裁判
みぞおちの部分がズキズキと痛む。
頭はまだぼんやりと靄がかかったままだが、視界は少しずつ見えてきてた。
目の前に大柄な男が椅子に座って、こっちを見ている。
俺のことを殴り飛ばした奴だ。
「そろそろ目が覚めてきましたか?手加減したつもりでしたが、案外いいところに入ってしまったようで、申し訳ない」
この男は駐在に木暮村長と呼ばれていた。なぜ村長がこんな野蛮なことをするのか、全く想像ができない。
「おま……うっ……」
しゃべろうとすると殴られたところが痛み出し、うめき声出てしまう。かなりやばい。
「言葉はしゃべられそうですか?さすがにまだ難しいですかね」
ニタニタと笑う表情に腹が立つ。
「あんた……こんなことしていいと思っているのか?普通に犯罪行為だぞ」
「愚門ですね。先ほどいた駐在の方覚えていますか?私とあなたとの行動を一部始終見ていたのに、何もしませんでしたよね?なんならあなたをここまで運んで拘束したのは、あの駐在です」
「はあ?どうなってんだ……」
こんな非合法的なことが許されていいのだろうか。手足を拘束され、映画で見たことのある拷問でもされるのではないのかと考えてしまう。
「……ここの人たちは頭おかしいのかよ」
「おかしいというのは少々乱暴な言葉ですね。みんな自分たちの生活を守るために一生懸命、働いているんですよ」
あくまで紳士的に、喋ってくるのがかえって鼻につく。何が働いているだ。
「そうかよ。村の中にいすぎて、物事の良し悪しがわからなくなっちまってるんじゃないか」
「この村ではみんなで掟を守り、必要であれば掟を作り、実行します。国が作った法律だけを守っていては、やがて争いが起き、村の自治は崩壊してしまいますからね」
「村以前にここは日本だぜ。法律は守らないといけないだろ」
「そうですね、例え話をしましょうか。あなたの愛する人が知らない人に殺されたとします。あなたは悲しみに暮れることでしょう。その場合あなたは犯人に、どうしてほしいと考えますか?」
何だ?何を言わせたいんだ。
「そりゃ、罪を償ってほしいと思うだろ」
この男の言いたいことがわからない。
木暮村長は首を横に振っている。
「本当にそうでしょうか?罪を償い、刑期を満了すれば塀の外へ出てくることになります。あなたと同じ世界で暮らすことになります。でも、愛する人はお墓の中です」
「いや……そうかもしれねえけどよ」
そんなことを急に言われても考えが追い付かない。
「もう一度聞きますが、罪を償うだけでいいのでしょうか?」
愛する人がもう二度と笑うことができなくて、一生悲しい思いをするのに、犯人はシャバに出てのうのうと生活をする。許せるか?
「死んで……もらいたいと思うかもしれないが……」
そうかもしれないが、実際にそうなるかどうかわからないだろう。
木暮村長は俺の方を指さし笑いながら話す。
「そうでしょう!それが人間というものです。ですが今の日本の法律では、死刑になる確率は百パーセントではありません。つまり、被害者にとって法律は完ぺきではないのです」
「……何が言いたい?」
「話は戻りますが、この村では事件が起きればみんなで判断し、みんなで行動に移すのです。法律には縛られないのです」
つまりと言い木暮はつづけた。
「この村で起きたことは、この村の住人で行く末を決めるのです。あなたが今回犯した罪を有罪とするか無罪とするかをこれから裁判します。公平にね。これが究極の民主主義です」
周りをよく見ると、パイプ椅子に座って電球の小さな光にあてられている老人が五人いた。
「この人たちは今回の裁判における、陪審員となっていただく人たちです。こんな夜遅くにご足労いただいてありがとうございます」
深々と村長は礼をし、陪審員たちも椅子に座りながら礼をしている。なんだこれは。異様だ。
「ま……待ってくれ!これから裁判をするって正気か?この人たちは法律の知識があるのか?ただの一般人じゃないのか?」
さっきまでの村長の話を聞く限り、俺は裁判で裁かれようとしていることになる。例え話でも何でもないじゃないか。
