第8話人間と吸血鬼、そして太陽の血

「……え?」

「……それが君のお母さんだ」


「……母さん?」

「そうだ。それが君のお母さんだ」

「この男の人は?」

「私だ」

「…………」


「ま、まあ、若い頃だからな……」

「パパ、やばいって……ロング超きもいんだけど」

「この時は流行ってたんだよ!」


伯父さんは焦った様子で髪をかき上げる。

ページをめくると、とんでもない母親の姿が次々と出てくる。写真の数々はたかしの予想だにしないものというより理解の範疇を超えていた。


ビキニを着て、古戦場のような場所でロングソードを構える母。

巨大な十字架に磔にされたまま白目をむいて気絶している母。


激しく燃え上がるフロントガラスの大破した外車をバックに薄笑いを浮かべながらギターを弾いている母。


他にも様々な写真を目にしたが、そのどれもが奇妙でどういう状況なのか全く理解できないものばかりだった。


「う、うわぁ……」

「……何というか、昔は本当に手に負えない子でな」


伯父さんはそう言ってページをめくる。

すると赤ん坊の自分を抱えながら満面の笑みを浮かべている若い頃の母親と父親の姿があった。


さらにはたかしが持っている母親の写真を別角度から撮影したと思わしきものもいくつかあった。


「……」


このアルバムは間違いなく母親の物で間違いないだろう。

しかし、たかしは開いた口が塞がらなかった。自分が思っていたそれとは母親の姿があまりにもかけ離れていたからだ。


従姉妹もどこか気まずそうに写真の中の叔母の姿を見ている。


「……す、すごい人だったみたいですね」

「まあ、確かにすごかったよ。色々と」

「……」

「でもこれで君の母さんのことがよくわかっただろう?」


「え?ええ……まあ、はい……」


実際にはよくわからなかった。

それでも伯父さんの問いにたかしは曖昧な返事をする。


しかし、次に伯父さんの口から飛び出した言葉は、写真以上に衝撃的な内容だった。


「……優しい心の持ち主だった。だから君のお母さんは君の父親を吸血鬼にしようとはしなかった」

「え……」

「人間としての彼を愛し、共に生きていくことを選んだんだ」

「…………」


「だが、その優しさが悲劇を生んだ。彼女は優しすぎた。人間だった君のお父さんの存在が彼女の弱点となり、結局、二人は共に命を落とすことになってしまった」


伯父さんの話は続く。


たかしの母親は人間だった父親を愛してしまったことである吸血鬼の怒りを買い、さらに父親を吸血鬼にすることも拒んだために殺されたのだという。


「そんな……」

「当時、私も奴に目を付けられていたため表立って動くことが出来なかった。色々と裏で手を回し、何とか君たちを助け出そうとしたが……助け出せたのはたかしくん、君だけだった」

