第18話 独歩①(後半15分)
俺のシュートをディアスが左腕で止めてから2分後。
なんだかんだあって俺はゴールを決めた。
スタジアムそのものが揺れている。すべての観客が立ち上がり絶叫している。
なんだこれは? この感情の正体は……。
自分が自分でなくなるような。
他人からこれほど強い情熱をぶつけられたことはない。
数万人の情動がこの一瞬に放出され、俺、ただ俺1人にぶつけられている……。
わかっている、あれは俺1人の力で奪った得点ではない。チーム全員が関わったスペシャルなゴールだ。ただ、トラップからシュートまでの3タッチは俺の独創性を大いに発揮してしまったわけだから。良くも悪くも。
自分でもどうしてあんな風に反応し、身体が動き、そしてシュートを撃つという発想に至ったのか、そんなことはわからない。同じことをしろと言われてもきっと無理だ。確率1%以下の『当たり』をここで引く豪運。
やっぱり俺は俺だった。
間違いなくあの得点は認められている。右足でボールをゴールのなかに叩き込んだ。主審はセンターマークにむかって腕をむけているし、スタンドの大型には俺のシュートシーンのリプレーが、そして表示されているスコアが今切り替わる。『1-1』が『2-1』。日本がブラジルにリードしている。
日本 2-1 ブラジル
音羽リュウジ 後半16分
後半の大事な時間帯で日本は勝ち越し点を奪った。
……土屋が言うところの、
「相手ディフェンスをきちんと崩して奪ったゴールは相手の精神面にもダメージが生まれる。個の強さ、戦術や連携の良さで得点すれば『また同じパターンでやられるかもしれない』、『相手チームは自分たちよりも格上だ』と思わせる効果がある」
そういう特別なゴールだった。
シュートを放った直後フィールドに倒れていた俺は、両手をついて立ち上がる。
俺は復活した。
失点後、放心している2人を見下ろす。ディアスとソウザが俺の横にいる。ディアスは横になったままで、ソウザは体育座りのままだ。
俺はライヴァルの1人にむかって話しかけようとした。だが勝った者が負けた者にかける言葉なんてないのかもしれない。
俺はディアスに勝った。まだこの試合は終わっていない、そんなことはわかっている。
だがこの『私戦』において俺が奴の眼の前でシュートを決めた。
試合の残り時間、決勝の後半、今までになく消耗した両チームの選手たち。日本がこのリードを守り切り試合が終わる可能性が高い。
このワンゴールの価値は10億円でもまだ足りないだろう。
俺は奴の眼を見ながら思う。(喜んでもいいのか?)と。
(自分の命を救った人間の前で感情を露わにするのは礼を失するのではないか?)
俺の意図を知ったディアスは微笑み、仰向けに寝たままそこに指をさした。
日本ベンチにむけて。奴らは感情を爆発させ、飛び跳ね、飛び出し、俺にむかって駆けだしている。
俺は小さくうなずき、祝福するチームメイトの元へ歩み始めた。
「俺に対しおまえが負い目なんて感じることない」
ディアスは俺に対しそう言った……ような気がした。
「俺はまた俺に戻れた。最強の俺に」
俺はディアスに対しそう言った。これは間違いなく。
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □
2分前。
ボールをもった西がフェレイラに倒された。波多野のバックパスがわずかにずれ、それを追いかけた両者、ボールに追いついたCBをCFが手で押し倒したのだ。
イエローカード。今になって試合が荒れつつある。
GKを除いた両チームのベンチメンバー全員がアップを始める。
まもなく最初の交代カードが切られるだろう。俺がプレーできるのもあと数分。そんなことはわかっている。