「ははは!言ったじゃないですか?この村で起きたことはこの村の人たちで決めると。そこに法律の専門家がいる必要はありません」
そうだそうだと陪審員席から声が聞こえてきた。
「こんなのおかしいだろ!おい!そこにいるの駐在だろ?駐在からも何とか言ってくれよ!警察官だろ?」
半ば助けを求めるような声で壁際に座っていた駐在に声をかけるが、駐在は頭を掻きながら淡々と話し始めた。
「あのなあ、兄ちゃん。ここは日本じゃないんや。完全な自治体、別の国だと思っておいた方がいい。その方が頭がすっきりして、いろんなことがわかりやすくなるだろうさ。それに、ここの暮らしも案外悪くないんだぜ?これから裁判が始まって、お前さんの話の進め方によっては、この村に住むことが許されるかもしれないんだ。よくよく自分の発言に慎重になることだなあ」
そう言い残して駐在は奥の部屋へ消えていった。
「なんなんだよそれ……」
「駐在さんの言う通りですね。これからあなたの罪について裁判を進めていきますが、あなたがこれ以上何か失言をしてしまうと、陪審員の皆さんの心証を悪くしてしまい、あなたにとって不利になってしまいます。どうか、ご発言にはお気を付けください」
そう村長が発言すると、陪審員の方から支持する声が聞こえてくる。
「木暮村長はほんとに優しいお方だ!のう、みんな?」
「いえいえ、私はただ、公平な裁判を望んでいるだけなのです。これから未来ある若者が裁判とは何かわからずに、不利な方向へ進んでしまうことは心が痛んでしまうのです。陪審員のみなさんにはぜひこの点をご理解いただいたうえで、判決を下していただければ幸いです」
そう付け加えて、陪審員のみなから賛同の拍手をもらっている。
「いったい何なんだよ、これは。どうしてみんなコイツの言うことを真に受けられるんだ……」
非日常的な会話を聞き、ましてや自分が罪に問われているこの状況を呑み込めない。
「さあ、時間はかかってしまいましたが、裁判を進めてまいりましょう!今回の容疑は、通行止めとなっている箇所を掻い潜り、この村に侵入したことです」
陪審員席からは言語道断という言葉や首を横に振る者がいた。
「これだけ聞くと明らかに有罪であることは確定しています。ですが、この若者からどのような事情があったのか聞き、より正確な判決を出していきたいと考えます。さあ、あなたの本当の目的をお話しください」
話さないとどうなるかわからないぞ、と言わんばかりの顔でこちらを向いている。
ここは、こいつらの怒りをかわないように、慎重に話すしかないか。
「俺は……ただ、会社の後輩と出張先が近かったから、一緒にご飯でも食べられればと思っただけだ……」
木暮村長は首を傾げ、陪審員の方へ向き直る。
「さて、被告人はこのように申していますが、何か疑義はありませんでしょうか?」
すると、口の周りに白髭を生やした陪審員が手をあげ発言した。
「まあ、なんだぁ、あのさ。それだけのために、わざわざ通行止めと書かれているところを突破して村に入ってくるだろうかとね。そやつは、嘘をついているんじゃないかい?」
嘘などついていない。何を言ってるんだコイツはと言いそうになった口をつぐみ。背を伸ばし、身の潔白を証明しようとした。
「嘘なんてついてない!本当のことだ!」
まぁまぁと木暮村長は静止するように手をかざしてくる。
「慌てるお気持ちもよくわかりますが、陪審員の方がおっしゃってるのはそういうことではないんですよ。あなたが、何かまだ言っていない真実があるんじゃないかという話なんですよ」
「俺は真実を……」
真実ってなんだ?嘘は言っていない。
「いやはや、ここまで御膳立てさせておいてまだ頑なに拒否しますか。いや、困ったなあ」
そう言いながらも、全く困っていない様子で木暮村長は続ける。
「それでは、真実をおしゃっていただくためにゲストをご紹介いたしましょう!」
奥に消えていた駐在が縄を引いて誰かを連れてきた。
