第13話ちゃっぴーの気まぐれ
それからさらに数日の後、まだ薄暗く冷たい朝の空気の中でたかしはジョギングがてらに山の周辺を散歩していた。
昨夜は雨が降っていたせいか、少しだけ地面がぬかるんでいる。橋の上から見る沢の流れは泥臭く少し濁っており、いつもより水量が多く見えた。
(……近づいてきてるな)
下手な運転の車が自分に向かってきていることがわかった。
バーベキューグリルの網のような艶やかな銀色の面構えが印象的な、この田舎には不釣り合いな高級車だ。まるで伯父さんのコレクションの一つのようだとたかしは思う。
車のドアが開く音が聞こえると、中からは見知った顔が姿を現した。
「……ちゃっぴーさん、ご無沙汰しております」
たかしは橋の上で足を止めると、深々と頭を下げる。
車の中から出て来たのは定食屋の老婆のちゃっぴーだった。
「おい……」
「??……どうなさいました?」
たかしの笑顔を一瞥もすることなく、老婆は殺意を孕んだ視線を彼に向ける。
その顔は怒りに燃えており、その手に握りしめた鎖鎌はまるで水を湛えたかのように冷たく不気味に輝いていた。
たかしにはまるで理解できなかったが、ちゃっぴーが自分のことをひどく恨んでいるということだけはわかった。
「あの……?」
たかしが困惑した表情を見せると、ちゃっぴーは鎖鎌を振りかざしながらたかしに詰め寄る。
「この食い逃げ野郎が……!」
「……あの時の代金は伯父さんが支払ったはずですが」
「お前はいい年こいて、おっさんの背中に隠れて生きていくつもりか?!自分のケツは自分で拭け、馬鹿たれが!!」
「…………」
ちゃっぴーは一方的にたかしのことを怒鳴りつけると鎖鎌を振り回す。
空気が弾けるような音が聞こえたかと思うと刃の旋回速度はさらに増し、老婆の体は銀色の風に包まれた。
「……」
「何黙っとるんじゃ!何とか言えねーのか、あぁこら!?」
「……わかりました」
たかしにはちゃっぴーが腕を振り上げた瞬間に全てがわかってしまった。
鎖の先の分銅がどのくらいのスピードの回転していて、その速度は何秒後に最高速度に到達するのか。
鎖はどういう軌道を描いており、どのようなタイミングでどういう方向からどんな攻撃が来るか、周囲の地形が利用された場合はどのようなバリエーションが考えられるかまでを。
そして……彼は理解していた。
「死ねえっ!!!」
彼女が自分を傷つけるつもりではないことさえも。
ちゃっぴーは雄叫びを上げると同時に、腕を振り下ろして鎖鎌を投げ放つ。
たかしは避けようとなかった。その必要もなかった。空気を引き裂きながら迫りくる光を見つめながら彼はその時を待った。
(ちゃっぴーさん……)
あの時、巨大な獣のように見えた老婆が今や小さな枯れ木のようにしか見えなくなっていた。
そして眼前に鎌が現れた瞬間、たかしは鎖と鎌の接続部を指先だけで素早く切断し、そのまま空中で鎌を奪い去る。
唐突に鎌を鎖から外された老婆はバランスを崩し、慌てて前に倒れ込むように手をついてしまった。
「なっ、何をするぅ!この泥棒野郎が!」
「……」
ちゃっぴーに罵声を浴びせられるも、たかしは手の中の鎌の刃をくるりと回すと、柄の部分をちゃっぴーにそっと差し出した。
「ちゃっぴーさん、ちゃんとお手入れしておかないといざという時に途中で外れてしまいますよ」
「あぁ!?やかましいわ!この糞餓鬼が!!」
ちゃっぴーはたかしの手から鎌をもぎ取ると、悪態をつきながら差し出された手を払う。
「余計な真似すんな!ボケが!お前みたいなバカ野郎のせいで世の中おかしくなるんだよ!」
「おっしゃる通りです」
たかしは苦笑いを浮かべながら頭を掻く。
ちゃっぴーはたかしにあらん限りの罵声を浴びせながらゆっくり立ち上がると服についた泥を何度も払い、とぼとぼと車に戻っていく。その姿は先ほどよりも小さく弱々しく見えた。
「あのちゃっぴーさん、お金のことは……」
「おい、お前」
「なんでしょうか?」
「名前は?」
「……たかしです」
「強くなったな」
「ありがとうございます」
「もう悪さすんじゃねえぞ」
「……はい、すみませんでした」
たかしはよろめくように蛇行しながら走り去って行く車に頭を下げながら、もう会うことはないだろうと思い心の中で呟いた。
(どうかお元気で……)
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