天の夢

「あんたのところの化け犬がうちの畑さ荒らしたんだ!」

 井上麻里奈が私を指さして叫んでいる。

 違う。レオじゃない。あと、化け犬じゃなくて狼だ。口を動かしてみたが、声にならない。

 こういうことは前にも体験したことがある。これは現実ではなく、夢の世界だ。

 昼前に昔話をしたからこんな夢を見ているのだろう。思い出しくもないのに。

 こうなってしまっては自分の頭が覚醒するまでは、強制的に記憶を見させられる。夢というのはやっかいだ。

「そうだ!お前のところの化け犬がうちのスイカ喰ってるのを見たぞ!」クラスメイトの男の子が便乗するように言った。

 彼の声を皮切りに、他にも水田を荒らされた、ジャガイモを食われた、挙句の果てには家の窓ガラスを割られたというものまで現れた。それは、自分が野球ボールで割ったやつだろう。

 人の嘘というのは、一人が叫ぶ分にはさして問題にならないが、複数人が嘘について正しいという判断をする状況になれば、それは『正しい』事実へ、いつの間にかすり替わってしまう。

 これが大衆心理の怖さだ。一度この状況になってしまえば、覆すことはほぼ不可能だ。


 夢の中の場面は変わり、桟橋の上に満里奈と二人きりになった。何度夢で見てもこの場面は慣れることは無く、怖い。

「お前んちの化け犬を山に逃がしたってみんなにいいふらしてやるからな!偉いからってなんでも許されると思うな!」

 なぜそうまで強く言い切れるのか、気に食わないのなら私自身に嫌がらせをすればいいのに、なぜレオを殺したいのだろう。

「ハンターが山の中に入って、化け犬を撃ち殺して、みんなで鍋してやるんだ!」

 子どもは天使のようにかわいく笑うと聞いたことがあるが、目の前のこれは悪魔の子だ。きっと神様はどこかで間違えてこの子を世に放ってしまったのだろう。

 神様だって間違えることがある。ただ、一度この世に存在させてしまったら、きっと取り消しができないのだろう。

「なら、わたしが代わりに……」

 右腕を満里奈にめがけて突き出すと、満里奈は一瞬戸惑った顔をした。

「なあにそれ?アニメの見過ぎで頭おかしく……」

 遠くで木々が大きく揺れ始め風が吹いたかと思うと、右掌に風が吸い込まれていく。

 次の瞬間風の塊が手の平から放たれ、満里奈めがけて一直線に飛び出していく。

 満里奈の小さな体は宙を舞い、何が起きたか理解する間もなく桟橋の谷底の闇へ吸い込まれていった。

 その後、警察や学校の先生、母に色々と聞かれたが、何も答えることはしなかった。父には真実を話したが、黙っているように言われた。世間体を気にしての判断だったのか今ではわからない。

 特に満里奈の母には『人殺し』と呼ばれたが、あなたの娘は私のレオを殺そうとしたんだから仕方がない。悪魔の子だったんだと思い、何も言わずにいたが笑ってしまい、平手打ちを喰らった。この家系は暴力がとことん好きなのか。

 いずれにせよ、これで全て丸く収まるはずだったのに。あの男がいることは誤算だった。

 

 あの男は、この村に移住したいと突然現れた。高齢化が進む村に働き手が移住することは、村長でありこの神社の神主である父と母はもちろん、村全員が賛成であった。

 やわらかい物腰は村の高齢者に人気で、身体も大きかったので、工事作業員としても重宝されていた。

 だがある日、私は父と母に呼び出され、満里奈の件について話を聞かれた。

 あの男からすべて聞いたという。それに対して私は、すべて間違いないというと母は泣き崩れ、父は黙って目を閉じていた。

 あの日から家族はあの男に支配されていった。

 暴力を振るわれたり、金銭を要求してきたりするわけではなく、徐々に村長と神主の仕事に首を突っ込むようになり、もともと村人から信用を得ていたこともあり、やがて実質的権力を手に入れていった。

 父は私が過去にやったことを隠しながら生きていかなければならないという意識でいたため、あの男が過剰に仕事に手を出してきても何も言えず、日に日に疲弊していった。

 母は父よりも考え込む性格だったため、次第に家に引きこもるようになった。夏の暑い夜に桟橋に遺書が残されていたことから、身を投げたと考えられている。遺体は見つかっていない。

 このことがきっかけで父は完全に生きる希望を失い、神社の地下に隠れ、カギをかけたまま出てこなくなってしまった。私も出てくるように声をかけなかったのは悪かったなと少し後悔する。家の中に異臭が漂い始め、蟲が沸くようになったので、地下の部屋を無理やり開けると、父は骨と黒い液体になっていた。特に遺書らしきものは無く、ぽっかり目の部分が開いた頭蓋骨には蛆が這っていた。

 そして、あの男、木暮は村長と神主の職に就き、我が家を、村をわが物にしていった。

「辛いことがあって大変だったと思うけど、これからは家族同然に接していいからね。天さん」いまでもあの醜悪な顔は忘れない。

 いくら憎くても木暮を追い出すすべも持ち合わせていない。村の人たちは、真実を知ってか知らずか完全に木暮を崇拝している。

 自分がこの村から出ることも考えたが、森の中へ半ば強制的に放ってしまったレオのことが気がかりで、今もなおこの村にいる。いつか帰ってきてくれるのではないかと。私に残された唯一の友人であり、家族だから。

「……ごめんなさい」

 少しずつ意識が現実へ戻ってきた。

 窓の外ではコオロギが鳴き、遠くの川辺には蛍が見える。

 頬を流れる涙は後悔の涙なのか、自分の不甲斐なさへの涙なのかわからない。

「……今は雨堤さんを助けないと」

 雨堤を助けることで、少しでも罪滅ぼしになるのでは、人として生きていていいのではと考えられる。ここで見殺しにしてはレオに申し訳が立たない。

 昼間に他の町へ抜けられるルートを探したが、どこも雨の影響で通ることは困難だ。特に山道になれていない雨堤なら、うっかり崖に落ちてしまう可能性が高すぎる。

「何か他の手を考えないと」

 あまり大きく動くと木暮が何かしでかしてくるリスクを高めてしまう。

 先日村に来た佐上という女性も、明日の祭りの生贄にされてしまうことが決まったそうだ。きっとどこかに監禁されているのだろう。

 木暮の息がかかった人たちが何人いて、いったいなんのためにあんな凄惨な儀式をするのかわからない以上、下手に動いて雨堤までも同じ目にあわせるわけにはいかない。

 一つずつ進めるしかない。

 まずは明日の祭りを穏便にやり過ごさなくては。

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