第30話底なしの霧の奥に隠れたもの
「俺は親父が吸血鬼で……母はその、そいつの奴隷だった」
「……」
「だからか母はずっと俺にきつく当たっていたし、それが当たり前だったし、今でもそうされて当然だったと思っている……だから俺の手で親父を殺してやろうとハンターになった」
「そうか」
「吸血鬼はすべて理性のない化け物なのだ!たかし!その血に抗わねばお前もいつか理性が奪われ、本物の化け物に成り果てるぞ!」
「なるほど、それは困ったな」
たかしはルナの言葉にわざとらしく肩を落として深いため息をつく。
「俺たちはガンドライドのメンバーとして裂け目の怪物と戦ってるんだがな、吸血鬼の血とも戦う必要が出てきてしまうわけか……」
「ふん、裂け目の怪物だと?」
ルナはたかしの言葉を聞くと勝ち誇ったかのように鼻で笑う。
「裂け目の怪物など海水浴場に現れたサメと何が違う?狡猾で、理性のあるふりをして、人間の社会に深く溶け込んでいる吸血鬼こそ我らの真の脅威ではないのか!」
「それは違う」
「何が違うというのだ?!言ってみろ!」
「サメの下には何があると思う?光も届かない深淵だ。その深みには何が潜んでいるのか誰にもわからず、そして底なしだ。誰かがそれに立ち向かうことを諦めたら人間の社会なんて一瞬で飲み込まれてしまうかもしれない」
「吸血鬼がのうのうと生きていられる世界など飲み込まれて滅んでしまった方がマシだ!!」
ルナはあくまで頑なでその姿勢を崩そうとはしないものの、ルクスはたかしの言葉に思うところがあったのか何か考え込んでいるようだった。
「ルナ、もうやめよう。彼が戦いの手を止めてくれたことに感謝すべきだ。今の俺たちじゃ万に一つも勝ち目はない」
「ふん、私の指示も守れず、勝手に戦いを放棄しようとした分際で万に一つだと?」
たかしは二人の会話を遮るように口を挟む。
「ルクス、お前はハンターになって日が浅いのか?ヴァンパイアハンターはもっと狂信的な連中だと聞いていたが」
「あ、いや……まあ、特に俺はそうだ。訓練を途中で抜け出してここに来たんだ。吸血鬼の気配を感じたと飛び出して行ったルナを放っておけなくてな」
「そうか、ならお前たちに聞こう。今まで吸血鬼を殺したことは?」
ルナは何かを言いかけたが言葉を飲み込み、ナイフを握りしめたまま黙り込んでしまう。そんなルナに代わってルクスが答える。
「……俺もルナもまだない」
「それは本当か?父親のこともか?」
「ああ、本当だ……でも、いずれは殺すつもりだ」
「そうか、わかった。なら二人とも約束してくれ」
「え?」
「今後は喧嘩を売るなら俺か、お前らの親かのどちらかにしろ。他の吸血鬼に手を出そうとしたら殺す」
たかしがそう言うとルナは目を見開いて、牙を剥き出しにしながら叫ぶ。
「すべての吸血鬼は我々ダンピールにとっての宿敵なのだ!」
「知るか、約束しろ。ここで殺されたくないならな」
「……」
「た、たかし!こ、殺すとか言うなよ!」
あたけが慌てたようにたかしに声をかけるも、たかしは表情一つ変えずにルナとルクスの目をじっと見つめたままだ。
そんなたかしを前にルクスは強い決意を込めて答える。
「わかった、約束する。もともと俺がハンターになったのは父親への復讐のためだ」
「ルナ、お前はどうなんだ?」
「うるさい!対吸血鬼の三つの原則、言わず!教えず!悟らせず!」
そう言うとルナはナイフを鞘に収め、パンダの遊具に蹴りを入れた。
「行くぞ!ルクス!」
「あ、いや、ちょっと待ってくれ……あ、あの、たかし、さん……」
ルクスは恥ずかしそうに笑いながら手の泥を拭ってジャケットを広げると、内側のポケットをたかしに見せる。
「どうした?」
「これを……解毒剤を渡しておこうと思って」
「ああ、ほら、あたけ……」
たかしは受け取るなり袋を振り、中身をあたけの手の平の上に開けてみせる。
あたけは丸い粒の詰まったパッケージをしげしげと眺めるとポケットにしまい込んだ。
「おっ、サンキュー!いや~……一時はどうなることかと……」
ルクスはそんな二人のやりとりを不思議そうに見つめながら口を開く。
「たかしさん……その……」
「なんだ?」
「ルナと俺のことを、許してくれてありがとう」
「許すかどうかはお前たちが約束を守ってからの話だ」
