散策

 山内先輩に電話をかけたところ、予想通りの返事が返ってきた。

「ええ?今日帰ってこられないの?」

「仕方ないじゃないですか、通行止めなんだから」

 電話越しの山内先輩はひどく動揺していた。

「もう仕事いっぱいいっぱいなんだよなあ。でも通行止めならどうしようもないよなあ」

「道が寸断されていますからね。無理です。仕事で困ったことがあるなら所長と係長に頼んでください」

 もう二人とも出張から帰ってきているだろう。二人には申し訳ないがこちらも自分の意思ではどうしようもできないのだ。

 しかし、想像と違う回答が山内先輩から返ってきた。

「いやあ、それがさ、佐上係長辞表出して会社辞めちゃったみたいでさ。俺何にも聞いてなくてさ、雨堤なんか聞いてた?」

「え?いつの話ですか?ってか出張では?」

「ほら、所長と雨堤が地下で今回の件話してた日だよ。あの日に辞表を書いて自分の机の中に入れてたみたいでさ。周りには出張で不在にするからって言ってたみたいだけどよ。よくよく確認したら出張先誰も知らなくてさ」

「そんな……どうして急に」

 佐上係長とはまだ短い期間しか一緒に仕事をしていない。が、プライベートなことは知らないものの、少なくとも出張と偽って辞表を出すようなタイプの人ではない、とは思う。

「俺にもさっぱりだよ。所長も聞いてなかったらしくてさ。出張に行ったっきり連絡ないし、なかなか出社してこないから電話かけたり、家にも行ったんだけど。家は引き払ってたみたいで何も残っていなくて、電話も留守電になるだけなんだよ」

 おかげで自分の仕事量が大変なことになっていると山内先輩はつづけた。

「佐上係長の件は所長と人事で対応するみたいだ。まぁとにかく雨堤が帰ってこられない状況だってことは所長に伝えておく。雨堤は、うちが深刻な人員不足に陥っているってこと理解しといてくれ」

「わかりました。すみませんがよろしくお願いします」

 わずか数日の間に目まぐるしく状況が変わるなんてことは初めてだ。こういう時に自分が何もできない立場というのは罪悪感でいっぱいになる。

「……とにかく今は自分の仕事を進めよう」

 架空口座の調査のために、出張用カバンに鶴音神社の口座情報と真っ白な調査報告書を入れ、外へ出ると、雨は上がっており、カラリとした夏の太陽が照りだしている。

 砂利道は雨に濡れて、川は水位が高くなり流れが速く水はひどく濁っている。

「まずは、昨日の神社に行ってみよう」あの後資料をよく確認したが、やはり住所は間違っていないようだ。巫女以外に管理者がいれば話を聞きたい。

 それから、こんな奇妙な村に出張で来ることも二度とないと思うので、歩きで向かうことにした。

 歩いてみると改めて但馬汐村は過疎化が進んでいる村だと思った。

 車から見た時は、綺麗に整備されている畑や水田だと思っていたものが、雑草は伸び放題で土地はデコボコしている。何を育てているのかよくわからないが、こんな状態でよい作物が育つのだろうか。

「高齢化と過疎化が進むと、こういう風景が広がるのかな」

 いつかのニュースで見た『高齢化問題』を思い出していた。どうやら日本は近い将来、高齢者が圧倒的に多くなり、年金や保険料の若者への負担が増えていくということらしい。ゆゆしき問題だと高齢者のコメンテーターが言っていた気がする。

 とはいえ、自分一人に何ができるのだろうか。できることといえば、結婚なのか、予定はないが。どこかでいい人を見つけて、子供を育てるとかそういうことぐらいだろう。後の小難しいことは、頭のいいお偉い様がやってくれればいいのだが、そういう人たちに限って問題を起こしているように思うから厄介だ。

