駐在
太陽が真上に上り、セミや鳥の鳴き声が鳴り響いている。風が少し吹いているおかげで、持ってきた日傘をさして、なんとか歩いていられる。
「しっかし、暑いわねえ」額に塗った日焼け止めが汗で流れてしまいそうだ。
天に言われたとおり夜までに宿には帰るとして、神社の名称が正しいかどうかの一応の報告書作りに証人が必要なので、先ほどから見える民家一軒一軒あたっている。が、誰も出てきてくれない。家の中からテレビの音や扇風機の音が聞こえる家もあったが、居留守を使われたようだ。
「よそ者には厳しい……か」出張前の山内先輩の声がよみがえる。
ジャリジャリ音をたてながら砂利道を歩くと、革靴の中が熱をもち、カイロの上を歩いてるみたいだ。涼し気な音が聞こえる方を向くと小川が流れていた。昨日の雨の影響で黄土色になり、流れが速い。カエルが一匹飛び込んだが、見えなくなった。なぜ飛び込んだ。
「ちょっと休もう……」傍にレンガ色のベンチがあったので、そこで一度休憩しよう。
鞄に冷蔵庫で冷やしていた清涼飲料水を入れていたが、暑さでかなりぬるくなっている。それよりも、のどの渇きの方が深刻であった。自販機があれば買うのだが、あいにく見当たらない。
「はぁー。少し生き返るー」
ぬるくなったペットボトルを一気に半分まで減らした。
ぼやぼやしていた視界や聴覚が正常に戻ってくる感覚を実感していると、錆びて回りの悪くなったタイヤをギコギコと不快な音を立てて自転車が近づいてきた。
自転車に乗った男は警官の服を着て、短髪でイグアナのような目をしており、自分と同じくらいの年齢のように見える。この場合、警官ではなく駐在というのか。
胸の所には「
「あれ、見ない顔だな」
そりゃそうだと思いながら、いきなり人の顔をまじまじと見るのが気持ち悪いことをこの男は知らないのかと目で訴えてみた。
「旅行客か?いんや違うな。この辺は観光できるものなんて一切ないもんなあ。だからといって工事現場の人間でもない……あんたなにもんだ?」
面倒くさいタイプの駐在だ。こういう人は何を言っても疑ってくるからだるい。
「……それって、職務質問ですか?」
「じゃなかったらなんだっていうんだ?」
やっぱり面倒なタイプの人間だ。あまりかかわりたくないが、駐在であれば仕方なく答えるしかない。
「はぁ……私は銀行員です。この村にある神社が架空口座の可能性があるので、調査に来ました。これ、名刺です」
端的に、整然と返答すると、目を細めながら本当のことを言っているのか私と名刺を見比べて吟味している。
「ふうん。名刺も本物っぽいな。銀行員様はそんなことのためにわざわざこんな村までくるんかい。大した暇なんじゃのう」
余計なお世話だ。暑いから早くどっか行ってくれ。
「……仕事なんで」
暇だったらこんなところ来ないと言ってやろうかと思ったが、変なスイッチを入れてしまいかねないので、ぐっとこらえることにした。
「して、いつ帰るさね」
「町に出る通行止めなんで、それが解除されたらすぐにでも帰ります」これは本心だ。
「ああ、そういやそうやったな。全く悪いタイミングで来たもんだな、お嬢さん」
お嬢さんて……どこまでも鼻につく駐在だ。年も大して変わらないだろうに。こんな辺鄙なところに飛ばされて、さぞかし使えないやつか、大問題を引き起こしたに違いない。
暑さのせいか悪口ばかり思い浮かんでしまう。
「はい、本当に。ではこれで」
いつまでも駐在が動かなさそうなので、こちらから早々に立ち去ろうとしたが、警官は話をつづけてきた。
「この村のどこに行くのか知らんが、桟橋だけは行くなよ。明日のお祭りで使うんだから」
「桟橋……はあ」
天が言っていた桟橋のことだろうか。祭りで橋をどう使うのかイメージできない。
「そういや明日は『鶴音神社』の天も来るんかのう」
「え……鶴音神社?」
確かに駐在は『鶴音神社』と言った。
「まぁ今は魂喰神社やったか。ずいぶんごつい名前になってもうたな」
駐在はそうだったと言わんばかりに頭をポンポンと叩きながら話している。
「あの……どうして名称が変わったんですか?」
天に聞いてもいいのかもしれないが、何となく聞きにくいのと、報告書の関係で証人として駐在を書いておけば、かなり強い証拠となるだろう。
「なんや?なんで説明しないといかんのや」
駐在はめんどくさいと言わんばかりに手をひらひらとしている。
「どうしても仕事の書類を作るのに必要な情報なんです」
「えらいめんどいなあ、言わなきゃよかったなあ。そうやなあ、絶対に村の外には話したらあかんぞ?約束できるか?」
私は強く縦にうなずいた。
駐在は先ほど天が話していた内容をだらだらとしゃべり、そのあとのことについて説明した。
「狼と井上さんとこの娘さんがいなくなって、狼の祟りだってなってからな、すぐに天の父親と母親もおらんくなってもうたんや。これも含めて『但馬汐村の神隠し』なんて呼んでるやつもいるわな」
「どうしていなくなったんですか?警察は捜査してるんですよね?」
「それがわかれば警察いらんやろ。もう何年もたったが、今のところ何にも手掛かりがないんや。天も可哀そうになあ」
わざとらしく眼頭に指をあてて悲しがっている。
「んで、そんな不幸な事件があの神社を発端として起きて、怒った狼が人を仰山神隠しにあわせてるっちゅうことで、人の魂を喰らう神社『魂喰神社』っちゅう俗称になってったてわけや。あんなこと起きたら、鶴音神社なんていう縁起の良い名前は似合わないもんなあ」
だから社号標には『鶴音神社』と彫られており、周りの人たちは『魂喰神社』と呼ぶようになったそうだ。
続けて駐在は意味深なことを言った。
「まぁ明日はその慰霊祭的な意味も込められたお祭りだからなあ。ちょっと顔出してみるといいさ。でも、桟橋に行くのはやめときな。余所もんには刺激が強すぎるからのう」
木暮村長はそんなこと言っていなかったが、天は何か隠そうとしていたのはこのことだろうか。
「桟橋になにが……」
駐在は質問は聞こえなかったかのように、また自転車をギコギコと不快な音を立てて走らせ始めた。
真夏の太陽は厚い雲に覆われ始めてきている。
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