風になびかれた黒髪を整えて、こちらに向きなおる。

「天ちゃんね、可愛い名前だね」

「……そういうのは、いいですから」

 白い顔が少し赤くなった気がする。

「……照れてるの?」

「緊張感のない人ですね」

「そう言われてもなあ、もともとこんな性格だから」

 怒られるかと思ったが、大丈夫そうだ。

「……ところで、私に何か聞きたいことがあったんじゃないですか?」天は照れ隠しなのか、話を戻してきた。

「そうそう。そもそも私がここに来たのは、ここの鶴音神社の銀行口座の名称が違うんじゃないかってことで調査に来たんだよね。でも、あなたも宿の女将の井上さん?もここの神社のことは『魂喰神社』って言うじゃない。でも、鳥居の所にある社号標には『鶴音神社』って彫られてるから、どっちが正しいのかなって」

 天の顔がまた曇ってきてしまった。

「……もともとここは鶴音神社という名称でした。ですが、今は魂喰神社が正しい名称です」

 天の顔はまた暗く、声の調子も先ほどと同じようになってしまった。

「……神社の名称を変えたの?私の知っている限り、そういうのって聞いたことないんだけど、なにかあったのかな?」

「あまり深く知らない方が良いです。先ほども言いましたが、この村か無事に出られたとしても、村の内情を口外してしまえば、いずれ悲惨な末路を辿ってしまいます」

「悲惨……か。じゃあ一先ずそれはいいか。あ、あと天ちゃんと女将さんって仲悪いのかな?なんだかいつも話題を出すたびに女将さんの態度がおかしくって」

 正直これは仕事以外の話だから、答えてもらわなくてもよいのだが。どうしても気になってしまう。

 すると天は過去を思い出すように口を開いた。

「……きっと恨んでるんです」

「え?」

「これは……信じてもらえない話です」

 この感じは、ここで引き下がった方が良いか?

「無理に話してもらう必要は全然ないんだけど、この性格だからどうしても気になっちゃって」

「そうですか。まあ、もう何年も前の話ですし、雨堤さんにとっては遠い国の話だと思ってもらえればいいですよ」

 すると天は少しずつ話し始めた。

「私が小学生のころの話です。昔はこの村にも小学校があったんです。とは言っても、一年生から三年生までと、四年生から六年生までが同じクラスの、小さな学校ではありましたが。当時私は一年生で、実家がこの神社なので村の人たちからは、自分で言うのもなんですが、わりと大事にされてきました」

 この神社は天の実家のようだ。だからいつもいるのか。

「でも、そのことを面白く思わない人がいました。それがあの女将の子どもの井上満里奈いのうえ まりなでした。満里奈は三年生で、私と同じクラスで授業を受けていました。でも、先生のいないところではいつも私に嫌がらせをしてくるような子でした。教科書を破ったり、ノートに暴言を落書きされたり、まあ今考えれば大したことではないんですが。でも……」

「でも?」

 天は思い出すのが辛いのか、少しつっかえながら話す。

「うちで飼っていた狼がいたんです。山でケガをしていたので介抱してあげたら懐いてしまって。見た目はちょっと怖いんですが、とても人懐っこくて、私の唯一の友達でした。でも、当時の村では、動物による畑荒らしが問題になっていて、その犯人がうちの狼だって満里奈がうわさを流し始めたんです。最初のうちは学校の中だけで広まっただけでしたが、徐々に農家の人たちにも伝わって、村中がうちの狼を殺せって躍起になっていったんです」

「なにそれ、ひどい……」小さなコミュニティだと嘘もそんな風にとらえられてしまうものなのか。

「父にもその話をしたら、この村で生きていくためには殺すしかないって言い始めてて。私はどうしてもそんなことはできないって、狼の、レオを森に逃がしたんです。なんども戻ってくるレオをなんとか森の奥に置き去りにして。でも、その瞬間を満里奈が見ていて、村の人たちに言いふらすって言って。そんなことが広がればハンターが撃ち取りに山に入ってしまうから、やめてと言いましたが、聞き入れてはくれませんでした。そうこうしているうちに、私たちはお祭りの時だけ使用する古い桟橋の上にいたんです」