その姿形ですぐにピンときた。雨堤だ。
「雨堤……?どうして」
縄に縛られ連れてこられたのは、疲弊しきった雨堤だった。
何故拘束されているんだ。
「山内先輩?よかった、無事だったんですね」
疲弊しきった顔の中に少しだけ安堵の表情が浮かんでいる。
間違いない、いつもの雨堤だ。
「ただいまご登場いただいたのは、山内さんが会いに来る理由だった人物、雨堤さんに来ていただきました。被告人をここへ連れてくる際に、後ろからつけてきていたそうです。なんという情の深さでしょうか」
陪審員席からはあざ笑うような声がぽつぽつと聞こえてくる。
「雨堤!こいつらはやばい!さっきから頭がおかしいんだ!」
手足を縛られていることも忘れて雨堤に必死に訴えかけた。
「山内先輩だめです!今この人たちの機嫌を損ねるような発言をしては!」
雨堤の叫びで陪審員席の方を見ると、ざわざわとしていることに気が付いた。穏便にやりすごさなくては。もしかしたら、雨堤にまで被害が及ぶかもしれない。
「さあ被告人、せっかくゲストに登場していただいたんです。何か他にも伝えておきたいことがあるんじゃないですか?先ほど陪審員の方にも言われておりましたが、隠し事はあなたにとって不利になりますよ」
木暮村長はいつの間にか顔のすぐそばまで近寄ってきていた。表情は笑顔というより、ニタニタと嘲笑している。
「山内先輩、何か隠していることがあるなら話して下さい!この人たち佐上係長を殺したんです!だから何してくるかわからないんです!」
「佐上係長が?どうしてそんなことが?本当の話なのか?」
ただでさえ混乱している最中、佐上係長の死を突然聞かされ、さらにここにいる連中が犯人だという。もう脳内は処理しきれていない。
木暮村長はため息をつきながら雨堤に質問する。
「はぁ。雨堤さん、殺しただなんてそんな人聞きの悪いことを言うもんじゃありませんよ。何を根拠に言っているんですか?」
「御神体が奉られているあの納屋の中でこれを見つけました。これは佐上係長の持ち物です」
そのブレスレットには見覚えがあった。佐上係長が以前パワーストーンにはまっているという話をされた時に見せてくれたものだ。女性にしては重々しいんではないですかと言ったら怒られた記憶がある。
雨堤の横で駐在が青い顔をしている。
「な?なんでそれをお前さ持ってるんだ?!」
「さっきまで私が納屋に隠れていたので、その時に見つけました」
「それ本物なのか……ってことは本当にそうなのか?」
「ここに佐上係長のイニシャルも入っています」
決定的な証拠を出されたのは予想外だったのか、木暮村長もお手上げの様子だ。
「これは言い逃れできない証拠ですね。駐在さん、だからあの場所の掃除はしておくべきだと申し上げたんですよ。これは我々の汚点です」
「すまねえ……まさかあの納屋に入る人間がいるなんてよお」
陪審員たちは特に驚くこともなく、事の顛末を第三者の目線で眺めている。最初から知っていたかのようだ。
木暮村長は再び場を仕切りなおすために、少し大きな声で話し始めた。
「雨堤さんの言う通り佐上係長はここにいました。ですが!殺したわけではありません。但馬汐村の……青江様の生贄となり、この村の平和を保つ大事な役目を果たされたにすぎません」
「同じことよ!桟橋から籠ごと桟橋から落としたんだから!」
雨堤が言うには、佐上係長が桟橋から突き落とされたということらしい。犯罪行為を平然とやって、また今ここで新たな犯罪をしているというのか。
「お話は聞き入れてもらえないようですね……」
半ばあきらめたように木暮村長は目をつぶっている。
「山内先輩!こういうことを平然とやる集団だってわかってくれましたか?」
続けて雨堤が言う。
「木暮村長、ここで裁判をするってことは、有罪になるべき理由がなければ、山内先輩は生贄にならないんですよね?」
「もちろんです。もし、無罪なのに生贄にしてしまえば、村の秩序が乱れてしまいます。それに、青江様のお怒りにも触れてしまうことになるでしょう」