わかっているはずなのに、実際交代を告げられたらショックだろう。夢から醒める気分のはずだ。
なぜなら俺は今ハイになっているから。
新しいおもちゃを手に入れた子供のような全能感に浸って戦っている。
フェレイラに喰ってかかる西を内藤が止めていた。そうこうしている間に他の選手たちは水分補給。さて、どういう展開になるか。
もはや俺個人がどうこうという問題ではない。
日本は今までほとんど見せたことのないスタイルの攻撃にとりくむことになる。
俺は相手の守備配置を確認した。日本陣地で試合が再開されるということは、ブラジルのデフォルトのフォーメーションがフィールドに現象するということ。
ブラジルのフォーメーションは4-4-1-1。1トップがフェレイラでトップ下がソウザ。アリアスは横並びの中盤の右に下がっている。
後半の立ち上がりを除いてシュートを放つことができていないブラジル。それに対し日本は有効なシュートを続けざまに放っている。
まずは8人で自陣を固め失点する確率を下げようとしている。サイドハーフなんてやれそうもないアリアスがあの位置……次にプレーが切れたらもっと運動量のある選手に交代させられるに違いない。
今が最大のチャンスなのだ。
日本の攻撃力は最大値をとり、ブラジルの守備力は最小値をとっている。
俺の替えはベンチにいる。少数精鋭でやってきたわけではない。俺ほどの得点力はないにせよチームメイトにバフをかけられるFWがいるのだ。
伏見監督はそれでもここまで俺を使ってくれる。
安定した勝利よりも俺の成長を見込んでの起用継続。
今この瞬間が俺にとって灼熱の時間だ。
日本の勝ち越し点が生まれるまで28本のパスを要することになる。
(あと28本)日本ボールで試合が再開される。フリーキック、西から由利へ横パス。
(あと27本)由利は西にダイレクトで返し、
(あと26本)西もまた由利にダイレクトで返す。
このパス交換の意味は、ブラジルの1トップとトップ下の守備意識を改めて確認するためだ。
日本選手たちは再認識する。(ブラジル人アタッカーは走らない。本当に奪いきれる状況にならない限り小走りでパスコースを切りにいくだけ)。
それは攻撃に体力を残すため、という意識ももちろんあるのだろうが、それとは別に、
「疲れている選手から交代させられるんだ。少しでも長い時間プレーしたいなら守備はサボるよなぁ」
(あと25本)由利から西にパス。日本が攻撃を急ぐ気配はない。ボールは真横に移動し、そして2人のCBは最初の位置から8メートルも移動していない。
フェレイラはここまで対戦しているなかで、西と由利のボールテクニックに不器用さを感じ取ることなどできない。
だが眼の前で悠々とパス交換する日本のDFをこれ以上看過できない。
「あーツッコんじゃったか。連動してない単独特攻プレスとか児戯だよ」
元DFのくせにわからんのか? それともFW初心者だから?
(あと24本)すでに身体が重いフェレイラ。1人でしかけたプレスはあっさりと交わされた。由利がボールを前方に転がしハーフウェーラインを越える。
センターバック2人の間で交わされたこの5本のパスは、作戦開始を仲間内に知らせる『狼煙』だった。
(あと23本)左サイドバックの村木が下がってパスを受け、
(あと22本)ここからブラジルディフェンスに揺さぶりをかける。左の村木から中央の波多野へ、
(あと21本)中央の波多野から右の河田へ。2本の速く正確なパス、日本の選手たちは少ないタッチ数でサイドを変えた。
ブラジルの守備はまだ緩い。4-4-2のゾーンディフェンスで対応しているが、プレーしている身としてもどこか違和感のある守り方のような……。
