第3話 「エリートって嫌われるもんだろ?」




(17歳以下のワールドカップ本大会終了後。リュウジの地元である神奈川県K市内のファミリーレストランにて。リュウジと学校の制服姿の少女がテーブルをはさんでボックス席に座っている。リュウジのほうは足を組みソファにもたれかかり、警戒する眼で相手を見ている。少女はコーヒーをスプーンでかき混ぜ冷まそうとしていた)


「リュウジ君はフットボーラーとして、ご自分のことをどう評価されているんですか?」


 少女--湯浅シサは俺にそう問いかける。


 個人情報の管理についてはしっかりしていたつもりだった。

 そもそも本名にしろ匿名にしろSNSなんてやっていないし、プライヴァシーを探られるリスクなど負っていないはずだった。

 音羽リュウジの名はもちろん国内に知れ渡っている。『15歳ながら国内外のサッカー関係者が絶賛する期待の新星』。俺の名前をググればサッカー関係の記事がいくつも上がってくる。経歴--所属しているユースチームだってすぐにわかるだろう。出身地も。


 だがそこまでだ。

 どこの学校に通っているとか、どこに住んでいるのかといった詳細な情報までは探れないはずだった。

 だがこの少女は俺に接触することに成功したのだ。

 偶然ではない。シサは金を使って探偵を雇い俺の居場所を突き止めに会いにきた。一体どれほどの情熱が彼女を突き動かしているのだろう。

 そう、湯浅シサは俺の超熱心なファンなのだ。

『地球上で一番あなたというプレイヤーについて詳しいのは私です』だなんて宣言もされた。正直怖い。


「俺は、まぁ、エリートってやつだよ」

「エリート。その点は間違いないですよね」

「考えてみたらそうなんだよ。ジュニアユースチームにはスカウトで入団したし、ユース昇格は大人が勝手に決めたけれど、俺が一つ枠を潰したせいでチームに入れなかった奴がいるわけだよ」

「本気で上手くなりたいスポーツチームですものね、競争が激しいのは当たりまですね」

「いや、スポーツに限らず受験勉強だって就職だって競争はあるよ。恋愛だってそう、外交関係だってそう。この世界は弱肉強食なんだ。他人を蹴落として幸福度を上げるゲームなんだ。人生はゲーム」


「リュウジ君はそのゲームをずっと勝ち上がってきたわけですね」

「俺みたいな経歴の持ち主はほとんどいないよ」

「ええもちろんそうです。18歳以下を対象にした大会で結果を残しています。相手はクラブユースや高校サッカーの強豪チームばかりだった」

 年功序列がしっかりしている学校の部活動とは違い、プロ選手を育成するための組織であるクラブユースの場合、優れた選手はどんどん上のカテゴリーに昇格させることが可能だ。それこそ学生のうちにプロデビューさせることもできる。


「俺はきっと憎たらしいガキだったと思うよ」

 シサは苦笑いを浮かべる。

「高校生の選手からしたらまだ小さな幼い子供に見えたんでしょうか?」

「同じ失点なら同年代の高校生に決められたほうがマシだったろうね。中学生の俺が決めたらショックは大きかったと思うよ。俺が決めるたびにみんな絶望しててさ。少しだけ申し訳なく思ったよ」

 ほんの少しだけ。

 だが同時に『そちらがもっと上手く守ってくれないと、こっちは全力を出し切れない』だなんて生意気なことも思っていた。


 さてあなたも疑問に思ったかもしれない。

 どうして俺は自分のプライヴェートを暴きアポイントメントもなしに直接会いにくるような少女と(同年代とはいえ)まともに会話をしてしまっているのか? 警察を呼ぶなりその場から離れるなりすれば良いではないか?

 彼女が美しかったからだ。


 シサはものすごい美人だ。肩にとどくまで伸ばした亜麻色の髪。薄緑色の瞳。人として生活していることを感じさせない白く透明な肌。

 身長はそれほど高くはないが手足が長い。そして細い。ちゃんと食べているか不安になるくらいだ。それでいて動作は俊敏で立ったり座ったりしているときの姿勢がいい。なにかスポーツか武道でもやっているのかと俺は予測している。

 陳腐な表現だが『顔がいい』。家系に北欧の血が入っているのかわからないが人形のように整っている。いつも子供のような屈託のない笑顔をこちらにむけるが、ときどき大人のようなクールな表情になることもある。そのギャップに俺はやられてしまった。

 日常のあらゆる動作がサマになる(異性に観られていることを意識しているから)。むいている職業はモデルか女優か。

 謎めいた少女だ。

 もちろんシサは自分の個人的な情報を俺に伝えている。そうでないと二人の間のバランスがおかしいから。住んでいる場所も教えてくれた。通っていた学校だとか、いつどこで俺のことを知ってファンになったのか、そういった事柄を(ちなみにシサの言葉が真実ならば彼女の家はとんでもなくお金持ちだ)。


 だがまだシサという少女の思考が読めない。

 どうして彼女が俺なんかを好きになったのか? それがわからない。

 選手として俺の評価が神だとしても、それがイコール俺個人の魅力とはつながらない。正直なところサッカーをしていない俺のステータスは下の下だから。

 シサは俺に罠をしかけているのかもしれない。

 有名な選手に近づくことでなんらかの利益を得たいのかも。

 だから俺はシサに対し心理的に距離をとろうとしている。間違っても彼女を好きになってはいけない。あくまで『観賞用』として、自分のそばにいることを許しているだけの関係だ。