木暮村長が顎に手を当てながら話をしている。
「山内先輩!ここは真実を言って、この村から一刻も早く脱出しましよう!」
雨堤が言っていることや、木暮村長が言っていることに何か引っ掛かりを感じるも、今は証言をして、注意が逸れた瞬間を狙ってここから脱出することに集中する。
「……わかった。わかった!話せばいいんだろ?」
「ようやくお話しいただける決心がつきましたか!」
まさかこんなところで、こんなタイミングで話すことなるなんてな。
「俺がこの村にわざわざ来たのは、雨堤と一緒にいたいと思ったからだよ」
意外な言葉だったようで、雨堤はきょとんとしている。
「え?」
そりゃそうだよな。いきなり先輩からこんなこと言われちゃ。
一方で木暮村長や陪審員たちは、やっぱりなという顔で騒ぎ始めた。
「ほうら!やっぱりそうだ!ただ出張先が近いってだけじゃあ、危険犯してここまできたりなんかしねえんだ!」
「わたしもそう思っていましたよお。若い人のすることはすごかねえ!」
「みなさん聞きましたか?被告人は罪を犯してまでも村の中にいる好意を寄せる女性に会いに行こうとしたのです。なんと純愛なのでしょうか!」
純愛という言葉を聞いた高齢の陪審員たちは今までよりも一層盛り上がっていた。頭が沸騰しそうだ。
「さあ、雨堤さん被告人の愛の告白に対してどうお答えされますか?」
この異常な環境の中で告白にどう答えてよいか悩んでいるようだ。本当ならもっと段階を踏んで言うべきものを、こんなわけのわからない人たちの前で言わされたんだ。
断られて当然だろう。
「困らせるつもりはなかったんだが、これが真実なんだ。すまない」嘘ではないことだけはわかってほしい。
「いえ、あの、突然のことで。こちらこそすみません」
お互いになぜこんなことになってしまったのかと考えを巡らせている最中、陪審員たちはヤジを投げかけ始める。
「いつまで待たせるんだい!受けるのかい?受けないのかい?」
「これだから若いものはよくない!俺が若い頃は……」
囃し立てる者や自分語りをする者など、まるで自宅でテレビに向かって話しかけているかのようだ。
みんなに急かされてイラついたのか、雨堤は木暮村長に食って掛かった。
「これはいったいなんなんですか!こんなの裁判でも何でもないじゃないですか!」
すると不敵な笑みを浮かべながら木暮村長は答えた。
「そうですねえ。これはさながら恋愛もののテレビショーといったところでしょうか。この村には娯楽がありませんからね。皆さん目の前で起きる恋愛模様に一喜一憂してしまっているようです。さあ、お答えしないと話が前に進みませんよ?」
「雨堤、さくっと答えてくれ。それまでこいつらのいいように考えられて、娯楽のネタになっちまう」
「……そうですけど」
「早く言うんだ」
場の雰囲気は最高潮に達し、雨堤は丁寧に話した。
「申し訳ありません。今はお気持ちに応えられないです」
雨堤が深々と頭を下げながら告白を断ると、会場内はブーイングと笑いをこらえきれず嘲笑する者たちで溢れかえった。
「なんだよ!ここまで引き伸ばしといて断るのか!」
「あっはっはっは!惨めな男だねえ?どれ、私が立候補してあげようかあ?」
俺の精神はすでに限界だった。思い人に断られ、知らない人たちに嘲笑われ、拘束をされているからその場を離れることもできず、ただ俯くしかなかった。
「山内先輩、すみません」
「……いいんだ」
「残念な結果になってしまいましたが、十分に場の雰囲気を盛り上げてくれました!改めて感謝いたします。さあ、裁判に戻りましょう!」
強制的に場を再び裁判の雰囲気に戻された。
「さて、被告人の但馬汐村への侵入事件ですが、被告人の動機も判明したところを踏まえると、どのような判決が正当なのか。陪審員の皆さんお手元の用紙にご記入いただき、こちらのボックスへ投函してください」
陪審員たちは手元の用紙に何かを書き、ぞろぞろと投函していく。
全員が投函し終わると、駐在がボックスを開け、ホワイトボードへ結果を記入していく。