(あと20本)両チームの監督がテクニカルサイドで叫んでいる。ボールが動いている間に正確に聴きとることは難しいが……それでも騒がしいのはブラジルサイドのポルトガル語だということはわかる。ブラジルベンチはこの一連の攻撃に焦っている。
津軽が河田からショートパスを受けた。
スペースのない中央へむかく。つくづく乱戦を好む男だ。
津軽は近づいてくる敵の眼を睨みつけることで(おまえが近づいてくるとこっちはわかっているぞ)トラップの邪魔をさせなかった。
(あと19本)無双の推進力を発揮する津軽。2人のボランチに挟まれボールロスト……しない! 腕で遠ざけ衝撃を踏ん張って耐え足下のボールだけを見ている。このままペナルティエリアに侵入? いや3人目に足を狩られた。ファウルだ。位置は右サイドの深い位置。日本にとって悪くない位置のセットプレー--
「だと思うよな」
津軽は起き上がりきる前にボールをセットし蹴った! プレー
(あと18本)俺たちのこの攻撃を止めることはできない。
ヴァイタルエリアの俺に。1対1。
スプリットステップから横に素早く移動、トラップ、ディアスは体勢で俺に左横のコースに誘っているが、
ドリブル、スリータッチ目で裏のスペースに蹴り、(ここは力戦)みずから追いつき、
ニアサイド、クロスバー奥にむけ
魔。
これがキーパーの左腕に阻まれる。俺の今日5本目のシュートはパンチング--これがGK大国ブラジルの最新兵器か。俺はこの髭面の男に畏敬の念を抱く。
ブラジルはつなげずただ闇雲に蹴りだすしかない。
「俺はまだ走れる! もっとパスくれ!」
悔やんでいる暇などない--ブラジルには。
パスの連打が途切れようと、日本の攻撃は続いている。
ボールは左のハーフレーンにいる土屋が拾った。サンドバッグ状態のブラジルは中盤でボールを拾えない。日本のリトライが始まるのみ。
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □
「サッカーという競技はプレーがしょっちゅう止まる。ボールがラインを割り、ファウルがあり、オフサイドがあり……。1分以上プレーが続くことは滅多にない。選手たちもそのリズムでプレーすることになれている。
だからこそ止まらない攻撃が有効なのだ。ポジションを修正する暇はない。味方に声をかける暇も、集中力も体力も戻らない。こちらが攻撃している間は。
もちろん攻撃している側にだってそれらの要素は必要だ。だが、この攻撃法はおまえたちに適している。日本人の献身性、持久力、攻撃性が長時間ショートパス戦法にはあっている……気がする。
ブラジルは効率を重視する。試合が止まれば止まるほど走らずプレーできる。だから攻撃をシュートで終わらせたがる。相手からファウルを受けたことをアピールする。
奴らは全力でプレーする時間と流してプレーする時間を意図して使い分ける。だからシュートの数が相手よりも少なくても勝てる。攻撃時、得点に至る確率がある程度高いと見做したときだけ本気を出すからだ。その点は日本も見習うべきだが……。
マリーシア、試合巧者な南米の文化だ。だがそれゆえに日本みたいな生真面目なサッカーのことをカモとしか思っていない節がある。そこを突きたい」
□ □ □ □ □ □ □ □ □ □
後方でのゆったりとしたパス回しはアタッカーの足を休ませる効果もある。俺も助かっていた。
(あと17本)ソウザとフェレイラに前後からはさまりかけた土屋がバックパス、
(あと16本)バックパスを受けた由利がルックアップする。ボールが下がったタイミングで日本の選手たちがポジションを変えていく。
ブラジルの選手たちも同様だ。警戒からかソウザもポジションを下げる。4-5-1か? MFがペナルティエリアの幅を封鎖するブロック。これを崩せと?
