第10話牧師フランクと少年トラッシュ(1)

 今日は特別な日だった。

 特別なお客様がいらっしゃった。

 店主は、今朝のことを思い出していた。


 ※※※


 明るい陽ざしを受けながら、森から二人の男性が店にやって来た。

 森に迷い込んだという、牧師のフランクと少年のトラッシュ。


 店主は笑顔で二人を迎え入れると外に出していた看板を中に入れ、扉に鍵を閉めた。

 そうして窓際のテーブル席に二人を案内し、水が入ったコップとメニューを置いた。


「お決まりになったら、お呼びください」

 店主は席を離れた。


 牧師のフランクとトラッシュが窓際の席で向かい合って座っている。

 貸し切り状態の店で、一七歳のトラッシュはテーブルの下に置いた手をモジモジさせ、戸惑った表情でチラチラと周りを観察していた。


 そんなトラッシュに、フランク牧師が優しく声をかける。


「トラッシュ、緊張しなくていいですよ。あなたが食べたいものを注文すればいいのですから」


「本当に、僕がここにいてもいいのでしょうか」


 まだ幼さの残る顔でトラッシュはフランク牧師に尋ねた。


「これも神様のお導きかもしれません。ここで食事をしてから、その後に向かってもよろしいのでは」


 その言葉に、トラッシュが満面の笑みで返事をする。


「はい、先生」


 トラッシュはウキウキした様子でテーブルの上のメニューに視線を移す。


「ええっと……、ええっと……」


 だがトラッシュの口から、それ以上の言葉がでない。

 フランク牧師がメニューをそっと指す。


「トラッシュ、このメニューには料理名が書いてありますが、隣にはその料理を説明する絵が載っています」


「はい、先生」


「ここにある絵を見て、興味をもった料理はありますか」


「うーんと……、この赤いハサミがあるものは何でしょう?」


「これはロブスターですね。エビの一種です。メニューでは姿焼きとなっていますので、丸々焼かれたロブスターが出てくるのでしょう」


「先生、僕はこれを食べたいです!」


「わかりました。私も同じものをいただきましょう。すみません、ロブスターを二つ」


「かしこまり!」

 店主がカウンターの奥で大きく返事をした。


「先生、ごめんなさい」


「どうしたのです、急に?」


「先生はいつもいろんな話を聞かせてくれて、文字も教えてくれた。それなのに、ここに書いてある文字も読めなくて……」


「謝る必要はありませんよ。あなたはここ数カ月でたくさんのことを学びました。随分成長しましたよ」


 トラッシュは照れたような顔をすると、うつむいた。


「先生……、これまでありがとう」


「お礼を言うのは私です。あなたと出会えて私も気づかされました。人は変われると」


「もっと早くに先生に出会って、いろんなことを教えてもらって、気づいていれば……。自分の事ばかりじゃく、相手のことも考えられたのに……、どうして僕はあんなひどいことを……」


 肩を震わせぽろぽろと泣き出すトラッシュに、フランク牧師は席を立ち、やさしくトラッシュを抱きしめる。


「トラッシュ、あなたは反省ということも学びましたね。私はあなたのような生徒を持って誇りに思いますよ」


 その時だ、突然、ドンドンドンと店の扉を誰かが激しく叩いた。


 店主が慌てて返事をする。


「ちょっとまって!」


 店主が扉を開けると、でっぷりと腹の出た男が立っていた。貴族風の格好をした中年男性は脂ぎった顔だったが、どこか悲壮感が漂っている。


「さっきまでホテルにいたはずなのに、気づいたら森にいた」


 そう言うやいなや店主を押しのけ、ずかずかと店に入ってくる。


「ここは料理店だろう。何か食べさせてくれ」


「申し訳ございませんが、今日は貸し切りで」


 店主の言葉に、男は眉をひそめる。


「貸し切り……? 窓際の客だけじゃないか。立っている牧師と向こうにも誰かいるのか。まあいい。こっちも連れもいるんだ。おい、入ってこい」


 そう呼ばれて後ろからスラリとした女性が現れた。ウェーブのかかったパサパサの髪にミニのワンピース姿の女性は、脱いだハイヒールを手で持ってブラブラさせていた。


「ほんと、最悪。ホテルに呼ばれたら、いつのまにか、森で迷子になっちゃうなんて」


「つまらんことを言うな! いいから、さっさと入れ」


 横柄に言われて、女は不機嫌そうに店の中に入って来た。

 男は女をエスコートもせず、中心にあるテーブル席に着くと、テーブルの上に金貨をばらまいた。

 テーブルの下に、いくつか金貨が落ちた。


「これで文句はないだろう。さあ、この店で一番上等なワインをもってこい!」


 店主がちらりと窓際の席に目を向けると、立ったままフランク牧師はニコリと言う。


「私たちのことはお気遣いなく」


「そういうことだ。俺は、だぞ!」


 店主は、男の席にワインとメニューを出した。でっぷり太った男はグラスのワインを飲み干すと、すぐさまメニューを顔に近づける。同じ席の女はつまらなそうにテーブルで肘をついていた。

 その間に店主は、焼き上がったロブスター二尾と水の入った銀色の器、そしてロブスターを割るためにハサミを席へ持って行った。


 

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