利ですら後手に回った。センターバックが懸命に足を伸ばすがその間を通すグラウンダーのクロス、

 ファーサイドで待ち受けるフェレイラに押しこまれ--

 ない! GKの反射神経が常識をくつがえす。果敢に飛びだしてがっちりボールをキャッチした。ここから、


 日本の守護神の攻撃意識が効力を発する。

 チャンスピンチが終わり一瞬止まってしまった敵と味方を追い抜き、ペナルティエリアの内側ギリギリの位置でパントキック、

 狙いはもう前に走り出している清水だ。丁寧にトラップし前を向く。

 攻守が切り替わった。ブラジルの最終ラインが高い。

 下がりながらのディフェンスはやりにくいだろう。俺は左から右に動きマークするDFを幻惑する。


 清水は相手SBとの1対1。アタッキングサード。

 しかける? いや土屋が珍しく全力で走っている。清水を追い抜いた。

 2対1の状況、清水は内側を走るMFを使う。

 ここでの正解はさらに内側を走る津軽への横パスだ(土屋に追いついたボランチは後手を踏む)。本人も声でパスを要求している。

 津軽に出せと俺は内心で叫ぶ。センターのレーンでフリー。この位置で津軽の強烈なミドルシュートを意識しないDFはいない。後方のDFを1枚剥がせば津軽お得意のスルーパス、ペナルティエリアで受ければ俺なら決められる。だが土屋は、

 ななめ37度の位置から、

 ブラジル最終ラインとGKの間の空間に、

 ゆるい♨浮き球のパスをいれてきた。

 しれっとした顔をしてなんということを……。


 なぜ! と思う俺がいる。

 同時に土屋ならこれを選ぶと思う俺がいる。


 サッカーにおいて『意外性のあるプレー』は、確かに敵の意表を突けるならその点は効果的だ。

 だがその『意外性のあるプレー』は味方にも伝わらなければ成立しない。

 シュートや対人ディフェンスなら単独で完結できる。

 だがパスは……受け手と出し手が理解しあわなければあわないのだ。


 だが土屋と俺はわかりあえる。

 土屋ならセンターバックとの接触が起こりやすいこのパスをあの事故直後にあえてだしてくる。奇天烈。


 ディアス、GK、俺の3名がボールの落下地点に殺到する。

 ボールの速度、角度、そして土屋のキックフォームから弾道を予測。俺は動体視力も空間把握能力も優れている。誰よりも早く身体を動かした。


 土屋の『ファジィパス』が発動している。相手守備陣に事故を発生させるようなパス。奴だけはセオリーを無視し弱点を突ける。

 スタジアムの歓声が大きい。俺の落下事故のせいで観客たちの集中力が増している。ゆえにゴール前にボールがきただけで割れるような音量に達している。

 味方同士の連携がとれない?

 ボールがフィールドにバウンドした。跳ね返りが大きい。浮き上がるボールは処理が難しい。

 ボールに到達する寸前俺は足を止めた。

 怯懦したのではない。これは間に合わない。こぼれ球をシュートするためブレーキをかけた。

 ディアスとGKが激突するのを俺は見ていた。

 持ち場のゴール前から離れたGK--ボールにアタックすることが前提となり味方が見えていない。

 背走しながらボールを追いかけるディアス--俺の速さを警戒し声がだせなくなっていた。

 パンチングを狙うも空振らせたGK、チームメイトと空中でぶつかりながらヘディングしたのはディアス、そのボールがゴールへ、ゴールのど真ん中にむかって勢いよく転がっていく。


 俺は認知していた。このゴール前のごく狭い空間にいるのは自分1人だけだと。

 味方もいない。敵DFもクリアすることは叶わない。

 俺は走りだしていた。

 認識がスローモーションになっていく。


 ただ見れば日本にとってのラッキー、対戦相手2人がとんでもないミスを犯し、労せず先制点を奪うことができたシーンなのだ。

 無人のゴールにボールが吸いこまれていく。。そのボールに触れることでみずからのゴールとしているようにしか見えない。

 日本の15番はハイエナにすぎないと。

 試合に使うはずの無駄なエネルギーを費やしているにすぎないと。

 実態は違う。自分がボールにタッチすれば、ブラジル選手2人への非難が少しは減るはずだ。オウンゴールは奴らにとって最悪の結果だ。

 俺は敵のミスを笑わない。

 全力を出してプレーしている相手への礼儀を持ちあわせていた。


 足でフィールドを叩き、反発させ、加速、足りない? なら滑りこむ。

 ボールがゴールラインを割ろうとしている。神速に達した俺は右足を伸ばし、スパイクのアッパー部分にボールの感触がくることを期待した。今ほど得点を渇望した瞬間は人生においてなかった。だが、


 間に合わなかった。


  

  日本 1-0 ブラジル

  オウンゴール(前半35分)



 日本先制。


 ブラジルのキャプテン、ディアスのオウンゴールによるものだ。

 俺は命の恩人を救えなかった。


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日本代表スターティングメンバー


 清水(11) 音羽(15)河田(10)


    土屋(7)  津軽(8)

        AC


SB  由利(4)  CB  内藤(2)


        GK



ブラジル代表スターティングメンバー

  アリアス(11)  フェレイラ(9)


       ソウザ(10)

    CH AC CH


 SB ディアス(15) CB SB


       GK

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