「
ゲームが途切れない限り選手交代はできない。俺が観察する限りソウザは守りの選手ではないから。
(あと15本)土屋が由利にアイコンタクト。「僕にくれ」と。
うなずく代わりに由利から土屋にリターンパス。土屋は直前よりも高い位置でトラップした。
間。
ボールを保持した土屋が2秒弱なにもしないことで間をつくった。
(縦パスを受けた日本の7番は速い展開の攻撃をあきらめ遅攻に移った。8番が近寄り15番も中盤に落ちる。中央突破を狙うはず)
そう相手に思いこませた。
(このサッカーの正体はボールの周辺に人を集める『
日本人がブラジル人をサッカーで騙した。
「外のレーン捨てすぎじゃね? 内を固めれば外が脆くなるんだよ」
(あと14本)土屋が逆サイドに展開! ウィングのように高い位置で待ち受けていた内藤がトラップ(味方の癖は把握している)。
ゲームメイカーのパスが局地戦を誘発する。
サイドバック対サイドバック。
「
内藤はボールをまたぎ、縦を匂わせ、横からソウザがコースをふさぎにくる直前、ペナルティエリアの右角からクロス、入ってくるのは、俺が創出したスペースに入ってきた津軽! ゴールにむかってダイヴし頭であわせようとしたが10センチだけあわない。
流れていったボールを外に蹴るブラジルDF、
タッチラインを割りかけたそのボールを清水がスライディングで救出し、
相手選手に触れられる前に立ち上がり土屋にショートパス、
(あと13本)土屋はブラジルの配置を見て攻撃をやり直す。引き返すドリブルからバックパス。
このチームのほとんどの選手が一部のサッカーファンに蛇蝎のごとく嫌われるバックパス、横パスを選択肢から捨てない。攻撃に時間がかかり、かつ後ろでボールを獲られ失点するリスクも含むプレーだ。
選手たちはプレーに責任は負う。
だからこそ思い切ったサッカーができるのだ。
土屋のサッカーには美学がある。
今その夢想ともいえる理想のサッカーはチームに勝利をもたらしつつあった。
「でもただのパスサッカーじゃねぇぞ」
(あと12本)由利が受ける。
(あと11本)首を振りながら戻ってきたサイドバックの村木がボールをもらい日本選手たちを押し上げる。
日本選手たちは意図してボールを失わない、安全側のプレーを続けている。
誰かがゴール前に迫れば、近いポジションの選手が逆走しカウンターに備える。
攻撃は人数をかければ良いということではない。
ゴール前で団子になったらショートパスなんてつながらないのだから。
「このやり方を徹底しても、パスにしろドリブルにしろどっかで無理をしないとゴールは奪えないわな」
(あと10本)村木から波多野。
(あと9本)波多野から由利。SB→AC→CBのトライアングルパス。
ブラジルは奪いどころを見失っている。
FWと上がってきたボランチがプレッシャーをかけるが
(あと8本)由利から縦方向の俺にミドルパス。
(あと7本)ディアスに追いかけられていた俺は土屋にボールを落とした。
あくまでグラウンダーのボールをつなぐ。
試合が始まる前から警戒していたが、相手はプロフェッショナルファウルを多用してくるチームだ。
『怪我のリスクが少ない』かつ『自陣ゴール前から遠い』ファウルはカードがでにくい。この大会を通しそうだった、流れを変えるためブラジル選手は相手選手を削ってでも止めにくる。
そのファウルを防止するため、相手が寄せきる前にボールを味方にあずける。
(あと6本)土屋が左サイドの村木へ。
(あと5本)村木が土屋へ返す。ここは俺がトップに戻る時間をつくっている。
(あと4本)土屋が、前をむいて、あがっていく。左のハーフレーン、
あの土屋が、
あのパス製造機が、
走るサッカーを否定したあの男が走り出している! 警戒が薄かったのかボランチが寄せきれない。
(俺はむしろ土屋に近づくが)土屋が使うのはディアスの背後に動いていた清水だ。清水へ斜め50度にスルーパス。ドリブラー再臨。動き直した清水を視界に捉えていた!?
左ウィングの完璧なファーストタッチ、ディアスの意を決したスライディングは間に合わず、
だがもう1人のDFがフィールドに影を下ろす。右サイドバックがディアスに重なるように滑りこみ清水のシュートをブロックした。
数分前清水に蹂躙されたあの右サイドバック、コエーリョが左サイドまで追いかけてきた!
悲嘆にくれるスタジアムの声・声・声。
相手選手は気づいているだろうか?
日本のソフィスティケートなパス回し、その1本1本にかけ声が発生するようになっていることに。
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