第19話 「究極の対策として」
(平日の夕刻、制服姿のシサが図書室にノートPCを手に入ってくる。本を読んでいたリュウジの横に座ると、試合の映像を見せつけてくる(ただし無音だ)。後半、リュウジがゴールを奪う数分前からスタートする。室内には数名の生徒しかおらず閑散としていた。放課後は始まったばかりで校内は騒がしい。2人は同じ高校に通っている)
「--わかりました」
興奮した様子でシサは俺に話しかける。
「なにが?」
「どうやって点を獲ったかですよ。後半に日本がチャンスを量産したのはリュウジ君が中盤に下がったからではない。偽の9番はブラジルに対し有効な手段でしたけれど、それは相手ディフェンスにとって決定的な脅威ではなかった」
俺は黙って首を縦に振る。
そして指を口元にそえる。
図書室なのでなるべく静かにしておきたかった。
シサも同じポーズをとる。
俺は読んでいた雑誌を閉じ、シサのほうをむいた。
「あの決勝点は……日本にとって必然のゴールだった」
決勝戦のネタバレをさせてもらおう。
最終的なスコアは2-1。日本とブラジルの一戦は音羽リュウジのゴールで決着がついた。後半15分以降両チームにスコアは入らなかったのだ。
「あの戦術は……体力の消耗が激しいから積極的にとりいれてこなかったわけですね?」
「ローテーションのことね」
ローテーション攻撃は選手が比較的長い距離を走らないと効果が薄い。
日本にとって最大火力をもたらす戦術だったが、スタミナを消費するリスクもあった。
「能動的にポジションを変えてディフェンスを動かすサッカーですよね?」
「そうだよ。試合中に即興でプレーしていたわけではない。ちゃんと準備はしていた」
「でも決勝戦のあのときまではああいう動きは見せていなかったような……」
「それはね、日本が無理をしなくても点が獲れるチームだったから。高度な戦術を積極的に実行する必要がなかった。グループリーグでも決勝トーナメントでも楽な試合が続いたの。ベスト8まで5試合連続で先制している。フランス戦の2点ビハインドはあくまで例外だった」
そのフランス戦にしたって後半10分までに追いついている。俺の個人技と河田の得点力が炸裂し、本来厳しいはずの2点差が帳消しにできた。
そこから延長戦が終わるまで60分近く、伏見監督は耐久戦を挑み、体力を消耗するローテーション攻撃は選択肢から外された(選手が勝手に試みる場面はあった)。
「フットサルとかだとよくあるやり方なんだ。濃淡があって、俺たちのやり方が少し濃いくらいで、まったくローテーションしてないチームなんてないと思う」
ボールのまえにいる選手が動かなければ、マークが外れずチャンスなんて生まれないわけだから。
シサは眼を輝かせ俺にせがむ。
「教えてください」
「説明が抽象的になるけれど--ローテーションの『目的』はディフェンスする選手をあるスペースから動かすことだ。『手段』はボールをもっていない選手が動くこと。その選手に釣られてディフェンスがついていく。そうすると元いたスペースが空く。それが基本的な原理。
具体例を挙げよう。攻撃側の選手A、選手Bそしてディフェンスの3人がいるとしよう。ヴァイタルエリアに選手A、それをマークするディフェンス。
選手Aが斜めに走る(これが攻撃のスイッチだ)。ディフェンスが選手Aについていく。これでヴァイタルエリアが空いた。ここにタイミング良く選手Bが走れば、他の守りの選手がポジションを修正する前にフリーでボールを受けられる。チャンスが生まれる」
「連鎖したプレー」
シサのその表現は正しい。
「そう。実際にはもっと複雑だ。ローテーションに関わる人数は3人~5人以上。
動いてスペースをつくる選手Aの役割の選手が2、3人になることもある。
選手Bが元いた位置にさらに選手Cが使いフリーでパスを受ける場合もある(連鎖が2回3回……と続くパターン)。
これだけ手間をかけて攻撃するんだから、目標地点--味方がマークを外しフリーで受ける位置はヴァイタルエリア付近になることが多い。相手のカヴァーがくる前に単独でシュートまでもっていける位置だ。