「もちろんだ、わかってる」
ルナは地面に転がっていたルクスの剣を拾うと睨むような目つきで彼を睨みつけた。
「何をしている!さっさと来い!」
「おい、お前たち」
「しつこい奴だな!なんなんだ!」
たかしはルナの蹴りでぐらぐらと揺れるパンダの遊具に手を添えながら、立ち去ろうとする二人を引き留める。
「訓練は欠かすな。俺は並の人間に近い状態から一年でここまで強くなった。お前たちもきっと強くなれる」
「わかってる!お前に言われずとも……い、いっ、一年でだと!!?」
「そうだ、目的意識を持って地道に取り組むことが大切だ」
「たった一年でそこまで……わかった。たかしさん、本当にありがとう」
「はやく来い、ルクス!何度も言わせるな!」
ルナは苛立った様子でルクスを急かし、二人は公園から走り去っていった。
「……たかし?」
「ん?なんだ」
あたけはパンダの遊具にもたれかかりながらため息をつくと、呆れたように言った。
「なんだかんだで優しいよな……俺が言うのも変だけどさ」
「ガンドライドは慢性的な人手不足だ。あいつらが今後の身の振り方に悩んだ時、ガンドライドの門を叩いてくれればと思っただけだ」
「そっか……やっぱたかしはよく考えてるよな……俺もお前みたいになれればな」
「あたけ、俺は何も考えてない。そもそも大して賢くもない自分の頭で考える必要なんてどこにもないんだ」
「……そっか、そうかもな」
「俺は……伯父さんならこういう時は何をして何を言うんだろうかと心の中で質問して、返ってきた答えの通りに行動しているだけだ」
「はは、やっぱお前って変なやつだよな」
少し照れくさそうに頭をかくたかしを見上げながら、あたけは悪戯っぽく笑うと言葉を続ける。
「けどそんな風に思い切れるがすげえよ。俺なんか本に書いてあることが正しいとわかっていても、どうしても迷ってしまうからな」
「正しいことよりも、お前がやりたいことがあることの方が重要だろう」
「……でもさ、もしあいつらが他の吸血鬼に手を出してたらどうするつもりだったんだよ」
「……それならまあ……」
たかしは考え込むように俯きながら答える。
「……その時はその時だ。もっと殴っていただろうな」
「そ、そうか」
「それじゃそろそろ飲みに行くか、今ならあたけ割が利くかもしれないしな(笑)」
「なんだよそれ(笑)」
「あたけ割っていうのはだな、料金支払いの際にあたけが全額支払うっていうシステムで……」
たかしはまったく面白くない自分の冗談を丁寧にあたけに解説する。
一方でルナとルクスは先ほどの出来事を反芻しながら暗い夜道を肩を並べて歩いていた。
ルクスはルナの折れた腕を診ようとするも、手の甲を打たれ振り払われてしまう。そしてしばらくの間、お互い何も語らない時間が続いたが、先に口を開いたのはルクスだった。
「……なあ、ルナ」
「……」
ルナは何も答えず下を向いたまま沈黙を続ける。
そんな無言を努めて気にしない様子でルクスは言葉を続けた。
「強かったよな、たかしさん……」
「臆病者め、何がたかしさんだ。この腑抜けが……」
「いや、でも……あの強さは本物だよ。俺もあんな風に……」
「黙れ!」
ルナが苛立ったように声を荒らげ、そしてすぐにため息を吐く。
「……私だって本当はわかっている……あんな奴が存在しているとは思わなかった……」
「ああ」
「でもだからといって光の側に立たない者を赦すわけにはいかない。闇に屈するような者はもっと赦せない」
「わかっている」
「だが、あのたかしという男も闇に囚われた哀れな光……いずれ目を覚ませば必ず……」
「……ルナ」
「……なんだ?」
「たかしさんの話に出た ”あたけ” って……何だ?」
「……私が知るわけないだろう」
ルナは折れた腕をかばうようにしながらゆっくりと息を整える。
「あの場所には……たかし以外のぞっとするような『何か』がいた。仲間なのか、それとも……」
「……それがあたけだと?」
「うるさい。私にわかるものか……」
やがて二人の姿は夜の中を行き交う雑踏によって塗りつぶされるように見えなくなっていった。
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