第17話 不羈(後半13分〜14分)
ボールはゴールラインを完全には越えていない。
まるで勝利が決まったかのようにブラジルサポーターは沸き立ち、
日本サポーターと現地の観客たちは静まり返る。
日本 1-1 ブラジル
後半12分、河田の得点は認められなかった。
スコアの動かないまま試合はブラジルボールで再開する。
河田は首を横に振った。
「リュウジのバックヘッドのパスがくるまえに(ブラジルの)15番にユニフォームを一瞬つかまれたんだ。それで走るタイミングが遅れて……」
ディアスはよく気がつく奴だ。
せっかくの俺(と津軽)のアイディアが台無しである。
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津軽は外部からの評価を気にする男だ。
だからゲームではボール奪取、パス成功率、走行距離、アシスト、ゴールなどなど成績に残りやすい数値を気にする。もちろんチームの勝利も。
いわば飢えたプレイヤーなのだ。
自分が主役でなければ話にならない。
勝利への貢献度というものをむさぼらずにはいられない性分。
土屋は外部からの評価をまったく気にしない。
奴にとってサッカーの評価の基準は自分自身にある。
たとえチームが負けようと自分のプレーが標準以上なら満足するところがある。それは悪いことではない。大会で最後まで勝ち続けるチームなんて日本中に1つしかないわけだし、それにゲームで負けたことがトレーニングという過程やゲームの内容が悪かったことを意味するわけではない。
津軽が1試合1試合のゲームに全力をだすという短期的な視野に基づいて成長しようとしているのに対し、
土屋は長期的な視野に基づき成長しようとしている。土屋の理想は--
「目立たなくてもチームを勝たせる選手になりたいんです。将来的には」
土屋は俺に言った。
「今ではなく?」
「流石に……国際大会で優勝が狙えるこのタイミングで今日を捨て明日をとったりはしませんよ」
「津軽と違ってレギュラーになった時期が遅いけれど」
「だからといって試合に出ているだけで満足したりはしないです。僕の理想のサッカーはバ○サです。1番強かったあのころの。今の代表はそんなサッカーをやれる環境じゃないし、対戦相手も厳しすぎる。僕は現実を見ていますよ。
本当はやってみたいプレーがあるんですけれど、そこは封印することになるんじゃないかな……。伏見監督は頭が固いから」
「今の発言、録音しておけば良かった」
土屋は走らない。
プレースタイル的に走ればボールのタッチが乱れパスをつなぐことが難しくなる。ランニングはともかくスプリント--全力疾走することは試合をとおしてほとんどない。
「走らない選手を走らせるのは難しい」
そう伏見監督は言うが、それでもだ。
「10点満点で1点のステータスを2点にあげるのは比較的容易だ。9点のステータスを10点にあげるのには時間も労力もかかる。そこは達人の領域だろ? 弱点を克服するのは本人のやる気次第だ」
代表チームで1番プレースタイルが変わったのは土屋だろう。
パスを出して満足していたMFが(相手にとって)危険な位置に走るようになったのは、伏見監督の
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日本のカウンターのチャンス、だが河田の横パスをかっさらわれた。
ブラジルのボランチが人外な反射神経を発揮。
スライディングでボールに触れたその足を離れていった。
数秒無人のエリアにボールがとどまったが、黄色いユニフォームの選手が青いユニフォームの選手より先にボールを占有した。
カウンターのカウンターからブラジルがチャンスをつくりだしてしまう!