「そんなこと言ったって、私は今日生きるので精いっぱいだって」

 独り言を夏の太陽に照り付けられて燃えるように熱くなっている地面に向かって、吐き捨てるように言った。

 歩き始めて15分ほどで昨日来た「魂喰神社」に到着した。

 今のところ外にあの巫女はいないようだ。

「さて、管理者さんか誰かいないかな」

 錆びれてはいるものの、大きな鳥居を潜り抜け、境内へ進む。

 両サイドには砂利が敷き詰められており、さらに奥は針葉樹林が防風の役目を果たしている。

 昨日は駐車場までしか入らなかったのでよく見なかったが、神社の面積は学校の体育館より少し広い敷地面積だと思う。

 この村の人口も数百人ということもあり、もっと小さな神社を想像していたが、立派な神社だ。

 ぐるっと周りを見渡し、本来の目的である『正しい神社の名称』を確認できるものはないだろうか。

「どこかに名称が描かれているものはないかな」

 一般的に神社の場合は社号標しゃごうひょうが設置されているはずだ。神社の名称が刻まれた石碑のようなもので、これも調査報告書の中に盛り込むことで、後々のトラブルは減ると考えられている。なぜなら、石碑は証拠物といてなくなりにくいと本社は認識しているからだ。つくづく本社の判断は絶対なのだと思う。

「あ、これかな……あれ、鶴音神社……?」

 境内の少し歩いた先にあった社号標には『鶴音神社』と書かれている。これなら口座の名称と合致するため、後は周辺に住む人たちに確認がとれれば、調査結果は『問題なし』となるが。

 もっとも、周辺住人が社号標に書かれている名称と違うことを言ってきたとしても、こちらから促せば「たしか正式名称はそうだったかもしれない」という展開になるのが定石だ。神社の正式名称よりも、俗称で覚えている人たちの方が圧倒的に多い。なので、言い方は悪いがどうにでもなる状態だ。

「なんだ、よかった。これなら調査結果を出して終わりそうね」

 しかし、引っかかる点がある。昨日の巫女が言っていたことと食い違うことだ。

 昨日ここの巫女に聞いた時ここは『魂喰神社』と言ったこと。また、宿の女将の井上さんも『魂喰神社』と言っている。

 一般の村人ならさして問題視しないものの、村の伝統を重んじる女将や、ましてや巫女が正式名称ではない俗称を言うのは少しひっかかる。

 なにか『鶴音神社』だと不都合でもあるのだろうか。

 今まで今回のように、架空口座の名称の現地調査は何度かやったことがある。もちろん神社も何件かではあるが、携わったことがある。

 その時は何人かに聞けば正式名称を言う人もおり、ましてや神社で働いている人や関係者は十中八九、俗称では言わない。

「うーん……たまたまなのかな?」あまり深入りするべきではないのか。

「そこでなにしているんですか?」頭を悩ませていたところ、ふいに背後から声をかけられた。

「あ、昨日の巫女さん」目の前には昨日と同じ赤い袴を着た少女が立っていたが、表情は険しく、少し怒っているように見える。

「どうして……早くこの村から出ないといけません」

 世間話をするような雰囲気ではないようだ。

「あの、どうして私をこの村から早く追い出そうとするの?昨日も宿に電話してきたのあなたでしょ?」

 電話がかかってきたときはわからなかったが、今日もう一度聞いて、やはりあの声はこの巫女の声だ。

 巫女は右手で頭を押さえながら話し始めた。

「あなたはこの村がどういうところかわかっていません」

「え?」それはそうかもしれないけど。

「ただ、この村の秘密を知ってしまうと、村の外に出たところで消されてしまいます。だから、悪いことは言いません、何も聞かずに早く立ち去ってください」

「消されるって?……ねぇ全然状況つかめないんだけどさ。どっちにしても村の外に出る道が昨日の雨で通行止めだって、さっき村長さんが教えてくれたの。だからしばらくここに滞在せざるを得ないんだけど……」

