第20話 緒戦(後半17分~試合終了)
伏見監督は横に並び立つ俺の耳元に叫び伝えた。
「いいから! 大人しくベンチに座ってろよリュウジィ。ここはテクニカルエリア……」
ユニフォームの上にビブスを重ねた俺はフィールドを見ながら1歩だけ後ろに下がった。
「ほらほら走れ走れ!! 俺のリードを帳消しにするつもりかおまえら!!!」
日本は一挙に4人の選手交代。下がったのは俺と清水と河田の3トップ、そして土屋だ。入るのはFW/MF登録の選手が3人、DF登録の選手が1人。
フォーメーションは3-6-1に変わる。攻撃的布陣から守備的布陣。伏見監督は迷わず逃げ切りの選択だ。1トップにはスピードスターが入る。前線から鬼プレスをかけ続ける快足フォワード(古典表現)
ΟH2人は津軽と投入された
そして波多野の横にもう1人守備的MFが増えた。ブラジルが中央突破を狙ってくることを予想しセンターのレーンを厚くしたのだ。SB2人はそのままWBになる。
伏見監督のもくろみは当たった。失点直後にブラジルが投入してきたウィングは170センチ台とやや小柄だ。ヴィデオを観る限り、味方へのパスを意識させたうえで細かいタッチのドリブルでディフェンスを剥がす選手だ。
後半19分。
ビハインドを負ったブラジルイレヴンは、プレッシャーを感じながらサッカーをしている。
新しく入ったウィングが左サイドから中へ、津軽と波多野の間、極狭い空間にねじ込んでいくようなドリブル。
ここから前方のソウザと高速のワンツー。日本DFが埋まったペナルティエリアを斜めに突っ切り、DFの背後でシュートまでもっていこうとする。
だがそのスペースは日本選手たちがあえて空けておいたもの。罠にかけた由利と村木がウィングから苦もなくボールを奪った。
頭を抱える黄色いユニフォームの選手たち。
「んあー選手同士の距離が近いなぁブラジルさん。まぁ全ツッパするなら狭くても中央か? もうフェレイラもアリアスもいねぇし特攻するしかねぇよなぁ!?」
「そこにいるならせめて応援しろよリュウジ。俺の代わりに変な指示あたえるなよ。あいつら迷うから……」
ブラジルはショートパスをつなぎ日本の壁を崩そうとするが、チャンスをつくることができない。日本が引いて守ればブロックは5-4。数が多すぎる。
後半31分。逆に日本のほうがチャンスをつくった。
カウンター部隊3人が機能する。相手のミスに乗じCF太秦が高い位置でボールを奪い、すぐ左横のΟH広幡へ。左サイドから広幡はDF不在のゴール前に山なりのパスを出した。
DF不在の(正確にはGKが1人で守っている)。
そこに走りこんでいたのは無制限のスタミナを誇る津軽だった。
エリア外、胸で確実にトラップした津軽は狙い澄ました一撃、
威力ではなくGKが止めにくいゴール左下を狙ったこのシュートはポストに妨げられ、津軽はその跳ね返ったボールに自ら反応する。ここはGKが自分に返ってきたボールを察知し先に握った。
津軽は相手の好守を褒めるように微笑んだ。相変わらず強面で怖いが。
まるでブラジルDFがいないかのような一連の流れ。
彼らはリードされていることに焦り、攻撃から守備への切り替えが遅い。そしてディフェンシヴサードで軽率なプレーを繰り返していた。
「焦ってんぞブラジル!! ほい! ディアスほい! 集中できてないぞ!! リードされてるからって雑になるな! 切断厨かよ。最後まで勝ちに行け! ブラジル人はサッカーがわかってんじゃなかったのか!!」
「相手を煽るなリュウジ。国際問題になるだろ……」
俺をいさめる伏見監督だったが、様子を見る限り相手が悪手を打ち続けていることを嫌がってはいないようだ。
敵の自滅による勝利でも喜べる。勝負師とは残虐なものだ。
それほど俺の前にいるこのおっさんは勝利に飢えているということでもある。
