第1.5話 宿舎にて

 120分間フル出場しPK戦のキッカーもやり遂げた俺は、チームが4時間かけ宿舎に戻り(アメリカは広すぎる)、遅い夕食を摂ったあとに監督の部屋のドアをノックした。

 伏見監督は綺麗に整頓されたデスクに座っていた。PCを操作し明日のミーティングで使う試合の映像をパワポにまとめているようだ。

 スキンヘッドの中年男性が振り返る。

「なんだ?」

「ゴールが決まらないんです」

 俺は前置きなんてしない。


 伏見はニヤリと笑った。

「そうか。なぜだと思う?」

「俺の実力が不足しているからです」

「おまえはまだ15歳だ。中学生。周りのやつらは学年でいえば高2や高1だぞ。2年後も同じ大会に出られるおまえを俺は飛び級で選んだ。特別扱いだ。仕方ないよなぁ……チーム最年少のおまえがゴールを奪えないのは……」


 大人の指導者が子供の選手相手に毒舌を発揮して驚く人もいるかもしれない。

 俺と伏見とでは25歳も年齢差があるが、互いに本音を言いあえる良い関係性を築いていた。先にこちらのほうが生意気な口を利いていたのだが伏見のほうが怒らなかったのだ。変人同士ウマがあったのだろう。話し方も堅苦しくなく砕けた表現を使ってくれる。


「俺が点獲っていたからチームに呼んだんでしょう?」

「そうだな。おまえは正直怪物だ。中学生が国内最高峰の大会……アンダー18高円宮杯で得点王になったら試したくもなるよ。ナショナルトレセンの地域対抗戦でも関東選抜を優勝させて」

「そんなのもう過去の出来事です」

 この大会で俺の実力は世界に通じていないのだから。

 今のところは。

 チームとしては納得している。決勝まで勝ち残っているのだからそれはそう。だが俺個人としての感想は『勝っているチームにいるだけの選手』なのだ。


「おまえは自分の成功体験を過信しすぎている。『守株待兎』ってやつだな」

『守株待兎』。中国の故事だ。

 切り株にぶつかって兎が死ぬのを見た人が、愚かにも同じ事が起こると思って株を見守り続けたというーー。

「俺が成功か失敗かの基準をゴールに依存し続けていると?」

「そうだ。センターフォワードだからといってゴールを奪うことがすべてだとは思っていない。

 ディフェンダーを背負いながらボールを失わないポストプレーができている。

 オフザボールで相手をひきつけ味方が走りこむためのスペースを創っている。

 前線からファーストプレスで相手の選択肢を奪い後ろの選手の負担を減らす。

 そういう影の役割も1トップにとって大事な仕事だ。ちょうど今日戦ったところだが、フランス代表のジ〇ーとギヴ◯ルシュ。この2人のストライカーはワールドカップでともに決勝まで出場し続けながら無得点だった。だがチームは優勝させている」

「ジ◯ーはともかくギヴ◯ルシュって選手は知らないです」


「ともかく、おまえがゴールを奪えてなかったからとしてそれがどうしたんだ? チームの奴らがおまえの悪口でも言ったのか?」

「いいえ」

 先輩たちのなかにそんな奴はいない。

「というかおまえも頭のなかで無得点のままでも使われるだけの理由はあると思っているんだろ?」

「守備での貢献ですか?」

「ああそうだ」

『まずは守備から』、『相手ボールでサボるアタッカーはいらない』と公言するだけはある。

 伏見監督は夢を見ない。超リアリストで勝利至上主義者。『美しく負けるサッカーなんかよりも醜い勝利のほうが万倍うれしいだろう』と言ってはばからない人だった。

「ああ遅かったな。座っとけ。今回選んだメンバーのなかでおまえが一番サッカーをわかってる」

 サッカーという複雑極まりない競技の本質をわかっていると。

「やっと褒めてくれるんですね」


「プレスをかけるタイミングも、走る速さも、身体の向きも含めおまえがベストの守りを見せている。前線のな。だからおまえを一番長い時間使っている。失点する確率を下げるのが俺の主な仕事だ」

 伏見はサッカー関係者に『守備的で保守的な監督』と指摘されることもが多い。そしてそれは事実だった。

 トレーニング中はすべてのポジションの選手に守備についての約束事を徹底的に叩きこまれる。


「おまえを身長はないがセットプレーのときは前に残しているだろう?」

「カウンターの武器として有能だから」

「今日のあの3対2のチャンスもそうだった。そうか、攻撃の話をしようか? 運が悪いんだと思う」

「かばってくれましたね」

 単にそれだけなのか?