「それは今日の朝のことですか?……一歩遅かったか。先に止めに来たのか……」

 自分の行動が遅かったことを悔いているようだ。でも、いったい何をそんなに問題視しているのか。

「とにかく今は誰の言うことも真に受けてはいけません。みんな嘘をついてくると思ってください。私の言うことだけ聞いてください。生きてこの村を出たいなら」

 急にメンヘラみたいな発言をしてくる巫女に戸惑う。やはり説明を受けても、状況を呑み込めずにいるが、少なくとも巫女は嘘をついているようではない。

 ましてや私のことを守りたいと思っているような言いぶりだ。

「あのさ……ごめん。正直まだ納得できないし、よくわからないけど、あなたが真剣に話してくれていることはわかった。でも、どうして、私を助けてくれるの?」

 そう、仮に私に危機が迫っていたとしても、他人なんだからほっといたらいいのに。

「それは……。この前来た人を助けられなかったからです」

「この前って……」

 さらに話を聞こうとしたところ、巫女の後ろから木暮村長が近づいてきていた。

「おや、そらさん。おはようございます。それと、また会いましたね雨堤さん」

 大柄な背格好とは裏腹に温和な雰囲気を纏って近づいてくる木暮村長は朝見た時の作業着ではなく、袴姿だった。

「あ、木暮村長。ここにも来られるんですね」

「ええ、実はわたくしここの神社の神主でもあるので、こうやって時々見に来るんですよ。ねぇ天さん。もうお二人は自己紹介終わりましたか?」

 巫女は黙って首を横に振る。

「それはちょうどよかった。こちらの神社で巫女をしていただいているのが天さんです。天と地の天という字でそらさんです」

 巫女の名はそらというらしい。

 天は黙ったまま下を向いている。

「あ、私は雨堤あまづつみと言います。よろしくお願いします」

 いいだけ話をしたあとに自己紹介というのはなんだか気持ちが悪い。

「やはりお二人はお似合いですね。仲良くなれそうな感じがします」

 この空気を読まずに、にこにこしながら木暮村長は話をつづけた。

「ところでお二人は何の話をされていたんですか?」

「えーと……」

 先ほどの話を言っていいものか考えあぐねていると、天が先に口を開いた。

「何も。ここの神社のことについて聞かれたので」

「そうですか。天さんはここの巫女になられて長いですからね、色々教えて差しあげてください。ただ、怖い話は控えるように」

「はい」

「怖い話って…」今日までの間にさんざんこの村の奇妙な部分を知ってしまってはいるが、まだあるのだろうか。

 木暮村長はきまり悪そうに話始める。

「いや、怖がらせるつもりは無いのですが、どうしてもこの村の歴史が長いもので。怖い話や作り話というものが自然とできてしまうものなんですよ。魂喰神社も例に漏れず、そういう類のお話があるんですが、せっかく村に来てもらったのに怖い話を聞かされては、今後近寄りたくないと思われてしまうのではないかと」

「そういうことですか。怖い話は…あまり得意ではないですね」

「そうでしょう。なのでぜひ良い伝統話でも聞いていただければとね。おっと、いけない。それではそろそろ私はこの辺で…雨堤さん、また」

 そう言い残し木暮村長はまたどこかへ行ってしまった。

 天と二人きりになってしまい、やや気まずい。先に話すべきか。

「村長もやりながら神主もやって、忙しい人なんだね」

 当たり障りのない話をしたつもりだが、天は俯いたままだ。

「……さっきの話だけど、もし私に危機が迫ってるなら、誰に気をつければいいのかな?それだけでもわかれば…」

「…味方はいないと考えた方が良いでしょう」

「そう…村長さんも?」天は頷く。あの人も脅威になるのか。

「とにかく今できることをしましょう。雨堤さんは一先ず、夜は出歩かないように。明日の祭りもなるべく私の近くから離れないでください。それまでに、私はなんとか街へ出る方法を探します」

 まだ信じられるだけの確証がないが、いずれにしても無事に帰れればいい。

「わかった。そういえば、フルネームでお名前聞いてなかったね、教えてくれる?」報告書に記入する時にはフルネームのため、念のため聞いておきたい。

「…梵天そよぎ そら

 漆黒の髪が風になびいている。山の向こうの空もまた黒く染まり始めている。

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