第9話その蹴りは稲妻のように

たかしが伯父さんの下へと訪れたその翌日、トレーニングはすでに始まっていた。


沢を見下ろせる林の中に作られた簡易的な道場で、たかしはひたすらサンドバッグを蹴りを打ち込み続けていた。


「はあっ、はあっ、はあっ!」


汗を拭うことも許されず。たかしは息を切らしながら何度も同じ動作を繰り返す。

伯父さんはサンドバッグを後ろから押さえながら、たかしに向かい容赦なく檄を飛ばした。


「そんな蹴りで誰が倒れる!?どこの雑魚がそんな蹴りでくたばる!?どうなんだたかし、言ってみろ!!」

「はい!それは俺です!」


「違う!昨日のお前だけだ!今日のお前は昨日のお前より弱いのか!」

「いいえ!俺は強い!昨日の俺よりも強い!」

「なら今度は5分後のお前が今のお前を一撃で殺せるようにあと300回全力で蹴れ!!」

「はい!わかりました!」


普段の柔和で洗練された物腰とは裏腹に、伯父さんの指導は厳しく、徹底的にたかしを虐め抜いた。


しかし、たかしは弱音を吐くことなく必死に食らいつく。

どうせ一度は死ぬと決めた身、ここで逃げてしまうような選択肢はもうなかった。


(伯父さんが俺を育ててくれる……)


それはたかしにとって何にも代え難い喜びだった。

それに彼が自分のためにしてくれたことを考えれば、たとえどんなに過酷な訓練であっても耐えられた。


「はあーっ……はあっ、はあーっ、はあーっ……」


午前は走り込みを中心に、基礎的な肉体鍛錬に始まり、午後はサンドバッグやミット打ちといったトレーニングが中心となる。

だが、ただひとつだけ、伯父さんの繰り出す攻撃から身を守る組み手だけは辛くて仕方なかった。


ひょっとしたら、訓練に見せかけて自分のことを殺そうとしているんじゃないかとすら思えた。


「ほら、次は左胸だ」

「はい!お願いします!」


伯父さんは構えを取ると、次に打つ箇所を宣言してからたかしに鋭い突きを放つ。

しっかり腕を上げてガードしていたにも関わらず、伯父さんの攻撃はまるで腕をすり抜けるかのようにたかしの胸を撃ち抜いた。


その衝撃で肺の中の空気は全て吐き出され、呼吸が止まった。


「よし、次、右脇腹だ」


「……はーっ、はーっ……」

「何をぼさっとしている!」

「はっ、はい!」


たかしは伯父さんの拳を避けようするも先読みされたかごとく脇腹に強烈な一撃が突き刺さる。


「うぐっ……」

「次は顎だ、さっさとガードを上げろ!」

「は……はあっ、はい!」


伯父さんの体がつむじ風のように回転したかと思うと、いつの間にか目の前に拳が迫っていた。

たかしはなんとか両腕を上げるも次の瞬間には顔に衝撃を受け、視界に火花が散った。


(この伯父さんが戦う力を失ってるって冗談だろ……)