日本選手たちがゴール正面に人垣をつくる。人海戦術で守っているのではない。相手の攻撃を誘導しボールの奪いどころを共有しあっている。
守る選手たちが一塊になると、ボールを奪ったあとにつなぐことができない。
したがって、日本の前の3人(CFとΟH2人)は自陣に引きすぎない適切なポジショニングを要求されるわけだ。アンカーの波多野が声とジェスチャーで前方の選手たちの立ち位置を調整し続けていた。
後半44分。チャンスをつくれないブラジルは焦れる。
『中央に人数をかけ、ドリブラーが縦方向に侵入、味方との壁パスからシュートを狙う。狭いエリアで即興的なパス交換は、ディフェンスに対応する時間をあたえない』。
ヨーロッパ的な整備された戦術を用いない。南米伝統の直感的なサッカー--魅せるサッカー。それをブラジルはあきらめた。なにせ時間がない。
横。
日本の手薄なサイドを攻めることにした。ブラジルの右サイドバックが後方から長い縦パスを入れる。タッチラインまで開いた右ウィングがトラップ。
「わかっている弱点は弱点じゃない」
村木が相手を押し潰すがごとき対応。ファウルでも怖くない位置だ。そもそも前をむいてトラップさせなかった時点でこちらの勝ち--そう思われたが途中交代で入ったブラジルのアタッカーがこの試合唯一の『躍動』を見せる。
強引に前をむき、
タッチライン際、
綱渡りのようにボールを運び日本のキャプテンを出し抜く(こんな奴がベンチにいるのかよ)。そのままコーナー付近で90度旋回し、ゴールラインに沿って進むのかと思いきや(波多野が止めにきたため)右足で長いクロスボールを入れる。
--これは由利がFWより頭1つ上の高みからクリアした。やはり高さでは必勝必定。日本の3バックが固すぎる。
「もっと欲張ってドリブルすりゃ良かったのに。ゴールから30メートルも離れたとこからクロス入れても反射神経の勝負に持ちこめない。そんなんじゃこっちは余裕綽々だっつぅの」
俺は誰に対するでもなく偉そうに解説する。内心冷や汗をかいていたのだが。
試合終了直前のこと、彼らはチャンスの質を求める選択肢がとれない(敗戦後に自分のミスを叩かれたくないという心境に至っているのか?)。
ブラジルにとってたとえ得点の可能性が低くともゴール前に入れチャレンジするしかないわけだ。残り時間、そして両チームの『攻』と『守』の戦力差。そういう状況だ。
後半52分。
アディショナルタイムに突入して7分間が経過。これはさきほど表示された追加時間を超えている! 伏見監督は腕時計を指す仕草をしながら何度も主審を呼び止めている。
おそらく2分ほどまえ、広幡とブラジルのMFがボールを奪い合い倒れた時間が加算されたのだろう。
さて、
もう日本の勝率は99.9%以上だ。
ブラジルにはもう攻撃の打つ手がない。
日本側もリードを守るためにベストを尽くしている。5人目の選手交代を時間稼ぎに使っていた(最後は内藤が下がる)。
勝勢なのは日本だが、それでも相手側に奇跡が起こる可能性だってある。それがサッカーというものだ。
縦。
数分前からひたすら前線目がけロングボールを入れてくるブラジル。
日本の最終ラインの5人は苦もなく長いボールを跳ね返す。
時間がくる。ブラジルのGKが攻め上がってきた。全員攻撃対全員守備。
太秦がハーフウェーライン後方で相手をつかみファウルをとられた。
セットプレー。
これがラストプレーだ。俺の横に立つ伏見監督は何事か叫んでいる。もう今さら戦術的技術的なアドヴァイスを選手たちにあたえているわけではない。『俺もここにいておまえたちと戦っている』。そういうメッセージを選手たちに伝えようとしているのだ。
青白い顔をしたブラジル選手たちが前線に走って行く。彼らが並びきるまえにキッカーはボールをセットしペナルティエリアに入れていく(蹴るまえに笛が吹かれかねない)、
