人質

 トントンと扉を叩く音が聞こえる。

 いつの間にか深く眠ってしまっていたようだ。はっとして目を開けると、納屋の中が真っ暗になっている。わずかに月明かりが入り込んできてはいるが、ほとんど何も見えない。

 「……雨堤さんいますか」

 納屋の外から天の小さな声が聞こえる。

「天ちゃん?今開けるね」

 物音を立てないようにゆっくりと納屋の引き戸を開けると、天がいた。

「雨堤さん、ちゃんと逃げてこられたみたいでよかったです」

「天ちゃんも無事だったんだね……」

 天を見るなりぎゅっと抱きしめた。

「え!?あ、ちょっと雨堤さん?」

「ごめん、怖くて。年上なのに情けないよね」

 身体は寒さなのか恐怖なのかわからないが震え、いつのまにか涙声になっていた。

「私も佐上係長みたいに、この村から出してもらえなくて、何が何だかわからないまま籠に入れられて、あんな高いところから落とされて、殺されるのかと思ったら……」

 年甲斐もなく不安に押しつぶされそうだった。会社で働いているときは、なんかの拍子に事故にあって死んだら楽なのかなとか考えたりしたことがあった。でも、今は死ぬことが恐ろしい。特別何かをやりたいからとか、そうではなく、単純に無になってしますことが怖い。


「……雨堤さん、大丈夫ですから。必ず方法があるはずです。一緒に頑張りましょう」

 こんなに小さな子が励ましてくれているのに、あきらめるわけにはいかない。

「うん、そうだね。ありがとう」

 鼻水と涙でぐちゃぐちゃになった顔を拭き、顔を叩いて気合を入れなおす。

「……はぁ、ちょっと落ち着いた……って、あ!ごめん!服が……!」

 よく見ると泥だらけの恰好で天に抱き着いてしまったので、天の服まで泥だらけにしてしまっていた。

「え?ああ、大丈夫ですよこんなの。まずは少し元気になってくれて、よかったです。あの、何も食べていないと思って簡単なものですけど夕食持ってきましたから、食べられそうなら食べてください」

 天の手にはラップにくるまれたカステラのようなものがあった。

「ありがとう。でも、これなに?カステラ?」

 カステラの間に粒あんが挟まっている。

「シベリアですよ」

「シベリア?初めて聞いたかも」

 耳なじみのない言葉だ。いや、どこかの国の名前だったか。

「え?結構メジャーなものかと思っていました。カステラで羊羹を挟み込んだお菓子です。こういう時は、少し甘いものを食べると元気が出るはずです」

「へぇ。ちょっと食べてみるね」

 おそるおそる口へ運ぶと、ふわふわのカステラが口に触れ、羊羹の甘さが口いっぱいに広がる。食べたことのあるもので作られているのに、新しさを感じる。

「うん!おいしいよ」

「お口に合ったようでよかったです。これ、小さい頃はよく両親に買ってもらってたんです」

「そうなんだ。じゃあ思い出の味なんだね」

 天は笑顔で頷いている。私にとっての思い出の味は何かあっただろうか。

「祭りは明日も続きます。次の生贄候補として雨堤さんを狙いに来ることが考えられます。町に出られる道が見つかるまで、どんなことがあってもここから出ないでください」

「わかった。本当に何から何までありがとう。あの……あと一つお願いなんだけど」

 一つお願いをした。

「私の職場の上司で山内という男の人がこの村に来るかもしれないの。通行止めのことは伝えてあるから、たぶん大丈夫だと思うんだけど、もし来るようなことがあったら、事情があって会いに行けなくなったって伝えてほしいの」

 今の状況をそのまま山内先輩に伝えることは、リスクが高すぎるので、伏せておきたい。

「わかりました。もし見慣れない男性が村にきていたらお伝えしておきます」

「お願いね。もうこれ以上知っている人が、辛い目にあってるのを見たくないから」

 また涙声になっている私に対して、天は強くうなずいた。

「それでは、あまり長居して村の人にここにいることがバレるとまずいので、私は戻ります。あと、災害用バックの中には水とか食料等が入ってますので、限りはありますが使ってください」