意識が遠のきそうになるが、すぐに頬を打たれて現実に引き戻される。


「こんなとこで寝る奴があるか!さっさと立て!」

「……は、はいっ!」


「もう一度行くぞ」

「おっ、お願いします!」


たかしは思う。


もしかして伯父さんは、従姉妹と隠れて関係を続けていることに怒っていて、それで俺のことが気に食わなくていじめてるんじゃないだろうか?と。


しかし、もしそうだとしたら彼が怒るのも仕方がないと思えた。


「鼻だ!ガードを上げろ!」

「はい!」


必死の防御を嘲笑うかのごとく、鋼鉄のような拳が顔面に叩き込まれ、たまらずよろけてしまう。


「次、左脇腹!」

「はっ、はっ、はい!」


間髪入れずに腹部に膝蹴りが食い込む。胃液が逆流してきて口の中が酸っぱくなる。


「次、金的!」

「はい!えっ、きんてきっ……!?」

「えっ、じゃない!」


伯父さんは一切のためらいを見せず、容赦なくたかしの下腹を前蹴りで蹴り上げる。


「ぐえっ……!」


定食屋でその才能の片鱗を見せたたかしではあったが、伯父さんの攻撃は避けることも受けることもできず、ただひたすらに打たれ続けるだけだった。


「よし、休憩だ」

「はぁ……はぁ……は、はい、ありがとうございました……」


伯父さんは息一つ切らすことなく、涼しい顔で汗を拭う。一方たかしは地面に突っ伏し、脂汗を流しながら荒く息を吐くのが精一杯だった。


「たかし、お前は基礎体力がない。もっと鍛えなければだめだ」

「はい……」

「吸血鬼の血を引いているだけあって動きは俊敏だが、そこに人間の体がついていっていない。だからもっと土台をしっかりさせないといけない」

「はい……」


(強いな……)


「たかし、大丈夫か?」

「はい……」

「今日はもうやめるか?」

「いいえ……やりたいです」


(俺もこんな風に……)


「なら立て、再開だ」


「は……はい……」

「しっかり返事をしろ!!」

「はいっ!」


一方でたかしの目の前にいる吸血鬼は甥を鍛えることに喜びを感じていた。

それはかつて味わったことのない、若い頃の武者修行でも得られなかった強い高揚感だ。


それは自分の娘が毎晩、甥っ子のベッドに忍び込んでいることなどどうでもよいと思えるほどのものだった。


(……なんという才能の持ち主なんだろうか)


確かに頭は鈍い。

運動神経も最初はよくはなかった。


しかし、教えたことを凄まじい勢いで吸収していく。


覚えが早い。飲み込みが速い。

ぎこちなかった動きが数セット後には、無駄なく、あたかも何万回とくり返したかのような洗練されたものへと変わる。


そしてたかしの身体は異常なまでに強力な回復力を持っていた。


血が流れれば流れるほど、傷付けば傷付くほどそれは強くなる。

割れた足の爪が十分も経たない内に塞がり、折れた肋骨が数時間後にはその強度を増して復活する。


(それに彼のあの血だ)


小さな瓶の中で真っ赤に輝く、太陽の如き完全な球形。


それはいびつな星型でもなければ、他の半吸血鬼たちにありがちな水滴型でもない。どれだけ強く瓶を振っても中央に静止し、液体と混ざることはなく、その形を変えることすらない。伯父の長い経験の中でも、そんな反応を見せたものはたかしの血が初めてだった。


吸血鬼としての戦い方に関してはまだ発展途上ではあるものの、これから先、どこまで伸びるかわからない。


それに何より彼は根性がある。


どんなに厳しい練習でも弱音を吐かずに愚直に食らいついてきた、それが何よりも嬉しかった。


「はぁ……はぁ……はぁ……」

「……たかし、今日はこれくらいにしよう」

「はぁ……はぁ……俺は、まだまだやれますよ!!」


「無理を言うな、私の方が疲れてしまった」

「……すみません」


たかしは起き上がると体にまとわりついた血と汗を軽く拭う。

疲労と痛みの蓄積されたたかしの体は満足に動かなくなっていたが、いつものように十数分後には元通りになるだろう。


「さあ、帰るぞ」

「はい、ありがとうございます!」


そうして二人は帰路につく。

帰り道ではまるで親子のような他愛もない会話が続いた、今日のご飯のこと、趣味のこと、明日は何をするのか、そしてこれからのこと……。


だが、その最中もたかしの頭の中はひとつのことでいっぱいになっていた。


(明日も頑張ろう)


そんな生活が数か月ほど続き、やがてたかしがサンドバッグを殴る代わりに蹴りだけで杉の大木をへし折るようになった頃、伯父さんはもはやたかしに指一本触れることが出来なくなっていた。

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