ローテーションは本来のポジションから上下左右に動いてマークを引きつける必要がある。サイドハーフが中央に入ったり、センターフォワードが中盤に下がったり……つまり複数のポジションに適性がいる」
「難しい戦術ですね……特に最後の条件が厳しいのでは?」
俺は彼女の指摘にうなずく。
「でもあのチームは(俺もそうだけれど)どこのポジションにも入れるって万能選手がたくさんいたんだ。ローテーション攻撃は日本にあっていた。俺やMF、サイドバックも長い距離走れる選手がそろっていた(キ○キの世代だね)。なによりウィングだ。俺よりもレアなのはあの2人だった。
7試合で5点奪った河田と清水がウィングバック(3バックの場合のサイドハーフ)ができるくらい持久力のある選手だったんだよ。2人が縦横無尽に走って攻撃のスイッチを入れてくれた。しかもあれだけ点を獲っておいて、得点にそこまでこだわりをもたなかった(ゴール前に陣取って動かないなんてことはなかった)」
それに、あのときのブラジルは集中力が切れていた。
日本が延々とボールを回すあの展開を許せなかったのだろう。MFとFWは前掛かりになり眼の前の相手を追いかけ続けた。
集団で守るゾーンディフェンスが個人で守るマンマークディフェンスに変化していた。ブラジルのベンチでコーチたちが騒いでいたのは、それが大人たちが意図した変化ではなかったからなのだ。
後半立て続けに日本がチャンスをつくったことで、選手たちはパニックになっていたのかもしれない。
ゾーンで守る意識が強いチームには(走りで陣形を崩す)ローテーションアタックは通じない。対ブラジル特効の戦術が上手くハマってくれた形だ。
「これだけ走ると体力的に厳しい……」
「そう。どちらかといえば弱者の戦法だよ。デフォルトのポジションから動きまくる戦い方だから。でも俺たちが戦力的に相手に劣っているとは思わない。監督が言うには、『強い奴らが弱者の戦法を採り入れるのが最強』なんだって。
ともかくラッキーだった。最後の攻撃で日本がボールをつなぎ続けることができたのも、味方同士の連携が上手くいったのも本当に幸運でしかなかった。俺のシュートからしてまぐれだよ。決めた俺自身が驚いていたもんね」
「まぐれであれは決まらないと思いますよ」
シサはPCの画面を操作する。
後半15分16秒。
アンカーの波多野が最終ラインに落ち、インサイドハーフの土屋が中盤の底に下がる。そして、センターフォワードの俺がセンターバックと勝負する位置から降りる。
4バックで守っていたブラジル、ここでキャプテンのディアスが飛びだし、俺のマークを続ける。この選択が誤りだったと断言できるか?
「これもローテーションアタックですか?」
「いや、これは日本とブラジルのフォーメーションの組み合わせ的に俺が下がったほうが有利だと判断したからだ。ヴァイタルエリアで俺が前をむいてボールをもてばディフェンスをぶち壊せるはずだったから」
サイドで突破するドリブルなら清水が1番かもしれないが、正面でDFをぶち抜いてシュートを放つためのドリブルなら俺のほうが優れている。
土屋のパスからDFを1人交わして決める予定だった。WG2人は両サイドの奥でサイドバックを引きつけている。
「で、土屋のパスフェイントにディアスがかかった。最高のパスを受けたのにトラップミス、それを挽回するミドルシュート」
「素晴らしい」
「どっちも個人技ぶっぱだったね。あれだけ集団で攻め続けていたのに最後はテクニックとフィジカルで押しきった」
余人とは隔絶した技術と肉体。俺も土屋も1000万人に1人の才能の持ち主だった。
「フィジカル」
「そう。結局鍛えた筋肉がなければミドルシュートなんて刺せないよ。フィジカル最強。太腿が1.1ライザくらいあったね。太いね♡ 太くねぇって!!」
「なに言ってるんですか?」
シサは俺を心底心配している。
「それはともかく、俺は絶対にゴールを決めようと思っていなかった。ローテーションアタックで選手Aの役割を積極的に担っていたからね。俺が動けばDFはついてきてくれた。俺が相手にとって怖い選手だったから。対戦相手は俺が大会ノーゴールなんて事実に惑わされなかったんだ」
まったく、どいつもこいつも有能なDFだった。
「狙ってチームメイトのみなさんに点を獲らせていたんですね」