中盤でルーズボールを拾ったディアスがドリブルで駆け抜ける。
日本は攻め上がろうとして重心の逆を突かれた。
ディアスの正確な縦パス、ハーフウェーライン上で確実にコントロールしたソウザがタッチラインを右手に日本陣地に驀進していく。
ランウィズザボール。
単純にソウザは速い。
サッカーにおいて30メートルは長距離走の部類。
ロングカウンターでもなければ陸上競技のように『ゴールに向かってただただ走る場面』などほとんどないのだ(なにせボールは動くし攻守はすぐに切り替わるし足ではあつかいにくいのだから)。
サッカーで要求されるアスリート能力とは初動の速さ、そして方向転換、近距離でのボディコンタクトなどなど、傍目にはすごさのわかりにくいアスリート能力なのだ。間近にいれば(ピッチやスタジアムにいれば)凄さがわかるが、モニターで観ても選手たちのアスリート能力の高さがピンとこないかもしれない。
サッカー選手は最高速でプレーする機会がほとんどない。
逆にいえば、滅多に使うシチュエーションが少ないからこそ、その能力(最高速)は高く評価されることもある。
高速カウンターを成立させるにはアスリート能力が必須。
ソウザはその高身長を活かしたトップスピードが持ち味。慣性の法則だ。質量があるほうが最高速を維持できる距離が長い。
左足でボールを突きながらドリブル。
オープンスペースでは手がつけられない。
あっという間にアタッキングサードに入っていく。
マークするのは土屋。上がっていた左サイドバックの村木の穴を埋めていた。
日本チーム最弱の守備力の持ち主がフィールド上最速の生物と対峙している。
「そいつはウィーケストリンクじゃねぇんだわ」
位置がいい。
土屋は距離を保ち抜かれない守備を徹底している。
3対3の状況だ。
抜かれたら必殺必至。
ブラジルからすればカウンターのビッグチャンスだ。
ゴールに対し角度がなくなる縦はない。ソウザは内側に斬りこむ。
「DF2人はFW2人を相手にしている。ここは土屋が守るしかねぇ!!」
身体の向きを変えついていく土屋。そう、ここは。
なにもしなくてもいい。
引き返してきた村木が相手10番の進路に入り、その攻撃を食い止めた(流石キャプテン)。2人で挟んで奪いきり、こぼれ球を土屋が由利にバックパス。
「遅いですよ。村木君」
「……土屋は人使いが荒い!! でも俺なら問題ないぞ!!」
味方を視野に入れたうえでのドリブル誘導。ソウザにとって慮外の第三者介入だった。
「……本当にっ、しんどいんで……やめてもらいたいです」
大きく開けた口から酸素をとりこみつつ、土屋はつぶやいている。
ワールドカップという非日常的な大会が選手に全力を強いる。
所属しているクラブユースではここまで懸命に守備なんてしてない土屋だ。
リーグ戦には負けても次はある。だが決勝戦にはそれがない。『技術も…気力も…体力も…』このフィールドにおいてきてかまわないのだ。
疲労すれば普段どおりの技術を発揮することができない。
だから走るサッカーなどしたくないのだと土屋は公言する。
指導者にとって反逆者でしかない土屋がそれでも使われるのは、その優れた攻撃性能を正しく使えばチームに勝利をもたらしてしまうからで。
キャプテン村木(FWもウィングもこなせる攻撃的サイドバック)は親指を立てて見せ、土屋の背中を叩き、そして自分の左胸を叩いた。左胸にあるのは代表のエンブレムである八咫烏。
村木は手を叩き、そして叫んだ。
「弱気になるな!! (人数をかけた攻撃にでれば相手からのカウンターは)今みたいな攻撃は受けいれるしかない。この時間帯で絶対勝ち越すんだ。そうだろみんな!!」
次にフィールドに響いたのはクールな声だった。
「ゆっくり攻めましょう」
土屋は手のひらを地面にむけて下ろしチームメイトたちに指示した。
「何事もシンプルが1番です」
チーム内に1対1でほぼ確実に抜けるドリブラーがいるのなら、
その選手に勝負させるのが定石だ。それこそがシンプルでスマートな解答。
問題はその左ウィングにどうやっていい形でボールを渡すかだ。
日本の指揮官は後方からのビルドアップをもちろん整備している。
ゴールキックで試合が再開する場合、闇雲に長いボールを蹴りだすだけではなく、CBなどにパスし、低い位置から確実につないでチャンスをつくりだす。
相手アタッカーたちが連動しハイプレス・カウンタープレスをかけてきたとしても、日本チームには高い確率でボールをゲインできる体制ができている。
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伏見監督は言った。
「選手同士のユニットはDF・MF(さらに細分化すれば2列目、3列目))・FWでくくられがちだが俺の見方は違う。横の関係よりも縦の関係のほうが重要だ。特にビルドアップの局面においてはな。
4-3-3のフォーメーションを縦に分割すればCB、SB、IH、WG。これに真ん中のアンカー、波多野がそれぞれに加われば5人のユニットが2組できる。