ホワイトボードには『無罪、労働、移住』そして『生贄』と書かれていた。
「陪審員のみなさんにはこちらのいずれかを選択していただきました。今から一票ずつ結果を記入していきます」
「生贄って……冗談だよな」
先ほどの佐上係長の話が本当なら、俺が生贄になるとすれば、近いうちに桟橋から突き落とされることになるのか。
雨堤が木暮村長に尋ねた。
「木暮村長に聞きたいことがあります。なぜ、佐上係長は生贄になったんですか?裁判で有罪になることをしたんでしょうか?」
木暮村長は困ったように答えた。
「残念ですがお答えできません。あの方は裁判で決められたわけではなく、クライアントからの要望でして」
「クライアント?こんなことを依頼してくる人がいるってことなの?」
「申し訳ありません。これ以上は守秘義務がございますので」
雨堤が木暮村長に質問している間に、駐在が黙々とホワイトボードへ記入していく。
「ええと?これで最後ですねえ。おっと、労働と生贄が同票になっちまっただな。村長さん、どないしますかあ?」
ホワイトボードには正の字で票数が書かれ、労働に4票生贄に4票入っていた。
「なんだあみんな?こんな用なしで罪を犯すような奴は生贄でええじゃろ?」
陪審員の中で一番若そうな男性が不服そうに言った。
「いやいや、若い人には罪を償ってもらいつつ、我が村のために汗を流してもらった方が有益ではないですかねえ?」
今度は初老の女性陪審員が反論している。すると眼鏡をかけた男性の陪審員が説明した。
「この裁判で同票の場合は、村長自らが最後に一票入れて決定することに規約上なっていますよ。私たちが議論しても結果は変わりません」
そういえばそうだったな、という声があちこちから聞こえる。
「まずはみなさん投票ありがとうございました。そうですね、今お話しいただいた通り、同票の場合は私が最後の一票を入れて決することになっています」
そんなことが許されるなんて聞いていない。
「なんだよそれ!結局お前の独断と偏見で同行できる仕組みなんじゃねえか!何が裁判だ!」
「山内先輩落ち着いて!」
辱めを受けて気が立っていた俺を葵がなだめるが、一度頭に上がった血はなかなか下がらない。
「お前たちもお前たちだ!茶の間でテレビ見てるような薄い感想ばかり述べてよ!自分らは何にもやらないくせに。年金だけもらって細々と生きてりゃいいんだ!調子に乗るな!」
言ってしまった。いや、言わずにいはいられなかった。
これを聞いた陪審員たちからは怒りの声が上がっているが、それを木暮村長が止め、話し始める。
「被告人は心無い発言を繰り返し行い、再三の静止も聞かず今に至ります。できることなら未来ある若者の芽を摘むようなことは避けたかったですが、これもまた運命と受け止めるしかありません」
つかつかとホワイトボードへ近づくと『生贄』と書かれてた不完全な正の字に一本線を引き、正の字を完成させた。
「被告人を生贄に処します。方法はいつもの通りで、明日執り行うものとします」
陪審員たちは皆立ち上がり拍手や、歓喜の叫びをあげる者もいた。
「祭りじゃ!明日も祭りじゃ!こんなにめでたいことはないのお!」
「ごはんを作って、屋台を出して。はあ、また忙しくなるわあ!」
陪審員たちは人の命を殺めることに喜びを覚えている集団と化していた。
「狂ってる……こうやって佐上係長も……」
雨堤は力なくその場に座り込んだ。
「なんなんだよ……そんなに俺が殺されるのが嬉しいのかよ……くそ!くそ!」
拘束具から逃れるために必死に抵抗するも、太い縄は少しも緩まない。痛みだけがじわりと広がる。
村長は俺と雨堤を見比べている。
「この人たちは自分がまだ生きている、底辺ではないと安心したいのですよ。あなたたちにもあるでしょう?日頃ストレスにまみれた生活を送り、なぜ自分はこんなに頑張っているのにいつまでも楽にならない、あと何年この生活を続けなくてはいけないのかと。そんな時テレビ、あるいはネット上で自分よりも悪い生活をしている人間を見ると、少し心が軽くなんてことがね」