 そう言い残して天は納屋から出ていき、納屋の中は再び静寂と闇に包まれた。

 外に光が漏れてはまずいので、災害用バックの中にあった小型のランタンを付け、手元だけ見えるようにした。

 ランタンの光に照らされた手は、土で汚れ、服から靴先まで泥や草がへばりついている。擦りむいたところはカサブタになっている。

「ボロボロだな……私」

 納屋の外ではコオロギが鳴き始め、隙間から少し涼しい風が入ってきた。

 暗闇になると不安の波がまた襲い掛かってくる。

「……本当に帰れるんだよね」

 周りでは不可解なことが連続して起きているものの、私自身に何か直接的な危害は加えられていない。

「……私が狙われているって、よく考えたら天ちゃんしか言ってないんだよね」

 初めはまっすぐな目で真剣に危険だと教えてきてくれた、どうしたら村の外に出られるか考えてくれて、信用してみようと思った。

「でも、もし天ちゃんが木暮村長と共謀していたとしたら……」

 この村で起きていることの首謀者は木暮村長とみて良いだろう。そう考えるなら、天は巫女であり村長が神主を務めているのであれば、協力関係にあっても不思議ではない。

 もしそうなら、自分が今この納屋にいることも、これから山内先輩が来ることも筒抜けになってしまっていることになる。

 そう考えた途端、身体中の震えが止まらなくなった。

「誰も信じられない……それに山内先輩が危ない?」

 山内先輩が次の生贄になり、自分もその後にやられる。逃げなければ、そして山内先輩にこのことを伝えて逃げてもらわないと。

 でも、山内先輩との連絡手段がここにはない。一度宿に戻り、固定電話を借りて連絡をとるしかない。

 納屋の外に出ようと立ち上がったが、疲れからか立ち眩んでしまって、近くにあった段ボールを倒してしまった。

「……しまった」かなり音を立ててしまった。

 衝撃で地面の砂ぼこりが舞い、ランタンの光が反射する。

 すると、地面に光るものが落ちていることに気が付いた。

「……これは」

 砂にまみれてはいるが、黒い数珠でできたブレスレットが落ちていた。嫌な予感がする。拾い上げて、数珠を一つずつ確認する。

 そのうちの一つが少し欠けており、イニシャルで『S・S』と彫られており、これを佐上係長が身に着けていたことを知っている。

「……やっぱり係長ここに来てたんだ」

 予感が的中したのと同時に、桟橋から落とされた籠の中にいたのも佐上係長であると裏付ける証拠になる。

 心のどこかで違ってあってほしい、見間違いであってほしいと願っていたが、その希望は儚くも消え去った。

「……でも、なんでここに」

 天が言うには、この納屋は御神体が奉られているから、村人は誰も近づかないようになっている。だからこそ今、私は安全な場所として身を隠している。

 だが、ここに佐上係長のブレスレットが落ちているということは、佐上係長自身がここにいたか、もしくは他の誰かが数日中にここを出入りしていることになる。

「天ちゃんは、そのことを知らずに私をここに異動させた?それとも……」

 これは罠だったのかと考えようとした時、納屋の外を誰かが歩いている音が聞こえた。

 反射的にランタンの光を消し、息を潜める。音の鳴る方に意識をすべて集中させた。

 男の人の声がする。誰かと話しているようだ。

「私がここにいることがばれた……?」

 しかし、一向に納屋に近づいてくる様子はない。ここが目的ではないのか。

 足音をたてないように慎重に壁に近づき、何を話しているのか確認する。聞き覚えのある声がした。

「だからあ、道を間違えてここに来ちまっただけなんだって。通行止めだったなんて知らなかったんだよ」

「山内先輩……?どうしてここに」

 間違いない、声の主は山内先輩だった。村の誰かと言い合いになっている。

「いんや信じらんねえ!道路は通行止めにしてあるし、こんな灯り一つないところをうろつくなんて、おかしいことする奴しかいねえべ!」この声は昼間に飲兵衛になっていた駐在だ。