 もう今日を含め数度彼女と会っている。スマホの番号だって交換済みだ。

 いや警戒するといっておいて俺のガードが低すぎる? それは気のせいだ。

 自分にとって『100%の女の子』が現れたらだいたいの男はこうなってしまうに違いない。



「エリートって嫌われるもんだろ? 偉い奴は無条件で嫌われ役に回る」

 エリートのほうがいい経験を積めて、エリートのほうが優れた仲間に恵まれて、エリートのほうがよりよい教育を施されるのに。

 我流で才能を開花させた天才キャラのほうが物語の主人公としてふさわしいと大衆は思うらしい。


「物語だと間違いなくそうだ」

「フィクションの話ですか?」

「フィクションの影響を受けない人間はいないよ。マンガでもそう、映画でもそう、多分小説でもそうじゃない? 周囲から理解されない主人公が努力して実力を身につけてさ。敵役になるのはエリートだよ。偉そうで、血筋が良くて、主人公を見下す発言を繰り返し……でも戦うと主人公が勝つんだ。ざまぁされる側の対象なんだよエリートっていうのは。俺は間違いなくエリートだった」

「やられ役ですか?」

「そうやられ役。俺が負けたら見ている連中は喝采をあげるよ。だって生意気にも中学生が17歳以下の大会にでてたんだから」

 音羽リュウジを選んだのは伏見監督であって、俺個人の意思はあまり関係がないのだが。


「日本代表を応援している日本人の方々はみなさんあなたの活躍を願っていたと思いますけれど」

「世界中のサッカーファンはどうしてこんなガキを連れてきたんだって思っていたと思うよ」

「そこまでご自分を卑下されないでも良いと思いますが……」

 シサはいつも丁寧な言葉遣いを守る。育ちが良いのだろう。あるいは俺に好かれたいからか。

「客観的に考えてさ、飛び級で選出されたセンターフォワードが大会中あんなシュートを決められなかったらそりゃ批判されるよ。中学生だからなんて言い訳にならない」

「でもチームは勝ち進んでいます」


「ファンはいくらでも高望みするもんなの。『もし音羽リュウジが点を獲っていればもっと楽に勝ち上がれた』、『あいつをベンチに引っ込めて他の選手を起用するべき』、『監督が贔屓しているんだろう』みたいなね」

「ネットの意見ですか?」

「そんなの見ないからわからないよ。想像で言ってるだけ」

 俺が笑うとシサもつられて笑った。芯のある人間は他人の意見になど振り回されない。

「でもスランプ……だったわけですよね? 大会期間中は」

「体力的には問題ないんだよ。代表では試合が終わるたびに採血して体調チェックしてたけど俺は問題なし。毎日眠れたしね。トレーニングでも動きはキレてた」

「精神的な問題ですか?」

「個人的には悩んでいた部分がある。でも人と話をしているうちに気は紛れるもんだ。勝っているチームは雰囲気がいいよ。俺は面白いことを言ってチームメイトを笑わせてたね」

「本当ですか?」

「なんか俺が面白くない奴みたいにきこえるんだけど……」

「いえいえ、リュウジ君の言うことが高級すぎて、毎回帰ってからギャグの意味を理解して人前で笑ってしまうくらいですよ」

 そんな冷たいジョークを飛ばさないでもらいたいぞ湯浅シサ。

 シサはそこで真剣な顔になった。彼女の興味はサッカーという競技そのものに移る。

「失礼ですがどうしても知りたいんです。リュウジ君はどうして大会に入った途端ゴールが奪えなくなったんですか? あなたの技術的な問題? それとも対戦する相手の身体能力? 組織力ですか?」

「それについてはずっと悩んでいたけれど……。まぁこれは試合の映像を観たらわかることだけど」

「何回も観ました! 7試合とも全部!」

「ゴール未遂……惜しいプレーはいっぱいあったでしょ? つまり……」

「運が悪かった?」

「そう俺は結論をつけたんだ。だからといってラッキーアイテムとかジンクスとかそういうのには頼らなかった。トレーニングの細々とした内容を変えるとか、シュートの選択肢を変えるとか、そういうことにはならなかった。トラップする位置もゲーム中のプレーモデルも今までのまま決勝戦を迎えることにした」

「海外の大会でプレーしているのに?」

「同じサッカーだよ。レフェリーは接触プレーに甘いし、大事な大会だから選手たちのプレー強度も違う。でもそれだけ。日常の延長線上に世界はある。俺は変わらなかった」

「決勝戦のあのブラジル戦でも」

 伝説となったあの一戦においても俺は不変だった。

「競技は違うけれどイチ○ーも言ってたんだよね。スランプ--結果がでない時期があったとして、なら今まで信じてきた『自分のやり方』を変えるべきなのか? それは今まで続けてきた努力の積み重ねを無意にすることだ。安易に変えるべきでない。みたいなこと」

「ワールドカップに出場して、新しい経験はあったんですよね」

「それはあったよ。でも俺の確固としたサッカー観を変えるほどのものではなかった。

 今までどおり俺のやり方が正しい。

 俺が1番正しい努力をしていて、

 1番サッカーを愛していて、

 だから俺のサッカーが1番強い」

 シサは俺の言うことに同意の意味を込めて二度頷いた。

 あんまり褒められると好きになってしまう。俺は彼女に嫌われるためにもっと馬鹿なことを話すべきかもしれない。

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