第10話 ダレル君、練習する

 サンディがお見合い······。


 今まで楽しく食べていたお菓子もお茶も、もう味がしない。腹の奥がズドンと重くなって来た。


 前にサンディが誘拐された時と同じだ。

 もう会えないかもしれない恐怖と同じものを感じるだなんて、俺って本当にサンディのこと好きなんだなあ。


 呆然としていると、エーメリー嬢が鼓舞するようにこちらを向いて手を打ち叩いた。


「ぼんやりしている場合ではありませんよ、セイモア様。そのお見合いというのが今度の休暇日、そして利益優先で選ばれたとはいえ、お相手の方が問題なのですわ」

「シンシア、その相手を知っているのかい?」

「ええ。皆様もよくご存知の方ですわよ」


 え、俺も知っているの?


 アレックスと顔を見合わすが、当然思い当たる人はいない。騎士科の誰かなのだろうか。それとも教師とか。ソーンダイク様とか?


「違う違う、僕ではないよ!」


 ソーンダイク様が慌てて手を振って否定する。


「ちょっと待って。ダレル君は本当にアボット嬢に告白するの? アボット家の利益も何も度外視して、自分の思いを貫いちゃうの?

 それは婚約を申し込むってこと? 君の家族にも了承してもらえる? そういうことを全部乗り越える強い気持ちがないなら止めておきな。アボット嬢だって自分で考えて嫁に行くのが最善と思ったんだろうし」


 ミカエル殿下が答えにくいことを言う。


「それは······親にはまだ話していませんが······。ああ、でも、俺だけの思いで動いては駄目なんですよね。俺は貴族の習わしなんかもまだまだ分かりませんし、サンディが望まないこともしたくない。

 それでも思いを伝えることは可能なのでしょうか。ともに生きるならサンディがいいと、その希望を言うことは、自己満足になるのでしょうか?」


 俺は、エーメリー嬢の時に何て自己中心的な考えで行動していたんだろう。『聞き上手令嬢』という噂だけで判断して、彼女の尊厳を貶めた。

 そんな前科のある俺が、本気で好きになった相手の気持ちを慮って動くのはとても怖い。俺の正しさが相手や周りに正しい事と思ってもらえるのか。いやいや、世間ではなくサンディだけに偽りでない事を信じてもらえばそれでいいのか。互いの家族は?  独りよがりと思われないか。そう考え出すと動けなくなりそうだ。

 

 押し黙る俺に、バートレット様が穏やかな声色で思考を止めてくれる。


「何が正解で、何がしてはいけないことなのかは、その考え方や立場で違うんじゃないかな? それにダレル君は人の気持ちを考えて動くようになった。

 もうあんなこと・・・・・は起こさないだろう?」


 バートレット様の目はとても優しい。

 貴族は一度過ちを犯したら二度と許されないかと思ったが、この方は許して下さった。


「わたくしにはあなた様の御心は分かりませんが、貴族がとかそういう事ではなく、セイモア様がどうなさりたいのかが第一義ですわ。

 サンディの心はサンディのもの。そのお気持ちを受け取るかどうかは彼女が決めますが、今この時はお互い婚約者もいない身なのです。二人は恋をするなと止められているわけではありませんわよね」


 エーメリー嬢はぐちゃぐちゃの俺の頭を整理し、根本に戻してくれた。


 ミカエル殿下の俺を試す気持ちも分かる。

 生半可なことではサンディの決意を揺るがせるだけになってしまう。

 それでも。

 それでも俺がどうしたいのか。

 この思いを諦めて後悔しないか。

 という、恋に落ちた者が誰でも悩むことを当然の如く悩む自分に少し笑えてしまった。


「そうです。ありがとうございます、エーメリー嬢、皆さん。俺は考えなしだから動く前に色んな事をよく考えてみます。

 サンディには······伝えたいです。でも面と向かって言えるかなとか思ってしまいます。

 貴族は柄に合わないなんて、ならせて頂いておきながら卑怯な事ばかり考えて逃げてました。せっかくだから、父のように頑張らないと西国の紛争で亡くなった人に申し訳ないですし。騎士も本気で目指します!」

「それでいいよ、ダレル! でもアボット嬢のお見合いはどうするんだ?」

「う、それは」


 アレックスに賛同してもらってほっとしたのも束の間、お見合いは待ってくれないものな······。


 うんうん唸っていると、少し気まずそうなミカエル殿下が声をかけてくる。


「あのさ、ダレル君は自信がないんだと思うんだよね。だからいいかなと思うんだけど、エイベル兄上が騎士団の鍛錬を見に来ないかと誘ってくれているんだ。そこに行って自分を見極めてきたら? 案外自信も生まれるかもしれないよ」

「あ、それいいですね! 俺もついて行っても構いませんか?」


 俄然はしゃぐアレックスに、ソーンダイク様が珍しく相好を崩して笑顔を見せる。


「僕も時々参加するんだけど、二人なら大丈夫だと思うから、僕からも騎士団に連絡入れておくよ」

「はい! 行こう、ダレル!」

「ええ、ぜひ!」


 騎士団の方々の、あの俊敏で力強く制圧する様は本当に素晴らしかったので、学院一年の身でそれをまた間近で拝見出来るのはとても嬉しい。

 そう言えば騎士団には父や兄貴達も在籍しているが、エイベル殿下は騎士団全体を取りまとめる統括長、父達は王都などの周辺警備を主にする第四部隊だから、鍛錬場でも会うことはないのかな?