心当たりがあった。
テレビで犯罪行為をして警察に捕まる番組を好んで見ていたり、住む場所を失い町をさまよい歩くドキュメンタリーを見て、頑張らなくてはいけないと思ったとがあった。
「いや、だとしても……」
俺が否定する言葉を探している中、駐在が近寄って来た。
「さあさ、判決も出たことだから時間が来るまで大人しくしててもらうぞ!」
唐突に後頭部に熱くて鈍い痛みが走る。視界がぼやけ、耳が遠くなる。
「山内先輩!」
雨堤が俺を呼んでいるが、返事ができない。身体も動かない。駐在に引きずられている。
「雨堤さんにも様々なことを知られてしまいましたからね。このままお帰りいただくわけにはいかなくなりました。山内さんと同じように裁判を行い、今後の処遇について決めていく必要があります。とはいえ今日はもう多いですし、明日は山内さんが祭りの生贄となりますので、方向性が決まるまでしばらく監禁させていただきますよ」
そう言って木暮村長は縄をもって雨堤の腕を縛りにかかった。
やめろ、あいつまで俺と同じ目に合う必要はない。
誰か止めてくれ。
突然、部屋中の窓ガラスがガタガタと揺れ始、一斉に割れ強風が部屋中に吹き始め、陪審員たちが騒ぎ出した。
「なんだあ?窓ガラスが割れたぞ!」
「ああ!血が出ている!誰か助けてえ」
状況を理解できない者とガラス片で少し傷がついて血が出た者などで場内は高齢者たちによる地獄と化した。
「これは……」
木暮村長も呆然と立ち尽くしている。
一瞬風が止み、割れた窓ガラスから部屋に入り込む人影が見えた。
人影は室内のランプに照らされると、頭の先から足まで黒い服装をしていて、目元だけくり抜かれている帽子をかぶっていた。
「なんだ貴様は!うわ!」
一人の陪審員が叫ぶが、体当たりで押しのけ雨堤の方めがけて突進していく。
「え?なに?」
人影は呆気にとられている雨堤の腕を掴み、反対側の窓目掛けて走り抜けようとした。よかった、誰かわからないが味方のようだ。
「あなたは誰です?待ちなさい!」
木暮村長は人影を逃すまいと肩の部分を掴んだが、人影は抵抗するように体を左右に動かしたため、服が千切れて拘束から逃げることができた。
そのまま雨堤と人影は窓の外へ飛び出し、村の闇に溶け込んでいった。
「くそ!あれはいったいなんだったんだあ?」
駐在が苦虫をつぶしたような顔をして、雨堤たちが逃げていった闇の方向をにらみつけている。
「恐らくですが、天さんでしょう」
「え?あの小娘がこんなことを……」
駐在が天のことを小娘と呼んだのが気に食わなかったのか、木暮村長は駐在の首元を鍛え上げられた両腕で絞るように絞めた。
「小娘ではありません。我が村の巫女です」
「が……」
駐在は必死に首にかけられている腕を解こうとするが、大木のような腕は微動だにしないどころかさらに締め上げていく。
「天さんはとってもいい子です。ですが、まだ幼いがゆえに火遊びをしてしまう。だから私たちが物事を教えて差し上げなければいけません。世の中の善悪をね」
駐在の瞳孔は闇に落ち、腕は垂れ下がり、口からはとめどなく泡が出ている。
木暮村長が腕の握力を緩めると地面に駐在がごとりと落ちた。
「さっさと起きてください」
木暮村長は駐在の心臓付近を目掛けて大きく振りかぶった拳を喰らわせた。
すると駐在の身体が地面から大きく跳ね上がり、激しくせき込みながら息を吹き返した。
「げほっ!はあっ……はぁ!」
駐在の苦しむ姿を何の感情も無く見下ろし、次の一手を指示する。
「起きましたか?さあ、ここを片付けて準備をしますよ。山内さん、お待たせしましたね。じゃあ、行きましょうか」
人はこんなにも悪に染まることができるのだろうか。慈愛の気持ちなど少しも感じない。俺は自分の欲に忠実な化物を初めて見た。意識はここで途切れた。
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