 たしか、宿に置かれていた村の地図に橋が描かれていた気がする。それのことだろうか。

「そこでなんとか満里奈を説得しようと思って。でもその時、ほんの少しだけ『このまま橋から落ちてしまえばいいのに』って考えてしまって。それと同時に急に突風が吹いて、満里奈はバランスを崩して谷底に落ちていきました。急なことだったので、満里奈は何も言葉を発せず闇に落ちました。家に帰ってからそのことを父に話すと、黙っていなさいと言われただけで、いつもの生活を送っていました。その後、村ではうちの狼と満里奈が消えたことで、捜索が始まりましたが、いつまで経っても見つからない。証拠も証言者も何一つ出てこない。そうこうしているうちに、誰かが祟りだと言い、噂が広がりました。満里奈の母は、満里奈が最後に私と遊んでくると言って外に出たから、私が何かしたんだと言い、攻めてきました。私は何も言いませんでした。そのことを今でも疑い、恨んでいるのでしょう」

 これが私と女将との間で起きたことだと天は話し終えた。

「どうです?幻滅しました?私、怖いですよね」

 こんな濃厚な話だとは思わなかった、というのが正直な感想だ。間接的ではあるのだろうけれど、天は事故で人が亡くなったのを見て見ぬふりをした。ただ、そうするには十分すぎる程の理由があった。だからといって、天を危険人物だとは思わないし、天に対する恐怖心はなかった。

「……私がどうこう言える話ではないね。ごめんね、聞いといて。でも、きっと不運な事故だったんだと思うし、本当のことを天ちゃんが村の人に言ったとしても、証拠がないのであれば信じてもらえなかったかもしれないし……」

 なんとかフォローしようと言葉を紡いではみたものの、上手い言葉が出てこない。

「……意外とすんなりと聞いてくれるんですね。前に他人に話した時は、軽蔑する目で見られたのに」

 天は悲しげな表情をしている。きっと心を許せる人に話して、心無い言葉を言われたのだろう。

「うん、嘘をついてるようには聞こえなかったし、何より嘘を私につく理由もないでしょ?それが信じれた理由かな」

「思ってたより、雨堤さんて。良い人ですね」

「思ってたよりってどうゆうこと?私、悪人面してたかな?」

 山内先輩にしかめっ面を直せと言われたことがあるので、いつの間にか人相が変わっていたのかもしれない。

「いえ、そういうわけじゃないんですけど。この村に来る人たちは大体、訳ありな人が多いので」

「そういうことか。それなら安心?かな」

 どうにも村の外からくる人には良いイメージをもっていないようだ。

「ちなみにあれなんだね、ここの神社って天ちゃんの実家なんだね」

「はい、一応」

「生まれた瞬間から巫女さんかあ。ちょっとうらやましいな」

「そうですか?さっきも言った通り不便なこともあります」

 身分制度などとうの昔になくなったが、歴史や言い伝えを重んじるこの村なら、未だに縛られることがあるのだろう。

「うーん、でもちょっと神秘的だなって思うよ。きっと神様に愛されているはずだよ」

「神様……ですか。そうだといいんですがね」

「うん、きっとそうだよ」

 天はようやく少し笑った。

「それでは私は、村の外に出られそうな道がないか確認してきます。雨堤さんは、村の人たちに怪しまれないように、仕事をして、夜が来る前に宿に戻っていてください」

「うん、わかった。そうするね」

「祭りが終わるまでは大丈夫だと思うんですが、何かおかしなことがあれば村の公衆電話でうちにかけてください、これがうちの電話番号です」

 天は黄色いポストイットに電話番号を書いて渡してきた。

「ありがとう。でも、祭りが終わるまではってどういうこと?」

 天は言葉で説明するのは難しいと言う。

「それは祭りに参加すればわかると思います。それでは、また」

 天は神社の本殿の方へ歩いて行った。

「……不思議なことばかり起きるな。でも、調査はしっかり終わらせておかないと」

 鞄の取っ手を握り直し、村の民家の方へ歩き始めた。

 この時はまだ自分に脅威が迫るなんて想像していなかった。

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