今のチームの場合、左サイドの組み合わせは由利・村木・土屋・清水。右サイドの組み合わせは西・内藤・津軽・河田。
それぞれのユニットの位置と選手それぞれの特性を活かしパスを回していく。(技術に優れた)パサーだけでもダメだし、(マークを剥がす走力がある)レシーヴァーだけでもダメだ。
ビルドアップは相手の出方によってやり方が変わっていく。
たとえば相手2トップが(ボールを保持した)日本のセンターバック2人に襲いかかってくるのなら、数的優位にするためアンカーの波多野は最終ラインに下がらなければならない。そういうマニュアルができている。
マニュアル通り身体が動くのなら本番で迷うことなどない。
プレイヤーとして創造性を発揮したいって言うのなら、相手陣内でゴールを奪いたいときに発揮してもらいたい。あるいはディフェンスだって発想力を求められる場面はある。
だがビルドアップこそが近年サッカー界においてもっとも整備が進んでいる部門なんだ。そこは疑う必要はない。この点については俺を信じてもらいたいね。
もちろん優れた選手あっての戦術だ。
アンカーの波多野は相手のプレスをいなし前を向くのが上手い。プレス耐性についてはもう日本一って選手だろう。クレヴァーな奴だよ。
土屋も同様。味方が欲しいタイミングでパスがすっと出てくる。インサイドキックであんなに遠くに、正確に蹴れる選手はそうはいない。奴は本物のパサーだ。
そうだね、攻撃に関しては『右』よりも『左』のほうが上かな。守備に関しては逆の評価になるけれど。
なにしろ日本の『左』には清水がいる。
日本にとって
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GKの黒瀬からパスが6本連続でつながる。
6本目のパス、土屋が左前方で待つ清水にボールを預けた。
これが日本にとっての『正着』。
「ショータイムですよ」
ゴールまで斜め30度。
俺たちアタッカーは清水から離れるようにゴールにむかっていく。
村木は同じ左サイドの選手だが、かなり後方の位置で待機している。
バスケ用語でいうところのアイソレーションってやつだ。
外のレーンで1対1をしかけさせる。
味方が近づいたら邪魔だ。
ここまで体力を温存をはかりシンプルにプレーし続けてきた清水。
チームの攻撃の核を任されてきただけに身体的条件が厳しいのだろう。だが相手を仕留めるだけの残弾はあるはず。
日本の11番は右足の外側に置いたボールの側面を斬るようなタッチ。相手にボールを晒し、「奪うことができる」と思わせる間合いだ。
スタジアム全体が--クレッシェンドの記された楽譜のように--盛り上がっていく。
日本の11番がセミファイナルまで魅せてきた--今日ここまで封印してきた
足下を見ずに進んでいく。ボールを運んでいると思わせない力強い走行。
ブラジルの背番号2、右サイドバックの彼が今回の被害者だ。
清水の身体の中心に半径1メートル弱の『円』が展開される。
その『円』に敵が一歩でも踏みこめば抜き去られる。
その『円』に触れかけたブラジルの2番は後退していく。彼はまるで激流に押し流されているかのような圧力を感じている。
「そこで抜かれたら大崩れだからなぁ」
清水のドリブルは、まだアクセルを軽く踏んでいる程度のスピードだ。
ただ見れば痩せ気味な少年がDFにむかって前進しているだけではあるが、
ゾーンに入った清水の眼は殺し屋のそれだ。隙はない。
縦か横か、それとも斜めか。一触即発。
清水はペナルティエリア内に短い辺から侵入。
「もうファウルで止められん」
肉を切らせて(ペナルティエリアに招き入れて)骨を断つ(人数をかけボールを奪う)しかない。
ブラジルの2番は『円』に入れない。セレソンの不動のスタメン。強者であるはずの彼がリトリートを選ばされている。
ボランチがサポートにくる直前、清水の横を匂わせるボール運び、反応しついに『円』に入った2番。
「かかりました」
「コエーリョOUT」
(罠ッッ)
清水は見事に弱点を突いた。敵の重心変化を見逃さず縦へ。
DFの右足を掠めるように転がるボールが、そして清水自身が疾風のように走り去る。相手は0.2秒間スタン。
ここからこの攻撃の決着までは早かった。
①ゴールエリア左横の狭い領域に抜け出した清水。ブラジルのGKが抜かれることを予測し1歩前にいる! 清水は利き足ではない左足からのシュートをあきらめ(持ち替える時間がない)クロスを入れ、
②GKの正面で土屋が右足アウトサイドでボールにタッチし軌道を変えた! この奇才は走らず歩いてそこに移動したことでDFたちのマークを外していた。GKがパンチングしようとしたボールが真横に加速。これで1秒弱ゴールにGK不在。門は破られた。
③その1.2秒前、ディアスはゴールラインまで下がり身体でシュートを止めることを選んだ。そのセンターバックの背後をボールが通過する。ファーサイドでドフリーになった河田が押しこんで
④ディアスは後ろをむいたまま左でバックキッククリア!