 なにか技術的に精神的に俺が不足しているのか? それとももっと単純な問題、俺のサイズが不足しているとか?

 伏見監督は俺が思っていることをズバリ指摘した。

「身長は問題ないぞ。170センチ。同年代の平均身長には達しているだろ。デカくてもいいがそうしたら特長である俊敏性がなくなっちまう。パワーも問題ない。15歳とは思えないくらいフィジカルも仕上がってるな。どれだけトレーニングしてるんだよ」

「世界一の選手になりたいので。というかなるんで。……笑いますか?」

「笑わんよ」

 伏見は口を閉じシリアスな顔をして俺を見た。

「プライドが高いな。だが世界から強い奴らが集まってくる大会だ。こうなることは予想していなかったのか?」

「俺の大会前の予想では……そうですね、どっかのノルウェー人みたいに1試合10点獲ったり、大会得点王とMVP両獲りしたり、大会が終わったあとはスペインのクラブからオファーがくるくらいのことは予想してましたよ」

 クラブユースや代表のチームメイトにもそう公言していた。俺はビッグマウスなのだ。本◯といい勝負をするくらいには。

「残念だが18になるまで国外移籍はできんよ。それくらいのことは大人が教えてくれる--」

 そんなルールくらい把握している。

「最後のは冗談です」

「ぬぅ……。やはりプライドは高いな」

「ええ。俺が最強だと思っていますから」

「この成績でもか?」

「監督が言ったように運が悪かったんだと思います。きっと次の試合ではまた決まるようになりますよ」

 試合に出てゴールを決めるのが俺にとっての通常の状態。

 俺が所属している関東の某クラブユース。そこでの公式戦、練習試合、トレセンに高円宮杯。日本代表においてはシンガポールで行われたアジア予選でもそうだった。俺は出場したほとんどすべての試合でゴールを奪い続けてきた。

 サッカーという競技において得点は貴重なものだ。

『約7割のゲームで双方のチームの得点が0~2点の範囲に収まる』という統計もある。

 その貴重なゴールこそが俺の歓喜だ。ピッチ上においてもスタジアム全体においてもとてつもない熱狂が発生する現象。あれは一度でも体験すれば病みつきになる。俺にとってこの競技を続ける上で最大のモチヴェーションだった。

 だから俺はとまどっている。ゴールを奪うことのできないこの一ヶ月弱の期間が。この大会が。

 その最後の試合。

 失敗したままこの地を去ることはできない。

「怪我がなかったらブラジル戦でもおまえをスタメンに使おうと思う。いいな?」

「はい!」

 俺は即答した。

「すぐに答えたな。……自分が一番優れているからか?」

「チームを勝たせる存在だと思っているからです」

「日本には今や世界に通用するウィングがいる。CLでプレーし続けているトップ下も、ボランチも。もちろんサイドバックもな。高さと速さを兼ね備えたセンターバックもいる。タレントが不足しているのはCFとGK。この2つだな」

「CFは俺がいるでしょう? ならあとは4大リーグで活躍するようなGKがいれば弱点のポジションはなくなりますね」

「い、いやいやちょっとまてリュウジ君。俺はA代表の話をしているんだが……」

「俺なら明日にでもプレーできますよ。でもまだちょっと実力のほうがサッカー界に知られていないみたいなので、次の決勝戦で有名になってやろうかなって」

「ゴールで?」

「ええ」

 伏見は鼻で笑いながらこう言った。

「生き急ぐことなんてないぞ。大会後の課題になる。君にとってゴールを奪えなかったことがいつか大きな財産になるかもしれないぞ」

 それはサッカーじゃなくてバスケット漫画の名台詞だろ。

「そういう負け犬の思考はもってないんで」

 次の試合で俺はこの大会前の俺に戻る。チームも勝たせるしゴールも奪う。俺に不可能なんてないさ。

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