第10話 魔獣

 恐ろしい咆哮を上げて襲いかかる魔獣に、剣を構えていたクロードが怯むことなく斬りかかる。


 噛みつこうとした魔獣に向かって、剣を右上に薙ぎ払うと、魔獣の鼻と左目からどす黒い血がほとばしった。


 魔獣は痛みに顔を歪めて唸り声を上げながらも体勢を立て直し、なお襲いかかる機を窺って、ジリジリとこちらへ近づいてきている。


 私は息を止めて身動き一つできないでいると、魔獣は地面を蹴って一気に距離を詰めてきた。


 ────怖いっ、助けて……!


 そう思った瞬間、私の周囲が突然、光り輝く膜のようなものに覆われた。


 そして、急に出現した光に怯んで速度を落とした魔獣を、すかさずクロードが側面から斬り倒し、首を貫いてとどめを刺した。


「た、助かった……」


 ほっとして大きく息を吐く私のところへ、クロードと、あともう一人駆け寄ってきた。


「レティ、クロード! 大丈夫だったか!?」


「エル……!」


 青ざめた顔色のエルネストが心配そうな表情で私のそばにしゃがみ込む。


「異様な鳴き声が聞こえてきたから、様子を見にきたんだけど、魔獣が……?」


「聖女様、お力添えありがとうございました。……どうやら結界を張る前に、すでに敷地に魔獣が入り込んでいたようです」


「そんな……。レティ、ごめん。怖い思いをさせてしまった」


「私も魔獣をあなたに向かわせてしまった。申し訳ない……」


 エルネストはすごく険しい顔をしていて、己を責めているようだった。


 クロードもいつもよりさらに神妙な顔をしている。


 確かに恐ろしかったが、二人が長い睫毛を伏せて辛そうな様子を見ているほうが苦しい気持ちになる。


「魔獣はクロードが倒してくれましたし、聖女様も私を守ってくださったじゃないですか。お二人とも、ありがとうございました。ほら、私はこの通り大丈夫です」


 私は二人を安心させようと両手をひらひらと振って見せる。


「……レティ、手のひらを擦りむいてる。貸して」


 エルネストがそう言って私の手にそっと触れると、柔らかな光が溢れ、転んだ時にできた手のひらの擦り傷が綺麗になくなった。


「ありがとうございます。痛みもないし、もう大丈夫です。さあ、早く子供たちにお土産を渡してあげましょう!」


 私が明るく笑いかけると、エルネストもクロードも少しだけ表情を和らげて、私の手を取って起こしてくれた。


「そうだったな。それじゃあ行こうか。……クロード、レティを助けてくれてありがとう。クロードがいてくれてよかった」


「いえ、これが私の仕事ですので。こちらこそ、勇ましい聖女様が助力してくださり助かりました。エル、と言うのは聖女様の愛称ですか?」


 勇ましい……?

 エルが愛称……?


 あれ、そういえば、魔獣の登場で色々と混乱してうっかりしていたけど、エルネストはすっかり男口調だし、私もエルって呼んじゃってた……!


「あ、あの、聖女様はずっと市井でお暮らしになっていたので、咄嗟の時につい口調が戻ってしまうと言うか……」


「そ、そうそう、あまりに驚いて、うっかりド田舎の話し方になってしまいました……! それにレティとは仲良しなので、私のエレーヌという名前からエルって呼んでもらってるんです〜……」


「なるほど。お二人は仲がよろしいのですね。今、魔獣の気配を探ってみましたが、先ほどの一匹のみだったようで、もう安全なはずです。荷物は私が持ちますから、中にお入りください」


 慌てて誤魔化してみたが、幸い、クロードは私たちの適当な言い訳を信じてくれた。


 クロードが鈍感でよかった……!


 そうして、私たちはお土産を持って子供たちが待つ大部屋へと戻ったのだった。



◇◇◇



「子供たち、あんなに喜んでくれて、お土産を持っていった甲斐があったわね! もう帰っちゃうのって寂しがってくれて、また一緒に遊んであげたいわ」


 孤児院への訪問を終えて、私たちは神殿へと帰っていた。


 あの後、子供たちにお土産を渡したら、とても喜んでくれた。


 ちなみに、子供たちには心配させないよう魔獣のことは伝えていない。


 食堂で一緒に昼食をいただいたり、お土産で持っていった絵本を読み聞かせてあげたり、庭でお花を摘んで遊んだりしていたら、あっという間に時間が経ってしまった。


 また来るねと言って馬車に入ると、子供たちみんなで、姿が見えなくなるまで手を振って見送ってくれた。子供たちの慰問のはずが、すっかりこちらの方が癒されてしまった。


「……うん、また行こうか」


 エルネストが儚げな笑顔で返事をした。


「……まだ落ち込んでるの? 襲われたのはエルのせいじゃないし、ちゃんと守ってくれたんだから気にしないで」


「ごめん、ありがとう。でもやっぱり不甲斐ない。女の子をあんな目に遭わせて、自分は結界を張るしかできないなんて……」


 エルネストは、聖女の格好をしていても、心は歴とした男の子なのだ。


 勇敢に戦って勝利したクロードの姿を見たこともあって、色々と思うところがあるのかもしれない。


「結界を張るなんて、エルにしかできないことだわ」


「そうだけど……。ごめん、ちょっと気合いを入れ直す」


 そう言うと、エルネストは窓の外を見つめたまま黙り込んでしまった。


 夕日に照らされるエルネストの横顔は、なんとなく男っぽく、大人びて見えて、少しだけドキドキしてしまった。

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