第7.5話 解法(前半14分〜前半23分)②
前半17分。
浅い位置でボールを受けた日本のアンカーが前をむいた。使うのは--
右サイドのタッチライン際を駆け上がってきた内藤だ。
伏見監督は前半の間サイドバックの攻め上がりを自重しろと言っていた。
だがこれも駆け引きだ。日本が前半45分間ずっと守備的なサッカーを続けていたら、ブラジルは人数をかけないこちらの攻撃を読めてしまう。たまには後ろの選手に長い距離を走らせ、
(そのパターンもあるのか)
と思わせなければいけない。グーもチョキもパーも見せなければ長期的には勝てないのだ。
こういったゲームプランの細部の調整は選手たちの自主的な判断に任せられている。
アンカーからのミドルパスをインサイドで丁寧にトラップした内藤。ハーフウェーラインの少し手前という位置だった。
ブラジルのボランチがスライドし対応する(フォーメーションの相性的に攻撃する4-3-3のチームは、守る4-3-1-2のチームに対しサイドバックの攻め上がりが有効)。
後ろからFWのアリアスがプレスバックし挟みこもうとしている。
ここは前方にいる右ウィングに出すのが安牌だ。タッチラインに沿った縦パスは相手にカットされにくい。
だが内藤はそこを狙わない。
敵陣で俺はポジションを下げる。ディアスの間合いから離れ2列目に降りる。
すでに味方の意図は読んでいた。
(相手のラインをずらすんだろ?)
内藤は左斜め前方の俺にむかって浮き球のパス。
中央。
俺はボランチを背負いながら胸トラップ、あえてボールをバウンドさせ、敵が伸ばしてきた足に触れにくくさせる。
秒、数秒。
この時間があいつには必要なのだ。攻撃の起点となるポストプレー。
俺が落としたボールを津軽が前へフィード。
内藤が果敢にオーヴァーラップしている。最終ラインの裏でボールを受けた。
内藤を起点とした右サイドの攻撃。
仮に右外→右外でボールをつないでいた場合、ブラジルのDF、MFの2本のラインは(日本から見て)右側に寄っており、右サイドバックの内藤が走りこむスペースは消されていただろう。
だが一度中盤に降りた俺にボールを経由したことでつなぎは右外→中央→右外。ブラジルの2本のラインはボールを保持した俺を止めるために中央にスライドし、内藤が走りこむスペースが発生したのだ。
自分でつくったチャンスをみずから享受する。
内藤の眼の特異性は対個人だけに作用するのではない。フットボールのフィールド105メートル×68メートル全体の状況を把握していた。日本代表には最後尾のゲームメイカーがいる。
ペナルティエリア右からダイレクトで折り返す。
狙いは左サイド、DFの死角から飛びこんできた左ウィングの清水。
無双のドリブラーはフリーランにも優れている。ヘディングでシュート!
だがブラジルのセンターバックが辛うじて反応した。近距離で頭に触れボールは宙空へ飛ぶ。まだペナルティエリアから出ていないそのボールに、
戻ってきた俺と、
待ち受けていたディアスが飛びこむ。
勇躍。
見境もなく喰らいつく両者。
勝ったのは俺だった! 背をそらし全身のバネを額からボールに伝える。遅れてディアスとぶつかった衝撃を首から下に感じた。
ゴール左隅に転がったボール、
ネットが揺れる映像を幻視するが、
ブラジルのGKがダイヴィングキャッチ。懸命に伸ばした両手で迎えるも--威力を殺しきれずファンブル、
清水がさらにそれを狙うがブラジルの1番はボールを地面におさえつけ、大事に抱えこみ、こちらの得点のチャンスは失われた。
日本のゴールを期待するスタジアムの歓声がすぐさまため息に変わった。いや、これから本物の大歓声を、大喝采を日本選手たちは浴びることになるはずだ。
「--なんだ、いたんだ?」
俺は歯を見せて笑ってから、ディアスにむかってつぶやく。
「なんなんだ、おまえは!?」
ディアスは俺を見ている。もう1人のセンターバックが、ゴールキーパーが。他のブラジル人選手、ベンチにいるスタッフたちもみな。
日本の関係者なら俺の身体能力についてはわかっているから驚かないだろうが。
俺は今178センチのディアスの頭上からヘディングシュートを放った。空中での到達点の高さは10センチ以上あったはずだ。
俺の身体能力はサッカー界において上澄みだ。170センチだがダンクシュートを決められるほどの跳躍力がある(別の競技だけれど)。
俺のジャンプ力なら180センチ以下のDFはカモにできる。