「俺1人が得点を量産すればチームが勝てる、俺1人がすーぱーすたー(笑)なら日本がワールドカップで優勝できるなんてそんな貧者の発想はもっていない」
「貧者?」
「そうだよ。だって世界一になるようなチームに世界基準のスコアラーが1人しかいないなんてありえない。フィニッシャーが複数スタメンに入る。俺は選択肢の1つにしかならない。清水も河田も、ベンチにいるFWもみんな世界大会で得点の期待値が高いストライカーだった(使い方次第だが)」
「自分が特別な選手じゃないとおっしゃりたいわけですか?」
俺はうなずいた。
「同点のまま俺がベンチに下がっても日本は勝ち越し点を奪ったかもしれない。俺は俺の主観でプレーしていたんだ。『俺が俺が俺が』って。だって、あの試合俺1人だけが目立ちすぎている。自分を主人公だと勘違いする条件はそろいすぎていた……。
ディアスとの確執を解消できたのは奇跡に近い。俺にとって都合のいい結末が待っていた」
「ディアス選手--リュウジ君は命を救われました。やりにくい相手だったでしょう?」
「ディアスはね、究極の対策として俺をベンチに追いやることができたんだ。『おまえを助けるために痛んでしまった。また同じ場面があったら助けられるかわからない』とか理由をつけてね。あいつがそう言ったら俺はゲームから逃げていたかもしれない」
きっと俺はその言葉に逆らえなかっただろう。
「ディアス選手にその選択肢はなかったんですね」
「死にかけた俺がビビりながらプレーすると思ってたんじゃない?」
「そうならなかったんですか? 相手選手と競りあうときに怖くはなかったんですか?」
「……俺が少しでもそう思いながらプレーしていたら、監督はすぐにでも交代していたと思うよ」
あの人はそういうところ目敏いから。
「代表チームでプレーし続けたのは……」
「選手として成長したいから。レヴェルの高い奴とプレーして選手として経験値を積みたかった」
ワールドカップを経験した身としては、年上の高校生に混じってプレーすることすらヌルく感じる。
あのレヴェルのサッカーを日常の延長線とするにはプロデビューするしかない。もうアマチュアの時代は終わりだった。
現に俺は大会の2ヶ月後、中学を卒業する前にプロデビューを果たし初得点も決めている。有言実行男。
大会に参加して良かった。本当に。獲得した個人タイトルは決勝のプレイヤーオブザマッチ1つだけだったけれど。
「最強のチームが優勝したわけじゃないんだ。ブラジルもポテンシャルを発揮できないまま大会を去った。本当はトランジション型のチームで、高い位置でボールを奪い、ディアスもMFとして攻撃に参加して、少人数で決めきるサッカーを志向していた。
ブラジルよりもフランスのほうがカッチカチのサッカーで強かったよ。オランダもアメリカもメキシコも優勝に値するチームだった……ドイツも日本と同じような戦い方をしていたね」
「でも勝ったのは日本です」
「育成年代の大会で結果論を語るのはちょっとね。『勝ちに不思議の勝ちあり』なのが勝負事だよ。ノ○さんは偉大だ。日本は勝ったけれど不満は残る内容--そう思っちゃうのは俺が2ゴールしかあげてないからなんだけど!!」
モニターに試合のハイライトが表示される。俺がゴールをあげ、日本のベンチにむかって走りだす--
「ほら! 見てください。これ私ですよ。リュウジ君スタンドにいる私むかって指を指してますよね! 明確に」
眼が良すぎるのも困りものだ。確かにあのときの俺は、観客席にいたシサに、代表のユニフォームを着た美少女にむかって人差し指をつきだしていた。当時アメリカの東海岸某州の日本人学校に通っていた彼女が観戦に訪れていたその試合で活躍し、彼女の心を射止めてしまい(本人談)、その結果彼女は親と帰日し、俺と同じ学校に通うことになる。俺のゴールで人1人の人生を動かしてしまった。これが世界が注目する大会でプレーすることの意味だ。
「俺がそんなに魅力的に見えた?」
「リュウジ君は男の中の男に見えました」
真面目な顔をしてシサは言う。これは彼女なりのジョークだろう。多分恐らく絶対に。
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