第7話アパートの大家マチルダ(2)
「よいしょっと。ああ、どうしてこんなにコート掛けが高いんだろうね」
部屋に入ったマチルダは曲がった腰を伸ばし、壁のフックに帽子とコートを掛けた。
「一苦労だね。誰がこんな内装を注文したのだか。ああ、娘のキャサリンだ。まったく年寄りの事を考えない娘だね」
そうして、ブツブツ言いながら部屋の窓際まで歩く。
窓際までたどり着くとサイドテーブルに杖を置き、ロッキングチェアにゆっくりと腰かけた。背もたれに寄りかかると、ゆらゆらとロッキングチェアに揺られながらマチルダは考える。
「どうしてこんなにいいアパートなのに誰も住もうとしないのかね」
広々とした白い床材の部屋に大きな窓、扉の向こうには清潔なトイレと風呂まである。すべての部屋に同じ設備が完備されていた。なのに、どうして住人たちがこのアパートから次々と出て行くのかマチルダにはわからなかった。最後の住人だったエリックに言われても、マチルダは事実を言っているだけで何が悪いのだと思っていた。
「あんなことぐらいでアパートを出て行くなんて本当にバカだねぇ……」
そうしてしばらくすると、マチルダは眠りについていた。
すると、冷たい空気に目が覚めた。
驚くことにマチルダは森の中で立っていた。
「ここはどこなんだい」
目の前は夕暮れの森だった。手には杖、赤い帽子と赤いコートまで身に着けている。
「もしかして夢かい……」
試しにぎゅっと、マチルダは自分の頬をつねった。
「いや、夢じゃないね」
まっすぐ開けた森の道の向こうに、小屋らしきものがみえた。
「しょうがないね。あそこでここがどこの森なのか聞いてみるかい。しかし、どうしてこんなところにわたしがいるのだか。まったく、か弱い老人がこんな目に合うなんて、神様はいったいどこでどんな仕事をしているんだろうね」
ぶつぶつ文句を言いながら、マチルダは杖をつきながら小屋へ向かう。
「ああ、いったい、いつになったら着くのだい。それに、どうしてこんなに道が悪いんだい」
森の地面を歩きながらやっとの思いで、赤い屋根の小屋の前までやってきた。
小屋の前に看板が出ていたことに気づくと、マチルダは書かれている文字を見た。
『今日のおすすめ! こぶこぶラクダのホルモン焼』
「これが料理名かい。こぶこぶラクダのホルモン焼き? こんなひと気のない森にある料理なんて、まともに食べられたもんじゃないだろうけどね」
「おばあちゃん、もしかして迷子?」
店の扉をあけて、コック帽をかぶったぽっちゃりした男がいた。
「なんだい藪から棒に。わたしはね、あんたのおばあちゃんじゃないよ!」
「それは失礼。中へどうぞ、おばあさま」
「おばあちゃんも、おばあさまも一緒だよ!」
「まぁ、とにかく店に入ってよ。外は冷えるでしょう」
ぽっちゃり店主に言われて、まわりを見渡すと真っ暗になっている。マチルダは、急に心細くなり、肌寒くも感じた。
「しょうがないねぇ、そこまで言うのなら中に入ってやるよ」
「お一人様ご案内!」
「急に大きな声を出して、びっくりするじゃないか」
そう言いながらも、マチルダはホッとしていた。店の中も、木のテーブルや木の椅子で温かな雰囲気だった。
「お客は誰もいないね」
言いながらマチルダが帽子とコートを脱ぐと、店主が預かった。
「じゃ帽子とコートをここに」
「ふん。さっさと料理を作りな。こっちは客だよ。客を待たせるなんて、こんな小さな店でやることじゃないだろ」
マチルダの悪態にも店主はニコニコと笑みを浮かべながらも、カウンターの席にマチルダをエスコートした。
カウンターの向こうに行った店主が、まな板や大皿を並べながら言う。
「お客さんが喜ぶ料理をつくるからね」
「なに言ってんだい。初めて会ったのに、わたしの好みなんてわかりゃしないよ。それにね、わたしは一流のものしか食べないんだからね。まぁ、こんな店の料理だ。最初から期待はしてないけどね」
まな板の上に茶色い毛で覆われたドーム状の物を置く店主に、すぐさまマチルダが声をかけた。
「あんた、それはなんだい。不気味なものだね。もしかしてわたしはそんなものを食べさせられるのかい」
「これはね、コブコブラクダのコブ。おしゃべりコブを取ったら、静かでいいラクーダって、コブが増えるたびに置いて行ってくれるから、食材がタダでいいラクーダ」
「何を言っているんだい。わたしが聞いているのは、それは何の肉かと聞いているんだよ。おかしなものを食べさせられるのはご免だからね」
「コブだよ。ラクダにコブってあるでしょ。あれって食べられるんだよ、知ってた?」
「ラクダ……? ああ、知っているよ。昔、旦那が商売で砂漠のある国へ行ったとき、ラクダという獣に乗ったことがあるって聞いたことがあるからね。そのどこかのコブってことだね」
「お客さん、物知りだね。でもね、コレは普通のラクダのコブじゃないんだよ」
「普通のコブじゃない? どういう意味だい?」
「これはね、モンスターのおしゃべりラクダのこぶだから、普通のラクダとは違うんだよね」
「モンスターって……、この店はそんなものを客に出すのかい。そんな気持ちの悪い物をわたしは食べる気ないよ。帰らせてもらうよ」
カウンターから席を立とうとすると、店主が声をかけた。
「この森は、夜になると狼がでるから。気をつけてね」
マチルダは窓の外に視線を向けた。
真っ暗な外から「ウォ――ン」と狼らしき鳴き声が聞こえた。
マチルダは恐怖に縮み上がる思いで、しょうがなく前を向く。
「わかったよ……。もうしばらく、この店にいてやるよ。さっさと、その、なんだい、ラクダのコブ料理を作りな」
「そうこなくっちゃ。コブ料理は女性に人気だからね」
「このしわくちゃの肌がしっとりするとか、そんな効果でもあるのかい」
「いやいや、もっと楽しいことが起きるから」
「もっと楽しいこと?」
「では」
店主がカウンターから身を乗り出した。マチルダのカウンターテーブルに埋め込まれていた四角形の板をカパっと外すと、カウンターのその場所だけ、
マチルダは目を白黒させながら、
「ただのカウンターかと思ったら鉄板がはめ込まれているのかい」
「そうそう、はめ込み式の鉄板。焼肉するのに便利なんだよね」
そう言いながら、店主が大皿に乗った白い脂身のような肉をトングでつまんでマチルダに見せる。
「今から、コブの焼肉をするよ」
「もしかしてそれが、さっき言っていた魔物コブかい……?」
「そうそう。細かいことは気にしない」
「気にしないってね……、食べるのはこっちなんだよ」
ブツブツ言うマチルダの前で、白い脂身の肉を店主は鉄板に置いた。
ジュッっと焼ける匂いに脂が下に落ちると、ぼわっと炎が上り、いい匂いが立ち込める。
「ほら食べて、熱いうちにね」
マチルダの鉄板の横に、三つの仕切りが入った小さな皿を置いた店主が続けて言う。
「最初は塩でね。次はレモン、最後はタレ」
左から塩、レモン、黒いタレが皿に入っていた。矢継ぎ早に言われ、マチルダは混乱していた。
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