カンナ○ァーロやコ○ドバのような小柄なセンターバックは例外中の例外だ。サイズがないと厳しいポジションだ。
俺にとってディアスはやりやすい。
ブラジルの最終ラインは今怪我人と出場停止選手が続出しているという。
本来MFかFWのポジションのディアスがセンターバックをやらされているのはそのためだ。
ディアス……決勝戦までに調べておいたが父親もプロだという二世選手らしい。
ディアスことディアス・ド・ナシメント・ヴィエイラ・ジュニオール(ブラジル人のフルネームは長い)はチーム事情のために泥を被らされている。
ディアスは付け焼き刃のセンターバックにしては良いプレーを準決勝のオランダ戦で見せていた。だが一つだけ欠点がある。
ハイボールに対して弱い。
足は速いが跳躍力に欠け、またクロスボールがきた際のポジション取りに迷いが見られる。
日本の3トップに高身長の選手はいない。ベンチも含め世界相手に空中戦が絶対的な長所であるFWは不在だ。俺も190センチあるセンターバックに高いボールで勝てる自信はない。だが相手がディアスなら話は別だ。
勝率が高い1対1のマッチアップがあるのならそれを狙わない手はない。
「長いボールをくれ!」
俺は声と手振りでチームメイトたちに要求する。
ベンチを見ると伏見監督は腕を組んだまま薄汚い薄笑いを浮かべていた。考えることは一緒か。
安定して勝ち続けるためには継続性のある『良いサッカー』も必要だろう。
だが大会最後の決勝戦にそんなものは必要ない。
今日勝てるなら明日なんて捨てられる。
ブラジル相手に勝てるなら、たとえばFWに長いボールを放りこむような『つまらない、創造性に欠けた、個人技頼りのサッカー』でもなんらかまわない。
内藤が言ったとおり、俺たちは勝利しか求めるべきではなかったのだ。
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □
5分後。
日本は5分間で4本のクロスボールをブラジルゴール前に送りこんだ。モ○ーズ並にハイペースでクロスを入れている。
そのすべてのターゲットが俺だった。
うち3本に俺は競り勝ち、1本が俺のシュートに、残りの1本が津軽のシュートにつながった。いずれもゴールの枠内。津軽が放ったシュートなどはクロスバーを直撃した強烈なものだった。
得点の匂いが充満している。だからこそ早いうちに決めきらなければ。
日本のインサイドハーフ2人はクロスボールのこぼれ球をことごとく回収していた。
ブラジル相手に日本がボールを保持し続けている。
今、試合は圧倒的に日本の優勢の流れとなっていた。
ブラジルベンチはまもなく動くだろう。3バックにするか、それとも前半のうちに選手を交代するか。いずれにせよディアスはセンターバック失格だ。
ディアスは顔が青白い。ボールが近づくたびに失点がちらついて仕方ないのだろう。いっそあれは死相とでもいうべき表情か。
他のブラジル選手がディアスのカヴァーにいけば日本の選手はその隙をつくはずだ。そのことはピッチに出ているすべてのプレイヤーがわかっている。
この空間において強者と弱者が決定されてしまった。
170センチながら空中戦で勝利し続ける怪人FW、音羽リュウジ。
年下の日本人選手に負け続ける急造センターバック、ディアス。
だがこの数分後、この2人の関係性は一変することになる。
たった1つのプレーがこの決勝戦の趨勢を大きく変化させた。
先制ゴールが生まれたことでゲームの流れが変わったわけではない。それがサッカーの試合において極当たり前の現象だ。
この試合において発生した世にも稀なイヴェント、それはある種の奇跡だった。
俺は自分をマークしているDFのことをなにもわかっていなかった。
ディアスは優しいから強い。
俺は奴に命を救われたのだ。
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左右前後は常に攻撃しているチームから見ての表記になります。
日本代表スターティングメンバー
清水(11) 音羽(15) WG
土屋(7) 津軽(8)
AC
SB 由利(4) CB 内藤(2)
GK
ブラジル代表スターティングメンバー
アリアス(11) フェレイラ(9)
ソウザ(10)
CH AC CH
SB ディアス(15) CB SB
GK
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