「いやいや、確かにちょっと道を外れて山の中入ったけどさ、別に犯罪になるようなことは何もしてないし、しないって!」

「ほお?じゃあ何のためにこの村に来たのか言ってみろ?」

「何のためって……別になんだっていいじゃねえかよ」

「ほら!言えねえんじゃねえか!」

「わかった!言うよ!この村に出張に来てるやつに会いに来たんだよ」

「ほう?何て名前だ?」

「……雨堤だよ」

「ああ、あのよそモンか。なんだ兄ちゃんあの女のコレか?」

「ちげえよ!ただの先輩と後輩の仲だよ……」

「ほう!まぁ兄ちゃんがあの女に惚れてるのはよくわかった!だがやめとけ」

「な……?なんでそんなこと言われなきゃいけねぇんだよ」

「あの女は明日生贄になる」

「は?生贄?どういうことだよ」

 壁づたいに生贄と聞こえた。やはり、私が次の番なのか。

 そこにもう一人の男性が近づいてくる。

「困りますね駐在さん。村の外の人にそういうことを言うのは。変に誤解されてしまうではありませんか」

 この物腰柔らかく、変ななまりがないのは木暮村長だ。

「村長!夜分にお騒がせしてしまい申し訳ねえです」

「……なんだよあんた」

「私はここで村長をしています。木暮と申します。すみませんね、少々手荒な真似をしてしまいまして」

 あまり申し訳なさそうに木暮村長は謝罪し、続けてはなす。

「今日のことは見もしなかった、聞きもしなかったということを約束してくれるなら、このままお帰りいただければと思うのですが」

「……もし聞きたいって話になったら?」

「場所を変えてご説明いたします。ですが、今日の所は帰れないかもしれませんね」

 木暮村長は声色を少し低くして山内先輩に回答した。

 このまま何も聞かずに帰ってほしい、全てが終われば説明もきっとできるからと心の中で願っていた。

「……わかった。何も聞かずに帰るよ」

「ご理解いただけたようで、助かります」

 変につっかからず素直に帰ってくれるようだ。

「よかった……」

 そう思った矢先、鈍く重たいものがぶつかる音がして、誰かが倒れた音がした。

「と言いたいところですが、村で生贄の行為をしていることが外部に漏れると危険なので、このままお帰りいただくわけにはまいりません。少しこちらで滞在していってください」

「そ……村長さん、少しばかりやりすぎでねえか?死んでしもうたんじゃ……」

 駐在の震える声が聞こえる。

「力加減は心得ているつもりです。ほら、息はしているでしょう?大丈夫ですよ」

 二人のやり取りから、山内先輩が木暮村長に何かされて、拘束されてしまったように聞こえる。が、ここからでは外の様子がわからない。

「山内先輩……」

 今ここで外に出てしまえば、自分も同じ目にあって終わりだ。太刀打ちできる道具も無い。

「じゃあ駐在さん、いつものところに運んでおいてください。明日の儀式で使いますから、丁重に扱ってくださいね」

 駐在は山内先輩を引きずり、どこかへ運び、木暮村長の足音も遠くに消えていった。

 再びコオロギの鳴き声が響き、先ほどよりも冷たい風が流れ込んでくる。

 明日の祭りの儀式までに山内先輩を救出しなければ、佐上係長と同じ運命を辿ることになる。

「なんとかしないと……」

 天に相談しようか考えたが、本当に自分の味方なのかわからない以上、協力を求めるのは情報が筒抜けになり危険かもしれない。

 ただ、もし天と木暮村長が繋がっていたとするなら、納屋に隠れている私の方へ来るはずなのに、来なかった。

「……信じていいってことかな。でもまずは、山内先輩がどこに連れていかれたか調べよう」

 それまでに天が仲間なのか、それとも木暮村長と協力関係にあるのか判断することにしよう。

 災害用バックを背負い、静かに納屋を出た。

 月明かりで分かりにくいが、地面には人が引きずられた跡が薄っすらついている。

「こっちね……」

 慎重に一歩ずつ跡がついている方へ進む。

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