「…………」


「すまない、こんな話をいきなりされても受け入れ難い話だったろう」


伯父さんの表情は真剣そのもので、嘘をついているようにはとても見えなかった。

そもそも彼はそんな話で誰かを騙すような人ではない。


「え、いや……」


吸血鬼、そして殺された両親、それから自分を守ってくれた伯父……。

様々な事実が頭の中で交錯する。


たかしは混乱しながらも、何とか言葉を絞り出そうとしたが霧のかかった頭からは何も出てこなかった。


「………………」


「君を施設に入れたのは私だ……奴の警戒が解かれるまで、君は私の手の届かない場所に行く必要があった。すまなかった……」


伯父さんはそう言うと深々とたかしに頭を下げる。


「あっ、そんな……お、お、俺に、謝るだなんて……」


たかしは慌てて伯父さんに顔を上げさせようとする。

だが、彼はアルバムの中の妹の姿を見つめ、頭を下げたまま動こうとはしなかった。


「パパ……」

「あの……俺は……大丈夫ですから……」


「……ありがとう」


ようやく顔を上げてくれた伯父さんの顔には、いつものような端正な笑みが浮かんでいた。目尻に浮かんだ涙をそっと拭うと、そのまま彼は口を開く。


「……それでだな、たかしくん」

「はい?」

「ここからが本題なんだが……」


伯父さんはアルバムを閉じると、一緒に持って来た瓶を座卓の上に置く。コトンという音が鳴り、瓶の中の液体がゆらりと揺れた。


「これは吸血鬼の血と水と……細かいことはどうでもいい。これを使えば君が吸血鬼の血を引いていることがわかる」

「この、液体を……飲めばいいんですか?」


「いや、血を使うんだ。吸血鬼の血はその液体に沈まないという特徴がある。そこで君の血を一滴垂らすのだ。表面に浮かべば吸血鬼。液体と混ざれば人間、というわけだ」


「なるほど……」

「そして半吸血鬼の君の場合、まあ……簡単に言えば……人間と吸血鬼の中間となるわけだが、やってみた方が早いだろう」


伯父さんはそう言うと、小さめの注射器を取り出し、たかしに手渡した。

少し半信半疑だったものの、たかしは思い切って血を抜き取ると、瓶の中に一滴垂らす。


するとすぐに変化は現れた。


「うっ、うわ……えぇえ」

「わあ……」


たかしと従姉妹が驚きの声を上げる。

たかしの血は液体は表面に浮くこともなく、かといって液体と混じることもなかった。


たけしの血はちょうど瓶の中央で静止し、完全な球体を形成していた。


伯父さんは瓶を軽く振ってみたが、驚くべきことにたかしの血はまるで瓶に中央の位置に固定されたかのように留まり、その形状を崩すことがなかった。


「これが……俺の血……」

「……ああ、ちなみに私のような吸血鬼の場合ならばこうだ」


伯父さんは指先に針を突き刺し、自らの血を数滴、瓶の中に落とす。

彼の血は液体の表面にぽたぽたと垂れ、しかし、そのまま沈むこともなく浮いたままだった。


「おお……俺の時と違う……」

「わかっただろう?これぞ、君が吸血鬼と人間、その両者の血を引いているという証拠なのだ」


たかしは伯父さんの言葉に思わず涙がこぼれ出そうになった。

自分が人間でなかったからではない。伯父さんの言葉が真実であることが信じることができたからだ。


たかしは口を開く。


「あっ、あの……伯父さん、これまで俺に送金してくれてたのって、やっぱり……」


「私だよ。君のためになればと思ってね」

「そう……なんですね……」

「まぁ、そうは言っても、君が独り立ちするまでのわずかな……」


たかしは椅子から転げ落ちるように降りると自然と床に手をつき、頭を下げていた。


「お、伯父さん……い、今まで本当にありがとうございました」


たかしは思う。


この人からもっと色々なことを教わりたい。


今まで育ててくれた恩返しがしたい。

そしてこの人のように強くて優しくなりたいと。


今や、たかしの頭の深い霧は取り払われつつあった、それは血を見たからか、それとも彼の人生に初めて目標という光が見えたからなのか。


「お、お願いします……俺にもっと色んなことを教えてください」

「…………」

「俺にできることならなんでもやりますから……吸血鬼のこと、母さんと父さんのこと。そして二人の命を奪ったという吸血鬼のことを……!」

「……たかしくん」


伯父さんはそう言ったきり何も答えず、静かに目を閉じる。

そして長い沈黙が流れた。


「……ちょっと、パパ?」


不安に感じた従姉妹が問いかけるも、彼は目を閉じたまま動かない。


「ねえ、どうしたの!黙っちゃって!」

「……いや、すまない。実はたかしくん、これは君のお母さんの願いに反することなのだが」

「えっ……」


「君のお母さんは君を吸血鬼同士の諍いから遠ざけようとしていた。君に人間として生きて欲しいと願っていたからだ。……だが、私は違う。私は君には是非とも強くなって欲しいと思う。君の両親の命を奪った連中は少しずつ勢力を伸ばしている。このままでは君も巻き込まれかねないだろう」


「ええっ……!?」

「私はもはや戦う力の大半を失ってしまったが、吸血鬼の力の使い方を知っている。責任を持って君を強くすると約束しよう」


「……は、はいっ!お願いします!」


伯父さんはたかしの傍らにしゃがみ込むと、微笑みながらその肩に手を置いた。

この時たかしの本当の意味での人生がはじまったのかもしれない。


それは後に史上最強の狩人としてその名を轟かせることになる伝説の男の誕生の瞬間でもあった。

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