ボールは、しばらくの間、海の波にゆられるように動いていく。両チームの選手たちがヘッドでパスとクリアを繰り返し、だが彼らが望むほど強くボールを飛ばすことができない。まるでバレーボールのトスだ。
上空を飛ぶボールを凝視し、追いかけ、助走し、ジャンプする選手たち。
右サイドに流れたボール、攻め残っていたブラジルDFが、由利に競り勝ち、ボールの方向を辛うじて変え、その浮き上がったボールがなだらかな放射線を描き、ゴール左隅にむかっていく。日本選手たちはその軌跡をただ見守るしかない。
俺は確かに、自分の心臓の鼓動が早まるのがきこえた。
ゴールライン上に立った黒瀬は素早く方向転換しジャンプ、高く掲げた両手で確実に、がっちりとボールをつかんだ。
牙城。
スピードのあるシュートだけではない。黒瀬はどのようなシチュエーションからも失点を許さない。サッカーという不確実性のある競技、戦術や戦力で勝っても、最後は細部が勝負を決めるのだ。
細部は黒瀬が埋める。
だが試合は終わらない。
主審は笛を吹かない。
そしてブラジルのGKはまだ最前線に残っている。
それを見た黒瀬がある決意をもってボールを手放そうとする。
「黒瀬!!」
監督はそのプレーを見て止めようとする。
「いいじゃんやっちまえw」
俺は笑いながらそのプレーを支持する。
ブラジル選手たちは黒瀬に早くボールを蹴らせるため、あえてGK黒瀬の周囲から立ち去っていた。
黒瀬は狙う。
手で保持したボールを離し、地面に落ちるまえに蹴る。パントキック。
ボールが小気味よい音をたて飛翔していく。フィールドを縦にぶった切り、
だがいつものキックではない。弾道が高いのは相手に止められたらピンチになりかねないから。
山なりに蹴られたボールが、そのまま、無人のゴールに吸いこまれていく……ことはなかった。風か、それとも緊張からか。あるいは単に、誰もいない地点に蹴ってブラジルの再攻撃を遅らせたかったのか。そんな細かいことを試合後に黒瀬からきかされることはなかった。
絶望した顔のブラジル人選手たちがボールを追いかける。その群れのなかから飛びだしてきた日本の青いユニフォームを着た選手。
日本ベンチのすぐ前だ。チームメイトたちが彼に声援を送る。先にボールに追いつけば3点目が決定的。
追加点を狙っているのはFWではない。
MFですらない。
DFの西。なんで最終ラインからここまで飛びだしてきてる!
西が相手を差し切り、先頭で抜け出し、黒瀬の左に流れたボールにタッチし、そしてゴールを、究極のエンディングを迎えようとした瞬間フィールドに横転した。ブラジル選手の手酷いタックルを受けたのだ。すぐさま立ち上がり相手に報復しようとするクソ不良。
「なにすんだてめぇーーーーーッッ!!」
西は相手のユニフォームの襟をつかみ、乱闘開始直前、長いホイッスルの正体に気づいた彼は怒髪天を衝く顔から喜色満面の笑みに変化させた。走りだすベンチの選手たち。
ファウルで西を止めたブラジルのMFは座り込み、悲嘆にくれ、そして泣いた。直前に犯罪をおかしたヒールがこの態度……。
ピッチに足を踏み入れた俺と伏見監督。
「美しくなんて終われないよな」と俺。
「勝利のために醜くあがく姿は美しい」と伏見監督。
日本 2-1 ブラジル(試合終了)
オウンゴール 前半34分
ソウザ(PK) 前半43分
音羽リュウジ 後半16分
前代未聞のゲームがここに完結した。
俺は全身を捻り右手人差し指を前方に突きだす謎のポーズで喜びを表現する。
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □
3分後。
チームメイトたちと勝利を喜びあったあと、俺はブラジルベンチに向かって足を進めた。
スピーチは短いほうがいいだろう。