⑤弾かれたボールが俺に向かってバウンドしてくる。ディスタンスは10メートル強。相手より、先に触れることはできるはず! だが際どい。3方向から敵が迫り、そして左右のシュートコースを殺す位置取り。
⑥爪先で捉えたボールがブロックしようとする敵の間隙を突破し、狙い通り、ディアスの左肩、そのわずか上にむかって飛んでいく! ディアスは、ジャンプしない。バウンドしたボールからの強いシュートは(浮かせて外れて)しまいやすい。だからグラウンダー、その読みは正しい。
⑦シュートが遅くとも、この空域にきたボールに対しおまえは、手を使ってしまう。急造DFのおまえは手を後ろの回さずシュートブロックにむかっている。それが敗因だ。ボールを止めるという本能的なアクション、ディアスは競技のルールを忘れ、左手を回し、ボールを止めた!
⑧その後の数秒間、俺の世界から音は消え去った。腕でボールを止めたディアス、ボールを蹴りだし、後方でアリアスが内藤に競り勝ちボールをつなぐ。前をむきかけたブラジルFWをアンカーの波多野がファウルで止めた。まるでプレーが途切れなかったことへの抗議の意味をこめたかのようなタックルだった。主審がイエローカードを提示する。
「なぜ主審はディアスのハンドを認めない!!」
土屋が、内藤が、清水が俺のプレーの成果を認め激怒している。ベンチにいる伏見監督も同様。俺個人に対し悪感情をもっているだろう彼らが俺が奪ったはずのPKを認めさせようと必死だ。
俺自身はクールだった。VARは絶対なんかじゃない。主審が確認しようとしないのならば正しい判定が下されるわけがないのだから。
それにしても俺も悪魔的発想をしたものだ。
よりにもよってディアスにむかってハンドを誘うシュートを撃つとは。
我ながら人の心がなさすぎる……。
「ここだよここ」
ディアスはボールの当たった部分を撫でるジェスチャー。
左肩……いや二の腕の部分だ。
「そこはハンドになるんじゃないの?」
「そのはずだ」
「今からでも主審にアピールして俺たちに勝ち越し点をプレゼントさせろよ」
「そこまで俺も純粋じゃない。精々試合が終わったあとにFIFAに抗議を入れてくれ」
世界中の人間があのプレーはハンドだったと見做そうと、
主審が誤りを認めようと、
そしてディアス自身が証言しようと、
結局この現在進行形の試合で認められなければまったくの無意味だ。
今焦り顔でフィールドを走っている主審が判定を覆すことなどありえない。あいつ以外に試合を裁く権利を持つ人間はこの地球上に存在しないわけで。
だからもう今のプレーはおしまいだ。
俺たちは別の道を切り開くしかない。ゴールへの道を。
あきらかに日本ペース、だがビッグチャンスを逃し続けている。
「サッカーの定説だ。チャンスを決めきれなかったチームは負ける。ブラジルが点を獲る流れだ」
津軽は俺にそう告げる。
俺はうなずきながら日本ベンチを観察する。監督が呼び寄せたのは内藤と河田の2人。選手交代ではなく戦術の変更を伝えるためだ。
清水のドリブルは敵を観察する力とボールタッチ、そして方向転換の早さが相手を圧していたからだ。ブラジル相手に無双できる個人技の持ち主。次にボールをもったときは足をつかんでも止めにくるだろう。破壊的な攻撃性能だ。
土屋の意外性も光った。以前はプレッシャーのかからない低い位置で正確なパスを出すだけの選手だったが、時折流れのなかで高い位置まで走り、今のようなアイディアのあるプレーを見せる。
そして敵ながらディアス……。父親はスタンダードなセンターバックだったが、息子のあいつは攻守において型破りなプレーを見せる。身長のなさをカヴァーするかのように予想できないディフェンス。異次元の身体操作能力……今まで対戦したことのないタイプのDFだ。だからこそ俺は困っていた。
いやしかし、俺があいつに勝てるかどうかなんて気にしても仕方ない。
チームで1点獲れればそれでいい。
監督の伝令を俺に教えてくれたのは土屋だった。
心なしかその声が弾んでいるようにきこえる。
「ローテーションアタックの完全な解禁……時間限定ですが準備ができ次第……ブラジルを自陣まで押しこめれば今度こそゴールを奪えます」
ついにあの頑固者の監督相手に自分の意志を通しやがった。試合中にしてクーデターに成功か?
これから土屋がやりたいサッカーをこのチームで、このゲームでやることになる。ぶっつけ本番ではないにせよ、チャレンジがすぎる……。
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