「無心に何かをすると心が定まると言いますし、これが良い切っ掛けになりますようお祈りしていますわ」

「私も参加したいけど、仕事がなあ······」


 微笑むエーメリー嬢の横で悔しそうなお顔のバートレット様。そうですよね、この間の件で仕事増えたのでしょうし。

 バートレット様が沈んでいるのに気付いてか、エーメリー嬢がさり気なくバートレット様のお皿にクッキーを足している。本当に思い合うお二人なのだな。


「では休暇日の前に行っておいで。それじゃあそろそろ午後の支度に取り掛からねば」


 ミカエル殿下の言葉でランチ会は散会となったが、そう言えばサンディのお見合い相手が誰なのか聞くのを忘れてしまった。




     ◇     ◇     ◇




 ミカエル殿下とソーンダイク様のお陰で、騎士団見学はすぐに叶った。

 

 騎士団の鍛錬はさすがにものすごかった。

 さすが、現在最高の名将として誉れ高いビル・ノーラン辺境伯が団長として君臨する精鋭部隊だ。

 素振りから殺気が感じられるのは何なのだろう?

 施設を見学させてもらった後、光栄にも鍛錬場に降りてぶつかり稽古を間近で見せていただく。


 ただただ感動していると、エイベル殿下がお見えになった。助けていただいた事と見学のお礼も言えてほっとしていると、あの時駆け付けて下さっだ騎士達に囲まれて、何だかやたら可愛がられる。


「少年、あの時の奇襲戦法はなかなかだったな!」  

「身体強化をかけていても、実戦で怯まず前に出られるのは才能だよ」

「あ、ありがとうございます!」

「少しやって行くかい?」

「ぜひお願いします!」


 優しい騎士様が誘ってくれたので、俺とアレックスは遠慮なく素振りを見てもらう。

 ソーンダイク様は別のグループに呼ばれ、もっと高度な鍛錬をしているようだ。


「そう、体を揺らさず、同じ場所に打ち下ろすんだ。いいぞ!」

「振り下ろすのではなく、最後そこで意識的に止めるのだ。そう! それが筋肉に効いてくる!」

「二人ともいいぞ! あと100回だ!」


 すでに大分振ってからの100回は相当きつい。だがたしかにアドバイス通りにすると、繊細な体の使い方をマスターして行っている気がする。


 無心で振っていると、エイベル殿下が唐突に質問をぶつけて来られた。


「ダレル君、サンディ・アボット嬢とはどうなったんだ?」

「え、ひぇ!」


 急にそんな事聞かないでほしい。今日は無心になりに来たというのに。

 そうしたら無神経にもアレックスが馬鹿正直に答えてしまった。


「はっ! 報告します! 彼はモヤモヤしているそうです! 好きな人が見合いするらしくって! そして相手の前だと自分の思いをうまく伝えられないらしいのです!」


 アレックス、何故全部話してしまうかな······。


「そうか、大変な試練だな。そんな時こそモヤモヤは鍛錬で克服だ! 気持ちを伝えるのも鍛錬で克服だ!」

 

 いつの間にか周りの騎士様達も、うんうんと頷きながら、「鍛錬は精神を鍛える! 心も鍛える! だから鍛錬だ! 鍛錬! 鍛錬!」と、鍛錬を掛け声にして、本気の素振りの連鎖が起こる。


 アレックスまでもが「鍛錬! 鍛錬!」と呪文のように唱えながら剣を振っている。


 周りに気圧されて、俺もその掛け声で素振りを続けていく。鍛錬、鍛錬······。


 と、今度はエイベル殿下が満足そうな顔でおかしな事を言い出した。


「ついでに好きって言うのも慣れるように、声出ししよう! 好きだー!」

「おう! 好きだー」

「愛してるぞー」

「ステーキより好きだぞー!」

「本当かよ? さあ、ダレル君も一緒に!」

「す、好きだ」

「声が小さい!」

「ひー。はい! ······好きだ! 好きだ! 好きだー!」

「いいぞ、ナイス鍛錬! 肘の位置をもう少し上げて、好きだー! 行けダレル!」

「好きだー、はひー」

「アレックスも踏み込みが浅くなってるぞ! 好きだー! あと少し行け!」

「俺もですか? 好きだー、好きだー、好きだー」





「ダレルは何をやってるんだ?」


 ちょうどその頃、第四部隊の執務室に向かうために、鍛錬場横の廊下を歩いていたダレルの父と三兄貴達が、訝しそうにエイベル殿下の鍛錬を眺めている。


「さっぱり分かりませんが、恋に悩んでいるのではないですかね?」

「父上は聞いてませんか? ダレルは最近女の子とよく出かけているのですよ」

「本当か? やるな、あいつも」


 次兄と三兄がウキウキと話すと、家を出ている長兄も気になるようで話に加わってきた。


「こないだのサウールの残党を制圧した後、『ダレル君可愛い』『ダレル君尊い』『キュンと来る』『ダレル君、告白まだらしい』なんていうのが何故か第一部隊から聞こえてきたんです。それってもしかして」

「······もしかしなくても、あそこに居る愚息のことだったようだな」


 父はやけに明るいエイベル殿下と第一部隊に多少引きながら、息子の鍛錬を暫し見つめる。


「好きな人がいるのかあ。父上どうします? 協力するなら調べないとですよね?」

「そうだな。家は一代男爵だから、先方が貴族の方だったら断られないか?」


 浮かれている次兄三兄と違い、父は躊躇いながら答える。上の子供達は全て平民とまとまっているので、貴族と婚姻となると皆目見当がつかないのだ。


「そこは分からないですが、家は政略とかないし、先方さえ良ければ俺達は全面協力って感じですかね?」


 長兄が確認するように父に顔を向ける。


「そうだな。俺だって母さんとはそんな感じだった」

「じゃあ暫し静観。状況を見て動きますか?」

「ああ。準備だけしておこう」

「準備?」

「······心のな」

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