「『ありがとう』はもう言ったよな? ディアスのことは忘れない。おまえ以上のライヴァルは生涯現れないよ。だから--DFを続ける気はないか?」
「ないよ」
ディアスは俺の差しだした右手を握り返した。
「もったいないな」
「DFをやったのは父親に対する反抗期みたいなもんだ。代表で株を下げた父親と同じポジションで優勝すれば、俺が満足する。成功者の父親を嫌いになるのに理由なんていらないだろ?」
質問しようとしていたことを先に言われてしまった。
負けたというのにディアスは晴れ晴れとした表情を見せていた。
日本よりもブラジルのほうが、ここまでの勝ち上がりは波瀾万丈だったのだろう。これは俺の想像にすぎないが。
準優勝で満足できないチームがあるらしい。ベンチの雰囲気は葬式のそれだ。
「早く帰れよ日本人」
これはアリアス。
「少し黙ってろ負け犬」
ぼそりと小声で俺。
「……なぁ、やっぱ助けることなんてなかったんじゃないか?」
選手の1人が俺にむかって言った。
「気をつけろよ、カメラをむけられている。音声抜かれるぞ」
「抜かれてまずいこと言ってるのリュウジのほうだよね」
これはディアス。
ソウザが出てきた。
「これはこれはソウザ君。クラブチームではなく代表チームを選んで準優勝おめでとうございます」
「マジで相手煽ってくるんだなリュウジ。想像どおりの性格してるよ。大事なことを教えてあげようと思ったのに……」
ソウザは試合が終わったというのにピリついた雰囲気だ。これはなにかあるな。
「あーなにか言いてぇなら勿体ぶらずさっさと速攻で教えろよ」
「いるんだよ。あの人が」
数秒考える。それって……あのアルゼンチン人か?
このスタジアムに?
俺は観客席を見上げる。いるとしたら1番上の席。そうに決まっている。眼がいいのでわかる。彼はまだ帰っていない。ガラス越しに視線があった(気がする)。連れ合いと一緒に残っていた。
ここはアメリカ合衆国で、あの人は今MLSでプレーしている。そもそも可能性はあったのだ。
「やっぱり気づいてなかったか。ブラジルも日本もこの大会でアルゼンチンを倒している。関心をもたれていたようだね。
あの
「うれしいこと言ってくれるじゃないの」
全身の血が沸き立つ感覚。
フットボール界の象徴がこの試合を観戦していた。あいつは果たして俺の名前を覚えたのだろうか?
「この戦いは緒戦だ。彼の次にサッカー界の顔を決めるコンペンションはいつもある。CLも4大リーグもワールドカップもその一端。この大会にしてもそうだ。数年後のバロンドール候補がこの大会に参加しているわけだし、だから俺もリーグ戦から離脱して代表に参戦することにした。この大会はあの人が制していない貴重な大会だから」
あの
「ここからが勝負だな」と俺。
「あとはクラブシーンですべてを手に入れてようやくあの男への挑戦権を手に入れられる。俺とおまえはアタッカーだ。可能性はある」
ポジション差別が著しい男だ。ソウザ。
でも仕方ないか。やっぱ選手の格を上げるには印象的なゴールが必要だから。
今日の俺のように。
日本の選手たちも彼の存在に気づいたようだ。上にむけて指をむけ、彼の名前を口々に叫んでいる。これがカリスマの持つオーラってやつか。ただそこにいるだけで人に影響を与えている。
伏見監督はもしかしたら観戦されていることに気づいていて、だが選手たちの集中を保つために黙っていたのかもしれない。
日本ベンチに戻った。
「興味ないね」
乱れようがない短い髪を整えながら俺に話しかける津軽。本当はナンバーワンになりたい癖に。
「チームが勝てるのなら、僕は最弱でもかまいませんので」
上を見ながら土屋はつぶやく。
「最強とか今はどうでもいい。俺ぁ疲れてるんだよ。とってもとっても」
帰りのバスは爆睡確定。
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